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●クローズアップ現代 「見過ごされてきた踏み間違い事故」

8月、米運輸省は、トヨタ車の急加速問題について、多くが「ドライバーのペダルの踏み間違い」だったと示唆する中間報告を出した。アクセルとブレーキの踏み間違い事故は、日本でも年間およそ7000件、幅広い年齢層で起きている。交通心理学の研究者たちは、このところ、事故の原因を「車の構造」と「人間の心理」から検証、ペダルの配置が操作ミスを誘発しているとの報告を出している。AT車が普及した頃から事故は続いてきたものの、メーカーは車の構造に踏み込む対策をとれずにいた。こうした中、地方の自動車整備工場などで、事故を防ぐための独自の装置の開発が始まっている。番組では「単なるミス」と放置されてきた事故が、実は、人の心理に深く関わっていることを明らかにするとともに、問題解決への課題を探る。(NO.2951)
(text from NHK site)

NHK総合 28min 2010-10-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●クローズアップ現代 「広がる波紋 遺伝子組み換え動物」

通信販売で買えるノン・アレルギー猫や犬、通常の倍の早さで育つサケなど。今、遺伝子組み換え動物が次々と実用化している。マレーシアでは、デング熱を媒介する蚊を絶滅するため、自爆遺伝子を組み込んだ蚊を野山に放つ国家プロジェクトが進行中。アメリカでは、一部の遺伝子を換えるのではなく、百万以上の遺伝子をゼロから組み上げた「合成生物」まで登場し、「神の領域に突入した」と注目を集めている。しかし、こうした技術の急速な普及は、生物多様性や食品安全などを脅かし、さらには、悪用されればバイオテロにつながると危惧する声も上がっている。遺伝子組み換え技術とどう向き合っていけばいいのか、その課題に迫る。(NO.2970)
(text from NHK site)

NHK総合 28min 2010-11-25 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●クローズアップ現代 「ワクチンが打てない」 〜遅れる日本の予防接種〜

海外では全ての子どもに無料でうつのが当たり前のワクチンが日本では使えない、数万円の費用が壁となり接種率が上がらない、など、日本の予防接種は他の先進国より20年遅れていると言われている。このためポリオにかかって手足がマヒしたり、肺炎球菌やヒブに髄膜を侵され命を失う子ども達が後を絶たない。かつてはワクチンを積極的に接種していた日本が、なぜ「遅れた国」と言われるまでになったのか?背景には、副作用問題にゆれてきた過去やワクチンの効果を検証する体制の不備があるとみられている。社会の将来を担う子ども達を大切に育てるには、今、何が求められているのか? 事実上の義務化を進める欧米の事情も取材し、ワクチン問題解決の方策をさぐる。(NO.2975)
(text from NHK site)

NHK総合 28min 2010-12-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●クローズアップ現代 「解消できるか“デバイスラグ”」 〜遅れる日本の医療機器〜

超小型の補助人工心臓、糖尿病用インシュリン自動注入器(コードレス型)…欧米では当たり前に使われている先端医療機器が日本では承認が遅れるなどして、使えないというケースが相次いでいる。これは「デバイスラグ」と呼ばれ、平均でアメリカが1.2年なのに対し、日本は2.9年というのが現状だ。「デバイスラグ」の背景には、工学系の専門知識を備えた審査官が育っていないことや、技術革新に伴う頻繁な「バージョンアップ」に対して、その都度一から審査するといった未整備な審査体制、さらに審査にかかる費用が高額で中小企業が参入しにくいなどの問題が指摘されている。日本の技術力を生かした「革新的医療機器」の開発には何が必要なのか、考える。(NO.2976)
(text from NHK site)

NHK総合 28min 2010-12-07 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●クローズアップ現代 「ある少女の選択」 〜“延命”生と死のはざまで〜

