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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「世界が注目!紙の建築、災害住宅…“役に立つ建築”に挑み続ける男!」 建築家・坂茂

2011年2月、M6.3の大地震に見舞われたニュージーランド、クライストチャーチ。この町に今、新たな復興のシンボルとなる教会を建設しているのが、坂茂だ。坂はフランスの国立美術館ポンピドー・センター・メスの設計でフランス芸術文化勲章を受賞するなど、数々の国際的な評価を得ている世界的な建築家だ。坂の建築素材で有名なのが紙の筒、「紙管(しかん)」だ。それを用いて避難所の間切りや仮設住宅の設計を無償で提供している。2011年のニュージーランド地震で倒壊した大聖堂の仮設教会も、この紙管を使って建設中だ。一昨年に発生した東日本大震災では、宮城県女川町にコンテナ式の仮設住宅を建設。従来の仮設住宅よりも美しさと住み心地を追求。坂は世界で多発する災害被災地に緊急支援を続けていることでも知られているのだ。なぜ坂は被災地への支援を続けるのか? そこには「建築家」としての使命と責任があった!

◎人の役に立つ建築でありたい…!災害支援にこだわり続ける異端の建築家
東日本大震災の3週間前、M6.3の大地震に見舞われたニュージーランド、クライストチャーチ。この町で新たな復興のシンボルとなる教会を建設しているのが、坂(ばん)茂だ。フランスの国立美術館ポンピドゥー・センター・メスの設計でフランス芸術文化勲章を受賞するなど、数々の国際的な評価を得ている世界的な建築家だ。実は坂は、世界で多発する災害に対し、建築家として支援を続けていることでも知られている。これまで支援のため訪れた国は10カ国に上る。きっかけは、1994年ルワンダ内戦だった。難民のために「紙」のシェルターを提供。以来、国内では東日本大震災はもちろん、様々な支援を果たしてきた。世界的な評価を受けている坂が災害支援にこだわる、ある理由とは…。

◎前代未聞!「紙」の建築
建築家・坂の“代名詞”ともなっているのが、建築資材としての「紙管(しかん)」だ。ファックス用紙の芯などにも用いられ、日常的に目に触れる機会も多い紙管だが、その強度は驚くほど強い。ニュージーランドで建設中の教会にも、実は紙管が使われている。坂が開発した、驚きの紙建築の実力に迫る!

◎新たな展開!建築家が社会のためにできること
東日本大震災の後、坂は宮城県女川町に仮設住宅を建設した。3階建てで、まるで新築アパート。実は巨大なコンテナを再利用したものだった。余りの住み心地の良さに、住民からは意外な声が上がるほど。さらに坂の災害住宅への取り組みは、いま新たな展開を見せている。大和ハウスの子会社でプレハブメーカー最大手の大和リースとタッグを組み、アジアの新興国で災害住宅を大量生産する仕組みを作ろうというのだ。日本で再び大地震が起きれば、仮設住宅の建設は到底間に合わない。さらに、低価格で速く出来上がり、しかも住み心地のいい日本の災害用住宅の技術は、途上国の住環境改善に貢献できるはず…。坂の新たな挑戦が始まった。

≪ゲストプロフィール≫
1957年、東京都生まれ。NYのクーパー・ユニオン建築学部卒業。1985年に坂茂建築設計を設立。1994年にルワンダ大虐殺から逃れた難民へのシェルターの設計をきっかけに、世界の災害支援に建築家として携わり、それらの活動が高く評価され、2011年国際建築家連合から避難所の創造的探求でオーギュスト・ペレ賞(建築界のノーベル賞と称される)を受賞。
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2013-06-13 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「親を安心して預けられる病院づくり!」 青梅慶友病院会長・大塚宣夫

人は、どこで死ぬのか? 晩年をどこで過ごすのが幸せなのか? 高齢者専門の慶友病院は、入院待機者の絶えない人気病院である。大塚宣夫氏が、「親を安心して預けられる病院」づくりを目指して、33年前に創設した。全国の病院の多くが赤字に苦しむ中、突出した理念とビジネスモデルで高い収益率を保ち、超高齢化社会の介護・医療界に一石を投じ続けている。

