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●NHK SPECIAL 戦後70年 ニッポンの肖像 豊かさを求めて|第2回 「"バブル"と"失われた20年" 何が起きていたのか」

奇跡ともいえる高度成長を遂げた日本経済は、その後、世界に先駆けて二つの事態に見舞われる。それが「バブルとその崩壊」「“失われた20年”という停滞」である。第2回は、その2つの<事件>を検証し、それがいったい何だったのか、そこから何を教訓とすべきかを解き明かす。金融が経済の主役となり、「マネー経済」へと世界が突き進んだ70年代以降、各国で繰り返されるバブル生成と崩壊。世界が初めてその怖さを痛感したのが80年代後半、日本が経験した「バブル」だった。今回、取材を通して見えてきたのは、「マネー経済」という新たな変化に対応できなかった日本の姿。マネーゲームに邁進し、バブル崩壊後は不良債権隠しに走る企業。戦後の日本独特のシステムがそれらに拍車をかけていった。「バブル」とは何だったのか明らかにする。さらにバブル崩壊後に訪れた「失われた20年」と呼ばれる長期に及ぶ経済の停滞。実は、バブル崩壊直後、日本経済を代表する企業のトップたちが、この事態を明治維新、敗戦に次ぐ第三の日本の転換点と位置づけ、早くからその対応について幾度となく議論を重ねていた。さらに、トップたちは、それまでの常識や美徳をかなぐり捨てて、その事態を乗り越えようと様々な模索を続けてきたのだった。今回、トップへの徹底取材を通して改めて見えてきたのは、“失われた20年”の苦闘と試行錯誤の記録である。そこから、私たちはこれからの日本経済を考える上で、どのような教訓を得ることができるのだろうか。
(original text from NHK site)

NHK総合 85min 2015-05-31 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●NHK SPECIAL 戦後70年 ニッポンの肖像 豊かさを求めて|第1回 「"高度成長" 何が奇跡だったのか」

焦土と化した第二次大戦の敗戦からわずか20年余りで世界第二位の経済大国に上り詰めた日本。世界史上、類を見ないスピードで復興し、高度経済成長を成し遂げたその復活劇は、「奇跡」と称賛された。翻って今の日本は、低迷が続き、未だに再浮上の糸口をつかめないままもがいている。あの「奇跡」はなぜ起こったのか。時代の産物に過ぎなかったのか、それとも日本の真の実力だったのか。奇跡と呼ばれた高度成長の、何が実力で何が幸運だったのか、膨大に残る関係者の音声テープ、新資料から検証。高度成長の真の姿を明らかにし、今に生かせる教訓を探る。
(text from NHK site)

NHK総合 50min 2015-06-02(2015-05-30の再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●プロフェッショナル 仕事の流儀(266) 「心を込めて、当たり前の日常を」 ビル清掃・新津春子

2月の放送が大反響を呼んだ、羽田空港の日本一清掃員、そのスペシャル版!!“清潔な空港・世界一”に認定された羽田を支えるのは、汚れを見つけるとなぜか笑顔になるスゴ腕の女性、新津春子(45)。“そうじ”を突き詰める驚きのこだわりと情熱、そしてビル清掃技能競技会で最年少優勝を飾った圧倒的な技術。その影には、中国で日本人残留孤児の下に生まれ、いじめや差別に苦しみ続けた壮絶な逆境の半生があった。今回は新たに、家庭の風呂やキッチンがすぐピカピカになる、驚きのプロの技も一挙公開!!
(text from NHK site)

NHK総合 50min 2015-06-01 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo/解説副音声/字幕





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「1フィート運動の会 元事務局長・中村文子」

「きょうはあなたたちの体に一粒の種をまきにきたのよ。それは平和を希(こいねが)う心。戦争に反対する行動力の種なの。それはあなたたちの体の中に大木に育った時に世界は平和になるからね」: 沖縄の平和運動の“母"・中村文子。『1フィートの会』(正式名称は『子どもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会』・1983年発足)を活動拠点に、『命(ぬち)どぅ宝』という言葉で、子どもたちに平和の大切さを語り続けた。大正2年7月、沖縄北部の本部町に生まれた。幼い頃から教師に憧れ、女子師範学校へ進学。本土から来た教師による徹底した皇民化教育の中で育つ。19歳で母校の小学校へ教師として赴任、昭和16年まで教壇に立った。教え子たちの中には、後に鉄血勤皇隊やひめゆり学徒として日本軍とともに戦い、若い命を落とすことになる子どもたちがいた。中村は昭和16年開戦の3か月前に結婚を機に神奈川県の川崎の国民学校へ出向。沖縄へ戻ったのは終戦の翌年だった。沖縄の変わりよう、そして教え子たちの死を知り、『教師の加害責任』を考え抜く。以降、沖縄で教師を続けながら平和教育に力を入れ、定年退職後は婦人連合の副会長として『母たちの戦争体験記』の取材を続けるなど活動した。70歳を機に社会的活動からの引退を決めるが、『1フィート運動の会』の第一回上映会に出会い、事務局長として精力的に活動を始める。『1フィート運動の会』は、日本で唯一、地上戦の戦場となった沖縄戦を伝える米軍記録映像を県民カンパで買い取り、上映するという会。沖縄戦を記録した未編集フィルムの収集のほか、沖縄戦体験者の発掘、証言録取。フィルムを元に製作されたドキュメンタリー映画の上映会の普及にも奔走した。最晩年まで、子どもたちへの平和学習を続け、「惨(むご)い映像だが目をそらしてはいけない。過去は未来への道標。戦争では実際には何が起きるのか。平和とは何か。」と強く説き続けた。1フィート運動解散の2013年、沖縄慰霊の日を待ったかのうように、99歳で永眠。平和を希求し考え続けることの重要性を次世代に説き続けた中村の遺した思いが語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2015-06-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo



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