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●クローズアップ現代 「“帰れない”認知症高齢者 急増する精神科入院」

介護が必要な認知症の高齢者が300万人を超える中、精神科病院への入院が急増している。その数は全国で5万2000人、12年前の2倍近くになっている。暴力や暴言、妄想などの症状が悪化し、家族や介護施設のスタッフが対応し切れなくなった上での選択だが、症状が改善した後も、家族や施設側が受け入れることができず、入院が長期化、社会的入院が広がっているのだ。さらに、刺激のない入院生活が長く続く中で、認知機能や身体機能が低下するなど、様々な問題が起きている。こうした中、精神科病院が早い段階から本人と家族を支援することで、入院そのものを減らそうという模索が始まっている。増え続ける認知症高齢者をどう支えるのか考える。(NO.3278)
(text from NHK site)

NHK総合 28min 2012-11-22 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「映画監督・今村昌平」

「人間というものが かくも複雑多面体かということがある 甚だ面白きものだと思います」: 日本映画界の巨匠・今村昌平監督。代表作「にっぽん昆虫記」や「赤い殺意」など日本の底辺に目を向け、人間の本性を執拗に追求した。1983年の「楢山節考」1997年の「うなぎ」で2度のカンヌ国際映画祭グランプリを獲得し、世界的にも高く評価された。今村昌平は大正13年、東京・大塚の開業医の家に生まれた。18歳で終戦を迎えた今村は、生活のため闇市で稼ぐ一方、早稲田大学に入学、演劇部の活動にのめり込んでいく。人間の欲望がむき出しに渦巻く闇市での生活体験が今村昌平の原点である。闇市を舞台にした黒澤明監督の「酔いどれ天使」に感動し、映画界に飛び込む。以来およそ50年、映画監督一筋の道を歩んだ。「人間とは何か、生きるとは、そして死ぬとはなにか」追求し続けた映画人生が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-01-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「作詞家・石本美由起」

「テーマが古くても捉え方切り口が新しければ新しい歌になる 作家一人一人が持っている目と心と表現力だと思う」: 昭和を代表する作詞家・石本美由起。昭和23年の「長崎のザボン売り」に始まり、美空ひばりの「悲しい酒」さらには「矢切の渡し」など、日本人の心に響く数々のヒット曲を世に送り出した。石本は大正13年、広島県大竹市に生まれた。幼い頃に小児喘息にかかり病弱な少年時代を過ごす。家に閉じこもるような生活の中、様々な文学書に触れ、特に北原白秋や石川啄木の詩を愛唱したという。二十歳を過ぎても体が弱く就職も出来なかった石本は戦後になって作詞をめざした。作曲家・上原げんとに見込まれコロンビアレコードの専属作詞家となる。ここで古賀政男、船村徹、市川昭介らの作曲家と出会い次々とヒット曲を生み出していく。作曲生活60年。時代を読み、作った日本の歌は3500曲を超えた。歌は時代を映す鏡というが、常に庶民の心を歌に綴った石本美由起の作詞家としての原点が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-01-26 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「劇作家・北條秀司」

「芝居を書くという職業を選んだことを心から私は喜んでおります この手が動かなくなるまで書きたいと思っております」: 日本演劇界の大御所・劇作家の北條秀司。新国劇をはじめ新派、歌舞伎など幅広く脚本を提供し、自らも演出を手掛け、厳しい指導ぶりから北條天皇の異名をとった。代表作に「王将・3部作」「太夫(こったい)さん」「狐狸狐狸ばなし」「建礼門院」などがある。北條秀司は明治35年、大阪の材木商の家に生まれた。幼い頃から両親の影響で文楽や歌舞伎に親しんで育ち、それが劇作家になる素地となった。父が期待する材木商を嫌い、劇作家を目指して上京し、岡本綺堂を師と仰ぐ。しかし生活のためサラリーマン勤めをしながらの劇作活動だった。昭和12年、「表彰式前後」が新国劇で上演されて劇壇デビューを果たす。その後も、人情ものと正義感の強い作風で知られ、多くの作品を発表し続けた。辰巳柳太郎、島田正吾、花柳章太郎、水谷八重子、山田五十鈴、中村歌右衛門、長谷川一夫など。日本を代表する名優とコンビを組んだ作品は演劇史に残る数々の名舞台を生んだ。劇作50年、上演作品は200本以上。名優たちと歩んだ半生が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-02-02 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「俳優・大滝秀治」(おおたき ひでじ)

