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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「女性熱狂!フランフラン流“消費者ニーズ”の捉え方」 バルス社長・高島郁夫(ふみお)

「品揃え」「低価格」「正直」・・・顧客目線を徹底する小売業は不況下でも多くの客を集めている。その中にあって「楽しさ」をキーワードに“女性たちの熱烈な支持”を集めているのが「Francfranc」(以下フランフラン)だ。男性の多くが名前さえ知らない店ながら、年商333億円、全国に136店舗(グループブランドを含む)を展開する家具、生活雑貨の大手。運営するバルスを創業したのは高島郁夫(54歳)だ。大学卒業後、出身地の福井で家具メーカーの営業マンとして働いていた高島は、1992年、新たな湾岸スポットとして注目を集めていた天王洲アイルに1号店をオープン。「都会に住む若い女性」をターゲットにオリジナルの家具と生活雑貨を武器に破竹の勢いで成長を続ける。なぜ、「フランフラン」は成功したのか? その謎を探るべく、昨年5月にオープンした旗艦店「アオヤマ フランフラン」に司会者である村上龍、小池栄子両氏が出向き、創業者・高島郁夫氏と徹底討論!そこには、独自の視点で顧客目線を貫き通す島の流儀にあった。さらに昨年11月にビジネス拠点を香港に移した創業者・高島のプライベートから商品開発の現場まで密着!時代と顧客のニーズを的確に捉える高島流「遊びの極意」を紐解く。

≪ゲストプロフィール≫
1956年 福井県鯖江市生まれ
1979年 関西大学経済学部卒業、マルイチセーリング入社
1990年 新規事業としてバルス設立、その後 MBOして独立
1992年 天王洲にFrancfranc1号店開店
2005年 東証二部に上場 翌年一部に指定替え

≪会社概要≫
社名: 株式会社バルス
所在地: 東京都渋谷区神宮前
創立: 1990(平成2)年7月
従業員: 595人
資本金: 約16億円
売上高: 約333億円(2011年度)
業種: インテリア・雑貨小売販売他
店舗数: 152店(海外含む/国内は136店)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-03-10 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo

> 東証に見切り、海外上場を目指す「フランフラン」の決断  東洋経済オンライン 2011年10月4日配信
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家具・生活雑貨専門店「フランフラン」を運営する、東証1部上場のバルスがMBO(経営陣による企業買収)による非上場化を目指している。創業者の高島郁夫社長(55)が設立したTMコーポレーションが約160億円で全株式を取得し、完全子会社化する方針だ。公開買い付け期間は9月5日から10月19日まで。必要な資金は、バルス株主の三菱商事や高島社長を実質的な割当先とする45億円を限度にした第三者割当増資に加え、金融機関から上限125億円の借り入れも行う。売上高350億円程度のバルスの収益を原資にした返済負担は重い。「返済不可能な水準ではないが、この規模の借り入れを行うことはリスクを伴う決断だ」と、ドイツ証券の風早隆弘シニアアナリストは指摘する。バルスはMBOの狙いについて表向きは、「海外展開加速など構造改革による利益水準やキャッシュフローの悪化が、既存株主に悪影響を与えるおそれがあるため」とする。2010年12月に2年ぶりに既存店の月次売上高が前年同月を上回り、12年1月期は3期ぶりの増収増益を計画していたが、矢先に東日本大震災が襲った。「下方修正を余儀なくされ、大幅な改革なくして、過去最高益への復元は困難になった」(同社)。だが、震災後の同社の業績は、意外にも好調だ。家族客の近場消費の増加などにより、4〜7月の既存店売上高は前年を上回っている。国内の不採算店閉鎖はほぼ一巡しており、仮に海外出店を増やしたとしても、急激な収益悪化は考えにくい。「さよなら日本、さよなら東証。将来は香港、シンガポールでの上場を目指す」高島社長はMBOの真の狙いをこう語る。香港は法人税が日本の約3分の1と低く、商談成立も格段に早い。「上場すれば、時価総額は東証の3倍が見込める。今回は見送ったが、三菱商事は決定に3カ月近くかかった増資引き受けも、香港財閥は『明日でも』と約束してくれた」(高島社長)。その反面、「東証ではPBR(株価純資産倍率)が平均1倍割れで、資金調達もやりにくかった」と高島社長は不満を漏らす。すでに社長自身、昨年秋に香港に移り住んだ。日本を見限ったバルスの次なる一手が耳目を集める。(二階堂遼馬 =週刊東洋経済2011年9月24日号)※記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「あきらめなければ未来は拓ける!」
「はやぶさ」プロジェクトマネージャー/宇宙航空研究開発機構(JAXA)教授・川口淳一郎

