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●知る楽 歴史は眠らない 「ニッポン 母の肖像」 精神科医…香山リカ

『家族の危機』が叫ばれている現代。子育てをめぐる状況は大きく揺らいでいる。「子育てがつらい」「子どもをかわいいと思えない」。子どもと向き合うことに苦痛や罪悪感さえ感じる母親が増え続けている。精神科医の香山リカさんは、診察室で子育てに燃え尽きた多くの母親たちの声を聞いてきた。香山さんがその原因と考えるのは、「子育ての責任は母親が負うものだ」という日本社会に根づく考え方だ。社会に敷かれたレールから解放され、自分自身に向き合うことの大切さを説いた香山さんの著書「しがみつかない生き方」はベストセラーになり、子育てに悩む母親たちから熱い注目を集めている。折しも2009年6月、改正・育児休業法が成立。男性にも育休制度を普及・定着させる法律が1年以内に施行されることが決まった。子育てをめぐる社会的環境は、いま大きく変わろうとしている。番組では、香山リカさんが「母親中心」の子育ての歴史をたどることで、現代の家族が直面する困難を浮かび上がらせる。どうすれば親や地域社会が子育てに自然に関わることができるのか、そのヒントを探っていく。
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香山リカ KAYAMA Rika・・・1960年7月1日北海道札幌市生まれ。東京医科大学卒。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。学生時代より雑誌等に寄稿。その後も臨床経験を生かして、新聞、雑誌で社会批評、文化批評、書評なども手がけ、現代人の“心の病”について洞察を続けている。専門は精神病理学だが、テレビゲームなどのサブカルチャーにも関心を持つ。『悪いのは私じゃない症候群』(ベスト新書)、『しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』(幻冬舎新書)、『大事なことは先のばしにしなさい』(ビジネス社)、『精神科医ミツルの妄想気分』(講談社)、『女はみんな「うつ」になる』(中央法規出版)など著書多数。


第1回 「大江戸子育て事情」
江戸時代、子どもは、「家」そして家の財産や格式を引き継ぎ、それを次代に伝える重要な役割を担っていた。そうした子どもを大事に育て、一人前にする責任を負っていたのは父親だ。江戸の父親の子育て熱は、藩主から農民までさまざまな立場の人が書き遺した「子育て論」からもうかがうことができる。そんな“父の子育て”を支えたのが、地域社会での義理の親・「仮親」(かりおや)の存在だ。その子の通過儀礼ごとに結ばれ、以後生涯にわたって続く擬似親子関係は、母親が出産で命を落とすことが多く、子育てに専念するのが困難だった時代の「子育てセーフティーネット」でもあった。さらに幕末には、農民指導者・大原幽学が、荒廃する地域社会を立て直すため、互いの子どもを替えて育て、“村の子すべてをわが子のように”する「換え子教育」も登場。親と社会が、子どもを大事に育てていた江戸の子育て事情を見ることで、現代の家族のあり方を見つめ直す。

第2回 「“良妻賢母”の光と影」
明治維新後、日本を近代国家とするために注目されたのが「母親」の役割だった。明治後期以降、高等女学校が次々に設立され、健康な子を産み育てる「良妻賢母」になることが女学生の使命とする風潮が広がった。当時広がり始めた“母性愛”という思想のもと、母親たちは「母の手一つ」の育児に駆り立てられていく。同時期、育児書出版ブームの中、大ベストセラーとなったのが1919(大正8)年出版された鳩山春子の「我が子の教育」。後に内閣総理大臣となる息子・一郎の子育て体験談を説きながら、「子どもの将来の幸福」を目指すことを掲げた育児書は、多くの母親たちから厚い支持を得ていく。日本の近代化と歩調を合わせて、子育てが母親の役割になっていくプロセスをみつめる。

