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●地球ドラマチック 「パルテノン神殿」 〜再生への挑戦〜

紀元前5世紀、当時の最高の資材と技術、そして人知を結集して建築されたパルテノン神殿。その後も、建造物の理想的なモデルとして存在し続けてきた、古代建築の傑作です。パルテノン神殿は、時代の移り変わりとともに様々な打撃を受け、崩壊の危機にさらされています。2500年の歴史の中で、神殿はキリスト教会やイスラム教のモスクとして使われたこともあり、また戦闘で破壊されたり、砲撃を受けたこともありました。さらに20世紀初頭にずさんな修復が行われたため、神殿の傷みが広がってしまったのです。1970年代から始まった再生計画は、最新のコンピューター技術を駆使しつつ、当時と同じ技法を用いてかつての神殿の姿をよみがえらせようというものです。しかしこの作業は困難を極めます。神殿を構成する7万もの石材のパーツは、同じように見えても一つ一つ異なり、それぞれ決まった場所にしか置くことができません。20世紀初頭に行われた修復の際、一部の石材が間違った場所に置かれてしまったため、新たなプロジェクトは、戻す場所が確認できない石材を採寸し、神殿のどの部分を形作るのか、コンピューター上でシミュレーションすることから始まりました。現代のハイテクで古代の美の傑作に挑む、神殿修復プロジェクトの取り組みをご紹介します。

原題: THE SECRETS OF THE PARTHENON
制作: アメリカ 2008年
(text from NHK site)

NHK教育 40min 2011-01-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 二か国語





●知楽遊学シリーズ 歴史は眠らない 「地震列島・日本の教訓」 関西学院大学教授…室崎益輝

阪神淡路大震災から16年。地震を知らない若い世代が増え、記憶の風化は徐々に進んでいる。地殻変動によって造られた島国・日本は、その宿命として地震とともに歴史を歩んできた。古代から人々は地震を記録してきたが、長い間それが教訓として十分に生かされてこなかった。ようやく地震の教訓を語り伝えようという意識が芽生えたのは江戸時代からだった。地震は必ずやってくる。そして歴史から学ばないと災害は繰り返される。番組では、地震の日本史を振り返り、先人たちが大地震にどう向き合ってきたのかを見つめ、現代に求められる防災への備え、心構えを問い直す。
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室ア益輝(関西学院大学教授)…1944年、兵庫県生まれ。67年に京都大学工学部建築学科卒業。71年に同大学大学院工学研究科博士課程中退。京都大学助手、神戸大学工学部助教授、同大学工学部教授を経て、98年より同大学都市安全研究センター教授。同大学を退職後、2004年4月より独立行政法人消防研究所理事長、08年4月より現職。京都大学防災研究所客員教授、中央防災会議専門委員、文化審議会専門委員、国土審議会特別委員など歴任。日本建築学会賞、日本火災学会賞、兵庫県防災功労賞などを受賞。著書に『地域計画と防火』(勁草書房)、『ビル火災』(大月書店)、『建築防災・安全』(鹿島出版会)、共著に『防災対策と危機管理』(ぎょうせい)、『大震災以後』(岩波書店)、『危険都市の証言』(関西市民書房)など多数。


第1回 「過ちを後世に伝えよ」
古来、幾多の大地震に見舞われてきた日本。江戸時代、地震を恐れるだけでなく後世に語り伝え、教訓を残そうという動きが全国に広がった。そのきっかけとなったのが1854年の安政南海地震だ。津波の犠牲に遭った大阪の人々は石碑を建立し、地震の際には津波が来るから船には乗るなと教訓を刻んだ。津波の被害に遭った大阪の人々が後世へ震災の心得を伝えようとした姿を見つめ、教訓を残すことの意味を探る。

第2回 「震災復興のモデル」
明治24年。近代国家建設の途上にある日本を、巨大地震が襲った。岐阜県と愛知県に大きな被害をもたらした濃尾地震だ。文明開化を象徴する煉瓦造りの建物はことごとく倒壊。死者は7000人に上った。国家を揺るがすこの危機に対し、国や軍隊、マスメディアにボランティア、そして民衆が果敢に立ち上がった。公助と共助、そして自助の力が実を結んだ濃尾地震の復興過程を見つめ、現代の震災復興の原点を探る。

第3回 「君子未然に防ぐ」
関東大震災の17年前の1906年、一つの新聞記事が世間を騒がせた。「やがて大地震が襲来する」。新聞記事の元になる論文を書いたのは、東京大学地震学教室の今村明恒。しかし、その真意は地震予知ではなく、人々の防災意識を喚起することにあった。関東大震災以後、今村は、地震知識の普及のために教科書に津波物語を載せるよう国に働きかけ、晩年は南海地震の予知に執念を燃やした。一貫して「防災」の必要性を説き続けた科学者の姿から、現代人の防災意識を問い直す。

第4回 「耐震化への道」
戦後、甚大な被害を出した福井地震を契機に、国は建物の耐震化に乗り出した。昭和25年、建築基準法によって耐震基準が成立。しかし、時代とともに建築物は大型化、多様化し、従来の耐震基準の見直しを迫られた。その結果、昭和56年に新耐震基準が誕生。建物の安全が図られたが、平成7年の阪神・淡路大震災では多くの建物が倒壊し、多大な犠牲者を出した。なぜ耐震化は進まなかったのか。戦後の耐震化の過程を辿りながら、今後の防災対策のあり方を考える。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2011-01-04〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声





●ETV特集 「ネットワークでつくる放射能汚染地図」 〜福島原発事故から2か月〜

福島原発事故は、周辺地域に未曾有の放射能災害を引き起こした。時間経過とともに拡大する避難エリア。住民たちが自分たちの村や町に、いつになったら帰れるのか、その展望は全く見えない。いま住民たちが求めているのは、被曝による人体影響と、今後の土壌汚染への対策を、客観的かつ冷静に考えてゆくための基礎となるデータ・放射能汚染地図である。ETV特集では1954年のビキニ事件以来、放射線観測の第一線に立ち続けてきた元理化学研究所の岡野眞治博士の全面的な協力のもと、元放射線医学研究所の研究官・木村真三博士、京都大学、広島大学、長崎大学の放射線観測、放射線医学を専門とする科学者達のネットワークと連係し、震災の3日後から放射能の測定を始め汚染地図を作成してきた。観測チームは、周辺地域の土壌、植物、空気中の粒子を採取し放射線量を計測する一方、岡野博士が開発した計測機を自動車に搭載して、福島県内の道路2000キロを走破した。この計測器はビデオで撮った現場映像とともにGPS情報、放射線量、放射性核種のスペクトルを、同時記録してゆくことができる世界唯一の機器であり、チェルノブイリ事故での計測により国際的な評価を得ている。一方、文部科学省や福島県、IAEA、アメリカエネルギー省も、独自に汚染の計測を進めており、その結果が公表され始めている。これらのデータと、独自収集データをつきあわせることで、原発周辺地域のきめ細かい土壌汚染のマッピングが可能になる。番組は、放射能汚染地図を作成してゆくプロセスを追いながら、原発災害から避難する人々、故郷に残る人々、それぞれの混乱と苦悩をみつめた2か月の記録である。
(original text from NHK site)

NHK教育 90min 2011-05-19(2011-05-15の総合での再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo



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