Polygon

[ BDR-0640 ] 詳細    |このページを閉じる|





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「こんな病院見たことない!ニッポンの医療を変える男」 北原病院グループ・北原茂実

私たちが健康的な生活を送る上で欠かせない“病院”。しかし、一般的に診療やサービスなどについて不満を持つ人は少なくない。そんな中、全てが“患者”の目線でつくられた“病院らしくない病院”が注目を集めている。東京・八王子に拠点を置く“北原病院グループ”だ。仕掛けるのは医療法人社団KNI理事長の北原茂実。自らが入院患者となった経験もあり、今までの病院・医師目線を改め、あくまで患者の立場になった病院づくりを進めてきた。その取り組みは国内にとどまらず、海外にも広がろうとしている。病院を丸ごと輸出しようというプロジェクトも進行中だ。医療の世界にメスを入れる、改革派医師の挑戦を追う。

◎病院らしくない病院… ニッポンの医療に風穴を明ける男
東京・八王子市内に、脳神経外科や循環器の専門病院を始め、内科クリニックやリハビリなど4つの医療施設をもつ医療法人社団KNI。その中核である「北原国際病院」を訪ねると、院内はホテルのようなオシャレな作り。見た目だけではなく、行き届いた親切な対応も売りだ。さらに診察も、普通の病院とは違う。大掛かりな検査も即日実施・即日結果。薬もその場で飲み、それを見てすぐに医者が対応する。設立者・北原茂実がこの病院を作ったそもそものきっかけは30年前。大学病院の勤務医をしていた時、皮肉にも急病で自分が勤務していた病院に運び込まれたという。そこで思い知ったのは“病院は患者にとってなんと居心地の悪い空間なのか”ということ。その経験もあって、北原の病院は随所に患者の立場に立った気配りがされているのだ。救急の現場でもその思いは見てとれる。この病院では「断らない救急」を実践しており、救急外来の受入率は実に97%(直近3ヵ月)。患者の立場に立った、行き届いた医療を一人でも多くの人に…。ニッポンの医療現場の革命児に密着する。

◎地域と繋がる医療が患者を町を元気にする!
北原リハビリテーション病院には「家族ボランティア」という、入院患者の家族が病院内で働く制度がある。仕事は掃除からレクリエーションの手伝いまで実に様々。家で雑巾を縫ったりするのもOK。働いた分だけポイントがたまり、入院の差額ベッド代として相殺されるという仕組みだ。地域の人々と病院が繋がる“絆”、それが北原の考える理想の病院像だ。さらに地域と繋がるため、北原が仕掛けようとしているのが健康食レストラン。元々病院で出されている料理がおいしいと評判だったため、これを健康食として一般の人にも提供しようというのだ。八王子市内でのレストラン開店を目標に、現在、栄養士を中心にメニュー開発の真っ最中だ。食材は、病院が所有する農園で患者達が作った野菜も使う予定。食というアプローチからも、地域を健康にしようという狙いだ。地域の中にとけ込む医療。それこそ北原が目指す姿なのだ。

◎ニッポンの医療を“輸出産業”に!
北原が今最も力を注いでいるのが、ニッポンの医療を海外に輸出するプロジェクト。すでにカンボジアでリハビリ施設を作るなど、本格的な進出に向けて着々と準備を進めている。さらに今、日本の商社などと共同でつくる総合病院の建設が始まっている。来年の春には完成する予定。現地で特に遅れている救急医療に取り組む。ハードだけではない。人材育成にも力を入れている。日本にカンボジアの若者たちを招き、最先端の医療を身につけてもらおうというものだ。5月、23人のカンボジア人が来日。北原国際病院などで9ヵ月間の研修に入った。優秀な人材は、来春カンボジアで完成予定の新病院で採用される予定だ。さらに北原は、日本で研修したカンボジア人が母国に戻った際、今度は教える側となって、カンボジアの医療発展に寄与するというところまで青写真を描いている。ハードもソフトも、ニッポンの医療を代表的な輸出産業にしたい・・・。北原の夢は海を越えて大きく膨らんでいる。

≪ゲストプロフィール≫
1953年 神奈川県生まれ
1979年 東京大学医学部卒業後、東大医学部附属病院・都立府中病院・三井記念病院などで勤務
1995年 北原脳神経外科病院 開設
2010年 医療法人社団「KNI」設立