腎臓の「人工透析」30万人。口ではなくチューブで胃から栄養をとる「胃ろう(経管栄養)」40万人。そして、人工呼吸器の使用者3万人。「延命治療」の発達で、重い病気や障害があっても、生きられる命が増えている。しかしその一方、「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものにしていないのではないかという疑問や葛藤が、患者や家族・医師たちの間に広がりつつある。田嶋華子さん(享年18)は、8歳で心臓移植。さらに15歳で人工呼吸器を装着し、声も失った。『これ以上の「延命治療」は受けたくない』と家族と葛藤を繰り返した華子さん。自宅療養を選び、「人工透析」を拒否して、9月、肺炎をこじらせて亡くなった。華子さんの闘病を1年にわたって記録。「延命」とは何か。「生きる」こととは何か。問いを繰り返しながら亡くなった華子さんと、その葛藤を見つめた家族・医師たちを通じて、医療の進歩が投げかける問いと向き合いたい。(NO.2977)
(text from NHK site)

NHK総合 28min 2010-12-08 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●かんさい熱視線 「“開国”前夜 どうなる医療」

日本経済の救世主と期待される医療ツーリズム。世界中から富裕層の患者を呼び寄せ、検診や治療を受けてもらうもので、国は、日本で医療を受ける外国人が容易に出入国できるよう、医療ビザを今年度中にも創設する方針だ。一方、医師不足に拍車をかけるなど、医療ツーリズムは“亡国のシナリオ”であると批判する声も上がっている。果たして、医療の“開国”は、私たちの生活にどのような影響を与えるのだろうか? 吉凶を占う。
(text from NHK site)

NHK総合 25min 2010-12-13(2010-12-10の再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●グラン・ジュテ〜私が跳んだ日・選 「尾道 空き家再生」 空き家再生NPO代表…豊田雅子

映画や小説の舞台にもなり、毎年多くの観光客が訪れる、歴史ある坂の町・広島県尾道市。独特の景観が人気を博する一方で、斜面には、明治から昭和初期に建てられた多くの家屋が、空き家となって放置されています。NPO代表の豊田雅子さん(35)は、斜面に点在する古い空き家を探しては、尾道への移住を希望する人々への橋渡しを行っています。尾道に生まれ、物心がついたころから、坂を遊び場にして育ってきた豊田さん。大学卒業後は海外へのあこがれから、旅行会社の添乗員として、ヨーロッパを中心に世界中を飛び回るようになりました。しかし、充実した日々を送っていた豊田さんに、転機は突然訪れます。よき理解者だった母親が病気で倒れ、豊田さんは仕事を休職。尾道に戻り、つきっきりで母の看病を行います。「余命4か月」という宣告を受けた母親と過ごす時間の中で、豊田さんは自分の人生を見つめ直します。この先、自分はどこに居を構え、どのようにして生きていくべきか? 思い悩む中、懐かしい尾道の風景や地元の友人たちの温かさが心にしみ、決心します。「故郷・尾道こそ、もっとも大切にしたいものだ。愛してやまなかったヨーロッパの古い町並みにも通ずる、人と人とのかかわりを大切にできる特別な場所…。」 しかし、Uターンしてきた豊田さんの目に映る尾道の光景は、以前とはずいぶん変わったものでした。朽ち果てた空き家が点在していたのです。豊田さんは、空き家の増加に歯止めをかけようと、一人奔走しますが、なかなか聞く耳を持ってもらえません。そんなある日、豊田さんは運命的な出会いをします。複雑で力強い建築を施した、ひときわ目を引く空き家、通称「ガウディハウス」との出会いです。スペイン人建築家、アントニオ・ガウディの建築物をほうふつさせるこの空き家は、25年間、あるじがおらず、とても人の住める状態ではありませんでした。しかし豊田さんは、この家を見た瞬間に、あっさり購入を決めてしまったのです。結婚してまもない夫は、あきれながらも、仕事の大工の腕を生かして、豊田さんの修復作業を手伝います。そして3か月後、地元のアーティストと開いたイベントには、1000人以上の市民が訪れ、古い住宅のよさを広く知らせる絶好の機会となりました。それから次々に賛同者が現れ、購入から1年後には、空き家再生を掲げるNPO法人の設立にまで至ります。そして、彼女の「グラン・ジュテ」。空き家再生をきっかけにした、地域のつながりの輪は、確実に広がっています。去年秋には、尾道市の「空き家バンク制度」から紹介業務の委託を受け、これまでの実績を大きく上回る件数の移住を成立させています。「やりたいことや、やらないといけないことが見つからない人生は寂しい」と言う豊田さん。失われつつあるふるさとの景観を守るために、これからも活動の幅を広げていきます。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-07-26(2010-04-26の再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●グラン・ジュテ〜私が跳んだ日 「ジャム」 菓子研究家…いがらし ろみ

