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●知る楽 歴史は眠らない 「“貧困”国家 日本の深層」 経済評論家…内橋克人

「格差社会」「ワーキングプア」「派遣切り」−ここ10年、新たなキーワードとともに急速に社会問題となったのが「貧困」である。現在、日本の国民に占める貧困層の割合は先進国中4番目といわれ、改善の兆しは未だ見えない。経済評論家の内橋克人さんは、こうした状況を招いたのには、日本という国のあり方が深く関わっていると考えている。近代以降、現在に至るまで政府や大企業が弱い個人を犠牲にする社会構造が形成されてきたというのだ。さらに近年、内橋さんが危ぐするのが「自己責任論」の問題。政府が「自己責任・自助努力」の名の下に貧困の公的救済に消極的で、社会の側にもそれに同調する部分があることが、問題解決を遠のかせていると内橋さんは分析する。番組では内橋さんとともに歴史をさかのぼることで、貧困問題の根源を探る。社会構造と貧困が密接に関わり始めた明治時代から、人間生活の最低ラインを守るセーフティーネットが崩壊の危機にさらされている現代まで、貧困の歴史を通して日本のあり方を問う。
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内橋克人 UCHIHASHI Katsuto・・・1932年神戸市生まれ。新聞記者を経て経済評論家。高度経済成長を担った現場の開発者、技術者、技能者の姿を描いた『匠の時代』(全12巻)で脚光を浴びる。90年代はじめから市場原理至上主義、新自由主義的改革に対して一貫して警鐘を鳴らしてきた。第60回NHK放送文化賞、宮沢賢治・イーハトーブ賞。主な著書に『内橋克人 同時代への発言』(全8巻)、『共生の大地―新しい経済が始まる』、『規制緩和という悪夢』(共著)、『浪費なき成長』、『ドキュメント昭和恐慌』、『日本資本主義の群像』、『悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環』、『節度の経済学の時代』、『共生経済が始まる―世界恐慌を生き抜く道』、『始まっている未来―新しい経済学は可能か』(共著)など多数。

第1回 「明治の貧困と闘った男」
明治維新は多くの困窮者を生んだ。新政府が財源不足から国民に新たな税負担を強いる一方、貧困対策をほとんど行わなかったためである。この状況に動き出したのが渋沢栄一だった。実業家としてさまざまな企業の創設に関わり日本の近代化を経済面から支えた渋沢。しかしその一方で「東京養育院」という施設の院長となり貧しい人々に食事や寝場所を提供、その社会復帰の手助けに奔走したのだ。運営費を税金で賄っていた養育院が公金の無駄遣いと批判され廃止の危機に直面した時には、「困った人々を助けるのは義務である」と反論し、養育院を守った。しかし明治中期、貧しい工場労働者の権利を守る工場法の制定が議論されると渋沢は強く反対する。まだ産業界が発展途上のため、労働者の権利よりも産業育成を優先、貧困救済は個人が行うべきと考えざるを得なかったのである。明治の貧困問題に取り組んだ渋沢の苦闘を通して、日本の貧困問題の源流を探る。

第2回 「“格差社会”の始まり」
大正時代、日本には格差社会が訪れていた。日露戦争後、軍需産業などで財を成した少数の富裕層と低賃金で働かされる多数の貧困層が現れたのだ。しかし政府はこうした貧困層にほとんど手をさしのべなかった。「貧困の原因は個人の責任」と分析していたためである。この状況に異を唱えたのが、東京市社会局で調査活動を行っていた草間八十雄(くさまやそお)。草間は貧民街や浮浪者たちの中に入り彼らの話に耳を傾けた。その結果、多くの貧しい人々が社会構造の変化による失業などやむをえない理由で貧困に追い込まれたことが明らかになったのである。国による貧困救済を訴える草間。しかし昭和に入り日本が戦争へと向かっていくと、草間の思いは裏切られてゆく。格差社会の歴史をたどり、社会は貧困にどう向き合うべきかを探る。