第3回 「孤立する教育ママ」
戦後1947(昭和22)年からのベビーブーム終了後、出生率は半減し、核家族化が急激に進行。子どもは「授かりもの」から、親の意思・計画で「つくる」ものとなっていく。1955(昭和30)年からの高度経済成長期、企業戦士の父親にとって家庭は寝に帰るだけの場所となり、専業主婦となった母親は子どものしつけと教育を一任される。70年代初め、高校進学率が90%を超え中流意識が広がる中、よりよい大学への進学が差異化の唯一の手段となる。子どもをよい学校に送り込むことに賭けた「教育ママ」は孤立を強め、子どもとの精神的な癒着が新たな問題となる。高度経済成長期の単一な価値観のもと、何が子育てする母親を追い詰めていったのかを考える。

第4回 「“三歳児神話”のじゅ縛」
“3歳までは子どもは母親の手で育てるべき”という「三歳児神話」。日本特有のこの「神話」のよりどころとなったのは、1951年、イギリスの精神科医・ボウルヴィが発表したWHO調査研究。元来、乳児にとって強い愛情関係の必要性を説いた研究を「母親の子育て」に結びつけたのは、1970年代後半、低成長期に入った日本の政治・経済的状況だ。政府は乳幼児保育の予算削減を検討。日本古来の母性愛をもって高齢者や乳幼児の世話を行う『日本型福祉社会構想』を打ち出した。後年、政府は1998年版「厚生白書」で「3歳児神話に合理的根拠はない」と否定見解を発表するが、刷り込まれた「神話」による母親への心理的影響は今も続く。社会による子育てが叫ばれる現在、過去の「神話」を乗り越えるための道を探る。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-01-05〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声

> 第1回のみ、地デジ移行日で録画できず。





●知る楽 こだわり人物伝 「孤高のフォークシンガー 高田渡」 歌手…なぎら健壱

2005年4月、ツアー中の釧路で56歳の若さにして急逝した高田渡。1969年にデビュー。京都に住み、京都・大阪発の「関西フォーク」のムーブメントを起こした立て役者となった。さらに、そのフォーク・ムーブメントを全国規模に押し上げ、吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫といった数多くのフォロワーを生んだ「日本の音楽シーンの重鎮」とされる人物だ。しかし、その人生は多くの名の売れたミュージシャンとは一線を画す。40年間一貫して、持たざる庶民の立場からユーモアあふれる歌を歌い続け、売上競争に明け暮れる音楽業界とは距離を置き、中流以下の貧しい生活でも、自分のやりたい音楽をひょうひょうと貫き、ブレなかった。そんな反骨精神あふれる生き方が、ここ数年、世代を超えて脚光を浴びている。死の前年に公開された映画『タカダワタル的』は、ドキュメンタリーとしては、異例のロングランを記録。死後も、若手ミュージシャンによるトリビュートアルバムの発売(計3枚)、未発表音源のCD化(計2枚)、雑誌の特集、映画の続編公開などが相次いでおり、カリスマ的な人気がますます高まっている。番組では、フォークシンガー高田渡を師と仰ぎ、若手ミュージシャンとの交流も多い、なぎら健壱を語り手に、数奇な人生や生いたちを浮かびあがらせる。
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なぎら健壱 NAGIRA Ken-ichi・・・1952年、東京・銀座(旧・木挽町)に生まれ、以来下町で育つ。70年、中津川で開催された全日本フォークジャンボリーに《怪盗ゴールデンバットの唄》で飛び入り参加したことがデビューのきっかけとなり、72年アルバム『万年床』をリリース。現在はコンサート、ライブ活動の他、独特のキャラクターでテレビ、ラジオ、映画、ドラマ等の出演や執筆等で活躍。77年『嗚呼!!花の応援団』で日本映画大賞助演男優賞受賞。2009年第25回浅草芸能大賞奨励賞受賞。たいとう観光大使、自転車Do!会長、自転車活用推進研究会理事を務める。趣味はカメラ、自転車、散歩、飲酒、絵画、落語、格闘技鑑賞、がらくた収集、など多岐にわたる。CDに『万年床』『葛飾にバッタを見た』『日輪』『嘘のような本当の話』、著書に『下町小僧』『東京酒場漂流記』『日本フォーク私的大全』『東京の江戸を遊ぶ』『ぼくらは下町探検隊』『酒にまじわれば』『絶滅食堂で逢いましょう』、写真集『東京のこっちがわ』『町のうしろ姿』など。


