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●プロフェッショナル 仕事の流儀(259) 「“雪と闘うプロ”スペシャル」

この冬も、日本列島で猛威を振るった「雪」。幹線道路の大渋滞や飛行機の欠航など、各地でさまざまな混乱に引き起こした。そんな雪との闘いの最前線に立ち、その地で暮らす人たちの営みを守るため、昼夜格闘する、3人のプロフェッショナルを紹介する。日本屈指の豪雪地帯・新潟県十日町市。土木会社に勤務する小野塚吉郎(64)は、除雪30年のスペシャリスト。緊急呼び出しがかかれば、重さ13トンのロータリー車を駆って現場に急行。路上にたまった大量の雪をロータリーでかき込み、安全な場所へ飛ばして、路面から雪を取り除いていく。熟練の技が冴える小野塚だが、実は緊張の連続だという。雪を、誤って通行人や電線・電柱にぶつければ大惨事を招きかねず、かといって同じ場所に雪を積み過ぎれば雪崩を誘発しかねない。細心の注意を払いながらも、いかに迅速に除雪を終えるか。大雪警報が発令された2月中旬、小野塚の過酷な1日に密着した。2人目は、海外からも多くの観光客が押し寄せる北海道の玄関口・新千歳空港に勤務する。1日400便にのぼる飛行機の離着陸をいかに安全に滞りなく遂行するか。その責任を負うのが航空管制官・大橋明広(52)だ。管制塔が猛吹雪に包まれ、視界不良に陥っても大橋は冷静沈着。わずかな運航の遅れも許すまいと滑走路に目を凝らし、刻一刻と変わる天候を読みながら、巧みに飛行機を誘導していく。その淡々とした仕事ぶりの陰には、駆け出しのころ味わった痛恨の体験があった。そして3人目は、札幌屈指の除雪車運転士・田口純一郎(62)。重機で最も運転が難しいとされる「グレーダー」を自在に操り、路面に厚く張った氷を打ち砕き、取り除いていく職人技に迫る。今回、取材班は雪のプロフェッショナルを求めて各地へと飛んだ。そこで目にしたのは、誰から感謝されるのを待つでもなく、ただひたすらに自らの仕事を全うしようとする人たちの姿だった。「雪国に生きる宿命ですから」とサラリと言ってのける言葉に秘められた、仕事への矜持。今日もどこかで、私たちの日常を守るため、日夜格闘する人たちがいる。その大切な事実に触れる、48分の特別編。
(text from NHK site)

NHK総合 50min 2015-04-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo/解説副音声/字幕





●クローズアップ現代 「“ポスト”に託された命」 ~赤ちゃん100人のその後~

熊本の病院が8年前に開設した「赤ちゃんポスト」に、これまでに全国から預けられた子どもたちは100人を超えた。多くの命が救われた一方で、その後の「養育」の責任を誰が持つのか、フォロー態勢は十分に整っていない。今回、NHKでは「ポスト」に預けられた子どもたちの“その後”を追跡取材。その結果、預けた後に親が子どもを再び引き取るケースも見られ、十分な支援も得られないまま、のちに母子心中した親子までいることが初めて明らかになった。親の都合で預けられた子どもの尊厳を、どう守るのか。日本に先駆け全国100か所余りで「ポスト」を運用しているドイツでは、子どもの福祉を最優先に考え、一定期間を経たのちに親権を剥奪し引き取りを認めないなど、様々なルールを設けている。これまで「ポスト」の存在を事実上“黙認”し、その責任を現場に委ねてきた日本。今後の運用をどうすべきか、あらためて考える。(NO.3636)
(text from NHK site)

NHK総合 28min 2015-04-07 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●100分de名著 「ブッダ 最期のことば」 講師: 佐々木閑(花園大学教授)

およそ2500年前に誕生した仏教。創始者ブッダの死後まもなく、弟子たちによって編纂され、数ある経典の中で、ブッダ本人の死のありさまが最も忠実に記述されていると考えられているのが、古代インドのパーリ語で記された「マハーパリニッバーナ・スッタンタ」(「大般涅槃経」)です。直訳すれば「偉大なるブッダの死」という意味になるこの経典は、東南アジアでは基本経典の一つとして重要視され、国の異なる僧侶同士が会話する時には、今でもパーリ語が使われているほどです。番組では、古代仏教史や戒律の研究者、花園大学の佐々木閑教授が「大般涅槃経」をわかりやすく解説します。佐々木さんによれば、ブッダの教えは単なる宗教ではありません。悩みを抱えている人が自分自身を見つめ、さまざまな苦しみを克服していくための「自己鍛錬システム」だといいます。とりわけ「大般涅槃経」には、自分が死んでリーダーが不在になった後も、このシステムが長期にわたって維持・管理できるような工夫や知恵が数多く記されています。これは他の宗教にはあまりみられない特徴です。合理的な知恵によって心の本質を見極め、苦しみからの脱却を目指そうとしていたブッダ。彼が死の直前に私たちに残そうとしたメッセージとは何だったのでしょうか? 仏教を【自己鍛錬システム】ととらえる視点で、ブッダが最期の瞬間まで自らの姿を通して示した【人間のあるべき生き方】、長期に渡って維持・存続する組織の条件を問う【組織論】などを、「大般涅槃経」から読み解いていきます。

