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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「世界一しか目指さない!」 〜奇跡の成長を遂げた栃木の田舎企業〜 松谷貫司・マニー会長

東京から100キロ離れた栃木県・宇都宮市。ここにある「マニー」という名のメーカーをご存知か? 手がけるのは、名医もうなる「手術針」。国内シェアは9割。世界120カ国の医者たちから圧倒的な支持を得ている。さらに驚くのは、売上高に占める営業利益率。デフレの勝ち組といわれるユニクロやニトリ、楽天でさえ10%台の中、マニーは約40%!なぜ栃木の田舎企業が、世界に冠たる地位を築けたのか? この会社のトップは会長・松谷貫司(69)。実質赤字だった会社を父親から継ぎ、どん底から驚異の急成長を成し遂げる。そして“粘りの開発力”で、後発でも他社のシェアを続々と追い抜いてきた。「世界一の品質しか目指さない!」「ニッチ以外はやらない!」「工場は田舎にしか建てない!」…。そのユニーク経営に、不況に負けない会社づくりのヒントを探る。

◎マニーが世界の医者から信頼される理由・・・年々高度になる外科手術。人の命を預かる特殊な世界の要求に、マニーは応え続けてきた。その結果、1万種類もの手術針を揃え、その全てが“世界一”の品質を目指してつくられている。わずか数ミリの極小針でも、針先の滑りの良さを徹底追求。体内を傷つけない丸みを帯びた加工法など、その微細加工では他社の追随を許さない。さらに、針一本一本、全品を目視でチェックしているのだ。そして、極めつけが年に2回開かれる「世界一か否か会議」。他社製品も分析して、自社製品が世界一かどうかを判断するのだ。そこで認められなければ、発売中止も辞さない。そのこだわりが世界中の医者から信頼され、手術の質向上に貢献している。松谷は言う「世界一の品質を実現すれば、自ら営業しなくても売れていく。」

◎すべては、針金から生まれた・・・マニーの商品は、手術針だけではない。歯医者で、歯の根管治療に使われる「リーマ・ファイル」、現在急増している白内障手術で使う「眼科ナイフ」などがある。これらの商品に共通しているのは、針金でできていること。実は、マニーが驚異の利益を生み出す秘密がここにあった。針金の材料費が、売り上げに占める割合は、何と約1%。針金を徹底的に磨き上げ、独創的な加工技術で価値を100倍にも高めているのだ。

◎針金屋・松谷の“粘りの哲学”とは・・・以前、松谷は針金加工から脱却しようとしたことがあった。40年前、手術用のメス製造に参入したのだが、それは経験のない鉄板加工で製造するものだった。似て非なる金属加工を要する「針金」と「鉄板」。結果、他社の製品を超えることができず、多額の金を使い果たして、会社を潰す寸前までいった。そのとき、松谷は自覚する「我々は針金屋なんだ!」失敗から己を学び、以来、針金加工にこだわり続けてきた。そんな松谷だからこそ語れる、不況の時代を粘り強く生きる知恵とは!

≪ゲストプロフィール≫
1940年 東京都生まれ。小学校入学前に栃木県に疎開
1959年 化学研究所にて実験助手を1年間務める
1964年 千葉大学工学部卒業
     松谷製作所(現マニー株式会社)入社
1986年 社長就任
2001年 ジャスダック上場
2007年 取締役会議長兼代表執行役会長就任
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-01-25 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 シリーズ・正直者はバカをみない第2弾
「世界で一つだけ・・・ 世界最大のホビーハウスの挑戦」 畑中利元(としもと)・ユザワヤ会長

消費不況の中、注目を集めているのが、買ってきた服に飾りをつけて楽しむ“プチデコ・ブーム”。自分でお弁当を作る『弁当男子』ならぬ、手芸好きの手芸男子も登場し始め、家庭菜園などの手作りを楽しむ人が増えてきている。そんなブームを支えるのが、手芸・手作りホビーの専門店「ユザワヤ」だ。昭和30年にわずか4坪の毛糸屋からスタートしたユザワヤは、常に「顧客目線」を続け、「安い商品」を販売。その結果、世界最大級のホビーハウスに成長した。蒲田を筆頭に、吉祥寺、立川、神戸など現在21店舗。2009年には、銀座、新宿、渋谷にも進出。

