Polygon

[ BDR-0271 ] 詳細    |このページを閉じる|





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「築40年の木造長屋が大人気住宅に!古い物件を“家賃を倍”にする不動産再生集団!」
ブルースタジオ専務取締役・大島芳彦/執行役員・石井健

年々、賃貸物件の空室が増え続け、新築マンションでさえ空室が目立つ時代、建築設計やグラフィックデザインを手がける「ブルースタジオ」が設計した賃貸住宅は常に満室の人気物件ばかり!彼らが手がけるのは新築ではなく、築30年40年の古い物件のリノベーション。リノベーションとは、建物を大幅に改修し、新たな付加価値を与えるリフォーム手法の事。古い建物を新築に建て直すのは時代遅れ!“古さを生かして家賃を倍に”これこそブルースタジオ流不動産再生術だ!!

◎古い物件が大変身!家賃を倍にする不動産ベンチャー
1998年に創業したブルースタジオ。中心メンバーは武蔵野美術大学の同級生3人。社員数は20名で平均年齢30代という若い会社。彼らが行うのは古い住宅に新たな付加価値を与え再生させるリノベーションという手法。築39年の木造アパートを古民家風に改築し、4万円だった家賃を10万円に上げても全室即日契約となれば、築40年以上の木造長屋が6棟ならぶ集合住宅を、昭和レトロな雰囲気を残して再生し、新築マンション同等の家賃でも常に満室稼働にさせた。ブルースタジオのリノベーションは決して新しく蘇らせる訳ではない。古い物件を耐震補強などを施しながらも“その古さを残して価値に変える”リノベーションを行うのだ。さらに賃貸住宅だけでなく個人向け中古物件のリノベーションも実績200件以上、築47年のオフィスビルの再生までも行う。ブルースタジオはあらゆる中古不動産に新たな価値を吹き込み、人気物件に再生させるリノベーション専門集団なのだ。

◎人気の秘密は“つながり付き”住宅
ブルースタジオのリノベーションには重要なある要素がある。下北沢の築40年、風呂なし、共同トイレの木造アパートをシェアハウスの原型ともいえる下宿宿風にリノベーション。“人とのつながり”を求めている20〜30代の若者を中心に人気となった。この“人とのつながり”こそが、ブルースタジオが重要視する要素。近隣関係が希薄になっている現代東京において“人とのつながり”戦略が人気を呼んでいるのだ。“人とのつながり”が物件の付加価値になると考える原点は、大島の学生時代の経験。村上龍も学生時代に暮らしていた“米軍ハウス”で同級生と共同生活を行っていたのだ。『古くてボロでも人とのつながりは楽しい』という思いが、住宅再生の原点にあるという。現在、“つながりの付加価値”は大きく広がりを見せている。東京日野市の団地再生だ。築50年で廃墟となっていた団地をブルースタジオなど複数事業主が共同で再開発。「若者向けシェアハウス」「家族向け菜園つき住宅」「高齢者専用住宅」と多世代がつながり合える、今までにない団地を作り上げ大人気に。現代のお荷物と化していた団地が人に喜ばれる住居に生まれ変わった。

◎ライフスタイルを形に!顧客目線の住宅作り
ブルースタジオは賃貸住宅の再生だけでなく個人宅のリノベーションも12年間で200件以上行ってきた。大きな特徴は“客のライフスタイルの追求”だ。そのため、ブルースタジオが重視するのが、設計前に行う客へのカウンセリング。生活の価値観を細かくヒアリングし、物件づくりに生かすのだ。さらにブルースタジオは一気通貫のサービスにこだわる。通常、中古物件は不動産屋で買って、リノベーションは建築会社にお願いするのが普通の流れ。しかしブルースタジオは、物件探しから設計、施工までをワンストップで頼める。「物件購入後にリノベーションができない!」といった失敗を未然に防げるだけでなく、自分のライフスタイルに最適な住居を手に入れる事ができる。顧客目線で最初から最後まで寄り添い、理想の住宅づくりを実現する。これこそブルースタジオの中古住宅リノベーションだ。

