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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「すべて丸わかり!ITビジネス最前線!!」 グリー社長・田中良和

iPadにTwitter、SNS、スマートフォン・・・続々と新たなITツールやサービスが提供され、ビジネスシーンはますます便利になってきた。もはやITは特別なことではなく、我々を取り巻くインフラ。欠かせないアイテムだ。 だが、一方で、世の中にはついていけないお父さんもたくさんいる。今回はそんなビジネスマン必見の企画だ。世界中にインターネットを普及させたWindows95が発売されて、早15年。YahooJapanを立ち上げたソフトバンクの孫正義や日本の流通を変えた楽天の三木谷浩史などベンチャー起業家たちはいまや日本経済を牽引する存在にまでなっている。 そんなITベンチャーたちを脅かす男が今回はゲスト、「グリー」社長の田中良和(33歳)だ。携帯電話向けの無料ゲームを引っさげ、創業5年で東証一部に上場。時価総額2900億円の企業に育て上げた男。日本国内で1800万人が利用する日本初のSNS(ソーシャル・ネットワークング・サービス)を展開。米経済誌「フォーブス」の誌上において“若き億万長者”として世界中から注目されている。

◎GREEの急成長、その秘密とは?
魚釣りの「釣り★スタ」やペット育成ゲーム「踊り子クリノッペ」など、SNSと密接に連動し、仲間とのコミュニケーションが無料で楽しめる携帯電話のサイト「GREE」。創業5年で売上139億円。その急成長の裏には、社長の田中を陰で支える5人の男の姿があった。プログラミング言語の世界で“神”と評される技術者や元ドイツ証券の証券マン、ユニークなCMを手がける元大手代理店の広告マン。日本のITの歴史を紐解きながら、GREE成長の秘密に迫る。

◎新世代ITツールすべて教えます!
発売2ヵ月で200万台も売れたタブロイド端末“iPad”。新たなITツールに熱い視線を集める「電子雑誌」の裏側を紹介。さらに政治家も経営者も企業もつぶやきだした“ツイッター”。わずか140文字以内の短い文章(つぶやき)でビジネスシーンが大きく変わり始めた。東急ハンズの“つぶやき”を通して、“ツイッター”のお得な利用法を学ぶ。

≪ゲスト プロフィール≫
1977年 東京生まれ
1999年 日本大学法学部卒業
2000年 楽天に入社
2004年 日本初のSNSサイト「GREE」をスタート、楽天を退社しグリー設立
2010年 東証1部上場
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-06-14 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「漢方のリーディングカンパニー・健康と医療への貢献こそが企業使命だ!」 株式会社ツムラ社長・芳井順一

ツムラは今年で創業117年目になる老舗企業。現在、病院で処方される医療用漢方薬では日本国内シェアのなんと8割以上を占め、2010年3月、営業利益と経営利益が3期連続で過去最高となった。そんな絶好調のツムラだが、バブル崩壊後、同族による多角経営があだとなり倒産の危機に陥っていた。そんなツムラを救ったのが、現社長の芳井順一氏だ。芳井は事業の“選択と集中”により、医療用漢方製剤に特化させることでツムラの再建に成功した。1995年、風間元社長(現顧問)と共に第一製薬からツムラへ転じ、営業本部長となった芳井は、まずそれまでの営業方針を見直し、新たに漢方薬を使った経験のない医者向けの営業展開を始めた。さらに、そこで漢方に興味を持ってくれた医師向けに会費制の漢方セミナーを開講。ツムラの漢方医療製剤の需要はまたたく間に広まっていった。バブル崩壊で社員346名をリストラするなど、暗い時代を経て2004年、社長に就任すると、バスクリンなどの家庭用品事業や新薬開発事業をすべてやめ、医療用漢方製剤に特化した「新生ツムラ」として医療用漢方製剤の生産と普及に全力を注いできた。漢方薬は複数の生薬からなるが、生薬の原材料のうち8割近い産地が中国である。ツムラでは最新鋭の機器による厳しい残留農薬チェックなど、徹底的な漢方の品質管理に取り組んでいる。また、ツムラが行う「育薬」は国内外から注目されている。さまざまな研究分野の医師と連携し、より多くの臨床研究を行うことで、漢方薬が秘めた効能・作用の科学的な解明を目指す。近年では日本最前線の医療現場でも、なくてはならないものとなった漢方。今回はツムラ再生のキーとなる「漢方」について紹介し、ツムラ再生から現在に至る歴史を追ってツムラ成功の秘訣を解き明かす。さらにツムラの医療用漢方製剤が、どのように日本の医療現場で生かされているのか? 番組では現代医学における漢方薬の可能性も探る。

≪ゲスト プロフィール≫
1949年 芳井順一 誕生。
1970年 西南学院大学商学部卒業後、第一製薬(株)に入社。
1995年 ツムラ再建のため(株)ツムラへ転じる。
2004年 社長就任、医療用漢方薬に特化した事業展開。大学医学部および医学大学全80校に漢方医学の講義が入る。さらに66の大学病院に漢方外来が開設。
2006年 医薬品事業(漢方製剤)と、家庭品事業を分社。
2009年 ツムラライフサイエンス(株)、ツムラグループより独立。
現在、総売上900億円を超える大企業。
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-06-21 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「超・地域密着で生き残れ!」 〜半径500mシェア100%主義で売りまくれ!〜 ダイシン百貨店社長・西山敷

