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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「古材で住宅革命!」 古材倉庫グループ代表・井上幸一

9年前、ただの産業廃棄物だった古材に価値を見出し、市場すらなかった古材ビジネスをゼロからスタートさせた男、井上幸一。全国107のフランチャイズ店の仲間と共に、実は木材として優良な古材を一般住宅にも手ごろな値段で提供し、次の世代にも繋がる住空間を創造する。今回、番組では、井上の古材ビジネス拡大の足跡を追い、解体される古民家から古材が取り出され、古材を活用した新築住宅ができあがるまでを紹介する。

◎「フローからストックへ」、古材で日本の住宅文化に新風を!
元々は愛媛県の大手材木店を営む二代目社長だった井上幸一。材木店として大量の木材を外国から輸入していたが、新築して30年も経たないうちに壊される「スクラップ&ビルド」が繰り返される日本の住宅文化にずっと疑問を抱いてきた。さらに、年々減少を続ける住宅着工数…木材業界の衰退は必至だった。井上は会社存続のために新しい道を模索する中、資材の買い付けに訪ねたオーストラリアとカナダで古材と出会う。日本ではゴミとして廃棄処分されてしまう古材が、外国ではなんと優良な資材として再利用されていた。「フローからストックへ!」、井上は古材に材木店として新たな可能性を見出す。しかし、当時の日本の材木業界で古材は「貧乏人が使うもの」として価値がないものだった。それまでいた50人の社員は皆辞め、残った社員はわずか2人だけだった。苦境に立たされた井上、社員3人で古材ビジネスに向け新たなスタートを切った。

◎古材は宝だ!解体される日本民家から優良な資材を取り出せ!
実は、木材はだいたい100年経ったところに強度が一番増す。今から60年以上前に建てられた戦後・日本の古い民家にはそんな優良な古材がたくさん眠っていた。しかし、古くなった民家は資産価値0として今も毎年5万軒近くがただの産業廃棄物として取り壊されている。井上が古材事業を始めた当初は、そうした古民家のある地域も分からず、古材を手に入れる流通システムどころか、市場すらない状態だった。そこで井上は『古材買います』のキャッチフレーズで伝統資材の買収を始める。すると、全国から問い合わせが殺到、「先祖代々、思い出のつまった家の資材を活かしてほしい」という想いある古い民家の持主が日本にもたくさんいたのだ。さらに時代が追い風となり、建設リサイクル法の施行とともに、環境やエコの観点から徐々に古材活用のニーズは広まっていく。井上は一人、古材の確保から供給に奔走する日々を重ねた。

◎手頃な値段で安心・安全な古材を一般住宅にも!
以前から飲食店の飾りにも使われていた古材だが、一本一本が骨董品と同じ扱いで価格もまちまち。加工するにも伝統技法を心得た熟練の大工が手間ひまかけて商品化しなければならないため高かった。そんな古材を一般庶民にも手が届くように、全国どこでも安定した値段で販売する。日本にまだない「古材市場の創造」のために井上は新たに動き出す。古い民家を手ばらしで丁寧に解体し、優良な古材だけを取り出し、資材として安全に再利用できるようにしっかりと品質管理する。今まで「手間も人件費も掛かる」と誰もが嫌がってやろうとしなかったが、井上は「一本でも二本でも古材を再利用してほしい」という一心で、800以上のサンプル品を用意し、品質管理のための200項目以上あるチェック表を作成、徹底して古材を安心・安全な商品として規格化していった。そして、井上の「建てては壊す日本の住宅文化を変えたい」という想いに賛同する全国の経営者たちに呼びかけて、2004年、古材事業をフランチャイズ化、「古材倉庫グループ」をスタートさせた。協力グループの輪は今や全国各地に広まり、現在では全107店舗。「理想は全県にグループの加盟店を配置することだ」と語る井上は彼らと連携し、今日も伝統資材の流通システムの確立と古材活用の普及に努めている。

