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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「キャンプ場から出勤!テントで年間40泊!ヘビーユーザー軍団が繰り出す“客感動”戦略」
スノーピーク社長・山井太(やまい とおる)

新潟県三条市にあるキャンプ用品メーカー、スノーピーク。“スノーピーカー”という熱烈ファンを生んでいるほどの、急成長のアウトドアブランドだ。欧米などの有名ブランドがひしめくアウトドア業界で、なぜスノーピークは人気なのか? 秘密は、地元・燕三条の金属加工技術を取り入れるなど、徹底的な品質へのこだわり、そして、他社にはないオリジナル商品開発にある。「これまで世の中にないものを作る」。社長の山井太は、商品作りの極意をこう語る。そして、そんな“究極商品”を生み出すのは、「超」のつくほどキャンプ好きの社員たち。「こんなの欲しかった!」とユーザーに言わしめる、スノーピーク流“客感動”戦略に迫る。

◎熱狂ファン続出!アウトドア業界の風雲児
無名の小さな新潟のメーカーに、なぜ熱烈ファンが生まれているのか? 実は、その商品開発の哲学が独特だ。「他社にあるものは作らない」。例えばガスバーナーは発売当時、世界最小・最軽量。寝袋も、布団のような他にはない形状。焚き火台は、従来型と違って地べたに置かず簡単に折りたためる…。しかもヘビーユーザーの使用に耐えられるよう、品質には徹底的にこだわった。こうした戦略が客の感動を呼んでいるのだ。そんなスノーピークの前身は、社長の父親が創業した、登山用品や釣り具の製造・販売の会社。それを人気のアウトドアブランドへと成長させたのが、二代目社長の山井だ。市販のテントに不満を持っていた山井は、コスト度外視で丈夫で雨漏りしないテントを開発。なんと価格は16万8000円。それが100張も売れた。ここからスノーピークの急成長が始まった。「いいものであれば欲しいという人は必ずいる。それに気付いた瞬間だった」。

◎崖っぷちで大勝負!スノーピーク流 流通改革
スノーピークは、毎年全国のキャンプ場で「スノーピークウェイ」というキャンプイベントを開催している。実はこのイベントはスノーピークにとって、様々な意味で重要な行事。1980年代後半からのアウトドアブームに乗り、スノーピークも業績を伸ばしていた。だが1993年をピークに業績が悪化、6期連続で減収となった。もがき続ける中でV字回復のきっかけとなったのが、第一回のスノーピークウェイだったのだ。キャンプに来ていた客が口々に言ったのが、「高い」「店の品ぞろえが悪い」ということ。山井はこれを解決するために、大勝負に出る。それまで問屋を通じて小売店へ卸していたが、問屋との取引を全廃。小売店への「直接取引」に切り替えた。さらに、1000店舗以上あった販売先を250店舗に縮小。品揃えを充実させてくれる店舗に絞り込んだのだ。崖っぷちから挑んだ大勝負。結局スノーピークはこれを機にV字回復を果たし、売り上げは41億円へと急成長。ユーザーの声に耳を傾けるスノーピークウェイは、今では全国各地で開いているが、社長の山井はそのほぼ全てに参加している。

◎「燕三条」の地場産業と世界を目指す!地域と生きる
スノーピークには、地味だがちょっとユニークなヒット商品がある。それは「ペグ」という、テントを張る際に打つ釘のようなもの。スノーピークでは、これを地元・燕三条の工場に発注し、日本刀を作る技術を使って丈夫で使いやすいペグを作っているのだ。1本320円~1100円もする。それが、これまでに計250万本以上売れたという。実はスノーピークには、他にも“燕三条産”の製品が数多くある。燕三条には、古くからの金属加工技術を持った町工場があり、山井は「質のいいオンリーワン製品」を、共に開発し続けている。「一緒に世界を目指したい」。山井が描くスノーピークの未来図は、地場産業と一体となった世界展開だ。

≪ゲストプロフィール≫
1959年 新潟県三条市生まれ
1986年 現在のスノーピークに入社
1996年 スノーピーク代表取締役社長

≪会社プロフィール≫
本社: 新潟県三条市
年商: 41億円
社員: 160人
1958年 父・幸雄が「山井幸雄商店」創業
1959年 登山用品の販売を開始
1988年 登山用品からアウトドア用品の製造へ業態変更
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2014-09-18 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK SPECIAL 巨大災害 MEGA DISASTER 地球大変動の衝撃|第3集 「巨大地震 見えてきた脅威のメカニズム」

