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●ETV特集 「敗戦とラジオ」 〜放送はどう変わったのか〜

戦時中、ラジオは国策の宣伝機関として戦争目的の遂行を国民に訴え続けた。そして敗戦を境に、ラジオ放送は占領軍の監督下、再出発することになった。ラジオが新しく生まれ変わった占領期、放送現場は何を模索し、何を放送していたのだろうか。当時の音源や、放送台本の発掘が進み、占領下のラジオ放送を実証的に検証することが可能になった。その中には旧日本軍の実態を知らせるためにGHQが直接、制作した「真相はこうだ」の録音盤や、政治や世相を風刺して圧倒的な人気を集めた「日曜娯楽版」の録音テープや放送台本がある。これらの番組の制作に携わった制作者が残した当時の文章からは、価値観の転換を強いられた戸惑いや、与えられた自由を真の自由に育ててゆこうとする意志を読み取ることができる。ラジオは、敗戦を境に、占領軍の監督下で再出発、民主主義という新しい価値の普及に大きな役割を果たした。その一方で、占領軍への批判は厳しく禁じられていた。活字メディアに比べ、放送のGHQによる検閲の実態は不明であったが、原爆や米兵犯罪に関する報道規制など、今回、関係者へのインタビューで、初めてその実態が明らかになった。民主主義の普及と、GHQによる検閲。ラジオは矛楯を抱えながら再出発した。それは、アメリカのラジオとしての出発だった。そして、アメリカの占領政策が、冷戦の進行の中、民主化・非軍国主義化から、反共に重心を移す中で、ラジオは再び政治の力学に翻弄されてゆくことになる。その中で鋭い社会風刺で人気を集めた「日曜娯楽版」が消えて行った。これまで、占領下の放送については、制度史に力点を置いて描かれてきた。この番組では、何がどう放送されたのか、アメリカの対日政策は放送にどう影響していたのか、占領下ラジオ放送の現場に光りを当てる。放送の公共性とは何なのか、占領下ラジオが残した問題は、今日、なお重い。
(text from NHK site)

NHK教育 90min 2010-08-15 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●ETV特集 「98歳・新藤兼人の遺言」 〜映画“一枚のハガキ”を撮る〜

映画監督・新藤兼人は、死ぬ前にどうしても完成させたい映画がある。『一枚のハガキ』の撮影はこの春始まった。自ら「遺言状」と語る、海軍二等兵時代の忘れえぬ記憶である。番組は、新藤さんが再底辺から体験した戦争の真実を描くものである。昭和19年3月、丙種合格だった32歳の新藤さんに赤紙が来た。「一億挙げて戦闘配置へ」のスローガンが叫ばれ、100人のオジサン部隊が、広島県呉の海兵団に集められた。奈良の天理教本部を掃除し、海軍予科練兵を世話することが任務だった。掃除が終わると上官がくじを引いて60名が選ばれ、フィリピンの陸戦隊となった。兵舎で新藤さんの上に寝ていた同期兵は、フィリピンへ行く命令を受けて感極まり、妻の手紙を見せた。その文面が若きシナリオライターだった新藤さんの胸をえぐった。遺作は、このハガキを軸に作られている。
「今日はお祭りですが あなたがいらっしゃらないので何の風情もありません」
二度のくじ引きで生死が分かれ、94人が戦死した。新藤さんは生き残った。家族ある老兵が集められ、くじ引きで生死が決められる戦争とは何か。新藤さんが自分の目で見て、その後長く考えてきたことを映画にすることが、生き残った者の責任だと思った。戦争を体験した言論人が次々と世を去るなか、戦争の記憶を未来へ伝える重みはますます大きい。「戦争というのは、戦場で戦うんですが、本当は後に控えた家をつぶすわけでしょう。一人の兵隊が死ぬとその家がめちゃくちゃになってしまう。戦争は、家族も家も全部つぶしてしまう力を持っているんです」。戦闘の場面がない映画だが、新藤さんは日本中で兵隊を送りだした農家が、もう一つの戦場だったと主張している。「将校や下士官と違って、最低の所から、命がけで見てきた。僕はつまり戦争の裏側を見たという気がしているんです。私は生き残った。だからこの映画を作るんです」。映画は順調に撮影が終わり、現在ポスプロが進んでいる。遺作『一枚のハガキ』は、来年夏に公開される予定だ。新藤兼人は99歳、49本目の作品となる。
(text from NHK site)

NHK教育 90min 2010-09-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●証言記録 市民たちの戦争 「海に沈んだ学友たち」 〜沖縄・対馬丸〜

1944年、アメリカの潜水艦の攻撃で沈められた対馬丸。犠牲になった約1400人のうち、半数が学童疎開の子どもたちだった。安全を求めて旅立った子どもたちは、なぜ命を落とさなければならなかったのか。背景には、軍の都合で進められた疎開政策があった。目の前で友達や兄弟を亡くした子どもたちや、教え子を救えなかった教師たちは、今も、生き残った苦しみを抱えている。生存者の証言をもとに、対馬丸の悲劇をたどる。
(text from NHK site)

NHK総合 25min 2010-08-07 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo

> BDR-0462に、地方発 ドキュメンタリー 「対馬丸 消えない傷」 〜沈没70年目の告白〜 あり
> BDR-0467に、ドキュメント20min. 「おじいちゃんからの宿題」 あり



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