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●映像’14 「なぜ私は語り続けるのか」 ~94歳・ある日本兵の戦場~

元日本軍兵士として、沖縄戦を戦った近藤一さん(94)は、「沖縄は戦争の捨石にされ、私たちは捨てられた兵隊だった」と、自らの体験を語り継いでいる。また、沖縄戦の前にいた中国で、日本軍が何をやったかについても真実を語る。「沖縄で戦い、虫ケラのように死んでいった兵隊が、中国では人間とはいえない行為をやった」。中国の戦場で何があったのか。なぜ兵士たちはそうしなければならなかったのか・・・。戦後70年を前に考える。
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(取材ディレクターより) 「94歳の今なお健在で、沖縄戦と中国戦線両方の体験談を語る男性がいる」と知り合いから聞いたのは、3月半ば頃だった。戦後69年を経て、「戦争と何か?」ということを自分自身の言葉で語ることのできる人は、ますま す少なくなってきている。「まず、この人物に会いたい」「来年の戦後70年まで待てない」という思いが、今回の番組制作の決め手となった。主人公の近藤一(はじめ)さんは、三重県桑名市在住、3月に満94歳になった。「歩くのが最近遅くなった」と本人は言うが、体のどこも特に悪くない、という健康体だ。30年以上前から、自らの戦争体験を語って聞かせるようになり、今も求められれば、どこへでも出かけて行って“語り部”となる。近藤さんの“語り”に欠かせないのが、3枚 の手製の地図だ。大判の模造紙に、中国戦線(1枚)と沖縄戦(2枚)での所属部隊の動きを書き記したもの。30年以上、何回も折り畳んでは開くのを繰り返しているので、ところどころ穴が開いたり、破れたりしている。それをまた布テープで補修したりもしている。その地図をこれまた戦後ずっと使っていると いう古鞄に入れ、持ち歩く。黒い鞄だったそうだが、長年の使用で表面がこすれたせいで、ベージュ色の鞄にしか見えない。物持ちが良いというのは、こういうことを言うのだろう。さて、その近藤さんの“語り”はもちろん 詳しくは番組で確認していただきたいのだが、太平洋戦争末期、本土決戦を前に時間稼ぎの戦いを強いられた沖縄戦での「被害者的体験」と、それ以前に3年8か月いた中国戦線での中国の人たちに対する「加害体験」とが、当事者だけにしか語ることができないリアルさで語られ、見る人にも圧倒的な迫力で伝わることだろう。「人はひとたび戦場に行けば、どういうことをするのか?」・・・“戦後”どころか“戦前”の様相を呈しつつある今の日本にあって、近藤さんの体験した出来事は、決して過去の出来事ではないし、他人事でもない。想像力をふくらませて、番組を見ていただければと思う。
(text from MBS site)

毎日放送 60min 2014-07-27 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●映像’14 「被爆を語るということ」 ~ヒロシマ・69年目の記憶~

86歳の高木静子さんは、17歳の時、広島女子高等師範学校に入学したわずか半月後に原爆に遭った。大きな傷を負い、結婚後も後遺症に苦しんだが、それでも故郷の大阪市で被爆者の相談に乗り、被爆体験の証言も続けてきた。一方でつらい経験を繰り返し語っても、何も変えられなかったという思いも根強くある。被爆体験を伝える、ということはどういうことなのか。伝えようとする被爆者と、新たなアプローチで被爆体験と向き合う若者の姿を追う。
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(取材ディレクターより) 個人的なことを書く。私は広島生まれの広島育ちで、母は14歳の時に被爆し、13歳の母の妹は被爆死している。私は被爆二世ということになる。子供の頃、広島では「被爆者」であることは特別なことではなかった。同級生のお母さんも、角のたばこ屋でいつも居眠りをしているおばあさんもみな被爆者だったからだ。しかし広島を一歩離れたとき、「原爆は広島(長崎)のこと」と、あたかも地方で発生した災害を眺めるような視線がほとんどであることに気づかされた。今や街で尋ねてみると、思った以上に「日本も核兵器を持っていい(持つべきだ)」と答える人が多い。核兵器とは、無差別な大量殺戮兵器だ。加えて、放射線によって大勢の人が何十年も苦しむ。いま、ここに被爆者がいる。その被爆者の前でも核武装すべきだと、いざとなったら原爆を落とせと言えるのか。誰にそんな権利があるのか。しかし、被爆者の平均年齢は79歳を超え、年々その数は減っている。今回取材した髙木静子さんは、長年にわたって同じ被爆者を支え、核の非人間性を訴えてきた。86歳になった今、それでも核廃絶に向かわない現状に怒りと無力感を覚えている。しかしそれでもなお、若い世代に希望を託して各地で被爆体験を語り続けている姿を、私は記録にとどめたかった。「被爆者」は特別な存在ではない。ごく普通の市民が、理不尽な核攻撃にさらされ、命を落とし、あるいはその後の人生を大きく狂わせられた…それが被爆者と呼ばれる人たちだ。そのことを改めて感じとってもらえれば、と思う。また番組では、被爆証言に新たな角度でアプローチする高校生たちを取材した。彼らは口をそろえて言う。「自分たちは、わかっていたようで何もわかっていなかった」と。「伝えること」は語る側の問題ではない。聞く側が自らの問題として想像力を働かせ、どう受けとめるかが問われている。来年は終戦70年、被爆70年にあたる。私たちは、わかったつもりで実は何もわかっていないのではないか。そんな自問自答からすべては始まるのだと、自分に言い聞かせている。
(text from MBS site)