「仕事は“点”じゃいけない 次もそれに勝る仕事をすると 点が線になり線が面になり面が立体になる 今どれだけのことが出来るかだと思っています」: 「役者とは修練を重ねて青い光をつかむようなもの」。独特の存在感ある演技で活躍した役者・大滝秀治。劇団民藝の代表者として日本の演劇界をけん引してきた。大正14年、東京根津に生まれる。終戦間もない昭和21年、帝国劇場で行われていた宇野重吉の舞台を見て衝撃を受けたことが演劇の道に入るきっかけであった。宇野の立ち上げた劇団民藝に研究生として参加するも、「声も悪いし年よりも老けているので演出方へ」と舞台出演の機会には恵まれなかった。しかしその後も断念することなく役者の道を目指し、45歳の時に主役の座を射止める。伝説の舞台とも呼ばれる法廷劇「審判」で、宇野から徹底的にリアリズムとは何かを学び、そのことがその後の役者道の支えとなった。「舞台の上で何もせずに存在感を出す役者はいない。」役者とは何かを追究し続け、全身で役にぶつかった大滝さんの役者への情熱が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-02-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「女優・森光子」

「戦争を知る人は 幸せの根底にあるものは平和だと もっと大きな声で言うべきだと思います 林芙美子という方は失敗しても なにも後悔しませんでした 私も同じです そのときが誠実で一生懸命だったら それでいい あしたを生きましょう」: 「あきらめてはいけない'時'を知る」。国民栄誉賞を女優として初めて受賞した森光子。その活躍の場は、テレビ・映画・舞台にと幅広く、代表作となった舞台「放浪記」は公演回数2017回という前人未踏の記録を打ち立てた。「林芙美子とは外見は似てもいない森光子さんによって、その人間のたくましさを描く」と作者・菊田一夫が「放浪記」の台本に記したように、森さんの前半生は昭和という時代に翻弄されたものであった。大正9年、京都に生まれ女手ひとつで育てられるも、母とは13歳で死別。歌劇など華やかな世界への憧れから映画の世界に飛び込むも、戦争の激化により歌手へ。しかしすぐに太平洋戦争の開戦となり、昭和19年まで戦地での巡業が仕事となる。戦後再び芸能活動を始めるも、生活苦や結核など数々の困難に見舞われる。しかし人生を諦めることなく芸能の道をひたすらに歩み続けた。森さんが次の世代に残したいと語った戦争への思い、人生への思いをたどる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-02-16 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「作家・藤本義一」

「心のこもった表情のある言葉が現代から失われていった そのことにもう一度目を向けたほうがいいんじゃないか 生きていく方向付けを手探りしながら お互いに助け合い生まれてくるものが不足している」: 上方落語家の半生を記した「鬼の詩」で直木賞を受賞した作家・藤本義一。大阪の文化、芸能、伝統をこよなく愛し、数多くの著書を発表、テレビでも長年活躍した。昭和8年、商家の長男として生まれ、浪速商人の知恵を幼いころから厳しく教えられた。大学時代に脚本家としての才を発揮、日本映画界の鬼才・川島雄三監督のもとで修業を積む。「その人間に愛情を持って立体的に掘り下げる」というその視点は、地元・大阪で脈々と継承された文化、人間力、生きる知恵に注がれ、様々なメディアで提言として発信。阪神・淡路大震災では、みずから被災しながらも、震災で親を失った子どもたちが集い触れ合える施設を立ち上げるなど、民の力を発揮した。「人の心は人でしか癒せない」。現代の中で衰えつつある人間力を最期まで懸念し、世代を越えた知恵の継承の重要性を発信し続けた藤本さんの思いを聞く。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-02-23 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「歌手・フランク永井」

「人生は出会いのドラマ もっとすばらしい人たちと すばらしい曲に出会い歌っていきたい」: 「有楽町で逢いましょう」や「君恋し」などの大ヒット曲で知られるフランク永井。昭和30年代、魅惑の低音を武器に歌謡界に新風を吹き込んだ人気歌手である。フランク永井は1932年(昭和7年)現在の宮城県大崎市で生まれた。19歳で上京、進駐軍で大型トレーラーの運転手をしながら、基地を流れるジャズに親しんだ。一曲しか歌えない英語の歌を武器に「のど自慢大会」に出場、見事優勝して歌手を目指した。昭和30年にジャズ歌手としてデビュー。立て続けに4枚のレコードを出すがほとんど売れなかった。そんな時に出会ったのが生涯の師となる作曲家・??田正である。昭和32年、??田正とのコンビで生まれた「有楽町で逢いましょう」そして「東京午前三時」「夜霧の第二国道」が立て続けに大ヒット。高度経済成長下、発展を遂げる都会の魅力を歌いあげる「ムード歌謡」という新しいジャンルを切り拓いていった。昭和の日本が一番元気だった時代。人々に夢と憧れを与えた歌手・フランク永井誕生秘話が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-03-02 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「画家・須田剋太」

