Polygon

[ BDR-0072 ] 詳細    |このページを閉じる|





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「3度社長に就いた男が語る 不況に負けない社長術」 エステー社長・鈴木喬

放送200回を越えたカンブリア宮殿のゲストの特徴をまとめてみると「現場主義」「長いものには巻かれない」「成功体験に危機感を持つ」という3つのキーワードが上がってくる。今回のゲストは、この3つを実践するエステーの鈴木喬社長(75歳)。エステーは脱臭剤「脱臭炭」、防虫剤「ムシューダ」、消臭芳香剤「消臭力」など独創的なヒット商品を生み出してきた日用雑貨メーカー。年商435億円。従業員およそ600名と日用雑貨を扱うメーカーでは中堅規模ながら、『防虫剤』、『除湿剤』、『脱臭剤』においては、国内シェアNo.1を誇っている。「100年に一度の不況は、ピンチではなく、チャンスだ」そう語る鈴木喬は“不況だからモノが売れない”と嘆くエステー社内に活を入れるため1年4ヵ月前、代表権のない会長から、社長の座に復帰した男だ。実は、鈴木喬が社長となるのはこれで3度目。しかもその全てが“危機的状況下”での登板なのだ。初めて社長となったのは、1992年。経営不振の米国現地法人の整理売却のため、米国人100名の中で孤軍奮闘。2度目は、バブル崩壊後の1998年。利益激減と株価の下落に気がつかないエステー幹部に意見し、独自路線で大改革を決行。過剰商品の「絞込み」と新製品の「集中」を行い、見事立て直しに成功。そして、3度目は、リーマンショックに端を発した消費不況で思考停止に陥ったエステーに新たな息吹を送り込む「革命」の狼煙を上げた。今回は、エステーと鈴木喬社長の経歴を紐解きながら、混迷し始めた“消臭芳香剤市場”でガリバー企業や外資に挑むエステーのNo.1戦略を追う。なぜ鈴木喬は、齢70を超え、この窮地に立ち向かうのか。鈴木喬を突き動かすものは何なのか。彼が描く『不況をチャンスに変える経営戦術』とはいかなるものか。そこには、“柔”と“豪”を演じきり、エステー丸を操船する鈴木喬社長の社長術に秘密があった。

≪ゲストプロフィール≫
1935年生まれ
1959年 一橋大学商学部卒業、日本生命に入社
1986年 エステー化学入社
1998年 社長就任
2007年 会長就任
2009年 社長就任
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-08-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo

> MDT-009に著作「社長は少しバカがいい。」についてNHKラジオで語る声あり。





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「孫正義の未来戦略」 ソフトバンク社長・孫正義

ソフトバンク社長、孫正義が先月に続き再び登場する。前回までの放送で入り切らなかった未公開トークに加え、後継者育成プロジェクト、新たな世界戦略など、孫正義の未来戦略を描く。

◎ソフトバンクアカデミア 〜孫正義2.0の作り方〜
2010年7月末に開校した「ソフトバンクアカデミア」。孫が自ら校長となり、10年以上かけて次世代のソフトバンク社長を育成する後継者育成プロジェクトだ。生徒は300名。社外からの応募も受け付けるという。その理由とは。

◎新・世界戦略 〜アジアNo.1=世界No.1〜
今夏、ソフトバンクグループのヤフーが、グーグルの検索エンジンを採用すると発表。双方を合わせると、国内の検索サービスのシェアで9割以上を占めることになる。国内で圧倒的シェアをにぎる孫は、世界でもインターネットの覇者を目指す。パートナーとして組んだのは中国IT寵児、ジャック・マー。「10年以内にウォルマートを抜く」と公言する男と孫が展開する世界戦略に迫る。

◎孫正義語録
視聴者からのリクエストが多かった孫正義の未公開トークを惜しまず放送。過去の印象的な語録を孫正義が自ら解説。そこから見える経営哲学とは。さらに、孫正義から若者に送るメッセージをノーカットで放送。
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-08-30 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「地方公共交通の救世主」 両備ホールディングス社長・小嶋光信

