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●知楽遊学シリーズ 仕事学のすすめ 「村上太一 26歳最年少上場社長のヒミツ」

大学1年で起業し、5年で東証マザーズに上場、そして2012年10月、史上最年少の25歳11ヶ月で東証一部上場を果たした村上太一・リブセンス社長。驚異的な成長を可能にしたのは、アルバイト情報サイトの「求人広告を掲載するだけなら無料/採用できた時点で成功報酬/採用された人には最大2万円のお祝い金」というWIN-WINのビジネスモデルだ。「そんなんで儲かるの?」「いかにも学生が考えそうな浅はかなアイディアだよね」などと言われながらのスタート。学生4人での手探りの起業。めざましい快進撃はいかにして可能になったのか。現在26歳の社長の、驚異の発想力、突破力に迫る。

プロフィール| 1986年東京生まれ。サラリーマン家庭に育つ。小学生から「将来は社長になりたい」と考え始め、高校在学中に起業に向けた準備を開始。05年、早大1年のとき学内の「ベンチャープランコンテスト」で優勝、06年リブセンス設立。11年東証マザーズ上場。12年10月、東証一部上場。巨万の上場益を手にした今も、会社近くのワンルームマンションに住み、上場が決まった夜も「からあげ定食」でひとりお祝いした・・・という「普通」の26歳である。

第1回
将来社長になろうと決めたのは小学生のとき。高校時代のバイト探しの経験から求人サイト起業を決意。だがITバブルも一段落した今、わずか6年で一部上場まで果たせた秘密はどこにあるのか? 「求人情報を掲載するだけなら無料、バイトが採用できたら成功報酬」「採用された側にも最大2万円のお祝い金」という画期的なビジネスモデルにたどり着くまでの奮闘物語と、ひところの「ヒルズ族」とは全く違う質素な暮らしぶりに迫る。

第2回
一部上場を果たした今も8畳のワンルームマンションに住み、仕事命の毎日を過ごす26歳の社長。会議のお茶くみをするなど気配りの一方、事業責任者は1人に決め、なるべく手を出さずに意志決定のスピードアップを図るなど、その社長術はかなりのレベルだ。ワイシャツはすべて白、靴下は同じメーカーの黒で統一、ドライヤーは2台同時使いなど、思わず吹き出す?時間管理術から、聞いて納得の会議術まで、その成功の秘密を大公開。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2013-01-10・17 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 解説副音声

> リブセンス決算で改めて注目、オーサーランクとは? THE PAGE 2014年5月25日(日)13時0分配信
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史上最年少でマザーズに株式を上場(現在は東証1部)したことで知られる求人情報サイト運営会社「リブセンス」の収益が悪化しています。その背景には、Googleなど検索エンジンのルール変更があるといわれています。あらためてネット企業の経営が、検索エンジンに大きく依存していることが浮き彫りになりました。リブセンスの2014年1〜3月期決算は市場にちょっとしたショックを与えました。売上高は前年同期比15.3%増の9億8700万円でしたが、営業利益は67.2%もの減少となり、株価は一時ストップ安まで売られました。売上高を維持するために、広告宣伝費を増やしたことが減益の主な理由なのですが、同社がなぜ広告宣伝費を増やす必要があったのかについては、ネットを中心に様々な噂が流れています。多くの人が指摘するのが、同社のSEO(検索エンジン最適化)対策の失敗です。ネット企業は、自社のサイトが検索エンジンの上位に表示されないとネット上で効果的に顧客を集めることができません。Googleではどのようにすれば上位に表示されるのか、くわしい仕組みは明らかにしていないのですが、各社は自社サイトを上位に表示させるために様々な工夫をしています。これらを総称してSEO(検索エンジン最適化)と呼びます。Googleは今のところ、他サイトからどの程度リンクが張られているのかというリンクの数を中心に、アクセス状況やコンテンツの中身などを総合的に評価し、検索の順位を決定していると思われます(これらの作業はシステムがすべて自動的に行います)。ただ意図的にリンクを増やすといった不自然な行為があった場合には、順位を下げるなどの措置を行っています。リブセンスもこの対象になったのではないかと考えられているわけです。Googleではリンク数に大きく依存した現在のランキング方式を改良し、より自然な形で検索結果が決まる新しい仕組みを目指しています。その流れの中で最近、話題になっているのが「オーサーランク」と呼ばれる概念です。オーサーランクとは、その名の通り、文章の書き手をランク付けし、より専門性が高いと判定された人のコンテンツを上位に表示しようというものです。現在のリンクを中心にした評価体系がすぐに変わるわけではありませんが、徐々にこうした新しいアルゴリズムのウェイトを高くするとしています。どのようにして書き手をランク付けするのかについては今のところ不明ですが、おそらく自然言語解析技術を用いるものと考えられます。プロフィールが明確で著名な書き手についてはすぐにランク付けが可能と思われますが、ネットで文章を書く人の多くは名前やプロフィールが知られているわけではありません。自然言語解析の技術を使えば、文章を書いた人にどの程度の専門的知識があり、論理的な文章の組み立てを行っているのかについて評価することが可能です。こうした技術を組み合わせることで、書き手のランクを決定していくものと思われます。すぐに今の検索順位が変わるわけではありませんが、数年後には、キーワードを入れた時の検索結果は、今とはだいぶ違ったものになっているかもしれません。(The Capital Tribune Japan)