「永劫に働き続けよ 体験行動を続けよ 絶えずその体験を否定し破壊しなければダメ」: 力強い奔放なタッチが特徴の画家・須田剋太。司馬遼太郎の「街道をゆく」の挿絵画家として広く世に知られている。須田剋太は1906年(明治39年)埼玉県吹上町の教育者の家に生まれた。病弱でしかも内気な少年だったという。旧制中学を卒業後、画家を目指し東京美術学校を受験。4度受けるもいずれも失敗。浦和で一人暮らしをしながら独学で絵を描き続けた。「文展」や「日展」に何度も入選。しかし絵を積極的に売ろうともせず、なり振り構わぬ貧乏生活を続ける。その後も自分のスタイルを決めず、40歳過ぎて抽象画にのめり込み、また道元の禅にも目覚めた。60歳を過ぎると再び具象画の世界へと常に自己変革をし続けた。終生童心を持って破壊と創造に徹した画家人生が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-03-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「医師・原田正純」

「水俣病事件の記憶が消えないことを願っている」: 水俣病研究の第一人者で患者の救済に半世紀にわたって取り組んだ医師の原田正純さん。昭和9年、鹿児島県生まれ。熊本大学の大学院生のときに初めて水俣を訪れ、患者の置かれている実態を知る。水俣病は、チッソ水俣工場の排水によって引き起こされた有機水銀中毒。汚染された魚を食べた住民は手足が痙攣したり、耳や目に障害を負う。原田さんは、一軒一軒こうした水俣病患者の家を訪れ診察し、実態を明らかにするとともに、母親の胎盤を通って胎児が有機水銀に冒される「胎児性水俣病」の存在も世界で初めて明らかにする。「水俣の教訓を後世に生かす」、常に患者の側にたった視点で社会に警鐘を鳴らしてきた原田さん、そのメッセージをみつめる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-03-16 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「三味線漫談家・玉川スミ」

「生きているということは こんな素晴らしいことはことはございません 嫌な思い出でも楽しい思い出に変えて 長生きをするのが人間の責任」: 大正、昭和、平成と90年近くにわたって寄席演芸の世界で活躍し、風刺のきいた三味線漫談で人気を博した玉川スミさん。1920(大正9)年、福島県郡山市の出身。生みの親から女流歌舞伎の一座に身売りされ3歳の時に初舞台。その後も、10人以上の育ての親のもとを転々し、浪曲や民謡、舞踊、漫才などさまざまな芸能を習得した。戦前から戦後にかけては「桂小豆(こまめ)」の名で漫才師として活躍。しかし、長続きする相方に恵まれず漫談に転向。幼い頃に習得した様々な芸を盛り込んだ三味線漫談で独自の芸風を確立し、寄席演芸の世界で活躍。1971(昭和46)年には120本もの扇子を使って松を表現する「松づくし」という芸で文化庁芸術祭優秀賞にも選ばれた。晩年は「現役最高齢の寄席芸人」として舞台に立ち続けた玉川スミさん。芸の裏に秘められた波乱の人生を語る。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-03-23 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「俳優・小沢昭一」

「経済大国でなくても中の下ぐらい 昭和の初めごろの世の中の感じで その方が人間の心と便利な暮らし 両方のバランスがちょうどいいと思う」: 個性的な名脇役として異彩を放った俳優小沢昭一。舞台やテレビで活躍する一方、独特な語り口でラジオの名パーソナリティーとしても知られ、さらに俳人、エッセイスト、芸能研究家とマルチな才能を発揮した。特に各地に残る大道芸や伝統芸能を発掘し、収集した記録は貴重な民族資料として高く評価されている。小沢昭一は昭和4年東京生まれ。蒲田の写真館の一人息子として育った。少年期を蒲田で過ごしたことが、俳優小沢昭一の原点である。当時蒲田は京浜工業地帯の一翼を担う新開地。近くには松竹蒲田撮影所があり、週に3日も夜店が出るという活気あふれる街だった。しかも川あり森ありの自然がいっぱい。そんな環境の中、小沢少年は朝昼晩夜中と遊びまわった。その時の体験が小沢昭一の血となり肉となっている。少年時代が人生の黄金時代だという小沢昭一。果たしてその心は・・・。場所の故郷でなく、時間の故郷(昭和初期)の魅力に想いを寄せる、小沢昭一的こころが語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-04-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「歌手・美空ひばり」

