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●かんさい想い出シアター|新日本紀行 「ポートピア海上都市 神戸市港島町」

大阪で開かれた日本万国博覧会から11年後、神戸市の人工島ポートアイランドで開かれた博覧会「ポートピア'81」。のちの地方博ブームの原点となったイベントです。華やかなお祭りのようすとともに、海上の未来都市を夢見た人々の姿をとらえた番組をご覧いただきます。 (初回放送日: 1981年7月5日)
(text from NHK site)

NHK総合 35min 2010-04-17 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Mono

> ポートアイランド30年 「未来都市」に高齢化の波
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神戸市沖の人工島「ポートアイランド」で24日、街開きから30周年の記念式典が開かれた。「未来都市」にひかれた団塊の世代が次々と移住してきた街も、いまは住民の2割が65歳を超え、日本一のマンモス小学校は児童数が激減。少子高齢化の波が押し寄せている。◇ポートアイランドは、市の中心部・三宮から南へ2キロ。住宅のほか、企業や港湾施設など職住の立地をめざした443ヘクタールの人工島は、1980年3月に街開きした。「山 海に呼びかけ 海 山を迎えて――。」島内の市立港島小児童と先生が82年につくった和太鼓曲「港島太鼓」。六甲山系に住宅地を造り、削った土を運んで海を埋め立てた当時の様子を表現。「株式会社・神戸市」とも呼ばれた開発行政の歴史を象徴する曲だ。「ハイカラ好み、珍しいもの好き、未知への好奇心、挑戦」。81年の市広報誌で、作家の田辺聖子さんは「魅力ある未来都市」を生んだ神戸の気風をこうつづっている。矢田立郎市長は「人工島を造って人が住み、働く場も大学もある。非常に斬新な試みだった」と話す。最初に完成した日本住宅公団(現・UR都市機構)の賃貸住宅に移り住んだのは、200世帯余り。いまも島内に住む中辻恵造(えいぞう)さん(61)と、妻の沙千子(さちこ)さん(63)は当時を振り返る。「最初はまるでひょっこりひょうたん島。郵便ポストもなく、はがき1枚出すのに三宮までバスで出た。お店も行商だけでした」 島の人口は3月末時点で1万5124人。阪神大震災が起きた95年の約1万7千人をピークに減少傾向に転じた。中辻さんらが入居した頃は新婚や働き盛りの世代が目立った街も、いまや5人に1人が65歳以上。91年に児童数1781人で日本一のマンモス校だった港島小は現在、575人にまで減った。少子高齢化や長引く不況は、島に影を落としている。4年前に進出したホームセンターは1年足らずで撤退し、大手スーパーは今年2月末に閉鎖。二つあった銀行の支店は2003年春までに撤退した。島の南側を新たに埋め立てた第2期事業は、08年度末時点の土地売却が2割にとどまる。06年2月に開港した神戸空港周辺の分譲地も、83ヘクタールのうち3ヘクタールしか売れていない。ただ、島の歴史のなかで着実に育ってきたものがある。「山も川もなく、神社も寺もない島で、ゼロから伝統と文化を作り上げた」 こう語るのは自治会組織・港島自治連合協議会会長の安田登さん(75)。84年に協議会を設立して以来、会長として地域のきずなづくりに取り組んできた。毎夏、子どもたちが演奏を披露する「港島たそがれコンサート」や「港島杯ソフトボール大会」は約20年前から続く恒例行事だ。震災で大規模な液状化現象が起きた際には、民間マンションの敷地でも公共性の高い部分は住民の強い要望で市が修復することになった。地震の1週間後、物資不足に苦しむ他の地域に配慮して、自主的に市からの配給を返上したこともある。「結束力のあるポーアイだからこそできた」と安田さんは言う。06〜07年春にかけて神戸女子大、神戸学院大、兵庫医療大、神戸夙川学院大の四つの大学が進出。昼間人口は増えつつある。三宮と島を約10分で結ぶ新交通システム「ポートライナー」の乗客数は08年から2年連続で、81年の神戸ポートアイランド博覧会以来となる2千万人を突破した。82年から暮らす協議会事務局長の粟原富夫さん(56)は「私たちが住む古い街と、学生たちの新しい街を一つにすることが、ポーアイ再生の鍵になる」と期待する。(日比野容子)◇〈ポートアイランド〉神戸市が1966〜80年度、神戸港沖に約5300億円をかけて造成した443ヘクタールの人工島。2期事業は86〜09年度、南側の海上に約5200億円で390ヘクタールを埋め立てた。先端医療技術を中心とした企業誘致を進めている。 (2010年4月26日9時58分配信 asahi.com)





●かんさい熱視線特集|「被害者は問う」 〜JR福知山線脱線事故から5年〜

107人が亡くなったJR福知山線脱線事故から5年。被害者の苦しみが今も続く中、去年発覚した事故調査報告書を巡る漏えい問題は事故調査への信頼を失墜させた。これを受けて発足した検証チームには遺族らが参加。事故調査を根本から問い直している。一方、医療や生活などの支援を加害企業のJRに頼らなければならないことに苦しんできた負傷者は被害者支援の先進地・米国を視察。被害者が問う「調査」と「支援」の課題に迫る。
(text from NHK site)

NHK総合 75min 2010-04-23 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●ETV特集・選 「裁判員へ」 〜元死刑囚・免田栄の旅〜

昨年5月スタートした裁判員制度。誰もが裁きの場にかかわる時代に、自分の体験を伝えようとする一人の元死刑囚がいる。強盗殺人の罪をきせられ死刑判決を受け、34年半を獄中で過ごした免田栄さん(84歳・大牟田市在住)である。今までのところ裁判員の判断は量刑判断にとどまっているが、今後、被告が無罪を訴える裁判に、裁判員が直面するケースが必ず起こる。その時、裁判員は本当に、感情に流されず、法にのみ支配された判断を下すことができるのか、免田さんには不安がある。えん罪事件がなぜ繰り返されてきたのか、なぜ、現在も続発しているのか、その検証が十分なされないままに、新しい制度が始まってしまったように思えるからである。免田さんは、えん罪を生む構造、死刑を待つ恐怖について講演活動を続け、また獄中からえん罪を訴える人々の支援活動を行ってきた。そして去年の秋、新たな旅に出た。再審に挑む仲間を訪ねる旅であり、今も獄中から無罪を訴え続けている死刑囚を励ます旅であり、人が人を裁くことの意味を考え続けている司法関係者と対話する旅である。そして、自身の人生をたどり直す時間の旅である。免田さんは84歳という年齢に達した今、身体の自由がきくうちに、生涯をかけることになったえん罪事件との戦いの意味を自ら再確認し、裁判員になるかもしれないすべての市民に訴えたいと考えている。番組では、免田さんの旅に同行し、絶えることのないえん罪事件の歴史を検証しながら、免田さん等の声に耳を澄ます。えん罪を無くすことはできるのか、裁判員制度が始まった今、私たち自身がその当事者である。
(text from NHK site)

NHK教育 90min 2010-05-02(2010-02-14の再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo

> 未整理|NHK教育: 「知る楽」-2009後半に、知る楽 歴史は眠らない 「裁判員制度への道」(全4回) あり





●視点・論点 「民が支えた“歌舞伎座”」 作家…松井今朝子

NHK教育 10min 2010-04-28 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Mono



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