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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「会社は自分のものだ!自ら考え、自ら良くしろ!」 未来工業創業者・山田昭男

岐阜の片田舎で劇団員たった4人で創業して45年。後発ながら大手も敵わぬトップ商品を連発、仕事のノルマもなければタイムカードも残業もなし。休日数は日本一と言われる、社員にとって“理想郷”の会社。“ドケチ経営”で注目を浴びる創業者・山田昭男が吠える!「会社は自分のものだ!自ら考え、自ら良くしろ!」

◎ケチケチ会社の実態は…大手も勝てぬ、業界トップシェア
田んぼの中にたたずむ未来工業本社を訪れると…真っ暗な玄関。職場には、こまめに消すためにつけられた紐つきの蛍光灯、ドアノブなしでも開け閉めできるようにわざわざ改造したドア…と、とんでもないただのケチケチ会社に見える。だが従業員は8時30分に出社し、16時45分には退社していく。1日の労働時間は7時間15分、法定の8時間よりも短いのだ。そしてタイムカードなし、残業なし、ノルマなし…なのに、休日は一般企業より20日多い年間140日。盆・暮れは2週間休みがあることもザラ、という超ユニークな会社。そんな“社員の理想郷”といえる未来工業は、壁に埋め込まれる電気コードの配線管やコンセントやスイッチの裏側の「スライドボックス」など、住宅関連の見えない部分を支える電気設備機器メーカーだ。しかもスライドボックスはシェア8割と、大手でも敵わない圧倒的に強い商品を数多く揃える。

◎誕生! 「考え抜く」社員たち
実は未来工業では、毎日1、2個は新製品が誕生しているという。そのおかげで、シェアトップのスライドボックスだけでも85種類も作っているのだ。取り付け穴が2個しかなかったものを4個に改良するなど、常に何かしらの改良で新商品が生まれ続けている。そんな社内のあちこちに掲げられているのは「常に考える」という標語−−山田氏曰く「大手と同じものを作っていては負けてしまう、考え続けて差別化しろ!」これが全社員に徹底されているのだ。例えば営業社員にノルマはないが、ユーザーを必死に訪ねては、製品開発の種を拾い続ける。その結果、開発部門には全国の営業から毎日10件程の要望や提案が寄せられ、新商品化にこぎつけるのだという。「コストがかかるからダメとかではなく、どうしたら売れるか、客が便利だと思うものを『考え』ればいいんです」そして「考え抜く」ための社内制度…改善提案は、全て1件500円で買い取りを行い、毎年1万件近く集まる。

◎ユニーク経営の基本−−社員を大事にしてやる気を起こさせろ!
従業員780人の未来工業。ところがここには、派遣社員やパートはおらず、全員が正社員。育児休業は3年までとれるし、定年も70歳。さらに給与は地元・岐阜県庁と同等の高水準。山田氏の哲学は「社員の不満を解消するのが経営の仕事、社員のやる気をいかに起こさせるかが全て。アメとムチでなく、アメだけでいい」そんな社内では、社員同士のサークル活動も盛んだ。ゴルフや将棋など、実はそうした活動に会社から月1万円が支給されている。さらに、今年は5年に1度の社員旅行がある。その行き先は、なんとエジプト!全額会社負担で500人以上が参加するという。社員がやる気になる待遇があれば、社員は応えて働くはず!それが山田流の経営術だ。

≪ゲストプロフィール≫
1931年 中国・上海生まれ
1948年 旧制大垣中(現 県立大垣北高)卒。父の電線会社に入るも、劇団「未来座」を立ち上げ芝居の道へ。
1965年 劇団仲間4人と未来工業設立。
2000年 相談役に

≪企業情報≫
設立: 1965年
本社: 岐阜県輪之内町。全国に6工場
売上高: 255億円(2010年3月期、連結)
従業員: 775名(2010年3月現在) 電設資財メーカーとして成長を続け、創業以来赤字なし。
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-01-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「“ぶつからないクルマ”の技術革新で不況を打ち破れ!」 富士重工業社長・森郁夫

