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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「ギャルファッションの売上トップブランド その経営はおやじ!」 ジャパンイマジネーション会長・木村達央

不況でも女性の客足が絶えないファッションの聖地「SHIBUYA109」にあって、2000年から10年連続で館内テナントの年間売り上げナンバーワンの座を守り続ける人気ブランドがある。「セシルマクビー」だ。率いるのは、何と62歳のおやじ。外資系ファストファッションが全盛を極めるアパレル業界で、国内のアパレルメーカーは頭打ち。木村達央が率いるジャパンイマジネーションは、ギャル達から熱い支持を得続け、業績が好調。しかし、「私はファッションのことが分からない」と木村は言う。そんな木村がなぜ、ギャルファッションに成功したのか?

◎客の声を聞いて、素早く実現していく時代
かつては、ファッションとは、一流デザイナーがパリコレやミラノコレクションで発表したものが、半年遅れで世間に流行していくという、デザイナー主導の構図だった。しかし現代のファッションは、今まさに流行しているファッションを、一般の人が自分の感性で選択するという、消費者主導型、しかもスピードが重要なものに変わってきている。木村の経営は徹底的に任せ、細かいことは言わず、自由にやらせるというものだ。流行に一番敏感の若い人達に徹底的に任せ、お客さんの目線から一番近い現場の人達に好きな服をデザインしてもらい、今までのない若い人達の理想の服を形にした。しかも、お仕着せのファッションにしないために、あえてジャパンイマジネーションにはデザインナーを置かない。木村は、経営だけに集中する。会社の方針を決め、出てきた結果を精査する。一切現場のことには口を出さない。そんな「任せる経営」で、セシルマクビーは大きく飛躍した。

◎幅広い商品構成と接客
ギャルファッションは、どの店も個性的なデザインでテナント同士が競ってきた。例えばかわいい系、カジュアル系、セクシー系は、それぞれの専門店で売られているのが普通だ。しかしセシルマクビーはそのすべての幅広いデザインを持っている。かわいくて、カジュアルでセクシーな商品など、お客はいろんなバリエーションが楽しめるのだ。また店内には販売員が20人近くいる。歩き回って立ち止まることをしない。なぜか? すべてはマンツーマンで接客するためだ。悩んでいる客には1時間でも対応し、親切丁寧だ。お客は高待遇な接客に思わす、買ってしまう・・・。こうした努力がSHIBUYA109で10年連続売上ナンバー1であり続ける理由だ。

≪ゲストプロフィール≫
1948年 東京出身
1955年 学習院初等科に入学
1971年 学習院大学経済学部を卒業、三菱商事に入社
1976年 株式会社デリカ(後のジャパンイマジネーション)に入社
1983年 取締役営業部長
1990年 代表取締役社長
2010年 代表取締役会長に就任

≪企業情報≫
株式会社ジャパンイマジネーション
創業: 1957年7月 前「デリカ」(1946年父が新宿洋品店開業)
株式: 未上場
展開ブランド: レディース全8種
売上高: 206億円(2010年1月)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-11-18 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「段ボール革命!」 〜客が儲かる“箱”作り教えます!〜 レンゴー代表取締役社長・大坪清

いまや物流の要にして、日常生活にも欠かせない“段ボール”を日本で初めて製造し、『段ボール』と名づけた会社が日本最大の段ボールメーカー「レンゴー」だ。たかが“段ボール”と言うなかれ!その用途は、『鮮魚』から『精密機械』まで多種多様!国内シェアトップの27%を誇る「レンゴー」の社長が大坪清(71歳)だ。社長就任から10年。大坪の号令下、段ボールは進化を続けている。その進化を支えるのが、1万1000人の野武士軍団。その求心力となっているのが、リーマンショックの影響で多くの企業で“派遣切り”をする中、≪派遣社員から正社員≫となった1000人の男達だ。しかもレンゴーでは≪第三子誕生で祝い金100万円≫という独自の少子化対策まで行っている。この二つで、社員の働くモチベーションは高まった。なぜ、国でさえなし得ない“少子化対策”や“派遣社員問題”を一民間企業がなしえるのか・・・・?!そこには、“段ボール”というパッケージに秘められた大いなる経営方針があったのだ。今回は、≪面白ダンボール事情≫を入り口にし、会社で働く意味と意義を考える!