2010年6月、小惑星探査機「はやぶさ」が成し遂げた、人類初の快挙。満身創痍で7年ぶりに地球への帰還を果たし、ついに燃え尽きたはやぶさのドラマは、日本中で感動を呼び起こした。幾度とない危機を乗り越え、奇跡を起こし続けたプロジェクトリーダー、川口淳一郎は、「まるで夢のよう」と声を震わせながら語った。決してあきらめなかった彼を支えたものとは、何だったのか――。一方、はやぶさを支えたメード・イン・ジャパンの技術を探っていくと、たどり着いたのは、何と社員わずか4人、平均年齢65歳の町工場。まさに、日本の技術力の“証”そのもの。予算削減の波にさらされて来た日本の宇宙開発事業だが、川口は「投資こそが未来を支える」と語る。完璧を求めずに、挑め!はやぶさプロジェクトから、未来を拓くヒントを探る。

◎“人類初”に挑み続けた7年間 技術者を支えた「根性」の正体
2010年6月13日、小惑星探査機「はやぶさ」は7年間に渡る宇宙での大航海を全うして地球に帰還した。月以外の惑星に着陸してサンプルを持ち帰ってくるという人類初の快挙に、世界が喝采を送った。その快挙を成し遂げたプロジェクトリーダーの名は、川口淳一郎。幾度となく絶体絶命のピンチに襲われた川口は、どのような信念と思考でそれを乗り越えたのか。川口にしか語れない、珠玉のリーダー論。

◎宇宙事業廃止論に川口が反論 「投資こそが、未来を拓く!」
日本の宇宙開発事業が、予算削減の波にさらされている。去年の事業仕分けでは、後継機「はやぶさ2」の製作さえ危ぶまれた。日本にとって宇宙開発とは、単なる“金食い虫”なのか、それとも“日本の新たな産業基盤”となり得るものなのか? はやぶさは、構想から15年以上をかけた、ハイリスク・ハイリターンのプロジェクトだった。まさに“未来への投資”そのもの。そして今、2014年の打ち上げを目指して後継機「はやぶさ2」は動き出した。後を託されたのは、若き研究者たち。宇宙事業は単なる技術者の夢ではない!川口が熱弁を振るう。

◎希望と共に…世界をリードする惑星探査の技術力
「はやぶさ」で培われた「ニッポンの宇宙技術」とは――。宇宙航空研究開発機構(JAXA)とともに、7年間の旅路を支えたのは電機大手から町工場まで118もの企業。往復60億キロの大航海の主力エンジン「イオンエンジン」は帰還後、アメリカの宇宙産業メーカーと共同開発・販売を締結。新たなビジネスとなっている。番組は、ある町工場を訪ねた。そこは一見すると、単なる零細工場。だが実は、はやぶさの搭載装置の試作機を作っていた。宇宙事業に関わって30年。川口も何度も訪れて直接やり取りをしたという。大企業だけではない、日本の技術力の証。ニッポンの惑星探査技術が世界をリードできるか、正念場でもある。

≪ゲストプロフィール≫
1955年 青森県生まれ。京都大学工学部機械工学科を卒業
1978年 東京大学大学院工学系研究科航空学専攻に進学。
1983年 旧文部省宇宙科学研究所に助手として着任。
1988年 助教授、2000年に宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所教授に就任。ハレー彗星探査機「さきがけ」「すいせい」、工学実験衛星「ひてん」、火星探査機「のぞみ」などのミッションに携わり、「はやぶさ」ではプロジェクトマネージャーを務める。

≪組織プロフィール≫
独立行政法人 宇宙航空研究開発機構|Japan Aerospace Exploration Agency(JAXA): 2003年に宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所、宇宙開発事業団の3機関が統合して発足。職員数1,571人(2010年3月)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-03-24 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「怒りを排除して、ビジネスを科学せよ!」 レストラン・エクスプレス社長 江見朗(えみあきら)

寿司、トンカツ、カレー、中華、釜飯…宅配ビジネスの世界で急成長を遂げるレストラン・エクスプレス。味にこだわって、「宅配だから味は二の次」だった宅配を、「宅配なのに美味い!」に変えリピーターを増やしている。さらに、こだわり抜いた“チラシ”による緻密なマーケティングと、複数の宅配ブランドを組み合わせる“複合店舗”を武器に、旧来の宅配ビジネスを徹底的に効率化。勝てるビジネスに育て上げ、いまや全国で341店を展開する。そんな江見社長のポリシーは「怒らないこと」。「怒りは非合理。儲けを生まない」。宅配市場の覇者が吠える!「怒りを排除し、ビジネスを科学せよ!」。

◎宅配の覇者は元寿司職人
江見氏は、岐阜県一の進学校に入りながら大学は受験せず、23歳の時にアルバイトで貯めた350万円を持ってアメリカへ渡る。永住権を獲得するために寿司職人として働くが30歳の時に帰国。その後、料理店勤務を経て、サンドイッチ店を経営するが、徐々に売り上げが落ちていった。そこで新たに挑んだのが、当時ピザなどで流行っていた「宅配」と、自らの技術「寿司」を融合させた「宅配寿司」だった。「後悔させない宅配寿司」を目指し、江見社長が取り組んだのは「チラシと同じ寿司を届けること」と「宅配なのに美味い寿司を届けること」。ネタの大きさにもこだわり、特殊な解凍機も導入した。宅配寿司「銀のさら」のリピート率は70%にも上る。