◎畑中流、非常識経営術!・・・毛糸は1万種類。ボタンも1万種類。アクセサリー用ビーズは2万種類。鉄道模型に、陶芸の材料、蛇の皮まで。ひとりでも必要とする人がいればなんでも仕入れ、今や70万アイテムが揃う。大量在庫を抱えることになるため、年に1度売れるか売れないかという商品も。必要なものがいつでも手に入るよう、元旦も営業し、年中無休。商品の買い付けは、手形を使わず、創業以来すべて現金で取引、しかも買取、返品ナシ。学校を作り、70種類のコースを設け、手作りファンを育てている。手作りファンとなった生徒は、ユザワヤのヘビーユーザーになっていく。

◎新たな顧客を狙え!・・・景気の低迷で、ユニクロやH&Mなどのファストファッション業態に人気が集まる中、他人と違う“世界でただ一つのオリジナル”を求める新たな客がユザワヤに集まっている。その集客力を狙って、百貨店などから出店要請があとを絶たない。ユザワヤあるところにユニクロありとも言われる、その出店戦略とは・・・

◎“楽しむ手作り”が今、熱い・・・節約のための手作りから、自分流を表現する手作りへと変化している。番組では、手芸好きが集まる「押忍!手芸部」を取材。男性メンバーが、身近にあるものを使って、独創的な手芸に挑む。ほかにも、手作りを楽しむ商品が続々登場。いまどきの「手作り事情」を紹介する。

≪ゲストプロフィール≫
1930年愛知県生まれ、79歳。
上京後、呉服問屋など勤めた会社がいずれも廃業という憂き目にあう。
それをきっかけに独立し、1955年蒲田駅前に「湯沢屋毛糸店」を創業。
その後、1996年には吉祥寺店、2000年神戸店、2004年立川店と、次々に規模を拡大。
業界最大手企業に育て上げた。2009年、社長から会長に就任。
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-02-08 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「さらば!売り上げ至上主義よ」 〜不況でも儲ける、驚異のアイリスマネジメントの極意〜
大山健太郎・アイリスオーヤマ社長兼新商品開発責任者

再びデフレに突入した日本経済。日本のものづくりメーカーは“激安”だらけの小売りの現場で買い叩かれ、多くが疲弊している。そんな逆風下で 売上げ・利益ともに過去最高を記録したメーカーが、ある。“知られざる消費材のガリバー”アイリスオーヤマだ。毎年世に出す新商品は、1000点以上。しかも次から次へ“売れ筋”をつくり出す!率いるのは 全商品の開発責任者でもある社長の大山健太郎。男は言い切る!「そこに“不満”がある限り 市場拡大は無限だ」

◎驚異の商品開発力・・・収納の定番、透明な中身の見えるプラスチック衣装ケース、シュレッダー、高圧洗浄機…ホームセンターに並ぶ商品の多くを、アイリスは製造している。中でも透明衣装ケースは、アイリスが初めて商品化した。この商品のきっかけが「中に何が入っているか探す時に困る」という、不満。当時、一部の愛好者のみが行っていた「園芸」を、プラスチック製の軽い鉢を製造することで、主婦などにも購買層を広げ、ガーデニングブームを巻き起こしたのもアイリスだ。

◎さらば売り上げ至上主義!利益を出し潰れないのが全てだ・・・若干19歳で父親の町工場を継いだ大山は、高度経済成長の波にも乗って、年商15億円を稼ぎ出す、らつ腕経営者にのし上がった。ところが1970年代、オイルショックで売上げは半減、倒産寸前まで追い込まれた。大山は悟る「業界トップに意味は無い。どんな不況でも、利益を出せる企業にこそ意味がある!」。そこで生み出したのが、どんな商品でも必ず利益が出る “アイリス流マネジメント”。人件費から何まで細かく数値化され、すべてが「見える」様になり 正確に経営状況を把握出来る。不況でも儲ける、驚異のアイリスマネジメントの極意が明かされる!

◎新世代のモノづくり、メーカーベンダー制・・・新商品を作っても、「ベンダー」である問屋は売れるかどうか分からない商品を扱いたがらない。そこでアイリスオーヤマは、作ったもの全てを小売りに直接納品し、尚且つ問屋業も行う独自の「メーカーベンダー」体制をとっている。店舗は持たずとも全国1万1000もの取り引き店舗に直接工場から出荷、中間コストも掛からず、かつ値ごろ商品をつぎつぎと店頭に並べることに成功! そして問屋を介さず市場動向が即座にわかることもさらに新商品開発に活かされる。