◎進化する段ボール
≪水に強く!≫≪高重量に耐え!≫≪どんなショックからも守ってくれる!≫段ボール誕生秘話から最新段ボール事情まで一挙公開!

◎段ボールで客を儲けさせる!レンゴーの特殊部隊に密着!!
レンゴーが作るのは段ボールだけではない。コンビニでおなじみの、おにぎりの包装から、ペットボトルのラベルなど、あらゆる商品を“包む”み、日本の流通を裏で支えている!そんなレンゴーには、大坪社長肝入りの特命チームがある。段ボールを作るのみならず、商品パッケーやコンセプトまでも提案。メーカーの売り上げに貢献する特殊部隊だ。商品が売れれば、包装もダンボールも売れる。だからデザイン料は格安だ。今回、番組では人気のおせんべい「ばかうけ」の新商品開発に密着!商品の売り上げを大きく左右する、パッケージ創造の最前線の裏側を紹介する。

≪企業情報≫
社名: レンゴー株式会社
創業: 1909年(明治42年)
売上高: 4573億8600万円(2010年3月期 連結)
従業員数: 1万1182名(2010年3月現在)
事業内容: (1)段ボール、段ボール箱、紙器、その他紙加工品の製造・販売 (2)板紙(段ボール原紙、白板紙、紙管原紙等)の製造・販売 (3)各種包装製品、包装関連機械 その他の製造・販売

≪ゲストプロフィール≫
昭和14年 大阪府生まれ
昭和37年 神戸大学卒業後、住友商事入社 紙パルプ部門を歩み海外勤務が長かった
平成11年 欧州住友商事会長兼社長
平成12年 レンゴー社長就任
全国ダンボール工業組合連合会理事長、関西生産性本部会長など、団体職・公職も多数務める
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-11-25 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「激化する“270円居酒屋” 戦争を驚異の業績で勝抜く!」 三光マーケティングフーズ社長・平林実

◎死闘!“270円居酒屋戦争”の覇者 驚異の出店戦略
居酒屋・ビアホールの市場規模が、ピーク時の3分の2にまで減る中、各社が死にものぐるいの戦いを繰り広げている。それが、この1年で急速に広がった「格安、全品均一居酒屋」だ。今年8月には「安さに興味はない」と言っていたワタミまでもが「仰天酒場 和っしょい2」をオープンさせる状況に。その中で圧倒的な強さを見せるのが、三光マーケティングフーズ。「東方見聞録」や「月の雫」などのブランドを展開、今年は売上げ260億円と過去最高を更新した。実はこの激安均一戦争を仕掛けた男こそ平林。その出店戦略は主要駅の周辺への極端な集中出店。その数、新宿駅周辺だけで35店舗(客席数6000席)。集中出店だからこそ出来る効率化と、店舗同士の客の融通などで、他のチェーンを圧倒するのだ。

◎そこまでやるか!「270円で大満足」執念のカラクリ
三光MFが後発の270円均一を圧倒し続けるのは、そのボリューム。270円とは到底思えない焼き鳥に唐揚げ等々、様々なメニュー。しかもその贅沢な激安メニューからもたらされる利益率、なんと10%!その裏には、居酒屋の常識を覆す効率化が…。
(1)本社はなんと地下(B1とB2)。家賃は坪当たり周辺の9分の1。
(2)外人でもすぐに働けるタッチパネル。接客なし、計算なし。人件費激減。
(3)居酒屋の常識を破った“仕込みレス”(Sキッチンを否定し、業者が納品)
(4)素人でも直ぐ厨房が出来る超簡単厨房(串焼きロボ、ジェットオーブン…)
(5)ユニフォームは自分で購入、自分で洗濯(1億円削減。大事にするように)
(6)バイトの労働時間は4時間半(忙しい時にしか店員を増やさない)
(7)発注作業は、店長がしなければ本社もしない。タッチパネルから業者に飛ぶ!
・・・これらの徹底的なローコストオペレーションで余った資金を、激安メニューの充実につぎ込み続ける。これこそ平林が270円戦争で勝ち続ける秘密だ。