≪ゲストプロフィール≫
1963年 愛媛県生まれ。
1985年 東京国際大学商学部卒。
1997年 株式会社アイモク(旧・親会社)の代表取締役に就任。
2002年 ヴィンテージアイモク設立、古材事業スタート。
2004年 古材事業をフランチャイズ化 古材倉庫事業スタート。
2009年 厚労省認可・古民家鑑定士制度スタート。
2011年 グリーン建築推進協議会設置。現在、グループの加盟店107店舗、古民家鑑定士数2137人達成。
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-09-01 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「“売る力”を磨け!」 〜製造業を強くするのは営業する力だ〜
本多プラス社長・本多克弘/専務・本多孝充

今からおよそ30年前、文具業界に革命が起きた。私たちがよく使う修正液のボトルが、ガラス製の重い瓶から、軽いナイロン製のものに変わったのだ。軽くて使いやすいが成形が難しく、不可能とまで言われていたナイロンの加工を可能にしたのは愛知県にあるプラスチック加工メーカーの本多プラスだ。本多プラスは大手自動車メーカー系列の下請けになる誘いを何度も断り、自社製品の開発に汗をかき続けてきた。「他人のやらないことをやる」、「売る力を磨く」でサバイバルしてきた、本多プラスの独自戦略に迫る。

◎他人のやらないことをやる
本多プラスの武器、それは「プロ―成形」という技術。金型にプラスチックを流し込み空気を入れて成形する。この手法でどんな形の商品でも作ってしまう。中でも化粧品のボトルや、目薬のケースなど、ブロー成形に向かないとされる小型の製品を得意分野としている。元々この技術は手作業で作っていた筆のサヤ製造を機械化しようと、父・克弘氏が取り入れた技術だ。周囲の反対を押し切って機械を購入し試行錯誤の結果、サヤ量産化に成功。さらに80年代に入ると、日本で初めてボトルを押すと修正液が出るナイロン製の修正液ボトルの開発に成功した。次々と新商品を開発する根底にある「他人のやらないことをやる」という企業理念とは?

◎製造業を強くする“売るデザイナー”たち
本多プラスが成長を続けるもう一つのポイントは、営業力だ。97年に入社した息子で専務の孝充氏は、会社の売上の大半を修正液ボトルが占めていることに危機感を覚え多角化に乗り出す。化粧品分野、医療部品などの製品を作るものの品質が良いだけではなかなか売れない。そこで取り入れたのがデザイナーによる営業だ。客の依頼をすぐさま形にし、さらに商品の売り方まで提案するという本多プラス独自の営業戦略とは?

≪ゲストプロフィール≫ 本多克弘
1938年、台湾で生まれる。法政大学卒業後、兄が創業した本多電子に入社。営業担当をしていたが、父が亡くなり、家業の本多工業所の経営を引き継ぐ。筆用の透明サヤ製造の自動化を契機に、プラスチックのブロー成形に進出。1982年に株式会社化し、現社名に変更した。

≪ゲストプロフィール≫ 本多孝充
1969年 愛知県生まれ。高校時代はバンドに夢中。大学卒業後に渡英、ビジネスに目覚めて現地でMBAを取得。
1997年 本多プラスに入社。化粧品容器や医療器具の分野を開拓。
2001年 専務に就任。

≪会社プロフィール≫
本社: 愛知県新城市
創業: 1946年
年商: 34億2000万円(平成22年度)
従業員数: 160名
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-09-22 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿
「クリーニング界の革命児が吼える 業界と決別して“未開拓市場”で勝負せよ!」 ハッピー社長・橋本英夫

あきらめていたシミや黄ばみをキレイに落としてくれるとの口コミで、全国から客を集める「クリーニングの駆け込み寺」が京都にあった。クリーニング代はワイシャツ1枚6000円!ジャケットは7000円!その平均客単価は、なんと2万円に上るという。それでも、20年の歳月をかけて開発した洗浄技術と、ITを駆使した品質管理&顧客サービスで、客の圧倒的な支持を集めている。それが「ハッピー」だ。クリーニング業界の革命児が吠える!「クレームは宝だ。成熟産業の“不満”にこそチャンスがある!」

