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●日経スペシャル ガイアの夜明け 「ありえない場所で…“絶品の味”を作る!」

世界には、農水産物をとれない国が少なくない。例えば、中東の砂漠地帯は過酷な気候で土壌も乾燥していることから、野菜の生産が難しい。また、海のない国では、海産物を輸入に頼らざるをえない。そうした国で野菜を育て、魚を養殖しようという日本企業が登場している。しかも、“絶品の味”。世界の食を変える、日本の技術を取材する!

◎砂漠の真ん中で“甘いトマト”を作る!
2013年9月に「ガイアの夜明け」で放送した「メビオール」という会社。土や水がほとんどなくてもトマトを育てられるという特殊なフィルムを開発したベンチャー企業だ。そのフィルムは「ハイドロメンブラン」と呼ばれ、糖度やアミノ酸を多く含む「甘くて果物のような」トマトを作り出せるという。社長の森有一さんは早稲田大学の研究員。元々は東レの技術者として人口透析膜を開発してきた。森さんはこの技術を海外にも広めたいと考えていた。世界には土壌や気候の問題で野菜を生産できない国が沢山あるからだ。今年の春、森さんは初めて海外にフィルムを持ち込んだ。それが、中東のUAE、アラブ首長国連邦。国土の大半が砂漠で占められていて野菜の生産が難しく、輸入に頼るため、新鮮でない上に高価格となっている。UAE産で、しかも“絶品のトマト”を作ろうと、森さんの挑戦が始まった。

◎モンゴルの大草原で“プリプリのエビ”を作る!
通常、魚の養殖は海にいけすを設けて行われる。しかし、技術の進化により、いま陸上でも様々な水産物の養殖が始まっている。その1つが、新潟県妙高市にある「IMTエンジニアリング」という会社。ここでは「バナメイエビ」の養殖を行っている。実は、バナメイエビは孵化して2週間ほどは海水でしか生きられないが、その後は淡水でも生きられる。その特徴に目を付け、生後10日ほどの稚エビを海外から輸入し、陸上養殖することにしたのだ。「IMTエンジニアリング」では水槽内の温度を調整。また、特別な技術によって波を作り出すことによって、エビの身が“プリプリ”するという。国内産という安心感もあり、いまでは都内の高級レストランなどで人気となっている。そのIMTエンジニアリングが、モンゴルでエビの養殖を始めようとしていた。モンゴルは国土の大部分が草原で、海に面してもいない。そのため海産物を食べる習慣がなかった。そんなモンゴルの人たちに、日本の技術を使って作る“絶品のエビ”を届けようというのだ。
(original text from TV-tokyo Site and Mail Magazine)

テレビ大阪 53min 2014-08-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「食を支える13万人!本物が、本物の人材を作る!」 辻調グループ代表・辻芳樹

開校54年を迎える、日本最大の“食”の教育機関、辻調理師専門学校を中心としたコンソーシアム、辻調グループ。国内からフランスまで14の学校を展開、その卒業生13万人は、ミシュランの星をとる有名店から大衆的な店まで、世界中の飲食店で活躍している。そんな日本の食を牽引してきた唯一無二の教育機関はいかにして作られたのか? 知られざる、辻調グループの「学び」の極意に迫る。

◎世界にツジチョウ!日本最大、食の教育機関
フランス料理の有名店「ジョエル・ロブション」 から、地方都市の料理のおいしい旅館、パリの小洒落た人気店まで… 世界で様々な料理の現場を支えるのが、辻調グループの卒業生たち。ミシュラン関西版で星を持つオーナーシェフの、実に2割近くが辻調の卒業生。就職セミナーでは、日本中の有名ホテルが料理人のリクルートに詰めかける。グループ全体で3500人に達する学生たち…4月に、包丁の持ち方から学び始めた10代の学生が、わずか1年で料理人として大きく成長できる秘密は何なのか? 学生たちによる、実際の店舗の運営や、本番さながらのシミュレーション授業まで、辻調を支える徹底的な「本物主義」の現場を取材。かつては「料理界の東大」、現在アジアで「世界三大料理学校」と呼ばれる辻調のユニークな料理教育の全貌を明らかにする。

◎本物による教育…仏料理の伝道師・辻静雄
辻調グループの設立は1960年。現在の校長・辻芳樹の父・静雄が、読売新聞の記者を辞めて開いた辻調理師学校が始まり。辻静雄は、当時まだ日本では深く理解されていなかったフランス料理を、日本人として先駆けて研究。本場から講師を招くなどして、その研究成果を惜しげなく授業に投入し、それまで存在しなかった本格的フランス料理の学校を作り上げた。その本物主義は1980年、フランス・リヨンの郊外の古城を買い取り、本場の環境で学べる辻調グループフランス校まで開校してしまう。そんなフランス料理を世界へ紹介した功績は、フランス政府から外国人として初めて「最優秀職人賞」を送られる世界的な評価を得ている。カリスマ創業者がいかに辻調を作り上げたのか、その秘密に迫る。

◎料理の地平を切り開く、辻調の人材
世界中の様々な料理シーンで活躍する辻調の人材。その人材は、食の現場を支えるだけでなく、新たな料理のあり方を提案するなど、料理界に革新を起こす人材も数多く排出している。校長の辻芳樹は、そんな卒業生たちを訪ね歩き、インタビューを繰り返すことで、次の料理界を担う人材をどう育てるか、学校のカリキュラムに生かすべく、走り回っている。