第3回 「見えなくなった貧困」
昭和30年(1955)より始まった高度経済成長期、繁栄をおう歌する日本を底辺で支えた人々がいた。この時代に急増したビルや鉄道の建設現場で働いていた労働者たちである。彼らは多くの場合「日雇い」という不安定な身分で、定住場所を持たない者は年金や生活保護といった社会保障すら受けられなかった。日々の収入しか頼るもののない彼らの生活は、やがて石油ショックを機に破たんする。仕事が激減し生活が追い詰められる一方、豊かになった日本社会は、彼らの貧困から目を背けるようになったのだ。高度成長期以来、日雇いの人々が数多く集まった東京・山谷(現在の台東区・荒川区にまたがる地域)を舞台に、戦後日本の成長の影で、見えなくなっていった貧困の実態に迫る。

第4回 「自己責任論の克服に向けて」
昭和56年(1981)、戦後の社会福祉政策に転機が訪れる。厚生省が生活保護の支給抑制を各自治体に求めた、通称「123号通知」の登場である。それは生活保護支給の資格審査を厳格化し、自力での貧困脱出を促そうとしたものだった。この結果、生活保護を受けられる人の数が激減。「貧困は自分の責任なのだからしようがない」という自己責任論が広がった。しかし何度も支給を断られた末、餓死する者も出るような状況に、受給希望者たちは反発。京都や秋田の生活保護支援グループが立ち上がる。当時の関係者のインタビューを中心に、生活保護の現場で行われた戦いに光を当て、「自己責任論」克服の道を探る。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-03-02〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声





●知る楽 こだわり人物伝 「森有正 還っていく場所」 作家…片山恭一

哲学者・森有正(1911-1976)。「人間が人間として本当の自分を生きる」ことを問い続けた昭和の哲学者である。没して30余年、この日本人の名前を記憶する人たちはいったいどれくらいいるのだろうか。東京大学文学部仏文科の助教授時代、公費留学生としてパリを訪れた森はやがて家族も地位も捨て単身パリに留まることを選択し、生涯をかけて、ひとり異国の地で「人間の本質」を探求する。「孤独」「絶望」「経験」「感覚」「出発」「死」…森が思索の中で辿(たど)った言葉たち−「人間の本質」を求めるその人生は、常に自分の内面と向き合うことであった。こんな森の生き方を改めて見つめるのが「世界の中心で、愛をさけぶ」の原作者・片山恭一さん(50)。片山さんは、森の「言葉」に、そしてその思索に深遠な世界を見いだす。それは強い共感を覚えさせるものであり、さらに現代社会を生きる「人間」を照らす言葉でもあると考えている。死に至るまで「人間の本質」を求めた森有正を《生涯自分が戻っていく場所を探し続けた思索家》と考える片山さんが、その孤高の世界を4回にわたって語り尽くす。
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片山恭一 KATAYAMA Kyoichi・・・1959年愛媛県生まれ。九州大学農学部卒。同大学大学院博士課程中退。福岡県在住。1986年に「気配」で文學界新人賞受賞。95年に『君の知らないところで世界は動く』で単行本デビュー。2001年『世界の中心で、愛をさけぶ』が300万部の大ベストセラーとなる。ほかの主な著書に『満月の夜、モビイ・ディックが』『ジョン・レノンを信じるな』『船泊まりまで』『もしも私が、そこにいるならば』『遠ざかる家』『最後に咲く花』『宇宙を孕む風』など多数。


第1回 「孤独」」
「人間が生きるとはどういうことなのか」。人生を思索に捧げた森有正の資質は彼独特の出自、そして近代日本が歩んだ暗い時代がもたらしたものであった。生涯を通して森を捉え続けた「孤独」。しかし森はその独自の思索方法の中で「孤独」の意味を、否定的なものではなく、積極的に保持すべきものであると考え始める。「人間にとって根源的なものである」とまで言いきった森の「孤独」を探る。