「“この世の中でいちばん何が好き”と聞かれたら 私は“歌です”と答えるでしょう」: 昭和の歌姫・美空ひばり。数え切れないほどのヒット曲をとばし、終戦直後からおよそ40年間、常に歌謡界のトップスターであり続けた国民的歌手である。美空ひばりは昭和12年横浜の魚屋の長女として生まれた。歌好きの父親の影響から物心ついた時には歌を歌っていたという。字がまだ読めないのに百人一首を暗記、大人たちを驚かすほど耳から憶える記憶力は抜群。その天才ぶりは歌にも生かされた。終戦直後、父・増吉が素人楽団「美空楽団」を結成し、ひばりは9歳でデビューした。たちまち天才少女歌手といわれ、12歳で映画初主演。その主題歌「悲しき口笛」が大ヒット。全国の少年少女の憧れの的になった。その後も常に時代のトップ歌手であり続けた美空ひばり。日本の発展とともに歌い続けた天才歌手の素顔、そして半生が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-04-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「岩波ホール総支配人・高野悦子」

「映画を愛してくださる方の輪が広がるというのが、私どもの本当の願いなんです。」: 東京の映画館、岩波ホールの総支配人として、埋もれた名作映画を発掘する活動に力を尽くした高野悦子さん。1929(昭和4)年、旧満州生まれ。大学在学中、社会心理学の研究テーマとして与えられた「映画」の魅力にとりつかれ、映画会社で観客の嗜好調査の仕事に就く。やがて映画監督を志すも、当時まだ女性には監督への道は開けていなかった。高野さんは会社を辞め、フランスのパリ高等映画学院に留学。帰国後は映画の脚本やテレビドラマの演出を手がける。しかし、映画製作をめぐるトラブルがきっかけで、監督の道を諦める。映画の作り手から見せる側へ。転機が訪れたのは1968(昭和43)年。東京・神田神保町に岩波ホールの創立とともに総支配人に就任する。1974(昭和49)年からは世界の埋もれた名作映画を発掘し、上映する運動「エキプ・ド・シネマ(フランス語で“映画の仲間”の意)」に取り組み始める。他では観られない作品を求めて多くの映画ファンが岩波ホールを訪れるようになる。客席数200余りの劇場で独自のプログラムを組む興行方式はミニシアターの先駆けとなり、今年、創立45周年を迎えた。また、昭和60年からは「東京国際女性映画祭」のジェネラルプロデューサーとしても活躍し、女性の映画界への進出を支援してきた。多くの人々に映画の魅力を伝え続けた高野悦子。映画とともに歩んだ人生を語る。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2013-04-27 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●視点・論点 「“アーカイブ立国”を目指せ」 弁護士・文化庁eBookプロジェクト主査…福井健策

NHK総合 10min 2013-02-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Mono





●視点・論点 「世界の現状と人道援助の意義」 国境なき医師団日本会長…黒崎伸子

NHK総合 10min 2013-02-25 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Mono





●視点・論点 「宇宙エレベーターが紡ぐ未来」 宇宙エレベーター協会会長…大野修一

NHK総合 10min 2013-03-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Mono --->地デジ VAIO-L





●視点・論点 「“語源遺産”の旅」 放送作家・語源ハンター…わぐりたかし

NHK総合 10min 2013-05-03 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Mono





●名曲アルバム 「大きな古時計」

日本でもおなじみのこの曲は、アメリカの音楽家ヘンリー・クレイ・ワークによって作詞作曲された。コネティカット州ミドルタウンで生まれたワーク。家が貧しく、13歳の時に印刷工場で働きながら独学で音楽をまなんだ。そんなワークが妻サラから聞いた「おじいさんと時計」の話を元に作ったとされるのが「大きな古時計」である。実際に残るモデルとなった古時計の映像とともに、今回は男性合唱、英語詞で紹介する。

作曲: ワーク
作詞: ワーク
編曲: ニウナオミ
演奏: 東京混声合唱団(合唱)、円光寺雅彦(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: グランビー、ミドルタウン(アメリカ)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2013-05-02 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> NBDR-0253にもあり





●名曲アルバム 「組曲“大峡谷”から“日の出”」

この曲は、アメリカの作曲家、ファーディ・グロフェの代表作の1つで、想像を絶する巨大な規模の大峡谷であるグランドキャニオンの風景を音で描いた管弦楽曲である。5曲からなる組曲で、第1曲は「日の出」、第2曲「赤い砂漠」、第3曲「山道を行く」、第4曲「日没」、そして第5曲は「豪雨」と標題がついている。今回は夜明け前の静寂、精気に満ちあふれた陽光に照らされる岩肌などを鮮明に描いた「日の出」を紹介する。

作曲: グロフェ
演奏: 大友直人(指揮)、NHK交響楽団
映像: グランドキャニオン(アメリカ)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2013-05-05 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> NBDR-0253にもあり



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