鎌倉の観光地をはずれた静かな通りにいがらしさんのジャム専門店があります。ここで扱うのはコンフィチュールというフランス式ジャム。桃と白ワインとミントのジャムや、あんずとバニラビーンズを合わせたものなど。いくつもの素材を組み合わせて香りを引き立たせたジャムは肉料理のソースにしたり、チーズに乗せたり、炭酸水で割ってドリンクにするなどさまざまな楽しみ方があります。東京で生まれ育ったいがらしさんは、大きくなったらすてきなお菓子屋さんになることを夢見た少女でした。短大を卒業するとフランス人パティシエが創業した東京港区にある一流洋菓子店の厨房に入りました。そこは厳しい職人世界。ほとんど男性ばかりの職場で黙々とスピーディーに作業をこなすことを求められました。しかし、いがらしさんはその雰囲気についていけず、たった一年で挫折、店を辞めてしまうのです。自分は職人には向いてない。しかし、文化としてのお菓子に詳しくなりたいと、いがらしさんは両親を説得し、単身フランスへ渡ります。語学学校からスタートして一流の料理学校へ入りました。授業でも私生活でもお菓子のことしか考えない毎日、いがらしさんはフランスの伝統とエスプリを吸収しようと必死でした。いがらしさんを魅了したフランス菓子の数々。中でも心を奪われたのはアルザス地方で出会ったジャムでした。そこにはお菓子作りの基本がぎっちり詰まっていたのです。帰国後、いがらしさんはもんもんと過ごします。せっかく身につけた技を生かす場に飛び込むことにはためらいがありました。お菓子職人を挫折したトラウマがあったからです。自分で開業する資金もありません。どうしてよいかわからないまま、料理学校の事務職に就きます。お菓子への思いをくすぶらせたまま5年の月日が流れていきました。このままこんなはずじゃなかったと言いながら一生を終えるのか…不安な日々でした。しかし、ちょっとしたきっかけが訪れます。気の合う友人と小さな会場を借りお菓子を出すイベントを始めたのです。いがらしさんはお菓子作りが楽しく、寝食を忘れて作業に没頭しはじめます。いがらしさんはひそかに10年計画を立てていました。メモ用紙に今後10年間の目標を書き出すのです。10年後こうなっていたい、そのためには5年後は、そして来年は…と書き出すことで自らにプレッシャーを与えました。友人とのイベントは好評でしたが次のステップを模索し始めたいがらしさんが目をつけたのはジャムでした。「これなら賞味期限も長く、配送にも向いている。」いがらしさんは日本の素材にあったフランス流ジャムの研究を始めます。そして彼女のグラン・ジュテ。2004年1月、鎌倉に一軒のジャム専門店がオープンしました。いがらしさんのジャムがフードイベントで好評なことに目をつけたある会社が出資してくれたのです。雑誌にも取り上げられるようになり、店は軌道にのります。そして4年後、それまでに貯めた資金で独立、東京目黒区に自分の店を出します。主力はまだまだジャムですが、少しずつフランスで学んだお菓子を並べ始めています。
(original text from NHK site)

NHK教育 25min 2010-09-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo



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