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●NNNドキュメント'12 「いっぱい走りたい」 〜2000万人に1人のボク〜

国内の患者はわずか5人。「高IgD症候群」は、生まれながらに高熱や関節痛、発疹、吐き気などを繰り返す。福井県坂井市の小学校6年生、菴連也(いほりれんや)君は3年前にこの病気と診断された。痛みを抑えるために飲み続けてきたステロイドの副作用で身長は80センチしかなく、歩行も困難な状態だ。連也くんの趣味は絵を描くこと。入院中もペンは離さない。描かれる動物やロボットの表情は周りの雰囲気を明るくしてくれる。治療方法は研究段階で国の支援も無いが、将来への不安を抱えながらも家族は支え合い、懸命に難病と闘っている。今年に入り医師の指導で新しい薬の投与を始めたところ、体調に変化が。そして、動かなかった足が…。
(text from NTV site)

よみうりテレビ 30min 2012-09-23 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NNNドキュメント'12 「命尽きる前に」 〜横田夫妻 素顔の哀切〜

横田めぐみさんの拉致から11月で35年。7年前から、父・滋さん(79)と母・早紀江さん(76) を撮り続けてきた人がいる。そこに記録されたのは、有名な被害者家族としての活動では見せない素顔と、ただただ娘の帰還を願う切ない喜怒哀楽。10年前に北朝鮮が拉致を認めて以来、日本の首相はすでに7人目。交渉は進まず、期待と高揚は失望と沈滞へと移ろう。疲れ果てる二人…滋さんは11月で80歳だ。もう時間が無いという焦燥のなかで、早紀江さんは政府に「国民の命を大事にしない」滋さんは「制裁一辺倒で交渉の努力がない」などと批判を強めている。隣人たちとの交流など貴重な映像も交え、苦しみを強いられたまま暮らす老夫婦の姿を伝える。
(text from NTV site)

よみうりテレビ 30min 2012-11-11 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> 横田めぐみさんの父、滋さん死去 初代家族会代表 2020年6月5日18:49配信 産経新聞
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昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、拉致被害者家族会の前代表、横田滋(よこた・しげる)さんが5日午後、老衰のため川崎市内の病院で死去した。87歳。平成9年2月、めぐみさんが北朝鮮に拉致された疑いが産経新聞などで報じられ、国会でも取り上げられると翌3月、日本各地の被害者家族とともに家族会を結成し代表に就任。妻の早紀江さん(84)と全国1300カ所以上で講演し被害者奪還を訴える署名活動などにも尽力、救出運動の象徴的存在になった。19年9月に胆嚢(たんのう)の摘出手術を受け、体調不良や高齢による体力面の不安から同11月に家族会代表を退任。その後も、早紀江さんらとともに救出活動に積極的に取り組んでいたが、自身のけがや、体調不良から講演などは減少していた。30年4月にはパーキンソン症候群のため入院し、リハビリに取り組んでいた。徳島県で生まれ、北海道で育った。昭和39年10月、早紀江さんとの間に長女のめぐみさんが誕生した。日本銀行新潟支店に赴任していた52年11月15日、中学1年だっためぐみさんが帰宅途中に失踪。約20年後の平成9年1月、亡命した北朝鮮工作員の証言などから、北朝鮮による拉致が確実視されるようになった。北朝鮮は14年9月の日朝首脳会談でめぐみさんの安否について「死亡」と説明したが提供資料などには嘘や矛盾が数多く発覚。16年に「遺骨」として提供してきた骨も、DNA型鑑定で別人のものと判明し、日本政府は北朝鮮に被害者の帰国を求め続けている。





●NNNドキュメント'12 「日本の空は今も占領下?」 〜オスプレイと低空飛行訓練〜

オスプレイが沖縄住民の反対の中で強行配備されたが、野田首相は「米軍の決定に口出し出来ない」と容認している。米軍は、オスプレイの低空飛行訓練を全国の山間部で行うという。過去、超低空で突然出現する米軍機は、ニアミスや墜落事故を起こしているが、民家の土蔵の崩壊や家畜の大量死など、人々の平和な暮らしも脅かしている。こうした無法が許されるのは、日米地位協定に伴う特例法で米軍機が日本の航空法の適用を除外されているからだ。さらに、米軍横田基地が首都圏の広大な空の管制権を握り、那覇空港では米軍機が安全な上空を独占しているため、民間機は海面近くの低空飛行を強いられている。戦後67年経った今も、米軍の数々の治外法権的な特権がまかり通る日本の空を考える。
(text from NTV site)

よみうりテレビ 30min 2012-11-25 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NNNドキュメント'13 「3・11大震災シリーズ|命の砦…災害医療」 〜石巻市立病院の教訓〜

津波に襲われ患者、医師、看護師ら450人が孤立した宮城県・石巻市立病院。ライフラインは途絶え、150人の入院患者の中には重症者もいる。命をつなぎ止めようと奮闘した医師たち、家族の安否もわからぬままに患者に尽くした看護師の献身。災害派遣医療チームDMATが到着したのは震災3日目の3月13日。聞いていた任務は術後患者1名の転院搬送。しかし、目の当たりにした状況に、到着したDMATの医師は決意する。病院を丸ごと脱出させなければ…前例のない作戦には様々な壁が立ちはだかった。組織を超えて、病院脱出は成し遂げられる。その当事者たちが語る真実。震災から2年、この搬送作戦の教訓は、次なる大災害に備え、命の砦となる医療体制に活かされている。
(text from NTV site)

