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●NHK SPECIAL 「メイド・イン・ジャパンの命運」

金融危機の影響がもっとも大きく出た日本。GDPはまもなく中国に抜かれ3位に転落するのは必至である。こうした中、日本はグローバル経済の中で、何を作り、何で稼いでいくべきなのか。世界最強のブランドと言われた“メイド・イン・ジャパン”が、出口を求めて必死にもがいている。いま日本の製造業が直面している世界の地殻変動、それは、猛スピードで技術が陳腐化し、製品の差別化が難しく、しかも製品の寿命が超短命に陥っていることだ。メイド・イン・ジャパンの代名詞だったテレビ業界では、特にその傾向は顕著で、どんなに高度で精密な薄型テレビを作り出しても瞬く間に韓国台湾などアジア勢の猛追を受ける。少しでも安いモノをと考える消費者にとって、ライバルがある程度の技術力を持てば、日本製品の優位性は一気に崩れるのだ。こうした中、いま一度日本国内工場の存在意義を問う、「生き残りをかけた実験」が始まっている。東芝ではコストを度外視した超高機能テレビを作り技術力を極めようとする試みが佳境を迎えた。JVCケンウッドでは、自社生産にこだわらず、技術を中国メーカーに譲って製品を作らせ、そのライセンス料を企業収入にしていこうという動きも見られる。番組は、「日本は今後どうやって食べていくのか」、「日本人は何が得意なのか」と自問を繰り返す二つの電機メーカーの社運を賭けたプロジェクトに密着し、メイド・イン・ジャパンの未来を見つめていく。
(text from NHK site)

NHK総合 50min 2010-01-24 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「どんな環境変化でも絶対に潰さない!」 〜おもちゃ屋3代目 執念の経営〜
富山幹太郎・タカラトミー代表取締役社長

トミカ、プラレール、黒ひげ危機一発、リカちゃん、チョロQ、人生ゲーム。日本人なら誰もが一度は遊んだであろう最強のラインナップを誇る玩具メーカー、タカラトミー。この不況下でも、売上高、営業利益、経常利益、純利益、すべてに上方修正をかけた。そのトップに立つのは、会社を潰す代名詞だった3代目、富山幹太郎。プラザ合意後の円高不況、ゲーム産業の隆盛、少子化、消費不況。次々襲いかかる苦難を乗り越え、ニッポンのおもちゃづくりをいかに守り抜いてきたのか。温厚な表情からは計り知れない“執念の経営”を語る。

◎1000に3つを掘り起こせ!・・・「おもちゃ業界のヒットは1000に3つしか生まれない」?富山の口癖だ。何がヒットするか誰にもわからない世界で、一体どう安定した経営を行えるのか。富山は1000の中から3つのヒットが生まれた後にこそ注目する。テレビゲームに負けない情報量をおもちゃに盛り込み、定番商品さえ日々改善の手を緩めない。そんな中、今年1年を占う商談会が開かれた。約1200点の新製品からロングセラーは生まれるのか!?

◎目に見えるものは変わる。目に見えないものを見よ・・・1986年、プラザ合意後の円高不況の中、経営危機にあったトミー。32歳の若さで社長に就任した富山の仕事は、4つあった国内工場の内3つを潰し、1000人近くいた従業員の内、600人を解雇することから始まった。祖父の代からお世話になった先輩たちの遺産を潰す日々。このときから富山の終わりなき経営改革は続いている。「工場など目に見えるものは変わる。客の信頼や企業理念など目に見えないものを大切にしたい。」ニッポンのおもちゃづくりを守りたい。誰よりも思いを深める富山はベトナムに向かった。

◎執念で商品は生まれ変わる・・・旧タカラが販売した現代版ベーゴマ「ベイブレード」は、世界で1億6000万個を売り上げる社会現象に。しかし、ブームの終息とともに、今の子ども達には見向きもされなくなった。タカラトミー合併後ベイブレードを復活させるべく集められた開発チームは、子どもたちの価値観の変化に気づく。そして、ゼロからの作り直しが始まった。更に、旧タカラ製品を代表する、あの「チョロQ」は今? 富山流の経営術は、旧タカラ製品にどう影響を与えたのか!?

≪ゲストプロフィール≫
1954年東京生まれ。英国のハル大学卒業後82年入社。86年32歳で社長就任。
経営危機にあったトミーで国内4工場中3工場を閉鎖する大規模なリストラを敢行。
06年には、タカラと合併しタカラトミーの社長に就任。
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-03-01 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「価格勝負の時代は終わった!」 〜商売人必見!安さ以上の価値を生むマル秘テクニック
佐藤順一・カクヤス代表取締役社長

去年から続く不況で消費者の節約志向が一層、強まっている。一般家庭では、自炊を増やし、ムダな支出を抑える傾向にあるという。こうした自炊派の拡大を追い風に驚異的な成長を続ける店があった。東京都北区に本社を置く「なんでも酒や カクヤス」酒屋の減少が続く中、1994年にわずか2店舗だった店舗数は15年で142店舗に!この急成長の秘密は“安さを超えた高いサービス”にある。東京23区内なら、電話一本で、ビール1本から、2時間以内に、無料で配達してくれる。しかも、重い商品などは・・・家の中の台所まで届けてくれる。この唯一無二のサービスにより、いまや、1日1万5000件の注文が殺到。一般家庭はもちろん、レストラン、銀座や六本木の高級クラブなども顧客に名を連ねる。こうした客を惹きつけるサービスを築き上げた男こそ、カクヤス 三代目社長の佐藤順一だ。社長就任後から16年連続で増収、いまや、飲食店向け酒の販売で売上No.1に君臨する。“安さ”に頼らず、カクヤスが客を惹きつける秘密に迫る!