景気回復の声が聞こえつつも、まだまだ小売店は苦戦を強いられたまま・・・地方の商店街では「シャッター通り」が変わらず増え続けている。とはいえ、全ての小売店が衰退の一途を辿っている訳ではない。独自の工夫で集客し、利益を出している店もある。その1つが、東京・大田区にあるダイシン百貨店だ。そのダイシン百貨店を率いるのが2006年に社長に就任した西山敷だ。西山は倒産間際と言われた店を独自の戦略で人気店に変えてみせた。その戦略こそ「500メートル圏内・シェア100%主義」という“超・地域密着戦略”だ。「売れない時代」を新たな戦略で勝ち抜くダイシン百貨店の成功の秘密を、作家・村上龍が読み解く。

◎おばあちゃんの原宿・巣鴨に負けない百貨店!
JR大森駅から徒歩12分。寂れた商店街の先に、古びた6階建てのビルがある。それがダイシン百貨店だ。お世辞にも綺麗とは言えない店構えだが、店内には溢れんばかりの客の姿が…多い日には1日2万人、年間400万人以上が訪れる人気店。しかも、その客の多くは“お年寄り”。ダイシンの売り上げの半分を占めるのが60歳以上となっている。多くの高齢者を魅了するダイシン百貨店。その人気の秘密に迫る!

◎「500m圏内・シェア100%主義」で売れ!
1964年に創業したダイシン百貨店は、70年代からディスカウント販売で売り上げを伸ばしていく。しかし、2代目社長が急死した2004年に状況は一変する。粉飾決算が発覚し、100億円の借金があることが判明したのだ。この窮地に陥ったダイシン百貨店の立て直しを託されたのが店舗設計を担当していた西山だった。西山は「500m圏内・シェア100%」という「超・地域密着戦略」を打ち出し、ダイシン百貨店の復活を目指す。消費不況が叫ばれる中での復活を成功させた“超・地域密着戦略”とは…

≪ゲストプロフィール≫
1947年 東京都 生まれ
1969年 工学院大学卒業後、日産建設入社
1977年 商業建築計画研究所(現 商業建築)設立
2004年 ダイシン百貨店取締役就任
2006年 同社 代表取締役社長就任

≪会社プロフィール≫
所在地:東京都大田区山王
創業:1964年
売上高:77億円(2010年1月期)
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-06-28 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「元窓際族社長のアパレル革命」 〜会社を変えた反逆経営術〜 セーレン社長・川田達男

「斜陽産業」と言われて久しい繊維業界において、下請け企業から、一貫生産の総合繊維メーカーへと変貌を遂げた「セーレン」。2005年には買収したカネボウの繊維部門をわずか2年半で黒字化させ、業界を驚かせた。その企業革命を実行したのは入社以来「窓際族」「反逆児」と言われた川田だった。川田はいかにして旧態依然の企業に“革命”を起こすことができたのか?今、この激しい変化の時代をいかに生き残るか、そのヒントを川田社長に聞く!

◎アパレルの革命児 ファストファッションに挑む!
H&Mに、フォーエバー21・・・勢いがあるのはファストファッションばかりのアパレル業界。そんな中で「大量生産の安売りファストファッションはいずれ終わる時期がくる」と断言するのが川田だ。川田が立ち上げたセーレンのコンピューター染色システム「ビスコテックス」は、そんなファストファッションに対抗するセーレンの武器。デザインデータをコンピューターに取り込み、インクジェットプリンターのような方法で布地を染め上げる。従来の染色方法では、10〜20色までしか使えなかった、「ビスコテックス」は1677万色、ありとあらゆる柄が表現できる。さらに少ロットでの生産が可能なため、大量生産するしかないファストファッションとは一線を画す。

◎革命児社長は元「窓際族」
繊維業界に勢いのあった1962年にセーレンに幹部候補生として入社した川田。しかし、入社早々「手だけあって頭のない会社」と会社を批判したために、大卒社員としては異例の工場勤務を命じられる。その後も、エリートコースを外れたままの、まさに「窓際族」。しかし、川田は諦めなかった。新しい製品を開発し続け、1976年に繊維製の自動車シートを発売、大ヒットとなる。このヒットが評価され、窓際族から一転、47歳で社長に抜擢された。社長となった川田は、染色するだけの下請け企業だったセーレンを、自社で原糸から織・編-縫製-企画・販売までの一貫生産を自社で完結する世界初の総合繊維メーカーに生まれ変わらせた!「世の中に不可能なことは多くはない。できないと思っていたことをできるようにするのが仕事」と語る川田の企業革命に迫る。

≪ゲストプロフィール≫
1940年 福井県生まれ
1962年 明治大学経営学部卒業後、福井精練加工(現セーレン)入社、営業開発部時代に自動車シートを大ヒットさせる
1987年 セーレン社長就任

≪会社プロフィール≫
創業: 1889年(明治22年)
本社: 福井県福井市
売上高: 981億円(2009年3月期)
従業員数: 5007人(2009年3月末)
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-07-05 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「臨床心理学者・河合隼雄」

「ふたつよいこと さてないものよ」: 河合隼雄は臨床心理学の第一人者。分析心理学(ユング派心理学)を日本に紹介した学者として知られ、「箱庭療法」を取り入れた治療法の実践者でもある。しかし治療する中で、河合は欧米で学んだ心理療法が日本では適用できないことに気づく。そのため神話や昔話など、日本文化や宗教など幅広い研究を重ね、日本人にあった心理療法を模索することになった。臨床心理士としての体験談、現代人が抱える心の病気について語る。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2010-05-02 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo



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