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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「消滅寸前…日本の伝統のモノづくり企業を次々再生!300年企業が挑む“新・ブランド創出術”」
中川政七商店社長・中川淳(じゅん)

中川政七商店は、奈良で300年続く麻織物「奈良晒(さらし)」のメーカーだが、今や全国に33店舗を持ち、注目を浴びている企業。実は自社商品を製造・販売するだけでなく、全国の伝統工芸品を自社の店舗で売り、瀕死のモノづくり企業を再生させているのだ。日本人の生活の中で長く愛用されて来た「伝統工芸品」は数多くあるが、今は生き残りが極めて厳しい時代。中川は、「その良さを自分たちで伝えること」にこだわり、直営店の展開に注力している。「日本の工芸を元気にする!」がコンセプトの、新たな中小モノづくり企業再生術に迫る!

◎伝統の品が赤字に…300年の老舗 奇跡の再生
東京・丸の内に、平日の日中でもにぎわう大人気の店がある。奈良の麻織物の老舗が仕掛ける「中川政七商店」だ。店に並ぶのは自社の麻織物などの製品だけでなく、包丁、土鍋、ノート、陶磁器などなど…。「暮らしの道具」をコンセプトにした、日本の伝統工芸の品々だ。社長の中川淳は、京都大学を卒業後、2年間の大手電機メーカー勤務を経て、家業の中川政七商店に入社。父の代では茶道具などを扱い年商9億円と経営は安定していたが、入社して初めて老舗の看板の麻部門が赤字に陥っていることを知る。危機感を感じて改革に乗り出した中川だったが、さらに追い討ちをかける出来事が…。デパートに営業に行くと、伝統の麻のポーチが特売品でワゴンセールになっていたのだ。「良いものであっても、伝わり方、伝え方が悪ければダメだ。自分たちでそれをやろう!」中川は、商品の良さを客に直接伝えられる、自分たちのブランドと直営店の立ち上げに挑む。そして見事に掴んだ表参道ヒルズへの出店。これにより中川政七商店は、奇跡の再生を成し遂げたのだ。

◎迷走する中小ものづくり企業…経営指南で次々再生!
ここ数年、中川のもとには廃業の知らせが後を絶たない。古くから日本の生活と共にあった品々を作って来た零細、中小企業が次々と姿を消しているのだ。そこで中川が乗り出したのは、中川政七商店の再生で得たノウハウを使って、他社の再生支援をすること。中川は、たった一人でこれを始めた。長崎県波佐見町にある有田焼の下請けメーカー「マルヒロ」では、確かな技術と生産力を生かして「売れる商品づくり」を提案。焼き物のブランドに「HASAMI」と命名し、地域も製品も同時に発信する手法を展開した。また新潟県三条市にある包丁鍛冶「タダフサ」では、900種もあった包丁を絞り込み、客が選びやすいよう「基本の7本」を提案。そのうちの1本は、中川とタダフサとで考案した、包丁メーカーならではの「パン切り包丁」だ。どこにもないタダフサだけの一品に、注文が殺到した。企業再生を手掛けるコンサルタントは数多くいるが、一体何が違うのか? 「何をやりたいのか、将来どうなりたいのか。僕らの手法は『自分たち起点』でものづくりを考える」と、中川は話す。

◎産地再生のカギは「一番星を作ること」 中川の新たな挑戦が始まった!
中川は最近、新たなコンセプトの店を立ち上げた。それは「土産物で地域を元気にする」店。土産物こそ、その土地に根付く昔ながらの工芸品――そう考えた中川は、経営に苦しむ土産物店と、作ったものが売れなくて困っているその地域の工芸の職人をネットワークする仕掛けとして、ショールームとなるような土産物店を開いたのだ。その名も「日本市」。人が集まる「市」と、日本一の土産物という意味をかけた。まずは奈良に1号店。今後、これを全国各地に広めていくつもりだ。中川は言う。「その地域に、タダフサのような“一番星”ができれば、2番手、3番手は見よう見まねでついてくる。これが産地を元気にする秘訣です」。自分の店で他社の工芸品を売り、経営に入り込んで再生に手を貸し、さらには産地を元気にする仕掛けまで自分で作る。誰もやってこなかった「ニッポンの工芸を元気に!」を、中川は実践している。

≪ゲストプロフィール≫
1974年生まれ
2000年 京都大学法学部卒業後、富士通に入社
2002年 家業の株式会社中川政七商店に入社
2008年 社長就任

≪会社プロフィール≫
本店: 奈良市東九条町
創業: 1716年(享保元年)
売上高: 31億円
従業員: 約270人 「遊 中川」「粋更」など5つのブランドで全国33店舗を展開
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2014-01-30 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「“パンの缶詰”で貧困をなくせ!栃木のパン屋さん、世界規模の挑戦!」
パン・アキモト社長・秋元義彦

栃木県・那須塩原市にあるベーカリー「パン・アキモト」。店舗数は2店、名物は創業以来60年以上作り続けている「甘納豆パン」…。一見、どこの街にもある普通のパン屋さんかと思いきや、実はこの会社の「ある商品」が世界中の人々を喜ばせている。それは「パンの缶詰」。災害時のための非常食だ。非常食というと乾パンのように固いものを想像してしまうが、「パン・アキモト」のパンの缶詰は違う。なんと製造から3年がたっても、焼きたてパンのようにふわふわで柔らかい。しかも味の種類は25種類にも及ぶ。秋元が取り組んでいる食料に困っている地域にパンを届ける事業は決して社会貢献ではない。秋元はこの「パンの缶詰」を世界各地の人々に届ける事業を、持続可能な採算がとれるビジネスにまで育て上げたのだ!日本を始め各国で特許をとった独自の製法から生み出される「缶詰パン」の凄さとは? 一体どんな仕組みで社会貢献とビジネスを両立させているのか? 栃木のパン職人・秋元の、世界規模の挑戦を追う!