≪ゲストプロフィール≫
1945年大阪生まれ 19歳の時、急死した父が経営していたプラスチック製品を作る町工場を継ぐ。
70年代オイルショックでの倒産危機を乗り越え、
80年代にプランターなどのガーデニング分野を開拓、その後ペット用品、
収納用品など生活関連の消費財全般を手がける一大メーカーに成長。
08年度売上高: 1760億円(単体761億円)本社は宮城県仙台市。
(text from TV-Osaka site)

テレビ大阪 54min 2010-02-15 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「日常生活に花を!豊かさを売って、客を呼べ!」
井上英明・パーク・コーポレーション社長

国内の花き市場は1兆円を超える規模がある。しかし一昨年のリーマンショック以降、市場は縮小する傾向にあった。市場の大半を占めていた業務用などの法人需要が企業の事業縮小などに伴い低迷。贈答用のシクラメンやコチョウランなどの高級な花の需要が大きく落ち込んだという。そんな中、需要を伸ばしているのが自宅に飾るために買い求める個人需要。自宅で「ゆとり」や「癒し」を求める人が増えたという。そんなお客目線の需要に応え、増収増益の成長を続けている花屋がある。現在全国に70店舗を展開し、年商48億円(2009年度)を売り上げる青山フラワーマーケットだ。モノが売れない時代に「花」を売りまくる、男性客も思わず買いたくなる花屋とは? 青山フラワーマーケットの“今の時代のニーズをつかむ”ビジネススタイル。その秘密を井上社長に聞く。

◎ダントツ花屋の秘密・・・東京・渋谷の駅ビルにある東急東横店は、売場面積わずか8坪という広さながら、年間に4億円を売り上げる。高級品の入った冷蔵ショウケースなどは店舗には置かず、旬の花や低価格〜中価格帯の切花を中心に種類を多く揃え、日常の家庭でも手軽に飾れるアレンジメントブーケなどが主力の商品だ。人通りの多い通路に広げられた店舗では、客が覗き込むように簡単に商品を選ぶことができる。花の発注も本社ではなく、店舗が独自に仕入れを行い、地域ごとのニーズに合わせた店舗作りが特徴だ。

◎一人一人に売る力〜店員力の秘密とは?・・・開放的な店舗に並べられているアレンジメントブーケはすべて青山フラワーマーケットのスタッフの手によるもの。こうしたアレンジメントを作るのは店舗スタッフが行っている。青山フラワーマーケットの店舗を支えるスタッフの7割がアルバイトだが、アルバイトスタッフにも商品知識、技術、店の運営など、独自の教育をしている。時にはアルバイトスタッフが発注までこなしたりもするという。モノを売るだけにとどまらない店員のサービス・コミュニケーション能力は、多くのリピーターを生む原動力になっている。

≪ゲストプロフィール≫
1963年佐賀県生まれ。早稲田大学を卒業後、ニューヨークの会計事務所に勤務。
1988年、パーク・コーポレーションを設立。イベント企画などの業務を行っていた。
1993年より青山フラワーマーケットを展開。

≪企業プロフィール≫
創業 1988年
売上高 48億円(2009年度)
本社 東京都港区南青山
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-02-22 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「音楽家・漫談家 照屋林助」

「ひとつでもあれはいけないと言い出したら、チャンプルーでなくなる。あれもよい、これもよい、全部でひとつ。それがチャンプラリズムです。」: 照屋林助は戦後の沖縄県の娯楽・芸能をリード、笑いと音楽で独自の境地を開いた沖縄芸能界の「巨人」である。終戦直後、石川市(現在のうるま市)に設けられた難民収容所で悲しむ人々の間で、「生き残ったことをお祝いしよう」と歌を歌いながら呼びかけた。三線を用いた漫談・ボードビルショーを続け含蓄の深い漫談で長年に渡って観客を魅了。「テルリン」の愛称で親しまれ、新たな沖縄芸能の方向を模索し続けた「テルリン」のふるさと沖縄への深い思いを「歌」で語る。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2010-02-23(2010-02-16の教育での再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●名曲アルバム 「愛の小径」

生粋のパリっ子プーランクは、第二次大戦中戦火を逃れ、パリから2000キロ離れたノワゼーで創作活動を続けていた。「愛の小径」は1940年、戦争で一時閉鎖されたパリの劇場の再開にあたり、新作の芝居の劇中歌として作曲された。美しい恋の思い出を歌ったこの曲は、愛するパリでの公演のために書いた入魂の一作である。

作曲: プーランク
演奏: 波多野睦美(歌)、山田武彦(ピアノ)
映像: パリ、ノワゼー(フランス)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2010-03-02 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo(B-mode)



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