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●知楽遊学シリーズ 仕事学のすすめ 「病院を変える突破力」 亀田総合病院院長…亀田信介

千葉の鴨川市、東京から特急で2時間もかかる場所に県外はもとより、海外からも治療に訪れる患者がいるという亀田総合病院。その病院長を務める亀田信介さん(54歳)は江戸時代から地元で続く医者の家系で11代目。彼の代になってから日本の病院では先駆けとなる電子カルテを導入して患者に情報を開示、また全館個室、24時間面会できる病棟を建てるなど、革新的な病院経営を行ってきた。その経営理念が、患者は勿論、医師、看護師、事務を含めた病院スタッフも内部顧客と呼び、徹底的に顧客の要望に応えるというものである。1日に3000人の患者が訪れ、入院待ちは1000人という亀田総合病院の人気の秘密は何なのか、亀田さんの仕事哲学に迫る。(トランスレーター: 勝間和代)
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亀田信介(かめだしんすけ)…1956年、千葉県鴨川市生まれ、亀田総合病院院長。82年岩手医科大学医学部卒業。順天堂大学医学部付属病院整形外科、東京大学医学部付属病院整形外科を経て、88年亀田総合病院は副院長就任。91年より現職。民間の医療法人では日本初の第3次救命救急医療施設として千葉県の指定を受ける。


第1回 「患者目線で常識を崩せ」
亀田病院では、これまでAlways Say Yes. を合い言葉に可能な限り患者の要望を受け入れてきた。そんな姿勢を象徴するのが2005年に完成した、Kタワーと呼ばれる全館個室の入院病棟である。ここでは、患者が常にいて欲しい人をサポーターとし、24時間面会を可能にし、仮眠のためのソファベッドも設けた。また病室には、パソコンを配備し、自分のカルテを見られ、病院食も14のメニューから選べる。主治医のプロフィールや趣味まで閲覧できることが、医師と患者のコミュニケーションに役立っているという。患者や家族が医療に参加できる土壌を作った、亀田さんにその仕事哲学を伺う。

第2回 「イノベーションを実現するリーダー力」
亀田さんは院長業務のかたわら今も担当の整形外科の外来を週に3日欠かさず行っている。リーダーが率先して現場を引っ張るという姿勢はこれまでの経験から培われた。亀田さんが90年から、他の病院に先駆けて取り組んだのが、電子カルテ。当時はコンピューターの性能が悪く、システムが最初の運用の日に動かなくなるほどだった。しかし、亀田さんは、2年後にそのシステムを抜本的に改良、今では情報の共有化が図られ、診察から会計、薬の受け取りまで格段に時間が短くなった。また、亀田さんは優秀な医師をヘッドハントし、その医師が望む医療機器やスタッフの配置まで聞き入れることでモチベーションを上げてきた。亀田さんの組織に変革もたらしたリーダーシップの秘密に迫る。

第3回 「プロ意識を育てる人づくり」
亀田さんの病院では、病院スタッフを内部顧客と呼び、その人たちのモチベーションを上げるような改革を次々と行ってきた。その一つが2007年に出来た、CSSセンターと呼ばれる訓練室である。24時間、自由に注射の仕方や機器の扱いなどを訓練することが出来、スキルを上げることに役立っている。また、患者や家族とのコミュニケーションを重視し、全職員にビジネスコーチングという研修を義務づけた。相手のニーズを引き出すコミュニケーションの取り方などを学び、患者の満足度を高めようとしている。8割の失敗をしても、2割の成功をほめるという亀田さんが人材育成術を語る。

第4回 「世界水準で組織を変える」
亀田さんの病院では2009年、日本で初めてJCIという国際医療機能評価の認証を取得した。その目的は、一切手に触れずに処分できる感染対策のゴミ箱設置など、医療の質を高めるためである。また例えば手術の時に、状況を大きな声で告げるとか、医療事故を防ぐため亀田さんは「チームステップス」というアメリカで効果が上がっているチーム医療のやり方を取り入れた。更に海外からの患者を想定して、外国人の看護師の養成にも力を入れようとしている。世界水準を常に意識しながら組織を変革していく亀田さんの手法を学ぶ。
(original text from NHK site)

NHK教育 25min 2011-01-06〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声

> 2022-09-05 JBpress|お家騒動で揺れる名門「亀田総合病院」、医師・看護師不足も深刻化





●知楽遊学シリーズ 仕事学のすすめ 「不況をチャンスに変える」 ニトリホールディングス社長…似鳥昭雄

バブル崩壊やリーマンショック後の不況にも関わらず、87年から2010年2月期決算まで23期連続増収増益を出している会社がある。家具・インテリアの製造小売り大手のニトリである。社長の似鳥昭雄さん(67歳)は、23歳で家具店を創業し、周到な情報収集で新規店舗の収支はもちろんのこと、時にアメリカの景気悪化までを予測し、会社の成長を実現してきた。「不況の時代こそ、お客様のために値下げする」と公言する彼は、早くからアジアで現地生産を開始。さらに製品を輸送する船のチャーターも商社に任せず、徹底したコストカットを成し遂げてきた。不況の時代こそチャンスで、人にも設備にも投資するという似鳥さんの仕事哲学に迫る。(トランスレーター: 勝間和代)
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似鳥昭雄(にとりあきお)…1944年樺太生まれ。66年北海学園大学経済学部卒業。67年に似鳥家具店を札幌で創業。72年株式会社ニトリを設立。89年札幌証券取引所に株式を上場。2002年東証一部に株式上場。


