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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「新分野に挑戦し続けろ」 〜これが21世紀の多角化経営だ!〜 ブラザー工業社長・小池利和

失われた10年を経て、ニッポンの製造業では「選択と集中」が叫ばれてきた。つまり、不採算部門を切り捨て、得意分野に経営資源を集中するというものだ。しかし、愛知県に本社を置くブラザー工業では、新規事業を開拓し変化を続けることで100年以上をサバイバルしてきた。今では創業のミシン製造から派生した技術を生かし、プリンターや複合機、通信カラオケ事業など多彩な分野に進出する知られざる最先端企業となっている。今では44の国と地域に進出するグローバル企業となったブラザー工業を率いるのは、23年間にわたりアメリカ法人で勤務した小池だ。挑戦と失敗を繰り返しながら新事業を興し、海外市場を切り開いてきたブラザーが目指す、21世紀型の多角化経営に迫る。

◎多角化経営でサバイブしろ!
ブラザー工業は1908年に安井ミシン商会として発足、最初は輸入ミシンの修理を行っていた。1926年に安井ミシン兄弟商会と改称し、これが現在の社名「ブラザー」の由来となった。1932年には自社でミシンの製造を開始すると、手作りブームの中、ミシンのトップメーカーに上りつめた。しかし、家庭用ミシンの売上は今や全体の6%に過ぎない。ブラザーは常に「いつかミシンはなくなっていく」という危機感を持ちながら自社の技術を磨き、ミシン製造のノウハウを生かした多角経営を推し進めてきたのだ。ミシンのモーターを利用し洗濯機などの家電製品を作り、プレス加工技術を応用しタイプライターなど情報機器の分野にも進出。ファックスや複合機、さらには通信技術を使い、世界初の通信カラオケまで開発している。今では家庭用ミシン、情報機器、工作機械、通信事業の4つを柱とする多角化経営にたどりついた。しかし、ただ売り上げ拡大を狙っての多角化ではない。一つの事業に経営資源を集中せずいくつもの柱を持つことで、どんな経済環境の変化にも耐えられる企業を目指しているのだ。

◎グローバル化で生き残れ!
ブラザー工業は44の国と地域に進出するグローバル企業だ。元々、ブラザーは「輸入産業を輸出産業にする」という創業の理念のもと、1954年にはミシンの輸出を開始。その後、1984年にはロサンゼルスオリンピックにタイプライターを公式提供するなど世界ブランドとなっていた。しかし、当時すでにタイプライターに代わりパソコンが普及し始めていた。プリンターの需要が高まるなか、ブラザーはプリンター開発では後れを取っていた。その矢先にライバル会社から発売されたのが、レーザープリンターだ。従来のプリンターに比べ飛躍的にスピードが速く、見た目が美しい。その頃アメリカで商品企画を担当していた小池は危機感を感じ、日本本社にレーザープリンターの開発を進言。さらに、90年代に入りアメリカでベンチャー企業が増えると、プリンター、ファックス、コピー機の機能が一体化した小型の複合機の需要を探し当て、いち早く市場に参入。アメリカでのブランド力が高まったブラザーは、この分野でヨーロッパ、アジアへも進出する。現在では売上、生産ともに8割が海外になり、円高リスクを回避できるようになった。

◎大失敗から生まれた世界初の通信カラオケ
昔はカセットやレーザーディスクが使われていたカラオケ。実は現在の通信カラオケシステムを世界で初めて開発したのが、ブラザーだった。この通信カラオケの開発、実はある大失敗が元になっていた。1985年に電電公社がNTTとなり、電話回線への参入が可能となると、ブラザーはパソコン用のゲームソフト自動販売機「TAKERU」を開発。客は好きなソフトを選び、電話回線を通じてフロッピーにダウンロードできるという画期的なものだった。しかし、電話回線でのダウンロードに時間がかかり、電話代を負担していたブラザーは大赤字となってしまった。ところが、コンテンツをデジタル化し配信するビジネスモデルに可能性を感じた担当の安友は研究を続行。1992年、ついに世界初の通信カラオケを開発する。ブラザーの開発した通信カラオケのジョイサウンドは業界トップシェア。今では携帯電話やスマートフォン向けのコンテンツなどと合わせておよそ500億円を売り上げる事業にまで成長した。たとえ失敗しても技術と経験が残る、だからブラザーは新事業を追求し続けているのだ。

