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●知楽遊学シリーズ こだわり人物伝 「安藤百福 遅咲きのラーメン王」 ジャーナリスト…鳥越俊太郎

48歳で即席めんを開発した安藤百福(あんどうももふく)。戦後日本の食生活を大きく変えた画期的な発明はいかにして生まれたのか。自らも49歳で活字の世界からテレビの世界に飛び込んだジャーナリスト・鳥越俊太郎さんが、安藤百福ゆかりの関係者を取材し、その実像に迫っていく。
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鳥越俊太郎さん(ジャーナリスト)・・・1940年、福岡県生まれ。実家は製粉会社。京都大学文学部卒業。65年、毎日新聞に入社。新潟支局からスタートし、大阪社会部、東京社会部などを転任。82年に1年渡米し、地方新聞「クウェーカータウン・フリープレス」に職場留学。帰国後、テヘラン特派員となる。88年から『サンデー毎日』編集長。89年に退社し、テレビ朝日系列の報道番組「ザ・スクープ」のキャスターとなる。2002年から、同系列「スーパーモーニング」のコメンテーター。2005年に直腸がんであることを公表した。


第1回 「48歳の青春」
「もはや戦後ではない」という言葉が流行した1958年(昭和33)、48歳で安藤百福は即席めんの発明を成し遂げた。当時失業中だった安藤は、自らの復活を「食」に賭けた。思いついたのが「あらかじめ味つけしてある、油揚げのめん」。自宅の庭に建てた発明小屋で、安藤は開発に励んだ。当時、小学生ながら発明を手伝った息子の宏基さんの証言も交え、魔法のラーメン誕生の舞台裏に迫る。

第2回 「君子 豹変すべし」
「私がコックか板前になっていたとしても、第一級の料理人になっていたに違いない。これだけは自信がある」。晩年、こう断言した安藤百福だが、「食」というものを自分の仕事とするまで、実に半世紀近くかかっている。数々の事業を興し、失敗も経験。資産家から無一文への転落。そしてようやく、安藤は「食」へと向かっていった。そのきっかけとなったのが、戦後、焼け野原で見たある風景だった。

第3回 「父と子の“フードバトル”」
安藤百福には、ダメだと思ったら即座に切り捨てる冷徹無比な経営者、という側面もあった。カップめんが大ヒットした数年後の1975年に発売した「カップライス」がよい例だ。商品開発には一年を要し、大規模な工場設備が設けられ、先行投資の額はおよそ30億円にのぼった。息子の宏基さんが開発部長としてマーケティングに当たったが、事前に行った市場調査の結果は上々。だが、安藤はすぐに撤退を決めてしまった。それはなぜだったのか。

第4回 「めんロードの旅人」
即席めんを開発した安藤百福は77歳の時、ラーメンの故郷、中国を36日間にわたって歩いた。90歳を過ぎてなお、新製品の開発に意欲的に取り組み、「宇宙食」を開発した。亡くなる3日前までゴルフを楽しみ、前日まで元気に出社、生涯現役を貫き、2007年1月、96歳の生涯を閉じた。最終回は、安藤の長寿と食へのこだわりをひもとく。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-05-05〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声 --->地デジ VAIO-L

>「どん兵衛」ヒットで最高益 日清、“内食回帰”が追い風  2010年5月13日12時58分配信 産経新聞

日清食品ホールディングス(HD)が13日発表した2010年3月期連結決算は、最終利益が前期比29.0%増の204億円となり過去最高を更新した。節約のため家庭で食事を取る「内食回帰」で即席めんの販売が伸びたほか、小麦価格など原材料価格の下落もコスト改善に寄与した。売上高は同2.5%増の3711億円、本業のもうけを示す営業利益は16.1%増の273億円と増収増益を確保した。国内ではカップそば・うどん「どん兵衛」シリーズのめんの改良や、新製品「太麺堂々」などがヒットを飛ばし、海外での販売も好調だった。11年3月期の業績予想は、売上高が前期比5.1%増の3900億円、営業利益が同26.2%増の345億円、最終利益は同7.3%増の220億円の増収増益を見込む。即席めんの好調が続くとみている。同日、会見した中川晋専務は「大型の新製品を発売するほか、既存製品の販売強化に着実に取り組みたい」と述べた。





●知楽遊学シリーズ 歴史は眠らない 「ニッポン公共事業物語」 作家…堺屋太一

今、公共事業にこれまでにない注目が集まっている。 民主党政権が「コンクリートから人へ」の方針の下で公共事業離れを明確に打ち出す一方、地方では道路の建設継続の声が今なお根強く残るなど、国民の間で意見が分かれている。公共事業は、これまで新幹線や東名、名神高速道路に代表される社会の基盤を作り上げてきた。一方で、建設経費がかかりすぎたり、完成まで長い年月がかかりすぎたりと、決して成功とは言えない公共事業が繰り返されてもいる。これまで、日本人は、公共事業によって何を生み出し、またどのような過ちを犯してきたのだろうか。今に残る公共事業の足跡を訪ね、その功罪について考え、そして、理想の公共事業を探っていく。
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堺屋太一 Sakaiya Taichi 作家・・・1935年、大阪府生まれ。東京大学経済学部卒業後、通産省入省。1970年に大阪で開催された日本万国博覧会を提唱・企画する。1975〜76 年の沖縄国際海洋博覧会も担当。78 年に退官して以後は、イベント・プロデューサーとして数々の博覧会のプロデュースを手がけるともに、作家・評論家としても活躍。自民党の小渕恵三内閣、森喜朗内閣で経済企画庁長官を務めた。現代社会や近未来を描いた小説『油断!』『団塊の世代』などのほか、『峠の群像』『秀吉』『豊臣秀長――ある補佐役の生涯』などの歴史小説も手がける。