◎店舗なし!それでも全国から客を集める“クリーニングの駆け込み寺”
京都・宇治市に「クリーニングの駆け込み寺」とよばれる会社、ハッピーはある。通常のクリーニング店のような直営の店舗は持っていない。客は衣類を直接ハッピーに送り、ハッピーが洗濯して客に送り返す仕組みだ。工場には、通常のクリーニング店では断られるような汚れのひどい服や特殊な生地を使った高級ブランド服が集まってくる。驚きはその価格。ワイシャツ1枚6000円!ジャケット1枚7000円!それでも客が支持する理由は、どんなシミや黄ばみも落とすハッピー独自の洗浄技術にある。一般的なクリーニング店ではスーツやセーターなど型崩れしやすく繊細な素材を使っている衣類はドライクリーニングで洗うのが基本だが、ハッピーではそのほとんどを水で洗ってしまうのだ。お気に入りの服を、長く着てもらいたい――それが橋本の信条だ。「早くて安い」クリーニング業界とは真逆を行くハッピーのビジネスモデルを、橋本自身は「ケア・メンテ」と呼び、クリーニングとの差別化を図る。橋本は言う。「これはクリーニングの革新、という甘っちょろいものではなく、革命や。」

◎「高くて遅い」の未開拓市場で勝負!
国民生活センターに寄せられる「安全・品質」に関する相談の中で、最も多いのがクリーニングに関するトラブルだ。景気が低迷する中で、低価格競争にしのぎを削っているクリーニング業界。実は橋本自身も以前は「安さとはやさ」を売りに店舗を拡大していた。だが客の大切な衣料を台無しにするという大きなミスをきっかけに、そのビジネスモデルと決別することを決意する。橋本のクリーニング革命がここから始まった。洗濯物が届くと、スタッフはまるで医者が患者を診断するように、入念に衣類の状態をチェック。汚れ部分をデジカメで撮影し、服の状態を「電子カルテ」に書き込んでいく…。客の高い満足を得る、ハッピーの独自サービス手法に迫る。

◎京都の「着倒れ文化」を広めたい
大阪の「食い倒れ」、京都の「着倒れ」と言われるように、京都には着物を大事に長く着るという文化が息づいてきた。橋本はこの「着倒れ文化」をハッピーの技術で現代に蘇らせたいと考えている。そのために橋本は、惜しげもなくクリーニングのノウハウを市民に公開してみせる。「衣服を長く大切に着てもらいたい」。そんなハッピーのサービスに、大手の百貨店も大注目。時代の追い風がハッピーに吹き始めていた。

≪ゲストプロフィール≫
1949年兵庫県生まれ。父親の借金返済のため小学生から新聞配達を始める。高校卒業後、流体機器制御メーカーに就職。1974年に独立後、ドライクリーニングに使う石油系溶剤の再生装置の開発を契機に、1979年京都府宇治市でクリーニング業を始めた。ピーク時には50店近くまで店舗を増やしていったが、バブル崩壊後、市場縮小による値下げ競争で経営は徐々に悪化。一方で客の要望に満足に応えられない旧態依然としたクリーニング業に嫌気がさしてついに自ら廃業を決断。2002年、独自の洗浄技術を武器に、衣料のケア・メンテナンスを手がけるハッピーを設立。

≪会社プロフィール≫
本社: 京都府宇治市
設立: 2002年
年商: 2億円
従業員数: 25人
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-09-29 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿
「創業176年の教え “一粒万倍”経営」 〜良いタネを売れば会社は発展するが 一粒でも悪い物を売れば 会社は潰れる〜
タキイ種苗社長・瀧井傳一

1974年 日本中の大根に革命を起こした“青首大根”の開発!それから10年後、今度はトマトの代名詞になった“桃太郎”を開発!日本人なら誰もが口に入れたことのあるヒット商品の連発企業がタキイ種苗。毎年2000品種の中から新種を育成し、10年かけて商品化されるのはわずか1種類という究極の製造業、常に10年先の市場を見通す開発力でリストラも借金も一切なし!176年も続く奇跡のもの作り企業・タキイ種苗の5代目 瀧井 傳一が、跡継ぎ問題、自給率の低下と悲鳴を上げるニッポン農業をタネから救ってみせる!

