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●戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか|第5回 「福島・浜通り 原発と生きた町」

福島県東部の浜通り。原発事故で、今も多くの人々が避難生活を余儀なくされている。東京電力福島第一原子力発電所の敷地には、戦前、陸軍の飛行場があり、戦後は塩田が開かれた。現金収入の少ない生活は厳しく、農閑期には多くの人々が出稼ぎに出た。福島県は戦前から只見川や猪苗代の水力発電によって電気を東京に送る電力供給地だった。戦後、浜通りの双葉町と大熊町は原発を誘致し、1971年、第一原発の稼働を迎える。新たな雇用が生まれ、人々は出稼ぎをせずとも暮らせるようになったが、初期の運転トラブルに対する疑問から反対運動も生まれた。国は1974年電源三法を制定し、巨額の交付金を配付。町の財政が潤うなかで反対の声も次第に小さくなっていった。しかし、1990年代になると、交付金で建てた公共施設の維持費などで町の財政が悪化。さらなる原発の増設を求めていった。そして迎えた2011年3月の原発事故-。浜通りの人々は、今、原発と共に生きてきた戦後をどのように見つめるのか。
(text from NHK site)

NHK教育 90min 2014-01-10(2014-01-04の再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> BD焼込みソフトのミスで82分以降が途切れている。約2分半のエンディング部分は、音声のみMDT-011の#28に収録されている。





●戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか|第6回 「三陸・田老 大津波と“万里の長城”」

「津波太郎」。岩手県宮古市田老(たろう)は、そう呼ばれる。豊かな漁場にめぐまれた漁業の町は、繰り返し津波に襲われてきた。昭和8年の大津波では死者911人―三陸最悪の被災地であった。加えて、幾たびも山津波や大火に見舞われた。田老の戦後は、自然災害にあらがい、防災と取り組んでまちをつくりあげてきた歳月でもあった。象徴的なのが、防潮堤の建設だ。昭和の大津波の1年後、村長関口松太郎の奮闘によって始まった大工事は、やがて県の事業となり、国費もつぎ込まれ、24年をかけて完成した。それは、波に逆らうことなく、二本の川に津波をそらす構造になっていた。しかし、1960年にチリ津波が来ると、国は構造物によって、津波を防ぐという「チリ津波特別措置法」を制定。田老にも二つ目となる防潮堤が建設される。それは、波に立ち向かい、抱きかかえるような形だった。こうして、総延長2.4キロ、海面からの高さ10メートルのエックス字型の大防潮堤が完成。世界に例を見ないコンクリートの威容を、田老の人々は「万里の長城」と誇った。しかし、東日本大震災では、二つ目の防潮堤は、津波により根本から壊され、地域に甚大な被害をもたらした。高さ10メートルの最初の防潮堤は崩壊を免れたものの、「防潮堤の2倍はあった」という津波は乗り越えていった。田老は、200人近い犠牲者を出した。田老の人達は、巨大堤防でどのような町作りをめざしてきたのか。番組では防潮堤の建設の経緯を軸に、つねに自然災害と対峙して生きてきた田老の人たちの営みを証言で見つめていく。
(text from NHK site)

NHK教育 90min 2014-01-11 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●大科学実験 「手作り空気エンジンカー」

スケールの大きな実験を、スタイリッシュな映像で描く科学教育番組シリーズ。今回は、自転車の空気入れで圧縮させた空気を使ってピストンを動かし、車を走らせる実験。5人が、空気入れで空気を送り込むと、車は時速8kmで動く計算となる。人力で送り込む圧縮空気で、空気は広がったり縮んだりすることを学び、縮んだ空気が広がると物を動かす力になることを見せる。
(text from NHK site)

NHK教育 10min 2013-01-12 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> NBDR-0230にもあり





●ミクロワールド 「チョウ 美しいはねの秘密」

NHK教育 5min 2013-03-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> NBDR-にもあり
> NDR-054にアナログ放送版あり



>ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し







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