第1回 「民衆の心を歌に 原点は少年時代」
高田渡の大きな特徴は、「フォークソング=民衆の歌」を生涯貫いたことだ。「仕事さがし」「値上げ」など、庶民のまなざしが貫かれた歌の数々は流行に左右されない普遍性があり、聴く人の心を癒す。そうした歌の原点は少年時代にある。男手一つ日雇い労働で息子四人を育てた在野の詩人。父・高田豊との生活は、貧しくとも前向きだった。生存する兄弟の証言などから高田渡の原点を訪ねる。

第2回 「“日本語フォーク”の先駆者」
「自衛隊に入ろう」でデビューした高田渡。その功績は「日本語フォーク」を確立したことだ。多くのフォーク歌手が、流行のボブ・ディランやピーター・ポール&マリーなどをまねるなかで、高田渡はフォークソングそのもののルーツを研究。日本の現代詩と組み合わせることで、見事に日本のものとした。日本のロック界をけん引したムーンライダーズの鈴木慶一は「高田渡こそ最もオリジナルなフォーク歌手だ」と評す。

第3回 「反骨人生 時代に背を向けて」
関西フォークの人気は、2万5千の聴衆を集めた1971年の中津川フォークジャンボリーで頂点を迎える。吉田拓郎、かぐや姫などフォロワーも誕生、この動きに、音楽業界は各社あげての争奪戦を繰り広げた。しかし、高田渡はその波には乗らずに地道な活動を続けた。吉祥寺を中心としたフォークシーンでカリスマ的人気を集め、全国のライブハウスで演奏することを中心とした、商業音楽にくみしない生活に密着した歌を全国に広げていった。

第4回 「絶頂期の死 受け継がれる歌」
若手ミュージシャンによる楽曲のカバー、CM起用、ドキュメンタリー映画の公開など、90年代以降再評価された高田渡。「バブル崩壊後、未来に確たるものを見いだせない中、地に足のついた歌が再発見された」とバンドメンバーの佐久間順平は話す。北海道の釧路では死後も仲間たちによる追悼コンサートが毎年開かれ、「今の時代だからこそ、この歌が必要」と、その歌は若手によって今も歌われ続けている。生き続ける高田渡を見つめる。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-02-03〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声





●あしたをつかめ 〜平成若者仕事図鑑〜 「拍手の裏に匠あり」 〜舞台・大道具〜

華やかな舞台の世界。舞台上に建てられた日本家屋、広がる山や空の風景。これら舞台美術を作る影のプロ集団が舞台大道具です。百年以上の歴史をもつ名古屋の老舗劇場には、舞台課と呼ばれる大道具の精鋭チームがあります。その一人、3年目の舞台大道具、笹伸哉さん(21歳)。高校時代に打ち込んだバンド活動で舞台セットをデザインしたことがきっかけとなり舞台の世界へ飛び込みました。大道具作りは分業制、彼の担当は「張り物屋」です。ベニヤ板で作られたベースに、色を付けやすくする為、紙を張る仕事。今回は更なるステップアップを目指し、芝居のクライマックスで使われる「灯ろう」の紙張りに挑戦しました。厳しい職人の世界で奮闘する若手大道具を追います。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-01-12 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●名曲アルバム 「メヌエット」

南ヨーロッパ最大の都市であるスペインの首都マドリード。1769年イタリア生まれのボッケリーニが若きチェロの名手として、スペイン王室から招かれこの地にやってきた。有名な「メヌエット」はもともと弦楽五重奏曲の一部分。ギターを思わせるピチカートやシンコペーションのリズムが、スペインらしい雰囲気をかもしだしている。

作曲: ボッケリーニ
編曲: 田崎瑞博
演奏: アンサンブル音楽三昧
映像: マドリード(スペイン)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2010-03-27 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo(B-mode)

> NBDR-0018にもあり



>ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し






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