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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「快進撃のスナック菓子の王者!ダントツを目指す攻めの経営」 カルビー会長・松本晃

カルビーといえば、かっぱえびせんにポテトチップス、じゃがりこ、じゃがビー。このスナック菓子業界の王者は、菓子市場が縮小傾向にある中でも、売り上げを伸ばし続けている。業界シェア46%と他社を圧倒、ポテトチップスだけでも年間何と5億6000万袋を売り上げているのだ。その原動力となっているのが、2009年に会長に就任した松本だ。カルビーは1949年の設立以来、創業家が率いてきたが、オーナー経営から脱却し松本を経営トップに招いた。松本は、攻めの経営で利益率をアップさせ、さらなる“ダントツの1位”の必要性を社員たちに説く。なぜ“ダントツ”でなければならないのか…? 村上龍と、珠玉の経営論が展開される!

◎スナック菓子 王者の秘密!
健康志向や少子化の影響などで菓子市場は縮小傾向にある。だが、カルビーの売り上げは右肩上がり。国内シェアは46%と、まさにスナック菓子の王者だ。実はカルビーは、日本で生産されるジャガイモの何と1割を使用している。しかもそのジャガイモは、北海道から鹿児島まで、全国2000戸の契約農家から購入しているのだ。実は年間を通してポテトチップスを安定供給し、品質を保つのは簡単なことではない。王者カルビーならではの、壮大なジャガイモビジネスの裏側に迫る。

◎新しいスナック菓子を生み出す秘策あり!
カルビーは今、新商品の開発強化に乗り出している。新しいスナック菓子を生み出すには、発想力とスピードが勝負。新商品をいち早く製品化するための、ある松本の“秘策”とは…。

◎“脱ジャガイモ”でメガヒットを狙え!
カルビーでは、7月、次のメガヒットを狙った新商品の開発プロジェクトが最終段階に入っていた。ジャガイモを原材料にした商品が全体の約6割を占めるカルビーだが、新商品のキーワードは“脱ジャガイモ”!プレッシャーがかかるプロジェクトリーダー。果たして、新商品は売れるのか…?


≪ゲストプロフィール≫
1947年 京都市出身
1972年 京都大学大学院農学部修了、伊藤忠商事入社
1993年 ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人事業本部長
1999年 ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人社長
2009年 カルビー会長兼CEO

≪会社プロフィール≫
本社: 東京都千代田区丸の内1-8-3
設立: 1949年4月30日
資本金: 11,252百万円(2012年3月31日現在)
従業員数: 2,897人(2012年3月31日現在)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-08-30 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「“インターネットに野菜をのせろ!”若手社長が目指す“食のインフラ革命”」
オイシックス代表取締役社長・島宏平

無農薬・減農薬で栽培した安心・安全の野菜や果物を厳選したインターネットで販売する「オイシックス」が急成長を遂げている。食への関心が高い消費者と生産者を直結、自前の物流センターを持ち「作り手が自分の子供に食べさせられる食材」だけを届けるサービスを確立。そこには、安心安全だけでない「付加価値のサービス」がある。しかし、現在の地位を築くまでには並々ならぬ苦労と努力があった。

◎インターネットで新鮮食材を食卓へ
2000年に産声を上げたオイシックス。扱う商品は、生鮮品を中心に3500品目。一般のスーパーと比べて1.5倍という価格にも関わらず、利用者数は年々増え続け現在、75万人を超える。利用者の中心は子供をもつ30代の主婦たちだ。「入会金・年会費・利用料が無料」「1点からも注文でき、自分で好きな物を自由に選べる」また、野菜などは注文を受けてから収穫するため、より新鮮な物が利用者の元に届けられる。などのサービスで同業他社と差別化を計っている。さらには、海老名市にある自前の配送センターでの徹底した温度管理のほか、流通業界ではいち早く導入した「放射性物質のチェック」などもお客にとっての安心感に繋がっている。そんな宅配サービスを確立したのが、39歳の若手社長 島宏平だ。

◎“売る野菜もない”“会社の運営資金もない”地獄を見た創業時代
島の経歴は、“THIS ISエリートコース”だ。東京大学大学院時代にインターネットを活用した会社を起業した後、外資系の大手コンサルティング会社に入社。2年後に退社し、26歳の時に「オイシックス」を創業した。そもそもインターネットでビジネスをしたいと考えていた島が「野菜」を選んだ理由は、「生産者と消費者の距離感が遠いこと」。中間には多くの業者が入り、食材自体の細かな情報も客に届いてないことに疑問を感じていたのだった。しかし、野菜の知識も全くない中で始めた新たなビジネスはそう簡単にいかなかった。当時、「インターネットで野菜を売る」というシステムは、前代未聞のビジネス、投資してくれる企業もなければ、野菜を売ってくれる農家にも全く理解されず「何もわからない若いヤツが東京からやって来た」と追い払われる日々。「この良さが分かるか?」と土を食べさせられたこともあったという。それでも「このビジネスは必ず需要がある」と根気強く農家に通い、酒の席をともにしながら話をした。その熱意が通じ、徐々に契約農家は増え、わずか9人だった社員も現在は151名になった。今では、創業12年で年商126億円の企業に成長させた。