≪ゲストプロフィール≫
1955年 愛知県生まれ
1979年 早稲田大学政治経済学部卒業、ブラザー工業入社
1982年 アメリカ現地法人に出向
2004年 帰国後に取締役就任
2007年 社長に就任

≪会社プロフィール≫
本社: 愛知県名古屋市
設立: 1934年1月
連結売上高: 5028億円(2011年3月期)
連結経常利益: 386億円(2011年3月期)
連結従業員数: 29873人(2011年3月31日現在)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-01-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿
「新しい保険を生み出せ!」 〜ペット保険から保険を変える業界の風雲児の挑戦〜 アニコムホールディングス社長・小森伸昭

これまでの保険は本当に人の役に立っているのか? こんな疑問から京大卒、大手保険会社のエリートサラリーマンだった小森伸昭氏は脱サラして、自ら保険会社を立ち上げた。手がけたのはなんと「ペット保険」。関わる人すべてに便利なシステムをつくり急成長。小森のつくった会社は短期間で業界トップに君臨し、創業10年で東証マザーズにも上場した。いまやペット保険の枠を超え、保険業界での注目の会社だ。「保険」のあり方を変えたいと意気込む小森が唱える理想の保険とは一体何か? ペット保険に導入した画期的なシステムとは何か? ペット保険を手がけた真の狙いとは? ベンチャー起業家・小森の経営術に迫る。

◎人間と同じ健康保険をペットに 契約者にも、病院にも、ペットショップにも便利なシステム
アニコムの保険を契約しているのは犬、猫、鳥、うさぎ、フェレットのオーナーたち。人の健康保険と同じように、病院の窓口で保険証を提示すれば、診療費の自己負担が1割〜5割の支払いで済むという便利さでアニコムの契約者は増えている。従来は、契約者が一旦病院で治療費を全額支払い、後で保険会社に請求して払い戻してもらっていた。小森はこれを病院が一括して請求する仕組みに変えたのだ。しかも、病院の電子カルテと連動する保険請求システムを開発し、病院の負担もなくしたため契約病院も一気に増えた。現在全国の半数の病院でアニコムの保険が使える。さらに、代理店として保険を扱ってもらうペットショップにも喜ばれるサービスを始めた。動物は環境が変わると病気になりやすいため、最初の1か月間「100%の補償」をつけたのだ。これによりお客からのクレームも減り店は安心してペットを売れるようになったという。飼い主、病院、ペットショップ、すべてに便利なシステムをつくったことがアニコム成功の要因だった。

◎保険の使命は「予防」だ!集まったデータを生かす」
小森が現在力を入れているのが、年に一度発表する「家庭どうぶつ白書」。年間200万件もの膨大な保険金支払いデータを社内にいる16人の獣医師が分析、ペットがかかりやすい病気やケガなどを、品種・年齢別に載せている。この白書を、動物病院には「予防」のための検診に、企業には新たな治療薬などの開発に利用してもらうという取り組みをしている。小森が大手保険会社を辞めて独立したのも、「予防」を核にした保険会社を作りたいと考えたからだ。「保険会社はただ保険金を支払うだけでいいのか、せっかく持っている事故などの情報を生かすほうが、付加価値を生めるのではないか」。その思いを形にすることが今の小森の使命なのだ。

◎「保険」の枠を超える活動に踏み出す
小森の思いを受けて、アニコム社内では新たなプロジェクトが立ち上がった。スプーンや竹串などエサ以外のものを食べてしまう「異物誤飲」を防ごうというもの。病気ではなく、飼い主の注意次第で防げる「事故」だからだ。社内の獣医師が、実際に誤飲を繰り返してしまう犬の家庭を訪問。再発防止のための調査・指導に乗り出した。

◎アニコムのユニークな社員育成法「ロールプレイ」
小森が創業以来、毎朝欠かさず行っている社員教育法が「ロールプレイ」だ。ある設定の中で与えられた役柄になりきって演じるという演劇的手法。小森が突然テーマを振り、指名された社員は全員即興で演じなければならない。そこで小森が狙っているのは、社員全員の発言力や自ら考える力を養うこと。このロールプレイは日常至る所で行われ、重要な事柄の決定に至るプロセスでも効力を発揮している。アニコム流の社員育成法に迫る!

