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●映像’14 「自主避難」 ~原発事故3年・家族の苦悩

3年前に起きた東日本大震災と原発事故で、福島県には放射能汚染が広がった。郡山市に夫を残し、大阪市に母子避難中の主婦・森松明希子さんは「避難区域外からの自主避難には、被ばくを避ける人として当たり前の権利が認められていない」と訴訟の原告になる。一方、福島市に残り、妻子を新潟県に避難させている大学教員・荒木田岳さんは、「被ばくの不安と日々向き合うのは辛い」と訴える。復興や帰還ばかりが叫ばれる中、被ばくの不安を訴え、声を上げる人たちを追う。(第51回ギャラクシー奨励賞受賞)
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(取材ディレクターより) 東日本大震災と、それにともなう福島第一原発事故により、福島県には放射能汚染が広がりました。本来なら、放射線管理区域にしなければならないレベルの、高濃度の汚染です。国は、原発から距離や年間の被ばく線量が20ミリシーベルトを超えるかどうかを基準に、避難指示区域を定めていますが、それ以外の区域では、除染をしながら人々を住み続けさせる政策を取っています。しかし、その除染も計画通り進まず、遅れが目立っています。ある切実なデータがあります。2012年8月に福島市が市民を対象に行った意識調査で「原発事故後の心理状況」について「今でも避難したい」かどうか聞いたところ、33.7%の人が「今も思っている」と回答しました。妊婦や、乳幼児・小学生の子のいる世帯に限ると、「今も思っている」が過半数を超えます。「復興」「がんばろう福島」のかけ声とは裏腹に、放射線による被ばくを不安に感じ、国や県などの助けを待っている人たち(とくに子育て世代)が、大勢いることがうかがえます。今回、番組の取材対象になったのは、たまたま条件が整って県外に避難できた人たちですが、避難指示区域外からの避難は“自主避難”とされ、十分な賠償や補償も受けられません。さらに、被ばくへの不安を訴え、声を上げることで「風評被害をまき散らす」「現地でがんばっている人に失礼だ」などと、バッシングされることさえある、といいます。避難するのも留まるのも、茨の道。そんな状況に福島の人々を追い込んでいるものは、何なのか。全国に原発がある中、国民全体で考えていかなければならない問題です。番組としてひとつの形にはなりましたが、状況が終わることはありません。だから、取材も続けていきます。
(text from MBS site)

毎日放送 60min 2014-03-16 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「地方の底力SP第二弾 ~苦境にあえぐ地方商店街!奇跡の再生術~」
高松丸亀町商店街振興組合理事長・古川康造(こうぞう)

巨大化し増殖し続ける大型量販店の陰で、今、商店街がピンチに追い込まれている。全国に約1万3000カ所と言われている商店街。その4割以上が「シャッター商店街」(商店街の10%以上が空き店舗)と呼ばれる寂れた商店街だという。「もはや復活は不可能…」との声まで囁かれる地方都市の商店街。しかし、そんな厳しい状況の中で、奇跡の復活を遂げた地方商店街があった。それこそ香川県高松市にある「高松丸亀町(まるがめまち)商店街」だ。全長470メートルの通りには約200の店が立ち並ぶ、いわゆる「シャッター通り」とは無縁の場所だ。グッチやティファニーなどの高級ブランドが軒を連ね、最新式駐輪場、診察所、カルチャーセンターなど、必要なものが何でも揃うショッピングモールのようになっている。そして、市民の圧倒的な支持を受け、休日に1日3万人が訪れる四国随一の人気商店街に成長した。しかし、実は、この商店街も、少し前までは客数が年々減少する、廃れかけた商店街に過ぎなかったという。なぜ、丸亀町商店街は復活できたのか? そこには、再建策を行政に任せっきりにせず、自ら立ち上がった商店主たちの熱きドラマがあった。奇跡の復活を遂げた丸亀町商店街の“復活のキーマン”であり、現在、商店街振興組合の理事長を務める古川氏を招き、奇跡の復活劇に秘められた緻密な戦略と商店主達の葛藤に迫る!