毎日放送 60min 2014-08-31 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●映像’14 「知られざる最前線 ~神戸が担ってきた“日米同盟”」

かつて神戸は集団的自衛権の最前線だった。朝鮮戦争でアメリカ軍の出撃拠点となり、戦車や2万人を超える海兵隊が戦地に向かい、8000人近い日本の民間人が巻き込まれた。アメリカに極秘で要請された海上輸送や掃海活動で多くの死傷者もでた。ベトナム戦争でも神戸はアメリカの軍事戦略に翻弄され続ける。核兵器を搭載した艦船が入港していた。集団的自衛権の行使容認が閣議決定された今、神戸は再びアメリカの軍事拠点となるのか。知られざる神戸の過去から考える。
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(取材ディレクターより) 「紹介しきれない。もう1時間放送できれば・・・」編集を終えた今、番組で伝えきれなかった“知られざる”事実の多さを前に悔しさを感じている。戦後日本の安全保障政策が転換点を迎える中、慣れ親しんだ街から集団的自衛権を見つめたいと思ったのが取材のきっかけだった。そして3か月間、機密解除されたアメリカの外交資料をひたすら読み込む日々が始まった。――神戸と米軍の関係は意外に古い。戦後、アメリカの日本の占領政策方針は非軍事化と民主化だった。しかし朝鮮戦争がその後の日本のあり方を決定づけた。人知れず日本の民間人が8千人以上参加させられていた。そのとき出撃拠点の一つとなったのが神戸だ。掃海活動や海上輸送で多くの日本人死傷者が出たが、戦争放棄を謳った憲法違反となるため犠牲者の存在は闇に葬られた。1952年に日本が独立を果たした後も神戸は米軍の拠点だった。核を搭載した空母が寄港し、京都と奈良の県境の弾薬貯蔵施設で核兵器を組み立てる部隊も駐留していた。アメリカは共産主義からの防波堤として明確に日本を軍事戦略に組み込んだ。自衛隊が発足した後、日米安保条約が結ばれ、米軍基地が固定化された。実はこの頃からアメリカは集団的自衛権の行使を水面下で日本に要請していた。取材を進める中でいつも感じていたことがある。安倍首相が提唱する“戦後”レジームからの脱却が、すなわち日米同盟の強化にかたよってはいないだろうか。日本を取り巻く安全保障環境が変化する中、一定の自衛力は必要だと考えるし、アメリカの軍事的な後ろ盾による抑止力も個人的には否定しない。だが、何故、安倍首相のいう“押し付けられた”憲法の解釈を変更してまで集団的自衛権行使を容認し、日米の軍事的一体性の強化ばかりを優先するのか。何故、日米地位協定や在日米軍基地といった不平等の是正に真正面から向き合わないのだろうか。この議論を避けたままで日米同盟が継続するのだろうか。“知られざる不平等”をかいまみた今、進んでいるのは「戦後からの脱却」ではなく、「戦後の延長強化」なのではないか。そんな懸念を深めている。
(text from MBS site)

毎日放送 60min 2014-09-21 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NNNドキュメント'14 「無言の語り部」 ~ヒバク遺品は訴える~

被爆者・平野隆信さん(78)が床の間に飾っているもの。それは古びた「やかん」だ。69年前、被爆死した父の遺骨を、自宅の焼け跡で見つけたやかんに入れ、疎開先に持ち帰った。今、平野さんはこのやかんを広島市の原爆資料館に寄贈するか悩んでいる。原爆資料館は今年から4年がかりのリニューアル工事を開始。目的は「現物資料の充実」だ。爆風でボロボロになった衣服など、実際に被爆した資料の展示がこれまで以上に増える。被爆者が高齢化する中、物言わぬ語り部として資料は重要な役割を担う。一方で平野さんには形見を手元に置いておきたい気持ちもあり、葛藤が続く。現物資料の充実で原爆資料館はどう変わるのか、遺族や被爆者はどのような思いで資料を託すのか。
(text from NTV site)

読売テレビ 30min 2014-08-03 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NNNドキュメント'14 「続・放射線を浴びたX年後」 ~日本に降り注いだ雨は今~

アメリカが太平洋で核実験を行った1954年。マグロ漁船「第五福竜丸」の被曝が世界に報じられた。だが、被害はそれだけではない。南海放送は一昨年、「放射線を浴びたX年後」を放送。被曝した魚を水揚げした日本の船が延べ1千隻だったこと。さらに、放射性物質が日本列島を汚染していたことを伝えた。全国に降り注いだ放射性物質。特に爆心地に近い沖縄では、当時17万カウントという高い放射線を測定。約30年間にわたり国内の被曝の実態を調査してきた高知県の元高校教諭が今年、その沖縄に入った。周辺海域が汚染されていたにも関わらず被曝した魚が沖縄で一度も水揚げされていないことに、元教諭は疑問を抱く。調査を進めると、沖縄が持つ特殊な実情が見えてきた。
(text from NTV site)

読売テレビ 30min 2014-08-10 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo



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