≪ゲストプロフィール≫
1964年 大阪府生まれ、12歳でイギリスに留学
1993年 辻調理師専門学校校長、辻調グループ代表就任
2000年 九州・沖縄サミットで晩餐会料理を監修
2004年 内閣官房長官知的財産戦略本部コンテンツ専門調査委員に就任

≪会社プロフィール≫
本部: 大阪府大阪市阿倍野区松崎町3-16-11
創立: 1960年
グループ学生数: 3500名
常勤教職員数: 500名
学校数: 14校(2014年4月)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2014-08-21 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●東北Z 「限界は ない」 ~大曲の花火“五重芯”成功の軌跡~

8月の全国花火競技大会で内閣総理大臣賞に輝いた秋田県大曲の花火師・小松忠信さん、50歳。花火の基本型で競う「課題玉」部門で史上初めて5色の輪から成る最高難度の“五重芯”を成功させた。足かけ8年にわたる“五重芯”への挑戦は、失敗の連続。それでもぶれることなく挑戦を続けた小松さん。成功を生み出したのは、決してあきらめない“強い心”と常識をも疑う“柔らかい心”だった。挑戦の軌跡をたどる。
(text from NHK site)

NHK総合 45min 2014-08-22(再放送分|2013-11-29東北地方で放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●グローバルな人 ~世界で生きる“処方箋”~ 「中国×パン屋×起業家 羽深剛志」

「グローバルな人」ってどんな人? 世界で生きる日本人に密着取材。その言葉から、幸せに生きる秘けつを解き明かす。今回の主人公は、中国でパン屋を起業した羽深剛志さん!9年前やや無計画にはじめたパン屋。今では、年商1億5000万円に!!従業員のストライキに反日デモ。悪化する日中関係を乗り越えた秘けつとは?
(text from NHK site)

NHK教育 30min 2014-08-23 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●ドキュメント20min. 「おじいちゃんからの宿題」

戦争を意識せずに暮らしてきた24歳のNHK女性記者。自らの祖父の手記と出会ったことをきっかけに、この夏、戦争と向き合う取材を行うことになった。戦時中、鹿児島県沖で沈没した学童疎開船「対馬丸」。記者の祖父はその救助にあたった。しかし、「対馬丸」についてはこれまで証言が少なく、全容がいまだに明らかになっていない。生存者や、漂流者の救助を行った離島の住民への取材を通じて浮かび上がる新たな戦争の真実とは。
(text from NHK site)

NHK総合 20min 2014-08-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> BDR-0462に、地方発 ドキュメンタリー 「対馬丸 消えない傷」 ~沈没70年目の告白~ あり
> BDR-0467に、ドキュメント20min. 「おじいちゃんからの宿題」 あり





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「舞台美術家・朝倉摂」

「一番いけないのは頭が固くなること いつもフレキシビリティを持たないと “こうだ”と決めてしまわない 正確さだけが能じゃないからね」: 日本を代表する舞台美術家・朝倉摂(あくさらせつ)。小劇場演劇をはじめとして商業演劇、歌舞伎、オペラと幅広く手がけ、1200を超える舞台作品を作り上げた。「芸術は革新的であるべき」という信念のもと、特に1970年代以降は、唐十郎、蜷川幸雄、つかこうへいといった演出家たちとともに、既成概念を打ち壊す発想で舞台空間を生み出し、その独創性は演劇界に大きな衝撃を与えた。朝倉は大正11年、彫刻家で日本美術界の重鎮・朝倉文夫の長女として東京に生まれた。父の方針で、幼い頃から自宅で英才教育を受ける。10代になると父や権威・権力といったものへの反発心が募り、日本画家として自立して生きることを考えるようになった。昭和16年、日展で入選。しかし戦争とともに増す様々な規制に強い違和感を覚え、「人間としてどうあるべきか」と深く考えるようになる。昭和24年「働らく人」で労働者たちの姿を描き、それまでの日本画のイメージを覆したと称賛された。舞台美術との出会いは終戦の翌年、アーニーパイル劇場を手掛けたのが最初である。日本画家として、「砂の器」など小説のイラストや「ゆきおんな」「たつのこたろう」など絵本の挿絵で活躍する一方、若手舞台美術家として前衛芸術運動にも参画し、新しい表現を追求していった。1970年ロックフェラー財団の招きで舞台美術の研究のためNYへ留学。この時、ラ・ママなどの劇場でそれまでの日本にはない新しい風を感じたことが大きな転機となり、舞台美術家として歩む決意を新たにした。帰国後、蜷川幸雄ら多くの若い才能が思い描く世界を舞台にするべく、それまでに培った美術のエッセンスはもとより新しい素材や発想を紡ぎ出しては、多くの人の心を揺さぶる舞台装置やセットを作りあげていった。「舞台とはこういうもの」という従来の概念を次々と打ち砕いた朝倉の仕事は、80年代からの演劇ブームへの道をひらいた。最晩年まで現場に立ち続けた朝倉。「常に世の中と向き合い、題材の語ろうとしていることを的確に見抜く力を養え」と若者たちに語り続けた。舞台美術家・朝倉摂の人生とその矜持が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2014-10-11 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo



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