第1回 「平安京 千年の都の誕生」
鳴くよ(794)ウグイス平安京。この時、日本の都が京都に定まった。実は、この平安京は今から1200年以上前に行われた巨大な公共事業だった。碁盤の目の道路網を張り巡らせ、治水のために川の流れを変え、さらに貴族官僚が工事を取り仕切ったという。そこには、今の公共事業の原型の多くが見てとれる。この大事業を計画したのは桓武天皇。それまでの平城京を離れることで敵対する勢力を切り離し、そして都作りには側近を積極的に登用するなど、公共事業を利用して自らの権力基盤を確立していく。しかし、平安京の建設は国家財政に大打撃を与え、桓武天皇は、都の造営を中止するという大きな決断を下さざるを得なくなる。 暴走することなく、平安京造営という巨大公共事業を止めた桓武天皇。この決断が、後に、和歌や源氏物語に代表される平安文化を生み出すことになる。平安京造営に、公共事業の原点を見る。

第2回 「巨大な城は権力のシンボル」
公共事業で、“どこまでも巨大で、限りなく美しく”を目指した時代があった。巨大な吊り橋や空港島、高層ビルを作り出した現在ではない。400年前、戦国時代の築城競争だ。その戦国時代の始まりのきっかけも公共事業だった。戦国大名は、川に堤防を築くことで河口付近にある広大な湿地帯を農地に変えて、国を豊かにした。その先駆者が、織田信長の父親、織田信秀。この事業をきっかけに富を得て、戦国時代の天下取り争いを勝ち抜いていく。そして築いた城が、安土城。初めて巨大な天守閣を築き上げた。さらに、豊臣秀吉、徳川家康と時代が変わるにつれて、城は“権力のシンボル”として大きくなっていく。戦国時代、公共事業が肥大化していく姿を描いていく。

第3回 「“希望”が作り出した近代国家」
明治維新後、日本を近代国家に変えた大きな原動力が公共事業だった。新橋横浜間から始まった鉄道は全国に伸び、電信事業を実現するため全国に電信柱が立ち並んでいった。さらに近代国家へ向かう日本で大きな分岐点となった公共事業がある。滋賀県の琵琶湖から京都に水を引く琵琶湖疎水だ。東京遷都後に荒れ果てた京都を立ち直らせるための大事業だった。外国人技術者に頼っていたそれまでの公共事業とは異なり、日本人技術者がすべての工事を行い、完成させた。さらに、そこで日本初の水力発電所を建設、これまた日本初の市電を開通させた。明治も半ばを過ぎると、公共事業を発展のきっかけにしたいと誘致を求める地元の声が強くなり始める。公共事業頼みの地方という構図の始まりだ。 「富国強兵・殖産興業」のかけ声の下で行われた明治維新期の公共事業が、日本に果たした役割を描いていく。

第4回 「成功から迷走 そして理想の模索へ」
第二次世界大戦で社会基盤の多くを失った日本は、公共事業を原動力にして、復興、そして高度経済成長へと歩んでいく。1960年代には東海道新幹線や東名、名神に代表される高速道路が開通、多くの人に欠かせない日本の大動脈が完成した。その後も高速道路は伸び続け、港が増え、空港が次々と作られていく。 これを資金面で支えたのが特別会計だ。自動車燃料に税金をかける道路特別会計や、空港特別会計などが作られた。この財源によって、9000キロにも及ぶ高速道路やおよそ100か所の空港が作られた。しかし、使いみちがその目的に限られるという特別会計の性格から、中には、必要性に疑問符がつく事業も行われ、公共事業のあり方そのものが問われることになる。こうした中、「公の利益」という公共事業の原点に回帰する動きが起き始めた。京都府では、住民の要望に応じてきめ細かな公共事業を行う、全国初の試みに着手した。無駄のない公共事業と注目を集め、全国から問い合わせが殺到している。戦後公共事業の功罪を見ると共に、理想像を模索する新たな動きを伝える。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-05-04〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声





●名曲アルバム 「歌劇“ローエングリン”〜第3幕の序奏、婚礼の合唱」

ドイツ南部フュッセンの森に立つノイシュヴァンシュタイン城。バイエルン国王、ルートヴィヒ2世によって建てられた。彼は15歳の時に初めて見たワーグナーのオペラ「ローエングリン」にいたく感動し、ワーグナーの音楽に心酔した。そして城内を、ワーグナーのオペラの世界に見立てて飾り立てた。その美しい城は今なお多くの人々を魅了してやまない。

作曲: ワーグナー
演奏: 二期会合唱団(合唱)、現田茂夫(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: フュッセン 他(ドイツ)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2010-05-12 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo(B-mode)

> NBDR-0018にもあり



>ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し






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