第1回 「涅槃への旅立ち」
80歳を迎えたブッダは霊鷲山に滞在していた。身体の衰えがひどく自身の死期が近いことを覚ったブッダは故郷を目指して最後の旅に旅立つことを決意する。その大きな目的の一つは、自分の死後、これまで解き明かしてきた真理や修行方法などをできるだけ多くの人たちに教え伝えることだった。旅立ち前にまず行ったのは意外にも、隣国への侵略計画をすすめる阿闍世王への忠言。そこには真に繁栄する国の条件が示されていた。佐々木閑さんは、その裏に、自分の死後、仏教や教団が永く維持・存続するための教えが込められているという。第1回は「大般涅槃経」の全体像を概観しつつ、ブッダが「自己鍛錬システム」として説いてきた仏教の本質と、それをいかにして長く存続させるかというブッダの知恵を読み解く。

第2回 「死んでも教えは残る」
ブッダは最後の旅において、自分の死後に指標となるような教えを繰り返し説き続けた。その代表例が「自灯明・法灯明の教え」。「私がいなくなっても真理の法は生きている。自らを灯明とし自らを拠り所としなさい。法を灯明とし法を拠り所としなさい」。この言葉は、自分の死後リーダーが不在になったとしても、修行を続けていける方途を示したものだ。いわば「教祖」のようなものを否定した画期的な教えである。またブッダは、遊女アンバパーリーの招待をすすんで受けるなど、貴賎の差を問わない絶対平等の立場で行動を続ける。自らの姿をもって弟子達に真理を教え続けたのだ。第2回は、旅の途上のさまざまなエピソードを通して、ブッダの死後も生き続ける「生き方の指針」を読み解いていく。

第3回 「諸行無常を姿で示す」
ブッダの死因は、鍛冶屋チュンダが供養した食事だったとされる。しかし、ブッダは一切チュンダを責めることはしない。それどころか「涅槃に入る前の最後の施食は、ほかのどんな供養よりもはるかに大きな果報と功徳がある」と説き、チュンダの後悔の念を和らげようという深い慈悲を示す。またその直前には、まるで総決算のように、六つの町でこれまで説いてきた教えのエッセンスを、命を削りながら説き続けた。ブッダ最後の旅は、「諸行無常」という真理をわが身をもって示す旅でもあった。第3回は、最後の旅における説法を通してブッダの思想のエッセンスを紹介するとともに、最後の瞬間まで慈悲に貫かれたブッダの行為から、人間としてのあるべき姿を読み解く。

第4回 「弟子たちへの遺言」
ついにブッダの死に死が訪れようとしていた。沙羅双樹の樹下に横たわったブッダは、弟子たちに向けて遺言ともいうべき言葉を語り始める。また臨終にかけつけたスバッダを、周囲の反対を押し切って弟子とし導いた。弟子たちに対しては「葬儀のあり方」「修行の大切さ」「時代にあわせて柔軟に戒を運用すること」を伝えるなど、最期の最期まで、自分の死後に残された人たちが困らないよう細かい心配りをするブッダ。それは、生涯をかけて積み上げてきたものだけが示せる荘厳な死だった。第4回は、ブッダの死が意味するものやそれを私たちがどう受け止めたらよいのかを考えるとともに、仏教やそれを支えるシステムが、ブッダの死後2500年以上も長きにわたって存続してきた秘密にも迫っていく。
(text from NHK site)

NHK教育 25min×4 2015-04-01・08・15・22 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●京都 雅のしずく 「風とともに住まう ~京町家」

NHK教育 15min 2015-05-03 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「インダストリアルデザイナー・栄久庵憲司」

「道具は道の具え(そなえ) モノに心を感ずれば人に新しい世界が出来る 今までとは異なる世界が出てくる」: 日本を代表するインダストリアル・デザイナー、榮久庵憲司。戦後日本の日常生活のあらゆる場に、優れたデザインを残した。代表的な作品としては、半世紀以上もその姿を変えずに世界中で使われている「卓上しょうゆ瓶」が挙げられる(昭和36年発表。現在はニューヨーク近代美術館にも収蔵されている)。そのほか、オートバイ(YA-1)、アップライトピアノ、郵便ポスト、成田エクスプレス、新幹線「こまち」、博覧会場の施設など、関わったジャンルは多岐にわたる。一貫していたのは、「モノの声を聴き、心を感じる」という榮久庵独自の考え・『道具論』。それは栄久庵のもう一つの顔「僧侶」としての精神から生じていた。昭和5年、浄土宗の僧侶の息子として東京に生まれる。生後すぐに一家はハワイへ移住、父は開教師として働き、榮久庵はアメリカのモノ文化に触れて育つ。昭和12年帰国、15歳で海軍兵学校へ入隊。終戦と同時に父が住職をしていた広島へ向かうが、一面の焦土に衝撃を受ける。特に、焼けた市電や自転車が発する「助けてくれ」という叫びが耳に届き生涯心から離れなかった。その後、父の後を継いで僧侶に。亡くなった方々の供養を重ねる中で、「仏(ぶつ)と物(ぶつ)。多くの人に平等にモノが行き渡ることで、人々の魂も救われる」と、工業デザインを志す。僧侶の傍ら、東京藝術大学で当時は未知の分野だったインダストリアル・デザインへ進出。「使いやすくて美しい量産品」を目指して、仲間(GROUP of KOIKE)とともに、多くのデザインを生み出した。一方で、「small but BEAUTIFUL」や「幕の内弁当美学」といった独自のデザイン論で、日本ならではの道具と人との関係や日本文化としてのインダストリアル・デザインの価値を国内外に向けて説き、職能の理解促進に尽力した。「デザインに出来ることは何か」と、災害など新たなデザインの領域にも早くから着手、後進を育成する一方で、人とモノの関係性を見直し社会のありようを考える「「道具寺構想」など、最後まで独特の哲学で日本のインダストリアル・デザイン界を牽引した。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2015-05-16 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo



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