●知楽遊学シリーズ 仕事学のすすめ 「丹道夫 “儲け”は人を“信じる者”についてくる」

1都3県に93店を展開する立ち食いそばチェーン「名代富士そば」。66年に現在の渋谷109前に1号店を開店して以来、こつこつと店舗展開を続けてきたのが、代表取締役の丹道夫(77)だ。愛媛県の山間の村で複雑な家庭に育った丹は、四度の上京と挫折を繰り返し、弁当屋から不動産業、水商売までさまざまな職業遍歴をへて、現在の成功をつかんだ。そのビジネスの信条は「商いのコツは“儲”という字に隠れている」。“儲”という字を分解すると“信じる者”となる。人を信じ、部下を信じて任せられるかどうかが、商いの鍵だという。「事務所を大きくすると飲食店はつぶれる」と、本社は渋谷の古い雑居ビルの一室に置き、社長室は4畳半。信条通りのユニークな経営術と、それを育んだ紆余曲折のビジネス経験に迫る。

プロフィール| 1935年愛媛県西条市生まれ。東京栄養食糧専門学校卒。65年、友人の誘いで日拓不動産を創業。折からの不動産ブームに乗り、別荘地販売で月商7億円に急成長する。66年、富士そばの原点となる立ち食いそば店を渋谷に開店。72年、ダイタンフード株式会社を設立して独立。本格的なチェーン展開に乗り出す。97年、作詞家「丹まさと」としてプロデビュー。三笠優子の「ひとり娘」、島津悦子の「港のかもめ」は5万枚を超えるヒットとなる。五木ひろしにも「宿り木の花」を提供。


第1回
1都3県に93店舗を展開する立ち食いそばチェーンは、本社も社長室も驚くほど古くて質素。「事務所に金をかけると飲食店はつぶれる」「広告宣伝費はかけるな、立地がすべて」と社長自ら電車と徒歩で各店舗を見回りつつ、よい物件はないかと常に街に目を光らせている。長年の経験から割り出した出店の3か条とは? 店にいつも演歌が流れている理由とは? 店長・係長の次は分社独立して経営を任せるという驚きの経営の秘密とは?

第2回
中卒後に上京、食い詰めては帰郷するということを4度繰り返し、「富士そば」で成功するまで10を超える職業を転々とした丹社長。八百屋や油屋での丁稚奉公、炭鉱夫に弁当屋。しかしその経験は、今の経営哲学にことごとく反映されている。「過去の職歴で得た知識と体験を、うまく次の職業に生かす“足し算”ができるかどうか」が大切だという。内装がおしゃれすぎて失敗した焼き鳥屋。「時代の三歩先ではだめ、一歩先がよい」という経験則が、70年代に業界で初めて24時間営業を導入することにつながった。安い価格で大繁盛したが、従業員が次々倒れてしまったサラダ専門店。「来客が増えると従業員が疲れてサービスの低下を招き、忙しい割に利益も薄くなる。安売りは悪い連鎖を招き、誰も得をしない。いただいたお金に見合った味を、真心こめたサービスで提供するのが、飲食業で長続きする秘訣」と学んだ。不動産業での経験は、現在の店舗物件選びに多いに役立ったという。紆余曲折を繰り返しながら、らせん階段を昇るようにして“天職”という立ち食いそばチェーンの経営にたどり着くまでを語る。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2013-01-24・31 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 解説副音声