◎バブル期に感じた“危機感”から立ち上がった商店主!
長きにわたり四国の玄関口として栄えた香川県高松市。その中心部に位置する「高松丸亀町商店街」は400年を超える歴史を持つ伝統ある商店街だ。しかし、バブル絶頂期の1988年、瀬戸大橋の開通をきっかけに、その屋台骨が大きく軋みはじめた。交通インフラの整備で大型量販店が次々と高松市内に進出。その大型店に多くの客を奪われ、売上高はピーク時の3分の1に激減してしまったという。そんな状況に追い込まれた古川を始めとする商店街の人々は、商店街の再生事業として日本で初めて“土地の所有と利用を切り離す”という前代未聞の計画を打ち立てた。商店街をまっさらな状態から作り直す大改革。計画から16年、商店主たちが辿った復活の挑戦に迫る!

◎老後に住みたくなる街づくり!
かつては1000人以上が暮らしていた丸亀町商店街。しかし、バブル期に行われた地価高騰による「地上げ」などの影響で、バブル崩壊後には、人口がわずか75人にまで減少していた。こうした住民の減少は商店街の姿さえも変えてしまったのだ。人が住まなくなったことで、昔は全てが揃っていた商店街から青果店も鮮魚店も銭湯も、そして町医者さえも消えてしまったのだ。人が住まない商店街に復活はない。そう考えた商店街が打ち出した改革案がある。それこそ商店街のビルの上層階をマンションにするという大胆な計画だった。そして、住民を取り戻すため商店街が主導して診療所を開設し、スーパーを誘致した。コンセプトは自動車に依存しがちな地方でも、車を必要としない住空間を作ることだ。丸亀町商店街は、こうした考え方で見事、商店街のコミュニティ再生を実現させた。

◎連携ネットワークで街を活性化!
古川らは、新たに生み出した商店街を「ただものを売る場所」としては考えず、“連携のステージ”と考えている。 商店街に関わる人々がネットワークを作り繋がることで、様々な事業や商品のアイデアが商店街発で生まれていくという考え方だ。現在では、商店街と地元の生産農家がタッグを組んで、月に一度、商店街に「マルシェ(市場)」を設置する取り組みや、地元のアーティストと共業で新商品を生み出しているという。これまでの商店街の常識を打ち破る活性化の取り組み。その狙いを取材する!

≪ゲストプロフィール≫
1957年 香川県高松市丸亀町生まれ
1980年 立命館大学経営学部卒
1997年 高松丸亀町商店街振興組合に入る
2006年 理事長に就任

≪会社プロフィール≫
設立: 昭和24年11月13日(登記)
共同事業: 再開発事業・アーケード販促事業・お祭り事業・駐車場事業IT事業・まちバス事業など
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2014-03-27 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NNNドキュメント'14 「おしゃべりな絵」 ~子どもの声が聞こえますか~

子どもが描いた絵から心の内側を読み取り、育ちに生かす。福井県の若狭町立保育園8園で、もう30年、取り組んでいる。この保育では「絵」と「遊び」を子どもの「自己表現」ととらえている。絵から内面を読み取り、その子の力を伸ばすために遊びを充実させて、自立心や意欲を育もうという方針だ。保育士たちに絵の見方を指導するのは元美術教師の長谷光城さん(70)。絵の具の色や線の引き方などから心の奥を読んでいく。青一色で画用紙を塗りつぶした3歳の女の子。小さな塊の絵を描く5歳の男の子。絵の中に自信を持てない自分が潜んでいると言う。保育士たちは大自然の中へ連れ出してみた。すると…? 子どもの気持ちに共感し、寄り添う大人たちの優しいまなざし。その中で成長していく子どもの姿を追った。
(text from NTV site)

読売テレビ 30min 2014-03-23 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●にっぽん紀行 「最後の鍛冶屋がつなぐ春」 ~奈良 十津川村~

紀伊半島の山奥にある奈良県十津川村。自給自足の暮らしに欠かせない農具を作る鍛冶職人・田上昭三さん(84)。農具で結びついた村人と田上さんの冬から春への物語。 紀伊半島の山奥にある奈良県十津川村。急斜面を耕して自給自足で暮らす村人を支えてきたのが、くわや鎌などを造る鍛冶職人。田上昭三さん(84)は最後の1人になった。妻と60種の農具を手作りして修理する。最近、体が思うように動かなくなったが、春を前に次々と修理の依頼が舞い込む。ある村人は、89歳の母親が今年も無事に畑に出られるように改良を依頼する。農具で深く結びついた、村人と田上さんの日々を見つめる。
(text from NHK site)