「ぶつからないクルマ」のCMで話題の先進運転支援システム“アイサイト”アイサイトは車載のカメラが障害物を認知し、車が自動で安全運転を支援する。作り出したのは、“スバル”ブランドで自動車を売る富士重工業だ。富士重工業の始まりは太平洋戦争に導入された戦闘機「隼」「疾風」などを製造していた、中島飛行機だ。終戦後は航空機分野から、自動車に進出。航空機メーカーならではの高い技術力を活かした、こだわりの「水平対向エンジン」、路面を選ばない「4WD」。さらには「ぶつからないクルマ」という世界でも類を見ない独自の発想で消費者を魅了している。アイサイトのヒットも相まって販売台数は、2010年には65万台と過去最高を叩き出し、売上高も過去最高となる見通しだ。更にアメリカ市場でも、リーマンショックの嵐が吹き荒れた2009年には、ビッグ3やトヨタ・ホンダ・日産など大手が前年割れを起こすなか、15.4%増と唯一、躍進した。2010年も前年比21.8%増と過去最高を更新した。GMやクライスラーは経営破たんに追い込まれ、苦戦を強いられる自動車産業、なぜ、富士重工業だけがアメリカ市場でのシェア拡大し続けられるのか。そこにはと脈々と受け継がれてきた“技術の蓄積と革新”と、現社長の森が決断した「強みを生かし、弱みを補う」経営戦略に秘密があった。番組では、話題の“アイサイト”を村上龍が自身で体験。そのカラクリを明らかにすると共に、自動車業界の下位に位置する自動車メーカーの技術革新、その真髄に迫る。

≪ゲストプロフィール≫
1947年 高知県生まれ
1970年 早稲田理工学部工業経営学科卒業 同年4月 富士重工業入社
1995年 海外営業本部 北米事業部主幹就任
1997年 海外営業本部 海外企画部長就任
2005年 常務執行役員 就任
2006年 代表取締役社長 就任

≪企業情報≫
社名: 富士重工業株式会社
所在地: 東京都新宿区西新宿1-7-2
創立: 1953年(昭和28年)7月
資本金: 1573億円
売上高: 1兆4287億円(2010年3月期連結)
業種: 自動車・航空宇宙関連機器・産業機器の製造販売ほか
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-02-03 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「会社の名前で戦うな!100年企業の落とし穴」 モリタホールディングス会長・新村鋭男(しんむらとしお)

消防車一筋、100年。消防自動車トップメーカーのモリタは、圧倒的な技術力で、はしご消防車のシェア9割以上を達成している。財政難で購入を控える自治体を相手にしながらも、4期連続の増収増益を成し遂げた。低迷市場において“売れる消防車”を生み出したのは、全く畑違いの証券業から転身した新村鋭男だった。新村は、これまでの常識を覆す消防車開発に、力を注いできた。――石けんの「泡パワー」で消す最新型の消防車/消防車と救急車の2役を1台でこなす「消救車(しょうきゅうしゃ)」/鉄ではなく強化プラスチックを使った斬新デザイン車。しかも当時モリタにあった200億円もの借入金を返済した上での、V字回復!それにしても、モリタはなぜ“変わる”ことができたのか…? それは新村に、自ら「変化できずに」破たんへの道をたどった山一証券での強烈な経験があったからだった。新村は社員たちに言う。「会社は何のためにあるのかを問い続けろ!」

◎はしご車トップシェア!世界が絶賛するすごい技
兵庫県・三田市にあるの本社工場を訪ねると、目に飛び込んでくるのは、真っ赤な消防車が駐車場に列を成している、見たこともない光景。そこでは連日、放水検査やはしごの動作確認などが繰り返されている。実は今が消防車の生産ピーク。1ヵ月に約100台が全国自治体に納入されるのだ。モリタは、はしご車では国内シェアの実に9割以上を誇る。しかも50メートル級のものを造れるのは、世界でも数社しかないという。モリタは1907年 の創業以来、消防車を1台1台全て手作りしてきた。例えば車体に載せるはしごは、わずかに弓なりに反らせている。はしごは人を乗せて伸びていくと、加重でしなることから、それを計算して微妙な反りをつくっているのだ。まさに熟練職人の技…。この日も、インドから1台約2億円のはしご車を買い付けにやってきていた。まさに世界が注目する、消防自動車メーカーなのだ。