◎大手に挑んだ顧客主義…“激安”が居酒屋を産業にする!
半年もたたないうちに一気に63店を均一居酒屋へと業態転換した平林。しかし実はこの決断、長年の準備の成果だった。平林の居酒屋人生は、大手の中で生き残る為の“顧客主義”追求の歴史だ。乾物屋の息子として生まれた平林は75年、神田のガード下に妻と共に飲食店「三光亭」を開き仕掛けたのが、当時増えつつあった吉野家をライバルと据えた280円の牛丼。その実現の為、様々な効率化を進め成功。そして80年代に入ると、相席が当り前だった居酒屋の常識を破った個室の居酒屋「東方見聞録」で大手に迫る急成長を遂げる。「大手にない魅力はなにか…」その問いを追求し続けた結果が、2000年に入り密かに進めてきた激安戦略への備えだった。平林曰く「居酒屋は産業化されていない20世紀の古いビジネスモデルが今もまかり取っている…近所のスーパーで200円のビールが、飲食店で飲むと500円。今までの価格設定は、売る側の身勝手にすぎない。居酒屋を水商売ではなく“産業化”するためには、客目線で価格破壊をしなきゃいけない」・・・そして平林は「居酒屋の産業化」を進めるべく、今日も動き続ける。現在取り組むのは、コンビニなどの弁当を膨大に作り続けている裏方企業のラインを三光が借り受け、今までにない大規模な完成メニューの納品を実現すること。さらに、平林の蓄積が生んだ大手に真似できない顧客主義が、渋谷にオープンした24時間居酒屋だ。“仕込みレス”だからこそ出来る24時間途切れのない営業で提供するのは、コーヒーランチに、ドリンクバーに、サラダバー。居酒屋の閑散時にファミレスのように客が利用できる店を目指した。

≪ゲストプロフィール≫
1949年生まれ、法政大学卒業
1975年 神田のガード下に定食屋「三光亭」を創業
1977年 「三光フーズ」設立
1984年 渋谷に居酒屋を出店
1998年 個室居酒屋「東方見聞録」を大ヒットさせる
2009年 既存の不振店を均一店に業態転換

≪企業プロフィール≫
1977年 三光フーズ設立
1984年 居酒屋1号店「だいこんの花」
2001年 三光マーケティングフーズに社名変更
2003年 ジャスダック上場
2004年 東証二部上場
2009年5月 「全品300円 金の蔵Jr.」を皮切りに低価格均一の戦略開始。現在150店舗以上展開、年商262億円
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-12-02 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo

> 半年で39店一気に閉鎖 「東京チカラめし」何があったのか J-CASTニュース 2014年2月10日(月)19時37分配信
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牛丼の新たな勢力として台頭した「東京チカラめし」や、「270円均一」のメニューを打ち出した「金の蔵Jr.」や「東方見聞録」「月の雫」などを展開する、東証2部上場の外食チェーンの三光マーケティングフーズの業績が急速に悪化している。2014年6月期(通期)の業績予想を下方修正。従来の黒字予想から一転し、営業損益が24億円の赤字、当期純損益が44億円の赤字に陥る見通しを明らかにした。ここ数年で急激に勢力を伸ばしてきただけに、大幅な赤字修正に驚きもある。 ■売上高が20.8%も減った|三光マーケティングフーズが2014年2月7日に発表した14年6月期第2四半期(13年7〜12月期)決算によると、売上高は103億5300万円。前年同期に比べて20.8%も減った。営業損益は16億2500万円の赤字(前年同期は2億円の黒字)。純損益は30億9500万円の赤字(同2000万円の黒字)だった。「東京チカラめし」などの店舗閉鎖に伴う損失として3億3300万円、減損損失として4億2900万円をそれぞれ特別損失として計上したこと、また居酒屋チェーンの売上高が当初予想を下回ったことや、新たな業態の開発や既存店舗のリニューアルなどの先行投資にかかった費用がかさんだことが赤字の原因。売り上げが低迷するなか、円安による「東京チカラめし」などの食材の仕入れ価格の高騰で、売上原価率が急上昇したこともある。「東京チカラめし」は2011年6月に東京・池袋に1号店を出店して以降、大都市を中心に急拡大してきた。「焼き牛丼」(並盛330円)というスタイルと安さで、「吉野家」や「すき家」、「松屋」といった牛丼チェーンを猛追。しかし他の牛丼チェーンと同様に、13年には勢いに陰りが見え始め、アベノミクスによる景気回復の波をつかみ損ねている。三光フーズは、「コンビニなどに押されたこともあり、牛丼業界は全体的に厳しい状況に置かれていると認識しています」と話した。そこで行ったのが店舗の再編。130か店(2013年6月末時点)あった店舗を、13年7〜12月の6か月で39店(出店は7店)も一気に閉鎖した。「短期間に出店したため、マーケットの規模に対して出店数が多かったエリアなどが発生しました。ちょうど3年目で見直しのタイミングだったこと、また消費税率の引き上げで、今後の収益力の低下が見込まれることから、不採算店舗を含め、思いきって見直しました」と説明する。 ■店舗閉鎖は居酒屋チェーンでも実施|三光フーズによると、店舗閉鎖は居酒屋チェーンでも実施。2013年7〜12月末までに、18店を閉めた。「居酒屋チェーンの多くは1店舗あたりの広さもあります。件数的には『東京チカラめし』のほうが多いですが、費用は居酒屋チェーンのほうがかかります」と、金額がかさんだ理由を説明する。居酒屋チェーンの店舗は立地のよい、駅近くの商業ビルなどに入居するケースが多く、客足が低迷し売り上げが伸びなければ、採算をとるのは厳しい。また、「ビルの上の階にある店舗などは、業態転換も難しいので、結局は閉鎖するしかない」という。





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「日本の医療に警告!北の大地の天才脳外科医」
旭川赤十字病院 脳神経外科 第一神経外科部長 脳卒中センター長・上山博康

日本人の死亡原因で、がん、心疾患に次ぎ、3番目に多い、『脳卒中』。現在患者数は150万人を超え、毎年25万人以上が新たに発症している。その『脳卒中』の最後の砦といわれる医師が、北海道・旭川にいる。旭川赤十字病院・脳卒中センター長 上山博康。他の病院では手術不可能と言われた、深刻な脳の病を抱えた患者が、彼を頼りに集まる。上山は、年間500件以上の手術をし、休みなく働き続け、患者を助けることに心血を注いでいる。上山が活躍する外科医の世界。それが今、危機に立たされている。外科医になりたいという医師が減少しているのだ。大きな理由の一つが、訴訟の問題。一生懸命、患者を助けようと努力しても、それが叶わぬ場合、誤解を生み、訴えられるケースがある。医師として、病院として、例えそれが“白”であったとしても、大きな痛手となる。この問題を、どう解決していくのか?実は上山は、旭川赤十字病院で訴えられたことは一度もない。なぜ、上山は訴えられないのだろうか? その秘密を探る。そして現場の医師に突き付けられているのが、医療費削減の問題だ。「このままでは、日本の医療は金持ちのものだけになってしまう!」上山なりの努力もしていた。しかし、高齢化社会の進行や、財源の問題など、解決の糸口が見えない。日本の医療はどうなっていくのか? 最前線で闘う上山に、肌で感じた危機感を聞いた。

