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●「花咲舞が黙ってない」 第9話

舞(杏)は事務応援のために新宿支店に行き、テラーの仕事を任されていきいきと働いていた。だが営業終了後、勘定を終えたところに、融資課の伊丹清一郎(平岡祐太)が強引に伝票処理をさせようとしてきた。怒った舞は、伝票を突き返すが、清一郎は東京第一銀行の取引先、伊丹グループの御曹司のため、彼には誰も何も言えず、処理するしかなかった。それをわかって不遜な態度をとる清一郎に、舞の怒りは募るばかり。舞が清一郎と衝突した話はすぐに本部にも伝わり、舞と離れて開放感を味わっていた相馬(上川隆也)も、翌日、監視のため新宿支店に行くよう命じられる。かつて新宿支店の融資課で働いていたことのある相馬は、そこで、当時担当していた客・幸田(梨本謙次郎)と再会する。幸田は会社経営者で、決済日が迫る中、清一郎に融資を渋られて困っていた。そして決済日当日、幸田は清一郎から一方的に融資を断られる。幸田の会社は黒字経営で、融資を断られる理由がなかった。このままでは、倒産する必要のない会社が倒産してしまう。舞と相馬は幸田の会社を救うために奔走するが―――。
(text from NTV site)

読売テレビ 54min 2014-06-11 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「“1坪店舗”でうまいものを売りまくる!地方の逸品を発掘する“食の伝道師”」
生産者直売のれん会社長・黒川健太

駅構内でよく見かける、1坪ほどのスイーツ売り場。そこで大ブレークした地方グルメの先駆けが、広島・八天堂の“冷やして食べるクリームパン”だ。2009年に東京に進出、今や月商は1億5000万円に上る。陰の立役者が、販売を担った「株式会社 生産者直売のれん会」。2007年の設立から7年の新興企業だが業績は右肩上がり。年間売上高30億円を超えるまでに成長している。「良いものを作りながら販路がない」「大手との価格競争に巻き込まれている」――。そんな状況に苦しむ中小食品メーカー100社を、「のれん会」は組織化。地方の逸品を全国に販売している。黒川健太社長(38歳)が目指すのは、“価格競争”から“価値競争”への転換。新たな食品流通ビジネスを確立しようとする「のれん会」の取り組みを追う。

◎「1坪店舗」で売る極意
「のれん会」は販売だけでなく出店交渉や店舗設営までを、会員の食品メーカーに成り代わり手掛ける。扱う食料品は、全国的には無名だが地元では人気の逸品。ドーナツやマンゴープリンといったスイーツ、海産物の缶詰、せんべいや梅干しなど多岐に渡る。店を出すのは駅の構内、百貨店の催事場、日帰り温泉、祭りの会場など。店舗の多くは1坪程度の狭さだが、中には1日100万円近く売り上げる店もある。なぜそこまで売れるのか? 「のれん会」独自のビジネス戦略を探る。

◎倒産危機から復活!“絶品クリームパン物語”
広島の老舗パンメーカー「八天堂」は2001年、赤字に転落。起死回生を図ろうと生み出したのが「冷やして食べるクリームパン」だった。転機となったのは、2008年の「のれん会」との出会い。従来のクリームパンとは全く異なる味と食感に黒川は大きな可能性を見いだし、東京での販売を決意する。しかし当時「のれん会」は知名度も実績も資金もなく、駅ナカなどの好立地は得られなかった。黒川はどのようにして「クリームパン」を大ヒットに育て上げたのか?

◎中小企業同士を結び新たなヒット商品をつくれ
「のれん会」は今、新たな試みに取り組んでいる。会員である食品メーカー100社は、それぞれ異なる得意分野や技術を持つ。それらをを結び付け、新たな商品を開発しようというのだ。その一つがいま、実を結ぼうとしている。東京唯一のしょうゆメーカーと愛知県の外食向けデザートメーカーがタッグを組んだ「しょうゆジェラート」だ。開発から商品完成までを追った。

≪ゲストプロフィール≫
1975年生まれ
1999年 ベンチャー・リンク入社
2007年 同社子会社として発足した生産者直売のれん会の社長に就任
2010年 MBO(経営陣が参加する買収)で独立

≪会社プロフィール≫
設立: 2007年5月
本社: 東京都 台東区
売り上げ: 約30億円(2012年度)
従業員数: 50名
事業内容: 食料品小売、コンサル業
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2013-12-05 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●地球ドラマチック 「古代マヤ文字を解読せよ」

長い間、謎とされてきた古代マヤ文明の文字。近年ようやく解読に成功、高度な文明の知られざる歴史が明らかになりつつある。超難解な文字はどのように解読されたのか。中米で栄えた古代マヤ文明は、独特の絵文字を使っていた。16世紀、スペインがこの地を征服した際に、スペイン語を強制され、マヤ文字による書物が焼きつくされたため、誰も読めない文字となってしまった。19世紀以降、多くの研究者が解読に挑戦し、数字や暦を読めるようになったものの、文法が難解で文章としては解読できなかった。突破口を開いたのは、あるアメリカ人の少年だった…。(2008年 アメリカ)
(text from NHK site)

NHK教育 45min 2013-12-07 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 二か国語





●新・ルソンの壷 「“どないかしましょ”で生き残れ ~東大阪・町工場の挑戦~」 オーシン社長…藤田剛

従業員15人の小さな町工場ながら、ある分野で独占的なシェアを誇る会社が東大阪にある。アルミの器や土鍋などIH調理器では使えないものをIH対応に加工するオーシン。顧客の難しい注文にも「どないかしましょ」と応え続けてきたことが、幅広い独自の技術開発につながったという。この小さな会社はどのように市場を切り開いてきたのか? その秘密に迫り、ものづくりをする中小企業が生き残るヒントを探る。
(text from NHK site)

NHK総合 25min 2013-12-08 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NNNドキュメント'13 「死してなお… 忘れられた兵士の遺骨」

太平洋戦争開戦から72年。今も何万という兵士らの遺骨が眠り続けている場所がある。戦時中、全国に次々と建設された「忠霊塔」(納骨堂)だ。そのひとつ、大阪市の「旧真田山陸軍墓地」には5千の墓石と納骨堂があり、昭和の戦争で亡くなった8千あまりの兵士の骨壷が当時そのままに残されている。納骨堂は当時の陸軍が深く関与し建設されたが、戦後、国がその管理を事実上放棄、遺骨の存在は忘れ去られていた。真田山では市民団体による調査でようやくその内容が判明、遺族も知らないまま兵士らの遺骨が放置されてきた実態が明らかに。見えてきたのはシンボリックな建物に遺骨を納め「忠霊」と崇めることで、兵士らの死を国威発揚に利用した国の姿だった。
(text from NTV site)

よみうりテレビ 30min 2013-12-08 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo



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