◎全国にある“感動野菜”を発掘せよ!
オイシックスにとって成長の源となっているのは、全国にいる生産者だ。主力商品となっている野菜の契約農家は1000軒以上。ほとんどが、「無農薬」「減農薬」「有機」など安全かつこだわりの野菜を栽培している。そんな“こだわりの生産者”を見つけ、新しい商品を探し出すのが、「商品バイヤー」たちだ。一般的に市場に出回っている名の知れた品種だけでなく、“陽の目を見ない隠れた逸品”を発掘するのが腕の見せ所。これまでも、「生で食べられるトウモロコシ」や焼くととろみの出る「トロなす」。生で食べると桃の食感がする「ピーチかぶ」などを発掘し、同社オリジナルのネーミングやレシピ提案で販売。無名の野菜に新たな命を吹き込み大ヒット商品につなげている。野菜のチーフバイヤーが動き出した。次に売り出そうと考えているのは、茹でると身の繊維がそうめんの様になる「そうめんカボチャ」と言う地方の伝統野菜。市場に出回っていない“無名の野菜”をどうお客に売り出すのか? バイヤーの闘いが始まった。

≪ゲストプロフィール≫
1973年 神奈川県生まれ
1998年 東京大学大学院修了、マッキンゼー日本支社入社
2000年 オイシックス創業 〜現職
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-09-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「カニカマ製造機で世界シェア7割!知られざるグローバル中小企業」 ヤナギヤ社長・柳屋芳雄

日本で生まれたカニカマは、今や世界中で食べられているのをご存知だろうか。フランス、イタリア、ロシア、リトアニア…。普及に大きく貢献したのが、カニカマ製造機で世界シェア7割を持つ機械メーカー、ヤナギヤだ。たかがカニカマと侮るなかれ!そこにはユニークな技術が詰まっているのだ。ヤナギヤは山口県宇部市で100年近く続く、社員数150人、売り上げ30億円ほどの中小企業。それを世界のトップに上り詰めさせたのは、創業家3代目社長の柳屋芳雄。その独創性と強さを生むユニーク経営術に迫る!

◎世界を制したカニカマ製造機!その驚くべき技
フランスではサンドイッチが大人気、イタリアでは海鮮パスタに入れる…。いずれも日本発祥の加工食品「カニかまぼこ(カニカマ)」の食べ方だ。いま海外のカニカマ市場は、日本の7倍以上に成長している。日本以外で一番食べる国はフランス。カニカマを世界一作っている企業は、なんとリトアニアにある。健康志向の高まりで世界的に普及が進むカニカマ、その製造機械でヤナギヤは世界シェア7割を握る。「裂けるカマボコ繊維をバラバラにさせない」「自然な赤さを表現する」といった課題を、独創的な技とアイデアで克服したことが強みだ。さらにヤナギヤのカニカマ作りは、昔ながらの「棒カニカマ」から、よりカニの身に近づけた「リアル・カニカマ」まで驚きの進化を遂げている。その裏には、驚きの技術が…。

◎“頼られる会社”を目指せ!
ヤナギヤの創業は1916年で、まもなく100周年だ。元々はカマボコメーカー。創業者が魚のすり身の電動練り機を開発し、カマボコ産業の機械化に大きく貢献したことが、機械メーカーとしての始まりだった。カニカマ製造機を商品化したのは、現在の3代目社長・柳屋芳雄が就任して間もない1979年。カニカマのヒットに合わせて機械も売れ、急成長した。しかし今、カニカマ機械がヤナギヤの売り上げに占める割合は1割しかない。和菓子、ペットフード、海苔、豆腐から「ふぐの皮むき」まで、客から相談を受けたら何でも引き受け、一から研究開発して機械を作ってしまうからだ。それも客の業界の常識を覆す独創的なものばかり。柳屋が言う「とにかく“頼られる”企業になれ」を合い言葉に、客の要望にとことん付き合うことで、社員1人1人の「生み出す力」は鍛えられている。

◎大震災!復旧支えた機械メーカーの心意気
1年半前の東日本大震災。実は東北沿岸部は、練り製品機械が主力のヤナギヤにとって最も顧客の多い地域だ。実際、機械を納めた120社が被災した。芳雄は担当者たちに檄を飛ばし、「まず顧客が何をしたいか聞け!」と命じた。担当者は自転車で客を回り、聞いて来た言葉は「とにかく早く仕事を始めたい」だった。ヤナギヤは機械の再購入ではなく、安価な修理を提案。山口まで持ち帰り、泥やサビを落とし、部品は全部一度バラす。手間は半端ではなかったが、そこには「食品メーカーのインフラ=機械メーカー」としての使命感があった。震災は当事者だけでは復興できない。それを支える「裏方」として、ヤナギヤは確かに一つの役割を果たしていたのだ。