この10年間で廃止された鉄道は30路線635キロ・・・これは東京?大阪間を遥かに超える距離である。規制緩和以降、路線の統廃合が容易となり、さらに“千円高速”が追い討ちをかけ、いま地方の鉄道、バス、フェリーは次々と姿を消している。残されたのは、車に頼る事が出来ない、高齢者などの交通弱者たち。そんなジリ貧の地方公共交通を買いあさり、次々と再生しているのが両備グループ・小嶋光信代表だ。成長を競う激しい企業戦争の中、小嶋はなぜ、進んで“貧乏くじ”の経営を手がけるのか? そして、誰もが無謀と思った地方交通再生を成し遂げた、その手腕とは? 地方交通の可能性と、その独自の経営戦略を聞く。

◎ネコ駅長・・・!? ジリ貧の地方交通を救える秘密
和歌山電鐵の貴志駅・・・営業距離わずか14キロの小さな駅に日本一有名な駅長がいる。それは猫の駅長たま。この日本一有名な“駅長”の生みの親こそ、両備の小嶋だ。小嶋は2006年、赤字に苦しんでいたこの貴志川線の運行を南海電気鉄道から引き継ぎ、和歌山電鐵を設立、社長に就任。おもちゃ電車やたま電車などの奇抜なアイデアで観光客を誘うと共に、地域住民のために便数の増発などを行うことで、この瀕死の路線を見事に再生してみせる。そして同じ年、広島に展開していた中国バスが破たんするや、今度はその経営を引き継ぎ、わずか2年で黒字化に成功。“地方公共交通の救世主”の名を一躍全国に轟かせる。赤字路線を次々と買収しては、再生していく小嶋。小嶋は何故、赤字路線を再生出来るのか。その秘密である“公設民営”という手法に迫る。

◎企業理念は「社会正義」・・・その影に岡山藩の忠臣あり
両備グループは創業100年。岡山を中心に、鉄道、バス、タクシーなど様々な運輸関係のビジネスを行う社員7000人の地元の名門企業だ。ところが代表の小嶋は、東京生まれの東京育ち。実は、小嶋が岡山に移ったのは28歳の時、義理の父である両備創業家の社長に請われ、赤字の運輸会社建て直しのためだった。以来、両備グループ成長の立役者となり、事業を拡大し続けてきた。そんな都会育ちの小嶋が地方交通の再生に目覚めたのは、ある人物との出会いがきっかけだった。その人物とは・・・江戸時代の人物、岡山藩士・津田永忠。岡山県民さえほとんど知らないこの無名の藩士・津田の驚くべきエピソードが、小嶋の経営観を変えたという。

≪ゲストプロフィール≫
1945年 東京都生まれ(65歳)、慶應義塾大学経済学部卒業
1968年 三井銀行入行
1973年 両備運輸常務就任
1975年 岡山タクシー社長就任
1999年 両備バス社長就任、両備グループ代表就任
2004年 岡山大学理事就任
2006年 和歌山電鐵設立・社長就任、中国バス経営引継・社長就任
2007年 両備ホールディングス社長就任

≪企業プロフィール≫
総収入: 1387億4668万円(平成20年度)
企業数: 51社(平成22年4月現在)
従業員数: 7153人(平成21年10月現在)
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-09-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「不況でも売れ続ける驚異のディベロッパー」 〜成長する街づくりビジネス〜 山万社長・嶋田哲夫