≪ゲストプロフィール≫
1969年 兵庫県神戸市生まれ
1992年 京都大学経済学部卒業 「東京海上火災保険」(現・東京海上日動火災保険)入社
1996年 経済企画庁に出向し、調査部門で経済白書のまとめや健康保険制度に携わる
2000年 anicom(動物健康促進クラブ)を設立、「ペット共済」としてスタート
2008年 アニコム損害保険会社としてペット保険販売開始
2010年 東証マザーズ上場

≪会社プロフィール≫
会社名: アニコムホールディングス株式会社
本社: 東京都新宿下落合1-5-22
創業: 2000年7月
売上高: 108億円(2011年3月期)
経常利益: 3億4000万円(2011年3月期)
社員数(グループ全体): 269人(2011年11月末)
契約件数: 37万(2011年11月末)
契約病院数: 5007(2011年11月末)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-01-26 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「北の大地で40年・・・ 大手コンビニでも勝てない地域の御用達!」 セイコーマート会長・赤尾昭彦

売上げ好調、一時期の不況から脱したかに見える大手コンビニの業績。しかしその大手でも決してその牙城を崩せない驚異のコンビニが北の大地・北海道にあった。北海道で1030店舗、トップシェアのセイコーマートだ(埼玉・茨城にも104店舗)。北海道ではコンビニといえばセイコーマート、というほど身近な存在なのだ。道民から圧倒的支持を得る 激ウマ弁当に、圧倒的安さと品揃えの100円惣菜!そして国内大手のどこも真似出来ない、農場から工場まで全てを自前で揃える常識破りの驚愕コンビニが地域を救う!ジリ貧日本の生き残る道――そのヒントが地方にあった。

◎大手もお手上げの北海道市場で一人勝ち!驚異のローカルコンビニ セイコマ
コンビニ1店舗あたりの人口が2000人、日本一のコンビニ激戦区と言われる北海道。王者セブンも撤退店舗続出のここで、シェアを伸ばし続けるセイコーマート。人口1800人の過疎の町でも1日600人もの客を集め、売上げを伸ばし続ける(道内179市町村のうち169に出店(セブンは106)売上高1819億円)。財政破綻の夕張市や礼文島・奥尻島にも出店する成長ぶり、昨年は並みいる大手コンビニを押さえ、顧客満足でも日本一のコンビニに。その人気の訳は…誰もが虜になる驚異の商品がそこにあった。

◎一人勝ちの秘密…元祖・コンビニが挑んだ反・東京流、独自経営の道
創業者の赤尾、実は日本で初めて“コンビニ”を作り出した男。札幌に1号店をオープンさせたのは40年前の1971年、あのセブンイレブンより3年も早かったのだ。当時、札幌の老舗酒卸で営業マンとして酒屋を回っていたが、「規模に勝る道外の大手卸にかなうはずがない」と危機感を持ち、たまたま目にした海外の“コンビニ”記事をもとに、独学で事業を始めたのだ。そして当時の大手流通、特に東京の巨大資本に対し「真似をして同じ戦いをやっても勝ち目は無い、なんとか自主独立経営の道を」と、業界でも異例の経営哲学でこの40年を戦って来た。

◎セイコマと共に生きる!地域の、地方の生命線に…
実は今、道内あちこちから出店要請を受けているセイコーマート、高齢化・過疎化が進む地域から重要な生活インフラとしてひっぱりダコなのだ。そしてセイコーマートグループが大きくなればなるほど、地元が潤うという驚きの仕組みがそこにあった!東京・大阪など大都市に全てが集中する今、実はジリ貧の地方が経営資源に化けるセイコーマート流“流通革命”とは!?