≪ゲストプロフィール≫
大島芳彦(おおしま・よしひこ)
1970年 東京生まれ
1993年 武蔵野美術大学卒業後、留学、設計事務所勤務を経て、2000年よりブルースタジオ参画し、中古物件のリノベーション事業を開始。現在までに1000戸以上を手がける。

石井健(いしい・たけし)
1970年 福岡生まれ
1993年 武蔵野美術大学卒業。大島と大学時代の同級生。
2001年よりブルースタジオ参画。主に個人住宅のリノベーションを担当し、現在までに200軒以上の実績を誇る。

≪会社プロフィール≫
株式会社ブルースタジオ
所在地: 東京都中野区東中野1-55-4 大島ビル第2別館
設立: 1998年
社長: 大地山博
社員数: 20名
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-11-01 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「タイヤ世界一! 勝ち続ける“純国産”巨大メーカー」 ブリヂストン会長・荒川詔四(しょうし)

「世界一のニッポン大企業、その強さに迫る」 15兆円という巨大な世界のタイヤ市場で「ナンバー1」の座を勝ち取った日本の企業がある。ブリヂストンだ。売り上げは年間3兆円。タイヤの販売先は150カ国以上、20カ国あまりに工場を持ち、グループ従業員は14万人と日本を代表する世界企業だが、その実像はあまり知られていない。世界ナンバー1になるための条件とは? 創業時より続くブリヂストンの驚きのDNAとは? そして世界一を磐石にしようと巨大企業が新たに取り組むプロジェクトとは? 3月まで社長を務め、ブリヂストンを世界一の座に押し上げた荒川詔四会長が強さの秘密を明かす!

◎知られざる「ゴム」「タイヤ」の世界、そのトップメーカー
首都圏のあるマンション。去年の東日本大震災で、住民はその揺れの激しさに気づかなかった。秘密は柱に埋め込まれた「免震ゴム」。作ったのはタイヤ大手・ブリヂストンだ。目的に合うゴムを自在に開発する技術は、自転車、ゴルフ用品からイルカの「人工尾ひれ」まで、身近な分野で様々な製品を生んでいる。そして主力のタイヤでは、国内・世界ともに首位。最近販売好調な「低燃費タイヤ」、パンクしても走れる「ランフラットタイヤ」など、タイヤの進化をリードしている。また、去年就航した新型旅客機「ボーイング787」の標準搭載タイヤに選ばれるなど、その技術力は世界が認める。

◎「世界一」への道、果てしないグローバル競争
創業者・石橋正二郎は17歳で家業を継ぎ、足袋の専門メーカーとして事業をスタート。ゴムを直接張り付ける「地下足袋」をヒットさせ、自動車の本格普及を見越して戦前に純国産タイヤメーカー「ブリッヂストン」を興した。当初から世界で事業展開したブリヂストンは、大型買収を経て1980年代には世界のトップ集団に仲間入り。荒川が社長に就任した後は、わずかの差でライバル・ミシュランを抑えトップの座を維持している。「ダントツの世界一でなければダメだ」とする荒川は、世界トップの規模と技術を持つメーカーだけが手がけられる、鉱山向け大型タイヤを「重点事業」として育成。その凄さとは…

◎これからのメーカー、「サービス」に活路?
トラック・バスの中古タイヤを削り、表面だけ張り替える「リトレッド」(再生)タイヤ。いまブリヂストンは、これを核に、主要顧客層である運送会社向けのサービスに力を入れている。新品を買うより価格が3割安いリトレッドを提案しつつ、タイヤが長持ちする使い方も指導。「タイヤ周りのすべてを請け負う」ことで、運送会社のトータルコストを下げるという試みだ。価格が安い新興国メーカーとの競争にもさらされる中、付加価値で勝負するしかないニッポン製造業。「サービス」は活路となるのだろうか?