◎消防車づくりを変えた男は“門外漢”
いま多くの自治体が財政難のため、新たな消防車の購入を控えている。だが、この頭打ち市場の中でもモリタの消防車は売れている。一体なぜなのか? モリタの売れ筋トップは、「泡消防車」だ。少量の石けんと水に空気を加えることで、消火効率を大幅にアップ。水の量を従来の6%程度に抑え、消火時間も3分の1に短縮した優れものだ。さらに、救急車不足に悩む自治体向けに、世界初の「消防車」+「救急車」=「消救車」を開発。業界の常識を覆す消防車を次々誕生させている。その陣頭指揮を執ったのが、畑違いの証券業界から、社長にと請われてやってきた新村だったのだ。

◎奇跡の業績回復!成し遂げたのは元・山一マン
90年代半ば、実はモリタの業績は下がる一方だった。それを劇的に立て直したのが、山一証券から転身した新村。新村は、山一で副社長まで務めた金融のプロだった。だが当慈雨、関連会社の社長に転出して6年後、山一は突然破綻してしまう…。新村は、モリタの社長就任直後、工場を見て回って愕然としたという。工具は散らかり、電話をする社員たちは自分の名前すら名乗らない。とても一部上場企業とは思えない組織だった。新村がそこで感じたのは、かつての山一と同じ“慢心”だった。100年企業の落とし穴とは? 新村はモリタで、社員の意識を、どうやって劇的に変えることができたのか? “新村マジック”の全貌に迫る。

≪ゲストプロフィール≫
1936年生まれ
1959年 山一証券入社
1990年 副社長
1991年 山一情報システム社長
1997年 山一証券破綻、山一情報システムを母体に日本フィッツを設立
1998年 モリタ入社
1999年 社長就任
2002年 会長就任

≪企業情報≫
創業: 1907年4月
従業員: 1517人(連結)
売上高: 617億円 経常利益45億円(09年度)
代表取締役社長: 中島正博
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-02-10 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「105円で感動を!職人社長と東大卒エリートが挑む、最強チーム経営」
あきんどスシロー社長・豊ア賢一/専務執行役員・加藤智治

外食産業が厳しい経営環境にある中でも、成長を続けているのが回転寿司業界だ。こうした中、大手3社は、「1皿105円」の低価格を売りに、熾烈な競争を繰り広げている。業界1位は「かっぱ寿司」、2位は「あきんどスシロー」、3位は「無添くら寿司」。この業界の厳しい競争ぶりを示す、ある“事件”が最近起きた。万年2位に甘んじてきたスシローが、半期の売り上げでかっぱ寿司を抜き去り、初めて1位に躍り出たのだ。スシローが売りにしているのが、原価率50%を誇る「美味しさ」。その陣頭指揮を執るのは、たたき上げの寿司職人で社長の豊ア賢一(46)だ。そして経営面で豊崎を傍らで支えるのが、専務執行役員の加藤智弘(36)。スシローに骨を埋める覚悟で、2年前、投資ファンドから転職してきた異色の男。スシローが業界トップを勝ち取った“強い経営”の裏には、「職人社長・豊崎」と「経営のブレーン・加藤」という、絶妙のコンビがあったのだ。成長著しいスシローだが、一方で2人は「回転寿司業界の限界」も見据えていた。動き出した2人が目指すものとは…。天下取りを狙うスシローの全貌に迫る!