◎病院は究極のサービス業
「母の日」。花束を抱えた家族がゾロゾロ病院を訪れ、入院している患者とともに楽しそうに庭を散歩。高齢者の患者たちは、朝起きるとパジャマから部屋着に着替えて自由に過ごし、飲みたければお酒もたしなむ。病院に有りがちな、イヤな臭いもなく食事もおいしい。それは、この病院の会長の大塚が「病院はサービス業」であり、患者と家族を「顧客」と捉えているからだ。青梅慶友病院は1980年、大塚によって開設された。精神科の勤務医であった大塚は、友人の祖母から相談を受け「老人病院」の存在をはじめて知った。それが、大塚には現代の『姥捨て山』であるように思え、「自分の親を安心して預けられる施設を作ろう」と決意する。以来、豊かな最晩年を送れる病院を目指し、独自の取り組みを続けて来た。高齢者に相応しい医療とは、若い人に対する医療とは違い、過剰な検査や治療を避け、必要最小限の薬や治療に留めようと考える。一方、生活面では尊厳を保って高齢者に接し、日々の生活を活性化することで、最晩年の生活の質を高めようとする。そうした方針で「胃ろうの状態で入院したが、今ではステーキも食べられる人」「歩行器で入院したのに、今やスタスタ歩いている人」など、残された能力が最大限、引き出されたと感じている患者と家族を取材。青梅慶応病院で実施されている「患者に対し敬語を使う」「パジャマから部屋着に着替える」「病院のイヤな臭いは徹底的になくす」「食事は最大限美味しく作る」などの取り組みを紹介する。

◎“最晩年の生活の豊かさ”を支える組織は、生活・介護・医療の順番。
ここでは、法定の4割増しの職員を配置し、患者をベッドから起こし、寝たきりの患者を減らそうとする。リハビリの職員は、通常のリハビリ機器に止まらず、音楽会、和菓子の会などさまざまなイベントを仕掛け、高齢者を喜ばせようとする。又、ユニークなのは「生活活性化員」なる存在。体育大学出身の男性が、力仕事を始め、体操、習字、算数などを患者と一緒にやり、病棟全体を活性化させる。こうした病棟全体の運営は、医師ではなく看護師長が采配している。14人の師長たちは、さらなる質の向上を目指して、刺激し合う。

≪ゲストプロフィール≫
1942年 岐阜県生まれ
1966年 慶応義塾大学医学部卒業、翌年同大学精神神経科学教室入室
1968年〜79 (財)井之頭病院で精神科医として勤務、その間に2年間渡仏
1980年 青梅慶友病院を開設し院長に
2005年 よみうりランド慶友病院を開設
2010年 慶成会会長に就任

≪会社プロフィール≫
職員総数: 1136名(青梅=783、よみうり=353)
許可病床数: 青梅=736床、よみうり=240床
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2013-06-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「チルド洋菓子製造のトップランナー」 モンテール社長・鈴木徹哉

90年代より業界に先駆け「チルドデザート」市場を開拓し、「小さな洋菓子店」シリーズなどで知られる「株式会社モンテール」。全国のコンビニやスーパーで、100円〜300円台と「手ごろな」洋菓子販売を展開する同社。91年のチルド菓子市場に参入後、約20億だった売り上げは、2012年には250億円を超える。右肩上がりを続ける その秘密を探る。

◎「おいしさ」と「安心・安全」の両立。「当たり前」を徹底し続け トップ企業へ
素材の調達には「超」がつくほどのこだわりをみせる。モンテールの工場は、都道府県別で見た農業産出額 2位の茨城県、そして酪農が盛んで飛騨天然水が流れる岐阜県と、高品質素材が集まる場所にある。保存料を一切使わないため、素材の近くで製造を行っている。どの工場にも付近に牧場地帯があり、県の酪連と組んで牛乳が取れれば、すぐに運んでもらえる体制を構築した。さらに、牛乳は、工場内の専用プラントで低温殺菌して使用。なお低温殺菌用のプラントを自社に持つチェーンは同社のみ。また、新鮮さを保つため1日数回にわけて「とれたて」を運んでもらうようにしているという。

◎NASAに並ぶ食品安全基準を採用
また、同社では、保存料などを使用しないこともあり、衛生管理も徹底。細菌の生息数を、国の食品衛生法の基準である「10万個/g以下」より厳しい「300個/g以下」に設定するなどしている。この基準は、NASAの宇宙食に使われる衛生基準と同じ。(NASAが宇宙食を作る際の品質管理基準としているHACCPを導入)宇宙でもしものことがあれば、病院にも行けないため、厳重な衛生管理がしかれるが、モンテールはそれに習っているという。そのため、工場に入るのには30分を要する徹底ぶり。そこには、まつ毛や眉毛の吸引も行う(掃除機を改良した)独自のマシンが配置されるなど、厳重な衛生管理の中、作業が行われる。

◎食べ続けて生み出す商品開発
毎朝、毎週、毎月…社員総出で自社製品を食べ尽くす!同社では、商品開発を行う企画開発部、広報部の面々が、毎朝、製品の味を一部試食してチェックする。また、毎週金曜には、現在市場に投入されている商品(50種類前後)を全て机に並べ試食!味の品質が保たれているか? ブラッシュアップが必要か? を議論。 さらに、毎月1回は、鈴木社長も交え、70名以上の社員で、全商品を食べ、アンケート調査を行う。アンケートでは、各製品の点数評価を行い、改善点などを記入する。その結果は、即座に次の商品開発へと活かされていくことになるのだ。

◎そこにあるのは「モアベター精神」
味・品質・社内の環境、全てにおいて「さらに良くならないか?」と、常に問いただす。“ベストだと思った時成長は停止する”というのが、創業時からの教えだ。