> 富士そば、別の店で従業員働かせ休業扱い 助成金を申請 朝日新聞デジタル 2020年12月2日配信
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立ち食いそば店「名代富士そば」の運営会社が、グループ内の別の運営会社の店で働かせていた従業員を1カ月以上休業扱いとし、その間の休業手当について雇用調整助成金(雇調金)を申請していたことがわかった。会社側は取材に対して事実関係を認め、東京労働局に報告したと回答。雇調金を受給したかどうかは「不正かどうか労働局の判断を仰ぎ、その結果を踏まえて回答するか決めたい」としている。雇調金を申請したのは、首都圏で「名代富士そば」を約130店展開する「ダイタングループ」の店舗運営会社の一つ「ダイタンミール」(東京)。同社関係者によると、新型コロナウイルスの影響でこの従業員が働いていた都内の店の売り上げが落ちたため、同社は人員削減を決定。この従業員を退職させて、グループ内の別の運営会社が管理する店に転籍させることにした。従業員は元の店での最終勤務から1週間後の8月上旬、転籍先の店で働き始めた。だがダイタンミールは直ちに退職とせず、従業員に残っていた40日分の有給休暇が消化される9月下旬まで在籍扱いとし、この40日を雇調金の対象となる「特別休暇」として処理した。従業員には転籍先の給与に加え、40日分の休業手当約35万円が支払われた。雇調金は事業縮小で休業させた従業員への休業手当が主な助成対象。賃金を支払う有給休暇は対象にならない。今回同社が雇調金を受給した場合、自社で負担すべき有休分の賃金を公費でまかなったことになる。





●知楽遊学シリーズ 仕事学のすすめ 「高田明 ハイテンション社長の売り方指南」

MCをはじめ、制作スタッフ全員が自社社員。長崎・佐世保の自前スタジオからの生放送にこだわり、台本もなし。ジャパネットたかたのTV通販の顔は、独特の甲高い長崎訛りでまくしたてる田社長だ。ところが普段の田は驚くほど口下手で人見知り。誰もがテレビとのギャップに面食らうという。あのキャラは、「これなら売れる」と確信が持てるまで商品を研究し、売り方を考え抜いた自信によって支えられているという。月商50万円の佐世保のカメラ店を振り出しに、20数年で従業員500人、年商1500億円の企業にまで成長させた田社長。急成長の陰には、「地元主義」「自前主義」、あるいは「数値化した売り上げ目標は立てない」「他社との比較はしない」といった“非常識”な経営哲学があった。 2004年には51万人分の顧客情報流出、50日間の営業自粛という激震に見舞われたジャパネットたかただが、昨年の日本最大の企業評価調査「ブランドジャパン」で総合15位、小売業ではトップの信頼を勝ち得ている。田はいかにして、ナショナルブランドの通販をメーカーに認めさせ、広告業界・放送業界のしがらみを切り崩してTV通販事業を成功させたのか。会社をゆるがす不祥事に、いかに対処し、コンプライアンス態勢を立て直したのか。田氏の、ユニークな経営哲学に迫る。

プロフィール| 大阪経済大卒。機械メーカーに就職、語学力を買われ東欧などに海外赴任。退社し翻訳会社を立ち上げようとするも挫折。父のカメラ店の手伝いから、86年独立してカメラ店「株式会社たかた」を設立。90年地元ラジオ局の長崎放送でラジオショッピング番組を開始。94年テレビ通販を開始。


第1回
独特の甲高い声と佐世保弁がトレードマークの高田明社長は、意外なことにふだんはとても物静か。商品への愛と情熱があのハイテンションを生むという。夫婦2人で営むカメラ店を振り出しに、温泉旅館での宴会写真サービス、ラジオ通販、テレビ通販へと手を広げ、自前のスタジオまで備えた一大通販会社を築いてきた。「売り方を創造せよ」のポリシーのもと、ボイスレコーダーや電動歯ブラシ、電子辞書などを大ヒットさせた秘策とは?