◎大ヒット連発!日本の食卓を支える驚異のタキイパワー!
節電対策として今年の夏に流行った緑のカーテンなど、手軽に出来る家庭菜園のブームが起きている。マンションのベランダで主婦が簡単に始めるベランダ菜園もあれば、町中の市民農園も急増している。そんな家庭菜園で素人が簡単に育てることができるものから、プロ農家が頼りにする商品まで、実に幅広く展開するのがタキイ商品、実はタキイ 世界で4番目の種苗メーカー(野菜種子)なのだ。定評あるのがその商品開発力、今や世界で主流のF1交配種の生産に成功したのもタキイが最初、あの青首大根も桃太郎トマトも、人参、なす、カボチャ…どれも日本でトップシェアという驚異の会社なのだ。10年後のトレンドを見越して膨大な資金を投入して新種を開発し続けるタキイ、例えばトマトの桃太郎は85年の発表以来、毎年「寒さに強い」「病気に強い」といった新種の桃太郎を発表し続け今やその種類は24種類にも上る。消費者に「おいしい」と支持されるのはもちろん、かつ農家が作りやすい究極のタネをタキイは作り続けるのだ。芽が出る発芽率では国の基準を10%以上も超えた90%の種を内部基準にするほど信頼性にこだわる。「タネ屋は信頼を売る商売。一粒たりとも悪い種は売りたくない」それがタキイを知られざる世界企業にしているのだ。

◎5代目の経営改革… 日本の農業を近代化せよ!
“タネ屋はタネに徹すべし” タキイに代々伝わる教え…しかし5代目・傳一はその教えを破り、タネを売るだけのタネ屋から脱却を遂げた改革者だ。海外事業に力を注いだ80年代、現地で愕然とさせられたのが近代化された農業の姿だった。「このままでは日本の農業が手遅れになる」この危機感を胸に、傳一は近代化に取り組む。タネは大きくコーティング加工することで、農家は播きやすくなって作業効率がUP、さらに後継者不足で人手が足りない農家向けに、タネから苗をつくって販売する育成事業にも踏み出した。社内の猛反発を説得してまで始めた事業改革、そこには世界規模で戦えるニッポン農業への思いがあった。

◎ニッポンの農業を守るのは俺たちだ!タキイ流“人作り”“もの作り”
実はタキイは世にも珍しい専門学校を持っている。滋賀の研究農場に併設されている全寮制「タキイ園芸専門学校」だ。農業を志す若者が最大2年間学べ、しかも学費・食費・寮費全部タダ、全ては 明日のニッポン農業の担い手を育成する為のタキイの社会貢献だ。タキイ社員とともに、土作りから野菜などの育成・収穫までみっちり学ぶことができるのだ。60年以上も続くこの学校、その卒業生は全国各地で大活躍“稼げる農業”を実践し革新を起こし続けている。そして人材だけに留まらないのがタキイのモノ作り。10年先、世界で勝ち残る野菜作りが着々と進んでいる。そのひとつが“機能性野菜”と言われる新ジャンル。見た目は変わらなくても栄養価が高いといった、他社との差別化を図る商品が今、世に出回り始めている。付加価値の高い野菜を作り、農家もタキイも日本の農業も救われる明日のタネを撒こうとしているのだ。

≪ゲストプロフィール≫
1948年 京都生まれ
1971年 玉川大学農学部卒業後、実家のタキイ種苗入社
1980年 取締役、海外事業の展開に力を入れる
1991年 5代目社長就任

≪会社プロフィール≫
本社所在地: 京都市
創業: 1835年(天保6年)、設立は1920年
売上高: 436億円(2011年4月期)
従業員数: 742人
事業内容: 野菜・草花などの種子の開発・生産・販売
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2011-10-27 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●視点・論点 「ねじ」 工作家…中島麻美

NHK総合 10min 2011-09-08 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Mono



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