≪ゲストプロフィール≫
1970年 東京都生まれ、モンテール創業家の3代目
1997年 モンテール入社
2004年 取締役営業本部長
2006年 常務取締役兼企画開発部長
2009年 社長に就任
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2013-06-27 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「最強ブランドで世界200カ国に浸透!その強さの源泉に迫る」
ザ コカ・コーラ カンパニーCEO ムーター・ケント

1日18億杯の飲料を世界で販売する超巨大グローバル企業、コカ・コーラ。進出国は200カ国以上で、国連加盟国よりも多い。約130年前にアメリカで発明された茶褐色の飲み物が世界の隅々まで広がった背景には、一体どのような強みや仕掛けがあったのか? 世代や国境を超えても衰えないブランドの裏では、どんな取り組みが繰り広げられているのか? 「2020年までに事業規模を2倍にする」と、大胆な目標を掲げたムーター・ケントCEO。超巨大企業の知られざる全貌を明らかにする。

◎超巨大企業コカ・コーラ!世界に広がる強さ、その源とは
民主化が進み、外資参入が相次ぐミャンマー。首都ヤンゴン市内を歩くと目につくのがコカ・コーラの赤いロゴだ。一時撤退をしていたが、去年、約60年ぶりに再参入を果たしたのだ。これで参入していない国は、何とキューバと北朝鮮だけ!これほど世界のあらゆる地域で老若男女に受け入れられるコカ・コーラの商品力。その源である「秘密の原液」のレシピは巨大な金庫で守られ続けている。そして約130年間ずっと衰えないブランド力の秘密を探りに、アトランタ本社に潜入!世界に広がった商品のイメージを統一し、守り続けるための、驚くべき取り組みとは…。

◎古びないブランドの裏に「超・プロモーション力」
サンタクロースといえば、赤い服を着て、白いひげをたくわえたおじいさん。そのイメージを世界に植えつけたのは、実はコカ・コーラの広告ポスターだったといわれる。昔からインパクトある広告宣伝によって、常にそのブランドに「新鮮さ、若々しさ」を植えつけてきたコカ・コーラ。スポーツイベントにも尋常ではない力の入れ方で、オリンピックやW杯など主要なイベントは総ナメだ。日本を含め、世界中で仕掛ける「超ユニークなプロモーション」の数々も…。

◎日本でも「飲料最大手」! 世界に広がる“ニッポン発”商品
コカ・コーラは日本でも、清涼飲料最大手。日本のコカ・コーラは「日本発世界ヒット商品」を数々生んできたことで、世界の現地法人の中でも特異な存在だ。特に「アクエリアス」はヨーロッパやアジアに深く浸透。また日本で開発された、ミネラルウォーター「いろはす」の「絞って小さくできるボトル」は、アメリカにも“逆輸入”を果たした。こうした「世界商品」のCMは、日本とほとんど同じものを俳優だけ変えて流すケースもある。こうしたローカルな成功例を、各国の現場がどんどん取り入れる柔軟さも、コカ・コーラの強みの1つだ。

◎立ちはだかる課題、どう越える?
健康志向の高まりとともに、アメリカなど先進国で進む「脱炭酸飲料、脱カロリー」の動き。炭酸飲料で世界に根を張ったコカ・コーラは、今後この問題にどう対処するのか? また、事業規模の巨大さゆえに大量の水や原料を使うコカ・コーラは、これからの事業継続に向け、ある世界規模の取り組みを始めた。変わる社会の中で巨大企業が模索する、次の100年の「あるべき姿」とは?

≪ゲストプロフィール≫
1978年 ザ コカ・コーラ カンパニー入社
2008年 社長兼CEO就任
2009年 会長兼CEO就任(現職)

≪会社プロフィール≫
創業: 1886年
売上高/最終損益: 約480億ドル/約90億ドル(2012年)
世界販売数量: 1日18億杯(1杯: 237ml)
販売国の数: 200カ国以上(キューバと北朝鮮以外)
世界従業員数: 約15万人(ボトラーなども含めると70万人)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2013-07-04 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●名曲アルバム 「きよしこの夜」

ザルツブルクの北にある町、オーベルンドルフ。1818年のクリスマス前夜、この場所で「きよしこの夜」は生まれた。教会の司祭モールは親友グルーバーと皆で歌えるクリスマス曲を考えていた。夜が更けグルーバーがギターを鳴らすとモールはそれに歌詞をつけて歌った。翌日完成した曲を子どもたちと歌い、「きよしこの夜」が誕生したのである。

作曲: グルーバー
作詞: 賛美歌
編曲: ニウナオミ
演奏: 天羽明惠(ソプラノ)、晋友会合唱団(合唱)、尾高忠明(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: オーベルンドルフ(オーストリア)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2012-12-04 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> NBDR-0199にもあり



>ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し







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