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●連続テレビ小説 「ゲゲゲの女房」

第25週 「独立宣言」
9月14日(火)〜9月18日(土)/第146回〜第150回 5本
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昭和59年の秋。修平(風間杜夫)がこの世を去ってからひと月ほどがたったある日、布美枝(松下奈緒)と茂(向井理)の長女・藍子(青谷優衣)のもとに東京都の教員採用試験の合格の通知が届く。娘に水木プロの仕事を手伝ってほしいと思っていた茂は不満をあらわにする。娘を手放したくないというのが茂の本音で、教員になったらどこに赴任することになるかわからないのが茂には我慢できなかった。茂と藍子の間で板ばさみになり、さらには次女の喜子(荒井萌)からも家の雰囲気が悪くなると言われ、布美枝は困惑してしまう。茂の気持ちもわかってやって欲しいと藍子に諭すが、逆に藍子は「水木しげるの娘」ではなく、「村井藍子として、自分のことは自分で決める」と布美枝に宣言する。藍子のきっぱりとした言葉に、布美枝の心は揺れていた。強烈な個性の持ち主である絹代(竹下景子)と何事もなく同居している布美枝に対し、雄一(大倉孝二)の妻・佐知子(愛華みれ)は「よくやってくれている」と感謝を伝える。藍子は教員採用を辞退させることまで考えていた茂への反発をつのらせて、友人の智美(水崎綾女)に愚痴をこぼす。そこに偶然居合わせた浦木(杉浦太陽)は、茂はいまだにガキ大将なんだと藍子に話す。浦木は修平の仏前に線香をあげるため、藍子とともに村井家へ向かう途中、しゃがみこんでいる老夫婦に出くわす。なんとそれは源兵衛(大杉漣)とミヤコ(古手川祐子)だった。藍子が教員採用試験に受かった話を聞いて源兵衛も喜ぶが、娘を家に置いておきたいという茂の思いも理解する。源兵衛は藍子を手放さずにすむための一計を案じ、藍子に見合いをさせるよう茂に促す。茂もその気になり、義姉の佐知子に手配を依頼する。藍子に黙って見合いを進めるのは、よしたほうがいいと心配する布美枝だが、茂は聞く耳持たない。しかし結局は藍子に知られてしまう。源兵衛の計画も失敗に終わり、どうしても教師になると言い張る藍子と、それに反対する茂との対立は深まるばかりだった。夫・修平に先立たれた絹代とミヤコはしみじみと語り合い、それぞれの思いを理解する。源兵衛とミヤコ、布美枝と藍子、喜子はそろって深大寺を訪れる。そこでミヤコは父親の気持ちを安来節にたとえて藍子に話して聞かせ、源兵衛や茂の行為は藍子のためを思ってしたことだと話す。藍子と喜子は源兵衛・ミヤコ夫婦と茂・布美枝夫婦はとても似ているから仲良くやっていけるのだと微笑みあう。 昭和60年4月、藍子は念願かなって都内の小学校に赴任することになった。しかも赴任先は家から通える学校であった。教師の仕事をがんばっていた藍子だったが、しだいに元気のない様子を見せはじめ、梅雨に入ったころにはかなり追い詰められたような言葉を口にする。目立たない子供のいいところをクラス中に紹介しようとしたことが、えこひいきをしているととられてしまったのが原因だった。藍子は深く落ち込んでいた。受け持ちのクラスはガタガタ。父兄たちからも批判される始末。藍子はある日、布美枝に弱音を吐く。喜子は茂に藍子を励ましてくれるように依頼する。藍子は『頑張った藍子を見ていて感心していた。だから早急に答えを出さずによく考えるように』と話していた布美枝の言葉を思い起こしていた。そのとき茂が子供部屋にやってきて、自分の仕事場にも張ってあるゲーテの格言を藍子に手渡す。藍子は元気を取り戻し、明るく出勤するようになった。喜子は短大を卒業した後、水木プロの仕事を手伝う気になっていた。そして昭和60年の10月、鬼太郎の3度目のアニメの放映がスタートした。水木プロには各所からお祝いの電話が、ひっきりなしに舞い込んでいた。そんな電話に混じって安来から源兵衛が倒れたとの連絡が入ってきた。