第1回
「経営者は不況を予測することが大切」と語る似鳥昭雄。それは、不況への対処の仕方で企業間に差が出来るからだという。そのため似鳥は、データを収集し、アメリカの住宅価格高騰から不動産バブル崩壊を予測。さらに、その備えのために大胆なコスト削減を断行。それで貯めたお金が、不況下で値下げを行うための軍資金となり、顧客のニーズをつかんだ。消費者のため、とにかく安い商品を提供するという似鳥のマネジメント術に迫る。

第2回 「経営は今でもアメリカに学べ」
毎年およそ800人の社員やパートをアメリカに研修で派遣するという似鳥さん。現地では、各自が実際に商品を購入しながら、値段や数量などを調べる。今でもアメリカほど競争が激しい所は無く、そこでの学びが成長を促すという。この研修は似鳥さんが20代の後半に、倒産の危機にあった店を何とかしたいとアメリカを視察したときに衝撃を受けたことがきっかけである。「アメリカ並みに日本の暮らしを豊かにしたい」とその後、経営の勉強を続けた似鳥さんの勉強術を聞く。

第3回 「常に前例を否定せよ」
常に前例を否定して良いものを安く、お客様に提供するという似鳥さん。インドネシアに自社の生産拠点を設けたのも、それまで国内のメーカーとの直取引、国内の自社工場、海外からの部品輸入など常に安さを求めて、やり方を変えた末にたどり着いた方法だった。更に、似鳥さんは「お値段以上」の品質を目指し、完成品を検品するのではなく、製造工程の段階から不良品をなくすための指導を徹底するなど自動車メーカー並みの品質管理を行った。似鳥さんの前例にとらわれない柔軟な思考に学ぶ。

第4回 「“職場改善力”育成法」
ニトリでは、「ニトリ大学」と称した、社員教育に力を注いでいる。それは人材こそ会社で一番大事で、人が育てば金やモノもついてくるという似鳥さんの信念がある。その教育の特徴は現場での社員の改善力を磨くこと。社員は週ごとに週報を報告することが義務づけられ、売り上げがなぜ伸び悩んでいるのか、どの商品が売れ筋なのかなど観察、分析、判断が求められる。また、自主的な業務改善のサークルが競い合い、社内で表彰を受ける制度もある。ニトリの人材育成法を聞く。
(original text from NHK site)

NHK教育 25min 2011-03-30〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 解説副音声





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「俳優・藤田まこと」

「芝居も育っていかなくちゃ 生まれたまんまじゃ面白くない」: 明るく親しみやすいキャラクターで多くの人に愛された俳優・藤田まこと。出世作となったのは視聴率60%を超えたお化け番組・コメディ「てなもんや三度笠」。おっちょこちょいで女に滅法弱い渡世人・あんかけの時次郎を演じ、一躍お茶の間の人気者になった。しかし人気の落ちるのもあっと言う間。視聴率が急降下し番組は打ち切り。生活のため全国のキャバレー回りをすることになった。しかし「面白くねえヤメロ」と酔客からの厳しい罵声。自分には何の芸もないことを思い知らされることになる。転機となったのはテレビ時代劇「必殺」シリーズへの出演。その時出会った監督の一言が、コメディもシリアスなドラマもこなせる俳優・藤田まことを誕生させることになった。いくつもの挫折を乗り越え独自の世界を切り開いた半生が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2011-10-17(2011-07-02の再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「俳優・児玉清」

「美しく負けると きれいに負けていけばいいんじゃないかと」: 「信念ある日本人」役を数多く演じ、お茶の間に親しまれた児玉清。俳優、司会者、書評家など '知性と教養の人'として幅広い分野で活躍した。俳優の道に入ったのは学者を目指していた20代。母の急死による不本意なものであったが、「10年間は俳優として頑張る」と誓い、その後、黒澤明監督との衝突にはじまり、相手が誰であろうと志は曲げないというスタイルを毅然と貫いた。「役者とは−人生とは−」と自問を繰り返しながらも、大好きだった本のなかに人生のヒントをみつける。それは、最終的には自分の限界を認めるとしても辛さや哀しさに翻弄されず、最善を尽くして「負ける」という「負けの美学」であった。人間本来の持つ哀しさに負けない心を持つ生き方。これがきっかけで児玉さんの役者としての幅もより広がることになる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2011-10-24(2011-08-20の再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo



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