≪ゲストプロフィール≫
昭和34年 東京都北区生まれ
昭和52年 筑波大学入学
昭和56年 カクヤス本店
(現 株式会社カクヤス)入社
平成03年 代表取締役社長就任
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-03-08 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「“商売”は、夫婦に勝るものはない」 宗次徳二・壱番屋創業者特別顧問/宗次直美・壱番屋会長

国内消費の低迷、強まる「内食」志向。マクドナルドも400店舗の閉鎖を決定、牛丼店各社も値下げ競争を始めた。そんな中、過去の不況時にも、“値下げ”や“割引き”を一切行わずに成長を続けているのが国内最大のカレーライスのチェーン店、「CoCo壱番屋」だ。創業32年。『ココイチ』の愛称で親しまれ、今では世界5カ国で1179店舗を展開する。

◎逆境を乗り越える、夫婦の力
結婚後独立し、喫茶店をオープン。そして1978年に「CoCo壱番屋」1号店を出店した。しかし、ずぶの素人で飲食店経営を始めた2人の道のりは、決して甘くはなかった。オープン2日目までの大盛況とはうって変わって、3日目からは閑古鳥が鳴く始末・・・それは「ぬるいカレー」に「真っ黒焦げのカツ」など、客への配慮を欠いた結果だった。客目線の接客を徹底する!客が喜んでくれる事をしていれば間違いはない!いつか客は絶対にきてくれる!と信じ、客の声に耳を傾けた。店を徹底的に磨き、おいしいカレーを提供し、夫婦で励まし合いながら店に立ち続け続けた。こうして、繁盛店は生まれたのだ。

◎CoCo壱番屋独自FC、“ブルームシステム”
「CoCo壱番屋」のフランチャイズは、夫婦専業が基本で、ロイヤリティーを取らない。その代わり、店での修行を経て、実力を認められた者だけが暖簾分けを許される。独立できる確率は、修行者のわずか7%。今回は、その狭き門をくぐり抜け、独立する夫婦に密着。果たして、無事にオープンすることが出来たのか?

異色の経営者夫婦をゲストに迎え、「仕事」「家庭」・・・逆境を乗り越える夫婦のありかたを問う。
カンブリア宮殿の放送開始から5年目を迎え、初めて招く「夫婦」経営者に村上龍が切り込む。

≪ゲスト プロフィール≫
◎宗次徳二(むねつぐ・とくじ)(62歳)1948年石川県生まれ。生後間もなく孤児院に預けられた後、宗次家に養子に入る。高校卒業後、不動産会社を経て大和ハウス入社、そこで現在の妻・直美と出会い、結婚。98年に会長就任、02年にはCoCo壱番屋から離れ、特別顧問に就任。

◎宗次直美(むねつぐ・なおみ)(59歳)1950年愛知県生まれ。10歳のときに父親が亡くなり、それから家族離れ離れの生活を送る。高校卒業後に大和ハウスに入社。徳二と出会い、結婚。98年に社長、02年には会長に就任。

1974年 喫茶店「バッカス」を名古屋市内にオープン
1975年 喫茶店「浮野亭」をオープン
1978年 「CoCo壱番屋」1号店オープン
2002年 徳二は顧問に、直美は会長に就任
2004年 「CoCo壱番屋」1000店舗達成
2005年 東証・名証一部上場
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-04-05 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●名曲アルバム 「ハンブルクの潮の満干」

運河の街、ハンブルク。中世より国際的な交易都市として発展してきた。1721年40歳のテレマンは市の音楽監督に就任。「ハンブルクの潮の満干」は海軍鎮守府の設立100年祭のために作曲された。後半生の46年をこの地で過ごしたテレマンは、生涯に4000曲を超える作品を残した。潮の満ち干は、今も昔もハンブルクの日常風景の中にある。

作曲: テレマン
演奏: 飯森範親(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: ハンブルク(ドイツ)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2010-03-05 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo(B-mode)





●名曲アルバム 「喜歌劇“天国と地獄” 序曲」

世界中の人々を魅了する、花の都パリ。19世紀半ば、第二帝政下のパリにオッフェンバックはすい星のごとく現れた。作曲家としてだけでなく、ブッフ・パリジャン劇場の支配人として次々と自作を発表した。「天国と地獄」はそこで初演され、満場のパリっ子たちの大喝さいを受けた。

作曲: オッフェンバック
演奏: 田中良和(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: パリ(フランス)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2010-03-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo(B-mode)



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