インドネシアや日本、チリなどで相次いで発生している巨大地震。地球を揺るがすほどの膨大なエネルギーは、どのようにして生まれるのか。いま科学者たちは、地震波データを解析することで地下の構造をレントゲン写真のように可視化する最新の“地震波トモグラフィー”を使って、そのメカニズムに迫ろうとしている。巨大地震が危惧される南海トラフでは、地下の構造データからプレート境界の2か所に、膨大なエネルギーを蓄積する領域があることが分かってきた。観測史上最大M9.5の巨大地震が発生している南米チリでは、より大きな地震が起きる可能性が指摘され始めている。地震波トモグラフィーは、さらに「巨大地震を引き起こすプレート運動が、なぜ起きるのか?」という地球の根源的なシステムの謎にも答えを出そうとしている。日本の地下600km付近には地球最大のプレートの残骸が横たわり、その塊が地球内部に下降流となって落下している様子が捉えられている。この下降流が地球規模のマントル対流を引き起こし、プレートを動かす原動力の一つになっていることが、最新の解析結果から明らかになってきた。地球内部の大循環システムの鍵を握っていることが分かってきた日本の地下。番組では、地震波トモグラフィーが解き明かし始めた地球内部の挙動から、巨大地震の発生メカニズムを読み解いていく。
(text from NHK site)

NHK総合 50min 2014-09-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK SPECIAL 巨大災害 MEGA DISASTER 地球大変動の衝撃|第4集 「火山大噴火 迫りくる地球規模の異変」

富士山や浅間山など110もの活火山が集中する日本列島。その地下100km付近には、大量のマグマが存在し火山に向かって上昇している様子が、最新の“地震波トモグラフィー”によって捉えられている。年間800回以上も爆発的な噴火が起きている鹿児島・桜島では、マグマが溜まり続ける様子が観察され、近い将来、大規模な噴火のおそれがあることがわかってきた。アメリカ最大の火山地帯・イエローストーンでは、地下2000km以上の深さから「マントルプルーム」と呼ばれる巨大で高温のマントル物質が上昇、その熱によって長さ60km・幅30kmに達するマグマが生まれ、地下5km付近にまで迫っていることが確認されている。高度に発達した文明社会で、大噴火が起きると何が起きるのか。世界で最も詳細なシナリオが描かれているのが、ポンペイの悲劇で知られるイタリア・ベスピオ火山だ。噴火すれば100万人近くが暮らすナポリ市を火砕流が襲い、市街地の多くが焼き尽くされることが想定されている。一方、アメリカ・イエローストーンで巨大噴火が起きれば、火山灰が地球全体を覆い、世界の気温が平均で10度以上も下がることが最新のシミュレーションで導き出されている。地球の歴史上、繰り返されてきた火山大噴火。現代の私たちが経験していない大噴火は、地球環境や人類にどれほどの影響をもたらすのか。火山研究の最前線を取材し、その脅威の姿を見つめていく。
(text from NHK site)

NHK総合 50min 2014-09-21 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●かんさい熱視線 「誤認逮捕」 ~続出の背景に何が~

事件とは無関係の人を誤って逮捕する“誤認逮捕”が大阪府警で相次いでいる。窃盗や痴漢など、この1年で9件。取材を進めると、一つの証拠や証言、更には防犯カメラの映像などを「過信」するあまり、十分な裏付け捜査をしないまま逮捕へ至ったケースが繰り返されていたことが分かってきた。再発防止に動き始めた大阪府警の取り組みや防犯カメラ判定の技術開発の現場も取材。“誤認逮捕”続出の背景と、その対策について考える。
(text from BK site)

NHK総合 25min 2014-09-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●ドキュメント72時間 「大病院の小さなコンビニ」

房総半島・鴨川。深夜から早朝まで急患が運び込まれる巨大総合病院に3年前、24時間営業のコンビニが誕生した。入院グッズや糖分制限食も充実し、1日中客足が絶えない。交通事故で九死に一生を得た若者。夜眠れず、早朝から新聞を買いに来る入院患者。深夜になると夜勤の医師が手術の合間に駆け込み、カップ麺をかきこんでいく。日常生活と隔離され、生と死が交錯する病院で“オアシス”と愛されるコンビニの人間模様。
(text from NHK site)

NHK総合 25min 2014-09-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●名曲アルバム 「ノクターン 嬰ハ短調 遺作」

第二次世界大戦中、ドイツ軍の占領を受けたワルシャワでは、ポーランドの人々の心の支えであったショパンの音楽は演奏も聴くことも禁じられた。戦後、ワルシャワのラジオ局が最初に放送したというこの曲は復興へと向かう人々の心の灯となった。この曲はショパンが「ピアノ協奏曲 第2番の練習曲として」と姉に贈った曲だと伝わる。祖国を離れた後も、自分の音楽は家族と共にあってほしいと願うショパンの姿が感じられる1曲である。

作曲: ショパン
演奏: 山本貴志(ピアノ)
映像: ワルシャワ(ポーランド)
(text from NHK site)

NHK教育 5min 2014-12-03 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo

> NBDR-0309にもあり



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