≪ゲストプロフィール≫
1944年 山形県生まれ
1968年 東京外国語大卒 ブリヂストン入社
2001年 常務(ヨーロッパ現地法人会長兼CEO)
2006年 社長
2012年 会長(3月)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-11-08 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「限界集落から奇跡の脱出!地方再生仕掛けるスーパー公務員」 石川県羽咋市役所職員・高野誠鮮

高齢化が進み、近い将来には集落が消える−−。そんな危機にあった集落を救った立役者が、今回のゲスト。その人物とは、石川県羽咋(はくい)市役所勤務の57歳の課長補佐、高野誠鮮(じょうせん)。高野は地元出身ながら、いわば市役所の中途採用組。地元の現状を少しでも変えたいと、常識破りの行動力で事を起こして行った。その結果、地元のコメ「神子原米」は高値で売れるブランド米に。子供のいる家族も移住してきて、神子原は見事に限界集落を脱したのだ。“異端のスーパー公務員”高野が語る、地方の未来はこうして拓け!

◎限界集落から奇跡の脱出!立役者は地元の公務員!
能登半島の真ん中に位置する石川県羽咋市神子原(みこはら)。ここはトキの生息でも知られた自然豊かな場所だ。だが高齢化が進み、限界集落となる(人口の50%以上を65歳以上の高齢者が占める集落)。そんな神子原がいま、全国の自治体や農業関係者からの視察が絶えないほど注目を集めている。地元のコメのブランド化に成功した上、何と2009年に限界集落からの脱出を果たしたからだ。その立役者こそ羽咋市役所の課長補佐、高野誠鮮だ。その出発点は、地元農業への強い危機感。「農家が自らの手でコメを売る仕組みを作らないと、農業の未来はない」。そう考えた高野は、地元のコメを「神子原米」とネーミングし、神子原⇒神の子⇒キリストという連想からローマ法王へのコメの献上を実現して大きなニュースとなる。その結果、神子原米は「奇跡のコメ」として、今では入手困難なブランド米に成長。これがきっかけとなり、農業を志す若い移住希望者も増加し、見事、限界集落からの脱出を成功させたのだ!

◎とにかく“実績”を作れ!高野流の突破力とは
羽咋市で生まれ育ち、江戸時代から続く由緒ある寺の住職でもある高野。もともとは東京でテレビの放送作家をしていたが、30歳の時にUターン。市役所の臨時職員となり町おこしを手掛ける。するとテレビマンらしい奇抜なアイデア力を発揮。「UFOで町おこし」をテーマに1996年には、宇宙博物館「コスモアイル羽咋」を開館、成功を収めた。野は地域の再生のため、神子原米のブランド化だけでなく、移住希望者を増やすための独創的な取り組みを展開してきた。だが、高野は公務員でありながら、何か事を起こすのに稟議書も通さない。上司には事後報告。公務員としては“あるまじき高野流”だが、実績を作り上げてきた。それにしても一体なぜそこまでするのか? 高野は言う。「役に立つのが、役人だ!」。

◎新たなブランド作りへの挑戦…キーワードは「自然栽培」
高野は現在、農薬・化学肥料・除草剤を一切使わない「自然栽培野菜」の開発に取り組んでいる。神子原米だけでなく、周辺地域全体が“食える農業”をするための新たなブランド作りをしようというのだ。高野がそのヒントを得たのが、自然栽培で作られた「奇跡のリンゴ」生みの親、木村秋則氏の自然農法。2010年からは木村氏を地元に迎えての「自然塾」を開催、自然栽培米を推し進めている。そしていま新たに、自然栽培米を使った米粉パンの開発に乗り出した。全国でもここでしかできない産品を作ろうと、農家、農協ともタッグを組んだ取り組みだ。果たしてうまくいくのか…?

≪ゲストプロフィール≫
1955年 石川県羽咋市生まれ
1984年 テレビの放送作家を経て、羽咋市役所の臨時職員
1996年 町おこし策として宇宙博物館「コスモアイル羽咋」を開館
2005年 1.5次産業振興室創設(農山漁村活性化計画に着手)、ローマ法王に神子原米を献上
2009年 「全国地産地消推進協議会長賞」特別賞受賞(神子の里)
2010年 第一期「木村秋則自然塾」を開催
2012年 自然栽培米がパリの三ツ星店へ進出
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-11-15 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「高級レストランで快進撃!〜デフレに打ち勝つ“一流”のビジネス術〜」
ひらまつ代表取締役社長・平松宏之

デフレ脱却の見通しが立たず、外食業界では熾烈な価格競争が続く。そんななか客単価が3万円にもなる高級レストランで人気を博し、売り上げを伸ばし続けている会社がある。フレンチの「レストランひらまつ」などを展開する株式会社ひらまつだ。社長の平松宏之氏は日本人オーナーシェフとして初めてミシュランで星を獲得した一流の料理人でもあり、高級レストランというジャンルで新たな市場を切り開き、東証1部上場を果たした経営者でもある。平松流ビジネスの極意を見よ!