≪会社プロフィール≫
設立: 1995年1月
所在地: 東京都八王子市大和田町1-7-23
売上高: 38億円(2013年3月実績)
従業員数: 509名(2013年4月)
事業内容: 医療機関の経営
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2015-08-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●NHK SPECIAL 「きのこ雲の下で何が起きていたのか」

1945年8月6日、広島で人類史上初めて使用された核兵器。その年の末までに14万人以上の命を奪ったという数字は残されているが、原爆による熱線・爆風・放射線にさらされた人々がどう逃げまどい・命つき、あるいは生き延びたのか、その全体像は実際の映像が残されていないために、70年の間正確に把握されてこなかった。巨大なきのこ雲が上空を覆う中、その下の惨状を記録した写真が、わずか2枚だけ残っている。原爆投下の3時間後、爆心地から2キロのところにある「御幸橋」の上で撮影されたものだ。被爆70年の今年、NHKは最新の映像技術、最新の科学的知見、生き残った被爆者の証言をもとに、初めて詳細にこの写真に映っているものを分析し、鮮明に立体映像化するプロジェクトを立ち上げた。きのこ雲の下の真実に迫り、映像記録として残すためである。平均年齢が78歳を超えた被爆者たちは、人生の残り時間を見つめながら、「いまだ“原爆死”の凄惨を伝えきれていない」という思いを強めている。白黒の写真に映る50人あまりの人々の姿―――取材を進めると2名が健在であることが判明。さらに、その場に居合わせた30名以上の被爆者が見つかった。彼らの証言をもとに写真を最新技術で映像処理していくと、これまでわからなかった多くの事実が浮かび上がってきた。火傷で皮膚を剥がされた痛みに耐える人たち、うずくまる瀕死の人たち---皆、爆心地で被爆し、命からがらこの橋にたどり着いていた。写真に映る御幸橋は、まさに「生と死の境界線」。多くの人がこの橋を目指しながら、その途中で命尽きていたのだ。きのこ雲の下にあった“地獄”。残された写真が、70年の時を経て語りはじめる。※フランス公共放送F5との国際共同制作。
(original text from NHK site)

NHK総合 65min 2015-08-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●NHK SPECIAL 「憎しみはこうして激化した」 ~戦争とプロパガンダ~

ベトナム、湾岸、アフガン、イラク・・・。戦争のたびに繰り返されるプロパガンダ。その原点が、実は太平洋戦争にあることを示す貴重な資料が明らかになった。海兵隊が戦場で撮影したおよそ2000本、300時間のカラーフィルム、当時のプロパガンダ映画制作のための全素材だ。さらに、米軍が検閲を行い「国民の目に触れさせるべきでない映像」を封印していたことを示す資料と、その映像自体も独自に入手した。それらのデジタルリマスター化により、高精細のカラー映像で、初めて戦場の現実をありありと蘇らせることが可能になった。国家は戦争をどう切り取り、封印してきたのか。発掘した極秘資料や映像、そして最後の生き証人である、元カメラマンや検閲担当者らの証言から、脈々と続く戦争プロパガンダの起源を追い、その「光と影」、そしてそれが国民に何をもたらすのかを詳らかにする。
(original text from NHK site)

NHK総合 50min 2015-08-07 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●かんさい熱視線 「“お墓”どうしますか?」 ~弔いを模索する人々~

遺骨を郵送し、お寺で永代供養してもらう「送骨」。火葬した遺骨を引き取らず、処理を火葬場に任せる「ゼロ葬」。今、“お墓”以外の弔いを選択する人が急増中だ。理由として挙げられるのが、「墓守できる子どもがいない」「墓を維持するお金がない」といった声だ。そうした中、親族の複数の墓を1か所にまとめたり、親しい友人で共同の墓を作ったりと、“お墓”を維持しようという新たな動きも始まっている。激変する“お墓”事情最前線。
(original text from BK site)

NHK総合 25min 2015-09-25 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●視点・論点 「シリーズ マイナンバー|暮らしはどう変わるのか」 弁護士…水町雅子

NHK総合 10min 2015-08-27(教育での同日再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Mono



> ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し







ページ先頭へ