◎日本中の医者が絶賛する、匠の手!
毎年25万人以上が新たに発症しているといわれている「脳卒中」。上山がリーダーを務める旭川赤十字病院・脳卒中センターは、その手術件数で全国1位を誇る。他の病院では手術不可能と言われた患者を受け入れ、これまでに2万人以上の命を救って来た上山を、いつしか人は“最後の砦”と呼んだ。上山が対峙している病気は“脳動脈瘤”と呼ばれる脳卒中の一種。動脈瘤の手術では、ミリ単位のミスが重篤な後遺症を残してしまう。不可能と言われた手術を可能にしているのは、上山の匠の技。そしてそれをサポートする手術器具だ。それらの殆どが、自ら考案した器具だという。中でも代表的なのが、ムラマサと呼ばれる手術用のハサミだ。1つで3役をこなすハサミ。その実用性は高く、日本の脳外科医の約8割が使っている。このハサミには、上山ならではのアイデアが詰まっていた…。

◎働き続ける脳外科医・上山博康
上山の一週間は月・水・木・金が手術。火曜日が外来。土日も休みではなく、手術で全国を飛び回る。睡眠時間は1日平均で4時間。そんな生活を30年以上続けている。上山曰く、「命がけでやってくる患者さんの信頼に応えるため、納得してもらうまで話す。」そのため、外来診察日には、全国から上山を頼ってやってきた患者に、1人1時間以上を掛ける。外来が終わるのが、時に深夜2時過ぎになることも…なぜ、こんなにも上山は働き続けるのだろうか? そこには、上山の強い思いがあった。

◎このままでは、日本の医療は金持ちだけになってしまう!
現在、医療界に大きな難題が降りかかっている。それが、医師不足と医療費問題である。医師不足が特に深刻なのは、外科・産婦人科・小児科である。この3つは、他の診療科に比べ、訴訟のリスクが高い。しかし、上山は訴訟件数0。また、医療費問題で、日本で今、新たな医療制度が広まっていている。この医療制度により、上山はあることを危惧している。「このままでは、日本の医療がお金持ちのためだけになってしまう。」そこで、上山は先手を打って出た。医療費を節約する“上山流手術”とは? なぜ、上山は訴えられないのか? どうやって、上山は医療費削減をしたのか。それは、患者に賭ける熱い情熱に大きなヒントがあった。

≪ゲストプロフィール≫
1948年 青森県三戸郡五戸町生まれ
1973年 北海道大学医学部卒業後、同大学医学部脳神経外科学入局
1980年 秋田県立脳血管研究所に赴任
1984年 北海道大学医学部脳神経外科助手
1985年 北海道大学医学部脳神経外科講師
1992年 旭川赤十字病院脳神経外科部長
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-02-24 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●名曲アルバム 「ツァラトゥストラはこう語った」

ドイツの哲学者ニーチェは、大著「ツァラトゥストラはこう語った」の中で神の死を宣言した。彼は死によって生は終わるというキリスト教的な思想を否定し、永遠に繰り返される生を生き抜いた人間だけが未来を創造できると説いた。1889年ニーチェを精神の異常が襲う。回復することなく55歳で世を去ったが、彼の死の直前、その革新的な思想に触発されて一曲の交響詩が生まれた。リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」である。

作曲: リヒャルト・シュトラウス
演奏: 尾高忠明(指揮)、NHK交響楽団
映像: ナウムブルク 他(ドイツ)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2011-02-10 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo(B-mode)

> NBDR-0086にもあり





●名曲アルバム 「“四季”から“冬”」

水の都、ベネチア。観光シーズンには人々で賑わうこの町も、冬にはもうひとつの顔を見せる。ヴィヴァルディが生まれた17世紀、ベネチアは芸術・音楽の中心地であり、早くから音楽の才能を現した彼は、この地で活躍するようになる。彼の死後、間もなくベネチア共和国も崩壊するが、ベネチア最後の栄光の中に生きた彼の音楽は、永遠の輝きをもって響きつづける。

作曲: ヴィヴァルディ
演奏: 千住真理子(バイオリン)、高関健(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: ベネチア(イタリア)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2011-02-17 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo(B-mode)

> NBDR-0086にもあり



>ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し






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