よみうりテレビ 55min 2013-03-10 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NNNドキュメント'13 「あたいはやっちょらん」 〜鹿児島大崎事件「再審格差」〜

1979年、鹿児島県大崎町で男性(当時42)が牛小屋の堆肥の中から遺体で見つかった。原口アヤ子さん(85)は一貫して無実を訴えたが、共犯とされた親族の自白が決め手で有罪とされた。「やっていない罪を認める訳にはいかない」と仮出所の話も断り、判決通り10年間服役。「無実を勝ち取るまで死んでも死にきれない」出所後、原口さんは裁判のやり直し「再審」を求めている。裁判所の勧告で捜査機関の未開示証拠の存在が明らかになり再審無罪が相次ぐ中、鹿児島地裁は証拠開示を認めず、原口さんの無実の訴えに再審の重い扉を開くことはなかった。証拠開示に対するルールがなく、裁判所の「さじ加減」に委ねられている現在の再審制度。34年に渡る1人の女性の戦いの中から「再審の格差」が見えてくる。
(text from NTV site)

よみうりテレビ 30min 2013-04-07 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●ハートネットTV 「捨てられしものを描き続けて」 〜“清掃員画家”ガタロの30年〜

20階建て、およそ4500世帯が暮らす広島市の中心部、基町地区の公営住宅。その一角にある商店街に、モップや雑巾など掃除道具と、ちびたクレヨンや絵筆などの画材がびっしり並ぶ一室があります。そこは商店街を30年間一人で掃除してきた清掃員の作業場、そして彼のアトリエです。画家・ガタロさん(63歳)。毎朝、午前4時からゴミを集め、トイレを磨き、アーケードを掃きます。一段落すると、拾ってきたクレヨンや鉛筆を使って絵を描き始めるのです。描くのは、モップや雑巾などの掃除道具。それは、人が一度捨てたものたちです。どんなに汚れても文句一つ言わず、周囲を磨く道具の姿に、ガタロさんは美しさを感じ、自分もそんなふうに生きたいと考えています。これまで描いてきた清掃道具の絵はおよそ300枚。また、商店街で野宿していたホームレスと知り合いその人生を知って、彼の肖像も絵にし続けてきました。清掃作業の傍ら、人々から省みられないものたちのことばに耳を傾け、その姿をひたすら絵に描いてきた清掃員、そして画家、ガタロさんの人生と絵の世界を見つめます。
(original text from NHK site)

NHK教育 30min 2013-03-05 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> BDR-0334 ETV特集 「ガタロさんが描く町」 〜清掃員画家のヒロシマ〜 もあり
> BDR-0591 ろーかる直送便|プライムS 「“母子”に捧げた人生」 〜画家 四國五郎〜 にも登場





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「陶芸家・十三代 中里太郎右衛門」

「俺のまねはするな それが家訓です」: 陶芸家・十三代中里太郎右衛門。佐賀県に伝わる唐津焼の第一人者であり、日本を代表する名工である。400年前に伝えられたという「叩きの技法」を使いながら常に革新的な作品を発表し続けた。中里家は江戸中期、唐津藩の御用焼物師となり茶道具などを献上してきた家柄。しかし明治維新以降、藩の後ろ盾を失い、昭和の初めには家業はどん底に陥った。途絶えていた叩き技法などを復活させたのは父の十二代中里太郎右衛門である。十三代太郎右衛門は幼いころから父に連れられ古い窯場を見て歩いたという。唐津焼の原点を探すためである。」調査は国内にとどまらず海外にも及んだ。原点探しはスタート台に立つため。「スタート台に立たなければ新しいものは生まれない」というのが太郎右衛門の信念。伝統を継承しつつ常に新しい焼き物の世界を求め続けた陶芸家の半生が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2012-07-14 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「女優・淡島千景」

「私はどこの女優である 何々の女優であると思わない とっても自由なんです気持ちが」: 戦後日本を代表する人気女優・淡島千景。宝塚の娘役からスタートし銀幕のヒロインに。そしてテレビドラマや舞台で様々な女性を演じ、常にトップスターであり続けた。淡島は大正13年東京日本橋で毛織物を商う裕福な家庭に生まれ、3歳の時にお稽古ごととして日本舞踊を習ったのがこの道へ入るきっかけだった。宝塚で娘役として人気絶頂期を迎えた昭和25年、26歳の時に松竹と専属契約を結び、映画界に飛び込む。デビュー作「てんやわんや」でいきなりブルーリボン主演女優賞を獲得。小津安二郎はじめ松竹監督陣の厳しい要求に応えることで演技の幅を広げていった。昭和30年、5社協定の縛りがあり他社出演が難しい時代に東宝作品「夫婦善哉」に志願して出演。二度目の主演女優賞を受賞し、押しも押されもせぬ大女優となった。何ものにもとらわれない自由な生き方を貫き、大輪の花を咲かせた女優人生が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2012-09-15 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo



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