≪ゲストプロフィール≫
1950年 山口県宇部市生まれ
1973年 日本大学経済学部卒、兵庫県姫路市のカマボコメーカー「ヤマサ蒲鉾」に就職
1975年 父の跡を継ぎ、「柳屋鉄工所」3代目社長に就任
1979年 カニカマ製造機を開発

≪会社プロフィール≫
株式会社ヤナギヤ
本社: 山口県宇部市大字善和189-18
創業: 1916年(大正5年)
資本金: 1億円
従業員数: 150名
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-09-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「オタクを超えた精巧さ!大英博物館も認める技術集団」 海洋堂社長・宮脇修一

わずか1坪半の模型店を振り出しに、菓子のおまけで1億3千万個を売り超ブレイク!今や大英博物館にまで作品を納める、世界一の“造形集団”となった!!これぞ世界が追いつけないオタク流ものづくりだ!

◎1坪半から始まった世界一の造形集団
海洋堂のルーツは宮脇の父・修が64年に始めた1坪半の模型店。店内は戦車や飛行機、船など、あらゆる模型を販売。模型専用の遊び場もつくる凝りようだった。それが口コミで広がり、既存メーカーの商品に飽き足らない愛好家のたまり場になり、いつしか「ない物は作れ!」と、フィギュアの製造技術が培われるようになった。ブレイクのきっかけは、99年発売のフルタ製菓「チョコエッグ」。後の食玩ブームの火付け役ともなり、オマケについた精巧な動物フィギュアの製造元として海洋堂は一躍知られる存在になる。その仕掛け人が、当時専務だった宮脇だ。中を開けないとオマケがわからないチョコエッグは、3年で1億3千万個売るお化け商品となった。小さな模型店から世界的なメーカーへ、その成長を支えたのは、プラモデル作りから、ガレージキット、食玩、フィギュア…と、常識にとらわれず挑んできた、宮脇親子の挑戦心だ。

◎続々オープン!地方に客を呼ぶ海洋堂ワールド
大阪から新幹線を使っても6時間かかる、高知県四万十町の廃校となった小学校に、去年7月「海洋堂ホビー館」がオープンした。館内に展示されるのは、海洋堂の歴史を示す様々な模型やフィギュア、1万点。館長を務めるのは、海洋堂の創業者である、父・修だ。「故郷の高知を活性化できれば…」なんとこのホビー館、初年度の入館者数は10万人を超え、カップルから親子連れまで幅広い客を、田舎町に呼び込むことに成功した。さらに今年7月には、近くに「海洋堂かっぱ館」もオープン。次々に、フィギュアで客を楽しませる施設を作っている。(滋賀県にも、海洋堂フィギュアミュージアム黒壁がある)

◎売れまくり!食玩からスッチー、太陽の塔、阿修羅まで!
40周年の大阪万博にちなみ、9月に発売した「太陽の塔」の模型が、予想外の9300個を完売すれば、全日空から依頼されたスチュワーデスフィギュアは、初日で20万個販売。さらに博物館イベントのグッズ向けに作った国宝・阿修羅像のフィギュアも飛ぶように売れていった。実は、世界で活躍する現代美術家・村上隆の作品づくりを支えるのも、海洋堂のカリスマ造形師なのだ。村上隆曰く「僕は、彼らの才能を転用したいわばプロデューサー。海洋堂のふんどしで相撲をとっているようなもの」なのだ。

≪ゲストプロフィール≫
1957年大阪府守口市生まれ。中2の時、祖母の介護で多忙になった両親の代わりに模型店を切り盛りすることに。職場は愛好家たちがモデル作りを競う場となり、ガレージキットの製造を手がけるように。99年にチョコエッグのおまけの大ヒットで全国的に知られる存在に。06年から海洋堂社長。社員40人、年商24億円。
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-09-27 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> BDR-0253に、プロフェッショナル 仕事の流儀 「突きつめたものにこそ、魅力は宿る」模型会社社長・宮脇修一 あり





●名曲アルバム 「愛の喜び」

今も昔も音楽が満ちあふれるウィーン。クライスラーは1875年この街に生まれ、幼いころからバイオリンの神童として国際的な名声を得る。やがて作曲も手がけるようになった彼は、ウィーンの香りあふれるバイオリンの小品を数多く生み出した。ウィーンの古い舞曲を模した「愛の喜び」も、親しみやすいメロディーで人々に愛されている。

作曲: クライスラー
編曲: 栗山和樹
演奏: 小林美恵(バイオリン)、現田茂夫(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: ウィーン(オーストリア)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2012-11-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> NBDR-0193にもあり



>ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し







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