NHK総合 25min 2014-03-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●新・ルソンの壷 「新事業で勝ち進め ~大手住宅メーカーの戦略~」 大和ハウス工業会長…樋口武男

高齢者に癒やしを与えるアザラシのロボット。種まきから収穫まですべてできるコンテナ型の野菜工場。オフィスなどの電力を補う小型風力発電機。実はこれらの製品は、全部、ある大阪の大手住宅メーカーが手がけている。一見、住宅とは関係ないようなこれらの新事業に、積極的に取り組んでいるのはなぜなのか。また、どのような方法で新事業を進めようとしているのか。その戦略を、経営のトップに、スタジオでじっくりと聞く。
(text from NHK site)

NHK総合 25min 2014-03-16 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「プロ野球選手・監督 川上哲治」

「成功すると思って自分をかけて飛び込むことが必要 どうして飛び込まないのか 飛び込んでそれを取ればいいじゃないか」: 「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治。戦前からプロ野球界のスターとして活躍。監督としては、巨人軍に「組織野球」を導入、9年連続の日本一を達成し、日本人に野球の面白さ、すばらしさを伝えた。大正9年、熊本県生まれ。熊本県立工業学校(現・熊本工業高等学校)時代、ピッチャーとして甲子園で2度準優勝。昭和13年、巨人軍に入団。打者に転向し、最初の4年間で2度首位打者に。鋭いスイングから繰り出す打球は「弾丸ライナー」と呼ばれた。昭和18年、徴兵され、立川の陸軍飛行整備学校で教官を務める。昭和21年、巨人に復帰。絶え間なくヒットを打ち続ける打撃と野球への求道的な姿勢から「打撃の神様」と呼ばれるようになる。昭和31年には、日本初の2000本安打を達成。昭和36年から、監督として巨人の指揮をとり、14年間で11度の日本シリーズ制覇。中でも9年連続日本一は、プロ野球史上の金字塔となっている。多くの人をプロ野球に夢中にさせた川上の「野球」にかけた思いが語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2014-03-01 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「コラムニスト・天野祐吉」

「おもしろいもの(広告)が出てきた時にはね いいぞいいぞと励ましてあげたい ひどいものが出てきた時には 引っ込めと文句を言いたい そうすることが 僕らへの影響を多少なりとも いい方向へ持っていけるのかな」: コラムニスト、天野祐吉。広告を批評の対象と位置づけ、ユーモアを交えた鋭い視点で、批評活動を続けた。テレビのコメンテーターとしても、幅広い世代の人々に親しまれた。昭和8年、東京・足立区で生まれる。終戦後、焼け野原となった東京を離れ、父の故郷・松山で中学・高校時代を過ごした。大学入学を機に上京。浅草「フランス座」で接した庶民の「ヤジ」に魅せられ、「ヤジリスト」になろうと決意。昭和36年、広告代理店へ入社し、PR誌の編集を担当。その後独立し、昭和54年に雑誌「広告批評」を創刊。大量生産、大量消費の時代、ちまたに様々な広告があふれる中で、いいものは応援し、悪いものは、率直に批判する活動を展開した。その後、新聞や雑誌のコラム執筆やテレビのコメンテーターとしても活躍。政治からメディア・芸能まで、ユーモラスな辛口批評で親しまれた。広告にとどまらず、社会に対しての発言を続けた、その思いが語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2014-03-08 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●名曲アルバム 「第三の男」

この曲は1949年に公開されたイギリス映画「第三の男」のテーマ音楽である。作曲者はオーストリア人のツィター奏者、アントン・カラス。映画を監督したキャロル・リードが、ウィーンの酒場で偶然聴いたカラスの演奏に心を奪われ、ほとんど作曲経験のなかったカラスの起用を決断したという。リードも加わり曲想を練ること半年間。苦心の末に生み出されたこの曲は、華やかなツィターの音色と美しい旋律でたちまち人々を魅了した。

作曲: アントン・カラス
編曲: 上柴はじめ
演奏: 河野直人(ツィター)、井上道義(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
映像: ウィーン(オーストリア)
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-02 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> NBDR-0278にもあり



>ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し








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