第2回 「絶望」
東大助教授であった39歳の時、森は戦後初の公費留学生としてパリを訪れる。それは思索者・森有正にとって運命的なものであった。圧倒的な文明力を持つパリという街を前に、森は「絶望」を抱く。それは日本への、そして日本人である自分への「絶望」であった。森の「絶望」とはどんなものであったのか、そしてこの「絶望」にどう向きあっていったのか。片山さんが実際にパリを訪れ、その思索の跡を辿る。

第3回 「時間」
パリでひとり思索を続ける森の生活を支えたもの。それは皮肉にも絶望を抱いた「日本人である自分」が持つ日本語力であった。日本語教師、日本文学の仏訳、生きるための仕事を行う中で、森は「時間」の持つ作用に気づき始める。時間をかけた言葉への取り組み、そして一人の人間としての生活の中、森の中に「自分の時間」が流れ始める。異郷の地で森におとずれた「時間」の概念に迫る。

第4回 「出発」
パリから列車でおよそ1時間のところにあるシャルトル大聖堂。森が何度も足を運んだ場所である。悠久の時間の中、変わらず存在しつづけるカトリックの大聖堂に対峙する中で、森は自分自身の内面の変化を感じ取って行く。生涯を通して自分の内面世界を常に見続けた森。それは絶え間ない自分への「出発」であった。26年という異国での歳月の果て65歳でこの世を去った森有正。彼は何処へ出発したのか、そして還っていったのか―「出発」をキーワードに迫る。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-03-03〜(2009年9月のアンコール放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声





●あしたをつかめ 〜平成若者仕事図鑑〜 「僕からテレビを買ってください」 〜家電販売員〜

モノが売れない時代。次々と新製品が発売され、値下げ競争が過熱する中、客のニーズに答え、商品を売り込むのが店頭に立つ家電販売員たちです。水戸市にある家電量販店に勤める大貫隼人さんさん(23)は昨年入社したばかりの販売員。サッカーで培った体力と気力が買われ、1年目から“花形”テレビ売り場に抜擢された。一人でも多く客を呼び込むため、接客だけでなく、売り場コーナーの演出や販売価格の見極めなど、様々な仕事を任されている。「指名No.1の販売員になりたい。」先輩たちの支えの中、夢をかなえるため奮闘する若者の毎日に密着します。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-02-26 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●視点・論点 「“Forever Young”はじまりの日」 詩人…アーサー・ビナード

NHK教育 10min 2010-03-03(総合での同日再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Mono





●名曲アルバム 「行進曲“ワシントンポスト”“士官候補生”」

アメリカ合衆国の首都、ワシントン。作曲家スーザはワシントン郊外で生まれ育った。彼は13歳で海兵隊軍楽隊に入隊し、25歳で隊長に就任。バンドのレベルを飛躍的に向上させた。この曲はワシントンにある新聞社の創立80周年のために作曲された。この曲の成功を機に、彼は作曲家として次々とマーチを世に送り出していった。

作曲: スーザ
編曲: ニウ・ナオミ
演奏: 沼尻竜典(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: ワシントン(アメリカ)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2010-04-08 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo(B-mode)

> NBDR-0018にもあり





●名曲アルバム 「オペラ“ポーギーとベス”から“サマータイム”」

世界一刺激的な街、ニューヨーク。作曲家ジョージ・ガーシュウィンはニューヨークに生まれ育った。黒人が多く住む地域での暮らしの中で、彼らの習慣や音楽を肌で感じ、自らの作風をはぐくんでいった。「サマータイム」は漁師の妻クララが夏の豊かな生活を夢みる歌。この曲が使われている、黒人の生活を描いたオペラ「ポーギーとベス」は大きな波紋を投げかけた。

作曲: ガーシュウィン
編曲: 栗山和樹
演奏: 森麻季(ソプラノ)、沼尻竜典(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: ニューヨーク(アメリカ)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2010-04-14 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo(B-mode)

> NBDR-0020にもあり



>ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し






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