◎「チラシ」を科学する!
宅配ビジネスに徹底した合理的経営を取り入れた江見社長。こだわり抜くのが、チラシを家庭のポストに入れる「ポスティング作業」の分析だ。どんな厚さの紙を使ったチラシをどこに何枚まけば、何件ぐらいの注文が来るのか…緻密に分析を続ける中で精度を高めてきた。そして「誰にでもできることを、誰にもできないくらい徹底してやれ」など、「江見流 ポスティング極意10カ条」を編み出した。さらに江見社長が取り組んだのが、店舗の複合化。「寿司」と「釜めし」、「カレー」と「トンカツ」と「中華」…など、自社のブランドを組み合わせて店舗を作り、配送や調理の人件費を削減、儲かる宅配システムを作り上げた。「ビジネスは論理の積み重ね」と語る江見社長、ビジネスを「科学する」という戦術に迫る。

◎怒らない男 江見…怒り撲滅運動
江見社長には、独自の経営感がある。それは、「怒らない経営」だ。多くの人が熱意のあまり、時に声を荒げてしまうが、江見社長は決して怒らない。社長の主義が浸透したレストラン・エクスプレスの社内では、かつて怒鳴り散らしていた男たちが続々と仏のような人格者になっていくという。江見社長が怒らない理由はただ一つ…「怒りは非合理、儲けを生まない。合理経営に怒りは敵」。急成長を支える、独自の経営論とは? つい怒っちゃう人は必見!

≪ゲストプロフィール≫
1960年 大阪生まれ、岐阜育ち。高校卒業後、5年間フリーターを経験し、1983年にアメリカへ渡る。寿司職人としての経験を積んで30歳の時に帰国。1998年に宅配寿司「寿司衛門」を開業し、2000年に「銀のさら」に名称を変更。現在は「銀のさら」「釜寅」「あげ膳」「上海スクエア」「カレーキャリー」など7つのデリバリーブランドを展開。

≪会社プロフィール≫
創業: 1998年
年商: 128億円(FC加盟店売り上げを除く)
店舗: 341店
従業員: 1300名
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-07-28 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「“負ける建築”で世界に勝つ!」 建築家/東京大学教授・隈研吾

◎評価される隈建築
大規模な立て直しが行われる歌舞伎座。その建築家として指名を受けたのが、隈研吾だ。世界で知られる日本人建築家として、自然や環境と融合する新歌舞伎座の一切を任された。根津美術館、サントリー美術館、ティファニー銀座ビルなど、隈建築は、日本のいたるところで見ることができる。現在進行中のプロジェクトも国内20カ所、海外で30カ所と日本を代表する建築家だ。その特徴は、普通とは違う建築設計手順でデザインを考えること。普通建築は全体から細部へとデザインを詰めていくが、隈建築では、ディティールを先に決めて、全体へとデザインを広げていく。さらに、原産地の素材を活かし、地域や環境と密着、融合した『負ける建築』という自身のスタイルを貫いている。その独特なスタイルは日本だけでなく、世界での評価が高い。近年、世界各国でのコンペを次々と勝ち抜いている隈研吾。その本質に迫る。

◎新世代の建築を造る仕事術!
海外の仕事も多く手がける隈氏の事務所は外国人スタッフも目立つ。プロジェクトは、まず隈氏が基本的なイメージを提示する。その後、スタッフが具体案を練りブラッシュアップしていく。スタッフはいくつもの具体案を提示し、そこから隈自身が選択し、仕上げていく。手がけるプロジェクトは50程。実際の建築作業が進んでいる現場には少ない時間でも必ず顔を出し、そのディティールまで細かくチェックする。全国全世界を多忙に駆け回る隈氏の仕事を選ぶ基準と、仕事のスタイルに迫る!

◎負ける建築(1) 『地元の自然素材で建てる』
地元の特産素材にこだわる隈。木の制約を活かしコンクリートとは違った建築が出来上がる。人の目線を意識した伝統の日本建築は、人間の謙虚な気持ちを思い出させる。

◎負ける建築(2) 『環境に合わせる』
地元の景色と調和させ違和感を生まない建築を心がける隈氏。環境との融合を図った建築の特徴は、建物が主張する建築ではなく、周辺環境や地元の生活、文化も取り込む事で周りに溶け込ませる建築であることなのだ。

≪ゲストプロフィール≫
1954年 神奈川県横浜市生まれ(現在57歳)
1979年 東京大学建築学科大学院修了
1985年 コロンビア大学建築都市計画学科客員研究員、Asian Cultural Council 給費研究員
1987年 空間研究所設立
1994年 隈研吾建築都市設計事務所主宰、コロンビア大学大学院建築・都市計画学科講師
1998年 慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授
2001年 慶應義塾大学理工学部教授
2007年 イリノイ大学客員教授
2008年 Kuma & Associates Europe 設立
2009年 東京大学教授
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-08-04 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●視点・論点 「地図で読む戦争」 地図エッセイスト…今尾恵介

NHK総合 10min 2011-08-10 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Mono



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