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●知る楽 仕事学のすすめ 「岡野雅行 誰にも負けないものづくり術」 岡野工業代表社員…岡野雅行

世界的な不況の中、わずか従業員5人で年商6億を売り上げる、町工場の経営者の岡野雅行さん(77歳)。中学中退後、父親の経営する金型工場に勤め、72年、家業を継いでからは「技術的に難しく誰にも出来ない仕事」と「安すぎて人が敬遠する仕事」をモットーに「痛くない注射針」や携帯電話の小型化に貢献したリチウムイオン電池ケースなど、不可能と言われた技術を次々と開発してきた。その技術力を求めNASAを始め、今も世界的な大企業が岡野さんのもとに訪れ、製品の開発を依頼する。経営に苦しむ中小の町工場が多い中、無借金経営を続け、「世界一の職人」「金型の魔術師」と呼ばれる岡野さんの発想はどこから生まれるのか、そしてどのようなものづくりの技を持っているのか、その秘密に迫る。
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岡野雅行 OKANO Masayuki・・・1933年(昭和8年)、東京都墨田区生まれ。向島更正国民学校を卒業後、父親が営む金型工場の手伝いをはじめ、20歳頃から本格的に金型の仕事に取り組む。「深絞り」と呼ばれる金属加工プレスの技術を深め、家電、パソコン機器、医療機器などの金型を製作。特に世界一細い「痛くない注射針」の量産化に成功。2004年、“国家または公共に対し、顕著な功績を挙げた者”に対して授与される旭日雙光章を受賞。注射針は2005年グッドデザイン大賞を受賞。


第1回 「“経験”と“失敗”を重ねろ」
2005年、医療機器メーカーのテルモの依頼で岡野さんが開発した「痛くない注射針」。0.2ミリという針の太さはこれまで不可能とされ、テルモの担当者が100社開発依頼に回っても断られるものだった。岡野さんはこれまでの経験から、一枚の板を丸めることで細くすることが可能ではと判断し、試行錯誤の末、量産化に結び付けた。これまでの技術開発を紹介しながら、「図面を書かないことで自由な発想が出来る」と語る岡野さんの仕事術を学ぶ。

第2回 「人との出会いで仕事を育め」
中学中退後、父親の家業を手伝うことになった岡野さん。遊びたい盛りの岡野さんは、近所にあった色街「玉の井」に通い、「恩を受けたら返す」という義理人情を学び、それが仕事にも役立ったという。また、他の会社で修行したいと近所の親父に相談すると、「技術を覚えるには専門書がある」とアドバイスを受け、当時高価な洋書の「プレス便覧」を購入、独学で勉強をしながら技術を磨いていった。人との出会いではぐくまれた仕事哲学に迫る。

第3回 「利益を独り占めするな」
岡野さんは新しい技術を開発すると約3年で部品やそれを量産する機械を含めてプラントごと大手企業に売ってしまう。そこには、他に技術がまねされ、量産できるようになると単価が下がるという計算がある。また特許は、開発を依頼された大企業と一緒に取る。その方が組織防衛が働き、名だたる企業と一緒に仕事をしているというコマーシャル効果があるという。あえて会社を大きくせず、常にベンチャー企業の精神を持って新しい技術開発に臨む、岡野流の町工場経営論を伺う。

第4回 「やらせて、ほめる岡野流人材育成論」
岡野さんは、自分の会社の強みを、製品開発から量産化まですべて自分のところで出来る職人の存在をあげる。その育成ポリシーはひたすら褒める。そして発展途上国に社員旅行に出かけ、一生懸命働く地元の人々の姿勢を学ばせている。 また、岡野さんはこれまで、中学の修学旅行見学を受け入れてきた。来る生徒は勉強嫌いが多いが、岡野さんの話を聞き、やる気を起こした生徒も多いという。学歴はいらないが、現場でつかんだ知恵はいるという岡野さんの人材育成術に迫る。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-03-04〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声