東京・広尾のとあるビル。一階を覗くと荘厳なラウンジが広がっている。壁には芸術的な絵画が飾られており、一見すると小さな美術館のようだ。しかし、ここは美術館ではない。日本のフランス料理界のパイオニア「レストランひらまつ本店」だ。1階のラウンジを上がると2階にバーカウンター、3階にレストランとなっており、ランチタイムやディナーなどはいつも満席状態。4階にある厨房は常にフル回転だ。ディナーはコースで1人あたり9,500〜21,000円と強気な価格設定にも関わらず、外食不況の中、「ひらまつ」は右肩上がりの成長を続けている。

「ひらまつ」の成功の秘密は妥協のない料理作りと徹底したサービス、それに巧みなブランド戦略が挙げられる。不景気になると無駄な出費は抑えるが、年に1、2度の大切な記念日などの利用など決して外食をしないわけではない。取っておきの日の外食は絶対失敗したくない。こうしたニーズをひらまつはがっちり掴んでいる。一流シェフ・平松にはもう一つの顔がある。厨房を離れれば、店舗の売り上げ毎日チェックするなど経営者でもあるのだ。平松はレストランウェディングを日本でいち早く取り入れ広めたのをはじめ、新規事業にも積極的に取り組む。そんな平松にとって来る12月3日は平松にとっては勝負の日になる。「ひらまつ」グループの新店舗「ラ・フェットひらまつ」が大阪・中之島にグランドオープンするのだ。東京を中心に、北海道、名古屋、福岡などの各地方都市に出店してきた「ひらまつ」。意外にも大阪には出店していなかったのだ。その準備のため、平松は10月から大阪に住まいを移す気合の入れようだ。「ラ・フェットひらまつ」の目玉はフランス料理やイタリア料理などの文化の垣根を越えた新たな料理だという。“お客様を決して裏切らない”を信念として掲げ、いまや全国に約30店舗を展開、年間100億以上を売り上げるまでに成長した「ひらまつ」の強さと挑戦を追う。

≪ゲストプロフィール≫
1952年、横浜市生まれ。都立荻窪高校在学中にフランス文化に傾倒し、1970年に料理界へ。1978年に結婚後、渡仏。帰国後の1982年に「ひらまつ亭」を開業。24席で一日70万円を売り上げるほどの人気を博した。1988年には広尾に現在の「レストランひらまつ」を開業。その後、2001年にはフランス・パリに出店し、わずか4ヶ月後に日本人オーナーシェフとして初のミシュランの星を獲得。巧みなブランド戦略で事業を拡大し、2010年には東京一部上場を果たすなど、日本におけるフランス料理界のパイオニア的存在となっている。

≪会社プロフィール≫
設立: 1983年
本社: 東京都渋谷区恵比寿4-17-3
資本金: 12億円
従業員数: 650名
売上高: 105億円(2011年9月期)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2012-11-22 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●名曲アルバム 「ミュージカル“マイ・フェア・レディ”メドレー」

19世紀のイギリス・ロンドンを舞台に繰り広げられるミュージカル「マイ・フェア・レディー」。下町の花売り娘イライザが、上流階級の人々と出会い、淑女(レディー)へと生まれ変わる物語です。「踊り明かそう」、「スペインの雨」、「君の住む街角」、「時間通りに教会へ」など、このミュージカルに詰まった名曲の数々を、メドレーにしてお送りします。

作曲: フレデリック・ロウ
編曲: 上柴 はじめ
演奏: 円光寺雅彦(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: ロンドン(イギリス)
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2013-01-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> NBDR-にもあり



>ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し







ページ先頭へ