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●知る楽 こだわり人物伝 「小津安二郎は落語だ!」 落語家…立川志らく

映画監督・小津安二郎は結婚・就職・死といった人生の節目に揺れながらも変わらない庶民の暮らしを描いた。代表作『東京物語』(1953)は世界の名だたる映画監督に大きな影響を与え、BBCの「21世紀に残したい映画100本」に選ばれた。落語家の立川志らくさんは、師匠談志の下で芸を追求する中、小津映画に出会い衝撃を受けた。『これは落語だ』。作り上げられた台詞の間、美しい日本語のメロディ。まるで名人の落語を聞いているような心地よさだった。小津映画の『芸』を映画評論家としても活躍する、立川志らくさんが語る。
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立川志らく TATEKSWA Shiraku・・・1963年東京生まれ。日本大学芸術学部在学中の85年に落語研究会の先輩・高田文夫に紹介され、立川談志に入門。95年落語立川流真打昇進。現代落語を代表する落語家のひとりとなる。映画、歌謡曲にも造詣が深く、映画評論家としても活躍。「キネマ旬報」でコラム「志らくの徒然草」を連載している。97年には小津の『東京暮色』からタイトルの想を得た『異常暮色』で映画監督デビュー。洋画の設定を江戸時代にした落語「シネマ落語」を創作し披露している。近年は劇団「下町ダニーローズ」を主宰し演劇にも進出。主な著書に『全身落語家読本』(新潮選書)、『志らくの落語二四八席辞事典』(講談社)、『雨ン中の、らくだ』(太田出版)などがある。


第1回 「まるで名人小さんのように」
年に300本ほどは見ていたという、映画青年だった立川志らくさんが小津映画の魅力に本当に目覚めたのは、真打ちを目指しているころだった。落語家の目線で改めて見た小津映画は、まるで人間国宝・柳家小さんの古典落語を聞いている様な心地良さだった。極限までそぎ落とされた台詞。時に50回以上行われるリハーサルによって作り上げられる間。その最大の魅力は物語性ではなく、ここぞというタイミングで出てくる、まるで決まり文句のようなフレーズにあるという。例えば「とうとう宿無しになってしもうたわ」(『東京物語』)。だからストーリーを知っていても聴ける落語と同じように何度も繰り返し見ることができる。小津映画の「名人芸」を堪能する。

第2回 「イミはありません」
小津の映像表現にはいくつかの特徴がある。徹底したローアングル、対話する人物のアップの切りかえ、意味深にはさまれるつぼややかん、洗濯物などの静物。そして、放り出されるようなラストシーン。それらゆえ時に難解な芸術映画だと思われ、敷居を高くしてきたと志らくさんはいう。番組では決して難解ではない、志らく流小津映画の楽しみ方を伝授。また、落語立川流と小津映画の意外な共通点を披露する。

第3回 「元祖ホームドラマ」
山田洋次、向田邦子など日本のホームドラマの元をたどると小津に行きつくと志らくさんはいう。『晩春』(1949)以降の小津映画の多くは、あまりドラマが起こりそうにない中流よりちょっと上の家庭を舞台に、親子が主人公となっている。そしてところどころに爆笑ではない、くすっとした笑いが散りばめられている。もともと小津はサイレント時代のハリウッド発ドタバタコメディにあこがれて映画監督への道を志した。戦前の貴重なフィルムを交え、小津がどのようにして自らの舞台をホームドラマに見いだしたのか、その足跡と思いを志らくさんがたどる。

第4回 「やっぱりヘンな人でした」
小津はこだわりの人だった。撮り方、小道具、そして食べ物などなど。また『晩春』に始まり遺作となった『秋刀魚の味』(1962)まで、監督した映画では何度も結婚をすすめながら、自らは生涯独身を貫いた。公私ともに親交のあった小津映画のプロデューサー山内静夫さんとの対談、そして関係者の証言を交えながら、その人柄に志らくさんが迫る。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-01-06〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声