◎回転寿司だって、うまさで勝負!「うまくて安い」の全貌に迫る
豊ア社長は、もともと寿司職人。大手3社の中でも社長が職人なのは、「スシロー」だけだ。豊崎は、その鍛えられた目利きで、食材に対する妥協を許さない。うまさの秘密の一つは、各店舗の厨房でネタを調理すること。手間も費用もかかるが、豊崎はこだわり続けている。ネタの仕入れ交渉に当たるのも、豊アの役割だ。水産会社との商談では、社長自ら値切り交渉。大阪商人らしく、「安さ」へのこだわりも徹底している。豊崎は言う。「何でもいいって訳じゃない。うまいだけでもダメ。“安くてうまい”がモットーだ」。そんなスシローは、外食産業における顧客満足度では、回転寿司業界トップ。外食全体でもなんと3位という、驚異の人気を誇る。

◎戦国時代の回転寿司…“強い経営”支えるブレーンは若き36歳
社長の豊アを傍らで支えるのが、専務執行役員の加藤智弘(36)だ。加藤がスシローに入社したのは、あるスシローの“危機”があった。実はスシローは3年前、牛丼チェーン「すき家」などを展開する外食大手のゼンショーに株を買い占められたのだ。突然の買収劇にスシローの経営陣は反発、副社長だった豊アもその渦中にあった。スシローを支援する投資ファンドから、経営改革の責任者として送り込まれてきたのが、加藤だった。2007年のことである。当時スシローは、経営陣に寿司職人が多くいたため、美味しさが最優先で設備投資などは二の次でいい、という雰囲気が社内にあった。だが加藤は「これでは勝てない」と、タッチパネルなどの導入を提案。今では豊崎の全幅の信頼を得て、加藤は経営面でスシローを支える一人となった。寿司に徹底的にこだわる職人社長と、強い企業経営を支える若きブレーン。この2人が車の両輪となって、スシローは急成長を続けている。

◎回転寿司の“将来”を見据えて…チームスシローの次なる挑戦
念願の業界トップに躍り出たスシローだが、豊アも加藤も、決して浮かれてはいない。二人は口を揃えてこう言う。「3年から5年後には、日本の回転寿司業界は必ず飽和状態に達する。それを見据えてスシローも変わっていかなければいけない」。熾烈な競争を繰り広げている回転寿司業界を、実に冷静に分析していた。スシローはこの1月、新たなチャレンジを始める。今までなかった「駅前店舗」を初めて出すのだ。加藤が中心となって、新規出店の計画を練る。郊外型でファミリー中心だったターゲットを広げ、駅前店舗で狙うのは、サラリーマン客だ。一方、社長の豊アは、寿司メニューで「先」を見据えていた。マグロの消費量では、日本トップクラスの寿司チェーンだけに、昨今のマグロ規制には危機感を抱いている。そのためにも新たなメニュー開発が必要なのだ。「うまい寿司を、腹いっぱい」この追求は、決してあきらめない。

≪ゲストプロフィール|豊ア賢一≫
1965年2月生まれ 徳島県出身
1984年4月 調理学校を卒業後、「鯛すし」入社、鯛すしが出店した回転寿司「すし太郎」に参加
2000年12月 社名をあきんどスシローに変更し取締役就任
2009年6月 代表取締役社長に就任

≪ゲストプロフィール|加藤智治≫
1974年9月生まれ 東京大学大学院を卒業後ドイチェ証券、マッキンゼーに勤務
2007年 投資ファンドユニゾン・キャピタル入社
2007年12月 スシローに出向、社長室長に就任
2008年 ユニゾン・キャピタルを退職、スシローに入社、専務取締役企画本部長に就任

≪企業情報≫
1984年 大阪・豊中市に1号店(店名: すし太郎)を出店
2000年 商号を株式会社あきんどスシローに変更
2003年 東証二部に上場
2004年 セントラルキッチンを廃止、店内調理へ
2007年 投資ファンドのユニゾン・キャピタル・グループと業務提携
2009年 上場廃止

本社: 大阪・吹田市
売上高: 819億円 経常利益23億円(2010年9月期)
店舗数: 296
従業員: 910人(アルバイトなど約2万5000人)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-02-17 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo



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