最終週 「ありがとう」
9月20日(月)〜9月25日(土)/第151回〜第156回 6本
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昭和60年10月。父・源兵衛(大杉漣)が脳こうそくで倒れたという知らせが届き、布美枝(松下奈緒)はひとり安来へと見舞いに向かう。実家では床で眠る源兵衛に、ミヤコ(古手川祐子)や兄嫁・邦子(桂亜沙美)らが心配そうにつきそっていた。源兵衛は自分が倒れたことを東京の布美枝に知らせようとはせず、源兵衛の容体が落ち着くのを待って、家族が布美枝に連絡をしたということだった。父の見舞いで帰省した布美枝は、何年かぶりに幼なじみのチヨ子(平岩紙)と会い、それぞれの近況を語り合う。今では遠く離れてはいても、故郷の人たちが自分や家族のことを気遣ってくれていることを感じる布美枝は、その胸にあたたかいものがこみ上げる思いだった。兄嫁の邦子がかいがいしく家事をこなしてくれているその姿に、布美枝はありがたみを感じていた。調布に帰ってきた布美枝は茂(向井理)に、源兵衛がまた一緒に碁を打つこと楽しみにしていたと報告するが、布美枝も茂もこの次はないかもしれないと心のどこかで覚悟していた。調布の村井家を、ひさしぶりに雄玄社の編集者・北村(加治将樹)がたずねてくる。数年間、文芸誌の編集部に在籍していた北村はひさしぶりに漫画の現場に復帰することになり、雑誌「週刊少年ランド」に新しく鬼太郎の連載をお願いしたいと茂に言う。月刊誌への連載とあわせるとかなりの負担となることから、新しい有能なアシスタントを雇う必要性があると考えた茂たちだった。北村がもたらした情報はそれだけでなく、なんとアシスタントの菅井(柄本佑)が新人漫画賞の審査員特別賞に選ばれたと言うのだ。みんな祝福ムードで菅井を送り出そうとするが、当の本人は独立する気がなく、これからも水木プロでアシスタントを続けたいと言う。数多くの人たちのおかげで今日までなんとかやってこられたことをあらためて痛感した布美枝と茂は、水木プロダクション設立20周年を記念する謝恩パーティーをひらくことを決め、その準備にとりかかる。盛大な会とするため、招待客のリストアップ、引き出物選び、料理の手配など、家族あげての大仕事がはじまる。そしていよいよ、パーティーの当日、布美枝はミヤコが嫁入り道具に持たせてくれた青海波の着物と、祖母・登志(野際陽子)から譲り受けた珊瑚(さんご)玉のかんざしで着飾るのだった。会場には、今まで茂や布美枝を支えてくれた面々が集い盛大なパーティーとなった。水木プロダクション設立20周年記念の謝恩パーティーを無事に終えて、布美枝、茂、藍子(青谷優衣)、喜子(荒井萌)は家へと帰ってくる。盛況だったパーティーの余韻が残るなかで、一家はあらためて家族のきずなの尊さを感じるのだった。パーティーの翌日、調布の住人たちをはじめとするさまざまな人びとが村井家を訪れ、それぞれに水木プロ20周年を祝う。昭和61年9月末。秋風が吹き始めたころ、安来から源兵衛に関する知らせが届く。布美枝、茂、藍子、喜子の四人は一家そろって安来へとむかう。飯田家の親族たちは勢ぞろいをし、昔のことを懐かしみながら、穏やかな時間をすごすのだった。そして故郷のいなか道で、布美枝と茂のふたりは・・・。
(text from NHK site)

NHK総合 15min 2010-03-29〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo・解説副音声





●スタジオパークからこんにちは 「水木しげるさん・武良布枝さん夫妻スペシャル」

◎水木しげる・・・1922年、大阪府生まれ。鳥取県境港市で育つ。太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征。復員後、紙芝居画家となり、その後貸本漫画家に転向。1966年、「別冊少年マガジン」で発表した「テレビくん」が第6回講談社児童漫画賞受賞。1968年には、「ゲゲゲの鬼太郎」がアニメ化され、現在まで多くのファンを魅了し続ける。代表作に「河童の三平」「悪魔くん」など。また、「妖怪研究家」として日本全国をはじめ世界各国を訪問し、その著書に「日本妖怪大全」「妖怪画談」「図説日本妖怪大全集」「水木しげるの妖怪図鑑」など。1991年紫綬褒章、2003年旭日小綬章受賞。2007年には、「のんのんばあとオレ」でフランスのアングレーム国際漫画祭で最優秀作品賞、2009年「総員玉砕せよ!」で遺産賞を受賞。2010年に米寿(88歳)を迎え、今なお現役で活躍している。
◎武良布枝・・・1932年、島根県生まれ。島根県立安来高等女学校(現・島根県立安来高等学校)卒業後は、家の手伝いをする。1961年に水木しげる(本名・武良茂)と見合いをして結婚。2008年、妻の目から夫婦の半生を振り返った著書「ゲゲゲの女房」を出版。2010年度連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の原案となった。
(text from NHK site)

NHK総合 43min(生放送のニュース解説部分は削除した) 2010-09-24 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo



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