第2回 「どうする?!不祥事とクレーム」
2004年、会社の存続を脅かす大事件が起きた。社員二人が金目当てに51万人分の顧客情報を流出させたのだ。田は50日間の販売自粛を決断。連日の記者会見に加え、徹底した真相究明を命じ、警察発表よりも悪い結果を示す内部調査報告を公表した。売上損失は150億に上ったが、この対応が早期の信頼回復につながり、むしろブランド力を高める結果となった。創業以来、「売上の数値目標」もなければ、「他の通販会社との比較」もしないという姿勢を貫いてきた田。今回の不祥事も正社員二人による裏切り行為ではあったが、「未経験であることをマイナスと捉えず」、「ひとりひとりの人材に思い切り能力を発揮してもらう」ための人材活用術を変えるつもりはないという。電話対応の県大会で優勝した社員を番組MCに抜擢したり、テレビ制作部門のカメラマンを商品開発バイヤーにしたり。昨年12月には、次世代を育成するために若手社員だけを集めた東京オフィスおよびスタジオを建設し、CS番組とインターネット通販部門を彼らに一任する体制をつくった。最悪のトラブルを企業の活力に変えた対応術、人材活用術を学ぶ。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2013-02-21〜 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 解説副音声





●グラン・ジュテ〜私が跳んだ日 「フリーペーパー編集長…橘ジュン」

10代、20代の女性たちの心の内を伝えるフリーペーパーがあります。生きていくことへの戸惑いや家族関係の息苦しさなど、生々しい声が載せられ、同世代の大きな共感を呼んでいます。この雑誌の編集長、橘ジュンさん。創刊から6年、カメラマンである夫のタダケンジロウさんと一緒に女性たちの“声”を伝えてきました。これまで会って話を聞いてきたのは3000人以上。橘さんとの出会いがきっかけとなって“生き直すことができた”と感じている女性たちが数多くいます。1971年、千葉県の“何不自由ない家庭”に生まれた橘さん。しかし、その家庭に息苦しさを感じ、深夜まで遊び歩くことが増え、レディースチームを作るまでになります。高校はわずか3か月で中退し、親とは断絶状態。そんな時、雑誌の取材に来たライターが橘さんの話に耳を傾けてくれたのです。自分の思いを聞いてもらえる喜びを知った橘さんは、取材する側になりたいとライターを志すようになります。そんな時、知り合ったのはある十代の女性。その子は一見普通の女子大生。しかし彼女が袖をまくり上げると、目に飛び込んできたのは、自らつけた無数の切り傷でした。心に傷を抱え、時折襲われる不安な気持ちに、自分を傷つけることでしか感情を抑えることができないでいたのです。声にならないような声を聞いて伝えたい・・・橘さんは使命感を抱くようになります。2006年2月、夫のケンさんと二人でフリーペーパーを創刊します。取材を通して、深い闇を抱えた若い女性たちと数多く接するようになっていく橘さん。次第にライターとして取材するよりも、支援者として活動することが多くなっていきました。そして支援活動に時間を取られるあまり、フリーペーパーに費やす時間は減っていきました。創刊から4年が経った時、コンスタントに発行し続けてきたフリーペーパーは半年以上出せず、廃刊の危機に直面します。支援と、届けるべき声・・・その間で橘さんはもがき続けていました。そんな時、橘さんの女性を支援する活動の手助けを買って出てくれたのは、橘さんのフリーペーパーに出会い、生き方が変わった女性たちでした。橘さんがフリーペーパーに割く時間を作ろうと、スタッフとして加わってくれたのです。そして彼女の“グラン・ジュテ”・・・。今年4月、橘さんとケンさんは、創刊から16冊目となるフリーペーパーの発行を迎えました。読者から発行を心待ちにするメールも届いています。夫婦二人三脚での取り組みは、確実に大きな輪として広がり、今では10人近い女性たちがさまざまな形で活動に参加してくれています。女性たちの声を伝え、共に歩いていこうとする女性の物語です。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2012-05-05 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●追跡!真相ファイル 「中国人観光客 訪日格安ツアーのカラクリ」

景気回復の起爆剤として期待が集まる外国人観光客。政府も「観光立国」の旗をかかげ、旅行者を増やそうとキャンペーンを展開している。しかし格安ツアーに参加した一部の中国人客からは「半ば強制的にショッピングに連れて行かれた」との苦情が観光庁に寄せられている。「日本にはもう行きたくない」という声も上がり、このままではリピーターが減るとの懸念が高まっている。一体何が起きているのか。訪日格安ツアーの実態を追う。
(text from NHK site)

NHK総合 30min 2012-08-21 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo



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