◎常識を覆した!3年経っても“ふわふわ”の秘密とは?
「3年たっても焼きたてのような缶詰パン」。栃木県那須塩原市でベーカリーを営む秋元義彦がそれを開発するきっかけとなったのは、1995年に発生した阪神淡路大震災だ。震災直後に秋元は被災地神戸に2千個のパンを送ったが、半分以上が傷んでしまい、食べられずに捨てられたのだ。悔しがった秋元は、「焼きたてのようにおいしく、日持ちがするパン」の開発に着手。そして1年間、試行錯誤を続けて編み出した、「斬新すぎる製法」とは…。

◎画期的な仕組みに企業も賛同・・・新しいビジネスの形
去年11月の巨大台風の被害にいまだ苦しむフィリピン。その被災地の子供たちに、「救缶鳥」という名前のパンの缶詰を届ける秋元の姿があった。実は秋元は、「1缶800円で企業が備蓄した缶詰を、賞味期限を1年残した状態で回収し、食べ物に困る海外の地域へ届ける」というビジネスモデルを構築したのだ。缶詰を提供する企業はイメージアップが期待でき、もちろんパン・アキモトも利益を生む。みんなが喜び、しかも支援が長続きする仕組みだ。社会貢献をビジネスで実現した「救缶鳥」。その絶妙な仕組みづくりの裏側とは?

◎目の前の「困った」にニーズあり!街のパン屋さんの生きる道
パン・アキモトが長年取り組んでいる小さな事業がある。それは「戸別訪問販売」。買い物に出られない高齢者などの家を1軒1軒まわり、温かい焼きたてパンを届けているのだ。また、糖尿病患者でも食べられる、血糖値の上がりにくいパンの開発にも着手。大企業が手を出さないような、身近で小さな「困った」という声にこそ、中小企業が拾い上げるべきニーズがあると秋元は考える。

≪ゲストプロフィール≫
1953年 栃木県黒磯町(現那須塩原市)生まれ
1978年 秋元ベーカリー入社
1996年 社長就任
2000年 社名を「パン・アキモト」に変更

≪会社プロフィール≫
創業: 1947年
売上高: 5億円(2013年9月期)
店舗数: 2店
工場: 2ヵ所(本店内、沖縄)
従業員: 約60人
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2014-02-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●ソロモン流 「賢人: 『クラブハリエ』グランシェフ・山本隆夫」

昨年、有名シェフや有名店が約160店鋪参加したJR名古屋高島屋のバレンタインフェアで、売上げ第1位となったクラブハリエ。滋賀県近江八幡で1872年に創業の老舗和菓子舗『たねや』の洋菓子部門として、1951年に産声を上げたブランド。山本さんが担当した当時は赤字経営だった。そんな彼が紆余曲折を経ながら人気商品にしたのが、ふんわりととろけるような食感としっとりとした深い味わいの、今までになかったひと味違うバームクーヘン。さらに、買い物客の目の前で焼き上げる、ショップ・イン・ファクトリーのスタイルを展開することで爆発的バームクーヘンブームを引き起こし、赤字続きだった同社を一躍人気店へと変貌させた。その後、全国に様々な店舗を展開するほどの企業になった今、手作りの温かさを大切にしたこだわりの逸品を揃えている。今年のバレンタインフェアをどう戦い抜くか。自分のことを心配性だと語り、何事にも満足せず、近江の伝統を背負いながら革新に挑み続ける山本隆夫の挑戦に密着しました。
(text from TV-tokyo site)

テレビ大阪 54min 2014-02-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> BDR-0268に カンブリア宮殿 「“真似されてこそ本物!” 和菓子の老舗に“商いの道”あり」 たねや社長・山本昌仁 あり





●プロフェッショナル 仕事の流儀(223) 「街を灯す、真心の洋菓子」 洋菓子職人・橫溝春雄

都心から電車で30分、川崎市郊外の住宅地に、小さな洋菓子店がある。腕をふるうのは洋菓子界にその名が轟く職人・横溝春雄(66歳)。看板商品はザッハトルテやイチゴのショートケーキなど、一見どこにでもありそうな洋菓子。しかし磨き上げた職人技が生み出すその味は、「この店のお菓子しか欲しくなくなる」と数多くのリピーターを生み出し、店には連日400人を超える客が訪れる。25年前、都心の有名店のシェフの地位を捨て、まだ開発が進んでいなかった郊外に店を構えた橫溝。そこには、「地域の人に愛される店を作りたい」という思いがあった。菓子作りに真摯に向き合うその姿勢は、数多くの一流パティシエから尊敬を集めている。去年のクリスマス、橫溝は25人の弟子たちと共に、4日間で3500個ものケーキを作る総力戦に挑んだ。ミスが許されない過酷な現場で、若い弟子たちをいかに育てるか。24時間体制のちゅう房にカメラが密着。洋菓子職人の熱きドラマに迫る。
(original text from NHK site)

NHK総合 50min 2014-02-03 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo



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