≪ゲストプロフィール≫
1940年 北海道・留萌生まれ。
高校卒業後の59年、札幌北の誉酒造に入社、翌年 関連の酒卸・丸ヨ西尾へ。
働きながら70年に札幌短大を卒業、71年にコンビニを立ち上げ、74年セイコーマートを設立。
社長を経て 06年より会長。
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-02-02 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「本当に患者が喜ぶ歯科医院とは」 〜国内最大級の歯科医療グループを追う!〜
医療法人 徳真会グループ理事長・松村博史

歯科医院の数は全国に6万8000軒。コンビニより2万軒以上も多い。歯科医の数も年々増え続け、今では10万人を超え、歯科医の過剰さえ叫ばれる。そんな中、年間80万人の患者が訪れる国内最大規模の歯科医グループがある。「医療法人」徳真会グループだ。患者が通いたくなる歯科づくりを実現し、患者は年々増加。本当に『良い歯科医』とはどんな医者なのか。最新の歯科医療現場を取材。「知っているようで、知らない」歯科業界の全てを紹介する。

◎患者が求める理想のクリニックを実現 影のリーダーに密着
新潟を拠点に国内25カ所、全て直営のクリニックをもつ徳真会グループ。年中無休はもちろん。待合室にはマッサージ機やパソコンにDVD。清潔で明るい診察室。治療によっては個室の診察室まで。まさに『サービス業』のような快適さが受けている。その徳真会グループを語る上で欠かすことができないのが「マネジメントリーダー」だ。受付の対応から医師の患者に対する診察の姿勢まで、クリニックの全ての指導にあたる影のリーダーだ。患者の小さな声にまで目を行き届かせ、顧客満足を高めるマネジメントリーダーに密着。患者の立場にたった理想の歯科医院づくりに迫る。

◎歯科医療最前線
以前治療した歯の横が虫歯になっていた。仕事が忙しくて何度も通院できない…そんな患者にも対応できるのが「セレック」だ。光学スキャンで歯形をとり、そのデータをもとに機械が詰め物を作成。調整して、歯に詰め、わずか3時間で治療が終わる。その上、手作業の半分の費用で済むという“早くて安い”治療だ。歯を削る音や振動が苦手な人には、音も振動もない「レーザー治療」。さらに「脳神経外科で使う手術用の顕微鏡」を使った勘に頼らない正確な治療も行われている。

◎歯科医院の厳しい現状
1年間に1800軒が開業する一方、1500軒が廃業、休院する厳しい現状がある歯科医院。多額の開業資金をかけても患者が来ず、ワーキングプア状態の歯科医さえいる。歯科医療機器を回収している業者の倉庫には、廃業した歯科医院の医療器具があふれかえっているという現実。早い医院は開業後半年ももたないという。

≪ゲストプロフィール≫
1952年5月5日 熊本県八代市生まれ(59歳)、新潟大学歯学部卒。30年前、旧新津市(新潟市)に個人歯科医院を開業。診療後も夜遅くまで事務や経理に追われながら、土日は研修に参加。気力、体力の限界、小さい組織の限界を感じ、グループ化を決意。さらにクリニックの経営をマネジメントする「ゼネラルスタッフ」を設立。診療スタッフが治療に専念できる環境づくりを実現。さらには歯科医療の技術向上を目的に、高い技術を習得した歯科技工士集団「ワールドラボ」を設立する。目指すは“世界で最も優れた歯科医療グループ”。
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-02-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「ファッションデザイナー・小篠綾子」

「引退なんていう言葉はないんです 最後まで現役 終生現役」: 日本のファッションデザイナーの草分け小篠綾子。トップデザイナー・コシノ三姉妹の母親である。小篠綾子は、だんじり祭で知られる大阪・岸和田の呉服屋の長女に生まれた。一生糸に係わる仕事で食べていけるようにと綾子と名づけられ、父親から家業の呉服の仕事を厳しく仕込まれる。しかしこれからは洋服の時代と反発。21歳の時にミシン一台だけでコシノ洋装店を開業する。戦争で夫に先立たれると女手一つでヒロコ、ジュンコ、ミチコの三姉妹を育てあげた。昭和から平成へ、激動の時代を乗り越えてきたパワーあふれる生き方、独特な子育て論が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2011-12-19(2011-11-26の再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo



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