1962年に入居が始まった千里ニュータウン、1971年に入居が始まった多摩ニュータウン。高度成長の時代、人々が希望に胸を膨らませ新都市計画が遂行された。あれから40年・・・。今や限界集落となってしまったニュータウンも少なくない。高度成長期に一斉に入居した住民は一斉に高齢化し、子供世代は新たな土地へと巣立っていた。その結果、町は老人たちばかりが住むゴーストタウンと化してしまった。そんな中、一線を画するのは、千葉県佐倉市にあるユーカリが丘ニュータウンだ。1979年の入居開始以来、街は発展を続けており、人口も増え続けている。さらに高齢化率は全国平均の22%を下回る17%。今も若年層の入居希望者が後を絶たない。売ってしまえば撤退が常識のディベロッパー業界にあって245ha(東京ドーム52個分)もの広大な土地を「発展し続ける街」として40年経った今日も、家やマンションが売れ続けるこの町、行政ではなく、いち民間企業、山万が作り上げた。実は、山万は鉄道、学校、老人ホームなど住民の生活に必要なインフラを自前で作ってきたのだ。ニュータウン内を走る新交通も自前で運営、警備会社も自前、来客が泊まれるように作ったホテルも、温泉スパのあるレジャーセンター、保育所なども全て自前で運営している。さらには、学校も自前で建築し市に寄付、県内最大規模の映画館やスーパーなども全て、山万が建物を貸与し、誘致してきた。しかし、年間販売数は僅か200戸。目先の利益を追わない超長期経営、景気に左右されない超安定経営。その狙いは、「家を売るのではなく街を売るコミュニティービジネスが基本。そのためには売り上げの拡大のみを追うのではなく、非効率的な経営も行わなければならない。その結果、長期安定経営が可能となる。」そのため、一軒家が広すぎて持て余す老人がマンションに買い替えするときには、高額で家を買い取り、ほぼ無出費で買い替えでき、買い取った一軒家はリフォームし、若い世代に格安で販売する。“生涯住みたい町”“若者に人気の町”はどのように作られたのか? 行政では決してできない民間企業の街づくりは過疎化に悩む日本全国の地方都市のヒントとなるのか?

≪企業プロフィール≫
本社: 東京都中央区(非上場)
営業所: ユーカリが丘
従業員: 114名
売上高: 09年=121億円、08年=146億円、07年=159億円(分譲が5割、テナント事業が3割、建築関連等が2割)
営業利益: 08年=9億8000万円、07年=15億8000万円
グループ会社社員数: 約1,700人

≪ゲストプロフィール≫
1935年 福井県生まれ、74歳、何十代と続く地主の次男
1954年 福井商業高校卒業後に繊維の卸会社に入社、営業担当として福井で3年・大阪本社で4年間勤める
1961年 取引のあった山万の専務に誘われ山万に入社、業務拡大のための東京進出に伴い東京支店長に就任
1964年 取締役就任
1965年 湘南ハイランドの開発を手掛ける
1971年 ユーカリが丘ニュータウン開発を手掛ける
1983年 ユーカリが丘線開通(ユーカリが丘駅建設→京成電鉄に無償譲渡)
1993年 3代目社長に就任、現在に至る
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-09-13 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo

> CMチャプターあり: 日本通運 企業広告「環境を守る仕事」





●名曲アルバム 「愛の夢 第3番」

ドイツの古都、ワイマール。ここは歴史に名を残す芸術家たちが活躍した町である。1848年、リストはワイマールの宮廷楽長に就任し、彼の活躍によってワイマールは音楽の町として注目されるようになる。この曲は歌曲として作曲したものを自らピアノ曲に編曲したもの。その優しさに満ちた優美な響きは、恋人カロリーネへの愛を感じさせる。

作曲: リスト
演奏: 横山幸雄(ピアノ)
映像: ワイマール(ドイツ)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2010-10-13 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo(B-mode)

>NBDR-0056にもあり





●名曲アルバム 「“四季”から“秋”」

一面にブドウ畑が広がる、北イタリアのベネト州。その州都、ベネチアでヴィヴァルディは生まれ、活躍した。ピエタ教会の女子養育院のバイオリン教師として活躍したヴィヴァルディは、弟子たちのために多くの曲を作った。それらの作品の中から、今日の協奏曲の原形が作り出された。「四季」の中の「秋」は、収穫に顔を輝かし、酒を飲んで心をうるおす農村の秋の風情を描いた作品。

作曲: ヴィヴァルディ
演奏: 荒井英治(バイオリン)、飯森範親(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: ベネチア、ベネト州(イタリア)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2010-10-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo(B-mode)

>NBDR-0056にもあり



>ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し






ページ先頭へ