●知楽遊学シリーズ 仕事学のすすめ 「人間力養成術」 伊藤忠商事取締役相談役…丹羽宇一郎

トランスレーター: 勝間和代 「サラリーマンほど楽しい仕事はない。会社の仲間の力をまとめあげることで巨大な仕事を実現できる。」と語る伊藤忠商事 取締役相談役・丹羽宇一郎さん(70歳)。 98年に社長に就任するやいなや、約4000億円の不良債権を一括処理、翌2000年度決算では同社史上最高益を計上して、世間を驚かせた経営者である。 丹羽さんは、また、戦前から続く総合商社の強固なシステムと体質にメスを入れ、大改革を実現。6年の任期中に、つぎつぎと決断を下し、組織の再生を成し遂げた。人間力に絶対的な信を置くという考えのもと、企業経営を行ってきた丹羽さん。仕事を通してどのように人間力を磨いていったのか、若手社員時代の失敗談や社長時代の経営者としての経験を織り交ぜながら伺う。
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丹羽宇一郎 Niwau Ichiro 伊藤忠商事・取締役相談役・・・1939年、名古屋市生まれ。58年名古屋大学法学部に入学し、学生運動にのめりこむ。卒業後伊藤忠商事入社、一貫して食料畑を歩む。68年から9年間のアメリカ駐在を経て、98年に社長就任。社長任期6年の公約通り04年から会長、10年4月から現職。経済財政諮問会議民間議員、地方分権改革推進委員会委員長など政府関係の要職を歴任、国連WFP協会会長など食料に関する活動も行う。


第1回 「専門力が仕事をひらく」
丹羽さんの専門力は、30代の頃に経験した失敗で磨かれた。入社12年目、アメリカで大豆の買い付けをした際に、天候を読み違え、およそ15億円の含み損を出しそうになったのだ。この経験が徹底的な情報収集とそれを検証するという丹羽さんの仕事スタイルを確立し、専門性をより高めることになった。入社して10年は働きアリのようにひたすら働いて仕事に打ち込み、次の10年は専門力に基づく理論と自信を養うべきと言う丹羽さんの仕事哲学に迫る。

第2回 「リスクを乗りこえる決断力」
丹羽さんを一躍有名にした、社長就任後の約4000億円の不良債権の一括処理。その決断力の裏には、経営者しか分からない苦悩があった。極秘で調べると次々に出てくる不良債権、発表することによる株価暴落の懸念、予想される銀行の反対。そうしたリスクを冒して一括処理を行った理由は、「総体における社員の幸せ」を第一に考えたからだという。トップは誰にも相談せずに決断すべきと語る丹羽さんからその決断力の源泉を探る。

第3回 「全社員に”本気”を伝えろ」
丹羽さんが社長就任してから重視したのは社員との対話。4000人の社員に宛てて、社内イントラネットで自分の考えを伝えた。また内部告発に対しては、告発者が特定されないように配慮し、社員の本音を聞き出すことに注意を払った。更に定期的に社員集会を行い、自分の気迫や熱意を直接社員に伝えることを心がけたという。クリーン、オネスト、ビューティフルという標語を社員に伝えようとした、丹羽さんのコミュニケーション術を伺う。

第4回 「20年後の日本に備える人材育成」
高齢化が進み、人口減少が懸念される日本。その中で国際競争力を高めるためにも丹羽さんは益々人材育成が重要なってくるという。伊藤忠では入社4年目までにすべての社員を海外で仕事させることを始めたり、丹羽さん自ら、青山フォーラムという経営塾を開いたりしている。 外国人社員や女性管理職の増員なども主張する丹羽さんに未来を見据えた人材育成論を語ってもらう。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-04-01〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声

> 駐中国大使に丹羽氏=国交回復後初の民間人―伊藤忠相談役、政治主導で
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政府は6日、次期駐中国大使として伊藤忠商事の丹羽宇一郎相談役(71)を起用する方針を固めた。民間からの駐中国大使起用は1972年の国交正常化後初めてで、近く中国政府に対して事前承認(アグレマン)を要請する。複数の日中関係筋が明らかにした。中国政府と太いパイプを持つ経済界の大物である丹羽氏の抜てきは、日中間で拡大する経済交流や人的往来をさらに緊密化したい民主党政権の意向の表れとみられる。今夏にも発令される見通し。駐中国大使は最近、現在の宮本雄二大使をはじめ外務省のチャイナスクール(中国語研修組)から起用されるケースが多い。日中間では先月末の鳩山由紀夫首相と温家宝首相の首脳会談を受け、今後、東シナ海ガス田の条約締結交渉などが加速する見通しだが、「民間大使」でこうした厳しい外交交渉を統括できるか不安視する声も出そうだ。丹羽氏の大使起用は、鳩山政権で検討され、菅直人新首相に引き継がれる。「政治主導」で対中外交を展開したいとの思惑が強いとみられる。(2010年6月6日23時4分配信 時事通信)





●視点・論点 「コーネルの箱宇宙」 川村記念美術館学芸員…林寿美

NHK教育 10min 2010-04-16 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Mono

> DR-410に、新日曜美術館 「20世紀美術の異端 不思議な箱のコーネル」 あり。



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