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●ETV特集 「戦傷病者の長い戦後」

日中戦争・太平洋戦争で負傷し傷害を負った元兵士たちでつくる日本傷痍軍人会が2013年秋に解散した。かつて35万人を数えた会員も5千人、平均年齢も92歳を越えた。総力戦となった第二次世界大戦は、膨大な戦死者とともに多くの戦傷病者を生んだ。戦時中彼らは戦意高揚の中「白衣の勇士」とたたえられ、国家からさまざまな優遇施策を受けた。しかし敗戦後は軍事援護の停止による恩給の打ち切りなど、戦傷を負った人々とその家族の生活は困窮と苦難のふちにあった。講和と独立のあと、軍人恩給の復活とともに傷病者への支援も僅かに改善をみたが、手足の欠損、失明、とう痛、体内に残った手りゅう弾の破片など戦争の傷跡は、彼らの生涯を苦しめた。傷痍軍人にとって“戦後”はその一生を終えるまで続いたのである。かつて昭和40年代頃まで街頭や縁日、列車内などで見られた“白衣募金者”たちもとうに姿を消し「傷痍軍人」はまさに歴史の中に埋もれようとしている。傷痍軍人たちは戦後をどう生きたのか、どのような絶望の中に日々を送り、どんな思いでその困難な人生を切り開いてきたのか。そして国や私たち国民は彼らをどう遇したのか。東京九段の「戦傷病者史料館・しょうけい館」には180人、計300時間にのぼる傷痍軍人とその家族の証言映像記録がある。受傷の痛みと葛藤、社会復帰と自立、差別と心ない中傷、戦死した戦友への罪障感、労苦を共にした夫婦愛、戦後日本社会への違和感・・・・・・彼らの証言をベースに膨大な遺品、資料を取りまぜながら、傷痍軍人たちが問いかけたこと、言い残したこと、私たちがもう一度、見、聞き、知らねばならないことを考える。戦後もすでに68年、ついにその戦傷の痛みと欠損を報われることなく、あまたの人々がそれぞれの体験の記憶と無念の思いと共に、私たちの前から姿を消した。「国が、人々が、われわれのことを忘れてしまったのではないか」生きのびた傷痍の人々が異口同音に漏らす言葉である。傷痍軍人会解散という最後の機会に彼らの声に耳を傾け<日本人の記憶>として心にとどめる。
(text from NHK site)

NHK教育 60min 2014-03-15 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●Eテレセレクション・アーカイブス|ETV特集 「ひとりと一匹たち 多摩川 河川敷の物語」

写真家、小西修が多摩川にすむ猫を撮影しはじめて16年になる。河川敷に捨てられた猫たちが懸命に生きる姿に心ひかれてきた。小西にとって猫とつきあうことは、ホームレスとつきあうことでもある。ほとんどすべての猫は、ホームレスとなった人々が世話をしているからである。東京と神奈川の境界を流れる多摩川。その河川敷に暮らすホームレスは、およそ900人、全国の河川の中でも最多である。もう10年近くテント小屋で暮らす60代、最近、急増した30代・40代のホームレス・・・。けがや不況、人間関係の挫折、ホームレスになった理由はさまざまだ。彼らは社会からはじき出された自分と重ね合わせるように、捨てられた猫に愛情を注いでいる。今、世界不況の波が河川敷を襲っている。ホームレスの多くは空き缶を集めて売り、生活の糧を得ているが、その空き缶の相場は、去年秋に比べ、4分の1にまで下落した。河川敷の世界も、かつてない危機にみまわれているのだ。その中で、ホームレスたちは、新しい仕事を探し、自分の食費を切り詰めながら、猫たちの餌を確保しようとしている。ホームレスたちは河川敷暮らしを“丘から川に降りる”という。そして、一度降りると、“丘”に上がるのは、物理的にも精神的にも困難だ。ある30代のホームレスは、“丘”について“なんか怖いのだ”と語る。競争原理が支配する“丘”の世界、不要になった生き物を壊れた玩具の様に捨てていく“丘”の世界。そこは川に降りた者たちの目に、どのように映っているのだろう。番組では、小西さんと一緒に多摩川を歩き、猫とホームレスの秋から冬にかけての数か月を取材する。“ひとり”たちと“一匹”たちの悲しくも優しい物語、そこからは弱者の存在を許さない社会の様が浮かび上がってくる。
(text from NHK site)

NHK教育 90min 2014-03-15(2009-03-01のアンコール放送)
Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK SPECIAL 「メルトダウンFile.4 放射能“大量放出”の真相」

「メルトダウンFile. 2 連鎖の真相(2012年7月放送)」で文化庁芸術祭大賞、「メルトダウンFile. 3 原子炉“冷却”の死角(2013年3月)」で放送文化基金本賞を受賞したシリーズの第4弾。今回は、“最大の謎”大量放出の原因に迫る。福島第一原発の事故でまき散らされた放射性物質は、チェルノブイリに次ぐ量に上り、それが原因で未だに13万人近くが避難を余儀なくされている。しかし、事故から3年たった今も、大量の放射性物質が、なぜ、どのようにして放出されたのか、明らかになっていない。関係者への膨大な取材と、専門家による独自の分析で浮かび上がってきたのは、思いもよらない放射性物質の漏洩ルート。日本の原発が誇ってきた「多重防護」の弱点だ。さらに、事故後も、大量放出を防ぐための“最終手段”と位置づけられている「ベント」の思わぬ落とし穴も明らかになってきた。専門家は「これは福島第一原発だけでなく、他の同型の原発も抱える弱点ではないか」と指摘する。核燃料がメルトダウンした後、なぜ、どのようにして放射性物質の“封じ込め”に失敗したのか。科学的な検証とシミュレーション、関係者の証言からその真相に迫る。
(original text from NHK site)

NHK総合 50min 2014-03-16 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo



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