●知る楽 探究この世界 「松井今朝子 極付歌舞伎謎解(きわめつきかぶきのなぞとき)」 作家…松井今朝子

日本の伝統文化、歌舞伎―「昔からあるものだから、ありがたいんだろうな」というふうに「ひとごと感覚」で歌舞伎を見ていませんか?歌舞伎の脚本や演出も数多く手がけ、歌舞伎界を舞台にした小説も描いてきた直木賞作家の松井今朝子さんが“目から鱗”の歌舞伎の楽しみ方を教えてくれます。松井さんは、いま私たちが見ている歌舞伎とはいろいろな時代の演劇、さまざまな舞台芸能が積み重なった「地層の断面図」のようなもの、と言います。そこに見えるのは、時代の波に洗われながら私たちの祖先が無意識のうちに選んできたものだと。このシリーズでは松井さんが8本の演目をセレクト。演目の成り立ちや当時の観客の受け取り方を掘り返してみることで、日本人が作り上げてきたものの面白さを確認し、私たち日本人とはいったい何なのか、探っていきます。
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松井今朝子 MATSUI Kesako・・・1953年京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科演劇学修士課程修了。松竹株式会社に入社し歌舞伎の企画・制作に携わる。退社後フリーとなり、故・武智鉄二に師事して歌舞伎の脚色・演出・評論などを手がける。その一方で、『マンガ歌舞伎入門』『ぴあ歌舞伎ワンダーランド』、CD-ROM『デジタル歌舞伎エンサイクロペディア』など、歌舞伎啓蒙媒体の監修に取り組む。97 年『東洲しゃらくさし』で小説家としてデビュー。同年『仲蔵狂乱』で第8回時代小説大賞を受賞。2007年『吉原手引草』で第137回直木賞受賞。ほかの主な著書に『幕末あどれさん』『一の富 並木拍子郎種取帳』『非道、行ずべからず』『似せ者』『そろそろ旅に』など多数。


第6回 「スペクタクルが芝居を変えた−“楼門五三桐〈山門〉”」
今回取り上げるのは「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)〈山門〉」。「絶景かな絶景かな」という石川五右衛門のセリフによっても広く知られている作品です。上演時間にすればほんの15分ほどの作品ですが、春爛漫の景色をバックに、極彩色の山門が舞台いっぱいにせり上がってくる様は壮観。「大ぜり」や「回り舞台」といった可動式の舞台装置の開発が、ドラマ作りに大きな影響を与えたのです。

第7回 「和製ホラーの女王−“東海道四谷怪談”」
歌舞伎の中でも最もポピュラーな演目のひとつ「東海道四谷怪談」。毒を飲まされ顔が醜く腫れ上がる「お岩さん」は日本のホラーを代表するキャラクターです。江戸時代後期に初演されたこの芝居。当時の人々にとって、いったい何が怖かったのか。生々しいリアリズムに基づいた本当の「怖さ」に迫ります。

第8回 「幕末版“俺たちに明日はない”−“三人吉三廓初買”」
最終回は、幕末から明治にかけて活躍した河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)作の「三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)」です。初演されたのは井伊大老が桜田門外で暗殺された1860年。閉塞感漂う時代を背景にした三人の若者の友情が描かれますが、最後は刺し違えて死ぬことになります。松井さんはこの芝居を「幕末版『俺たちに明日はない』」と解説します。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2009-11-30〜(2009年4-5月のアンコール再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声

>1〜5回はアナログ放送をMPEG-1録画している --->EL1200





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「作曲家・武満徹」

「作曲家にとって一番大事なことは“聴く”こと」: 西洋音楽に東洋の伝統的な楽器や手法を取り入れ、独自の音の境地を開いた現代音楽の世界的作曲家。1967年に発表された代表作「ノヴェンバー・ステップス」の作曲秘話や、音楽との衝撃的な出会いを語る。番組の元になった主なインタビューは「日曜インタビュー」(1991年)、「武満徹と浅間高原の雑木林」(1987年)、そして「YOU」の1コーナーで「青春プレイバック〜武満徹」(1983年)。それらのインタビュー部分を中心に10分間に再編集している。
(text from NHK site)

NHK教育 10min 2010-01-12(2009-03-31の再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「落語家・三遊亭圓楽」

「コピーはよしなさい コピーだけはいけない」: 三遊亭円楽は昭和から平成にかけ落語界のトップに君臨したスター。「浜野矩随」「芝浜」「中村仲蔵」など人情噺を得意とし、表現力豊かな高座は早くから高い評価を得た。しかし真打になった当時、寄席は衰退の一途を辿っていた。円楽は時代に合った落語家を目指し、テレビを積極的に利用。「星の王子様」などと、これまでには考えられかったキザなキャラクターで自分を売込み、空前の演芸ブームを生んだ。私財を投じて寄席を作り若手の育成に努めるなど、落語家の新しい時代を切り拓いた半生が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2010-01-19(2010-01-12の教育での再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「宗教家・松原泰道」(まつばらたいどう)

「絶体絶命に追い詰められた時 自分を救うのはもう一人の自分」: 松原泰道は、101歳の天寿を全うするまで仏の道を説き続けた禅僧。既成の宗教や宗派にとらわれず、仏教を生きるための哲学として解き明かした。自分の人生で出合った出来事に幅広い読書で培われた知識を交え仏法を分かりやすく伝えようとし、その著作は130冊にも及ぶ。「生涯修行 臨終定年」命尽きるまで学び続け、人々に心の杖となる言葉を届け続けた人生を語る。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2010-01-26 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo



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