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●シリーズ世界遺産100 「デルフィの考古遺跡」 ~ギリシャ~

国名: ギリシャ
分類: 文化遺産
登録年: 1987年
遺産名(英語): Archaeological Site of Delphi

デルフィの考古遺跡はギリシャ本土、パルナッソス山のふもとにある古代ギリシャの聖地です。現在も崇高な空気が漂うデルフィの遺跡は19世紀末まで小さな村の下に埋もれてその存在が知られていませんでした。やがてフランスの考古学隊により発掘されることとなったため、村全体が移動され現在デルフィ村となり、デルフィ遺跡観光の起点となっています。「世界遺産100」では「神託の地」と題し、かつて予言の神アポロンのお告げが聞ける聖地として大きな賑わいをみせたデルフィの威光に迫ります。紀元前8世紀頃からこの地でゼウスの息子であるアポロンを崇拝する信仰が始まります。市井の人々からアレクサンドロス大王まで、人々はこぞって神託を授かるため遺跡のアポロン神殿に集いました。神殿の地下からは大地のへそと呼ばれる大理石の巨大な石が発掘されました。当時、デルフィは世界の中心だと考えられていたのです。人々は神託への感謝の気持ちを込めてデルフィに様々な貢物を贈りました。ブロンズで出来た精巧な御者の像やスフィンクス、ローマ皇帝が納めた像など幾多の美術品がアポロン神殿までの参道を飾りました。世界最古の楽譜とも言われるデルフィ讃歌の楽譜も発見され、当時のデルフィの威光を示す貴重な証拠となっています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-07 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「富士山 信仰の対象と芸術の源泉」 ~日本~

国名: 日本
分類: 文化遺産
登録年: 2013年
遺産名(英語): Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration

日本の最高峰、富士山は古くから神聖視されてきました。平安時代には8合目以上を御神体と仰ぐ浅間神社(せんげんじんじゃ)が建てられ、修験道の場ともなっています。こうした日本独自の山岳信仰を表す山として、富士山は世界文化遺産になったのです。「シリーズ世界遺産100」では富士山の美しい映像と共に富士山信仰の長い歴史をたどります。室町時代に描かれた富士山の絵には頂上に仏が鎮座し、富士山頂が極楽浄土とされていたことが分かります。江戸時代になると、庶民が団体で参詣する富士講が大流行しました。番組で紹介する富士講の信者が泊まった宿や登山の前に身を清めるために入った洞窟も世界遺産の一部です。人々に浸透した信仰を背景に誕生したのが、葛飾北斎や歌川広重が描く富士山をモチーフにした浮世絵です。信仰の山、富士山は、世界で賞賛される芸術作品も生み出したのです。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「パトモス島のホラ歴史地区」 ~ギリシャ~

国名: ギリシャ
分類: 文化遺産
登録年: 1999年
遺産名(英語): Historic Centre (Chora) with the Monastery of Saint John "the Theologian" and the Cave of the Apocalypse on the Island of Patmos

パトモス島はギリシャのエーゲ海に浮かぶ島で、古代ローマ時代には流刑地でした。1世紀、この島にイエスの十二使徒の一人、聖ヨハネが流されてきました。「シリーズ世界遺産100」では、聖ヨハネがこの島で「黙示録」を書いた経緯と、その後に作られた聖ヨハネ修道院の姿を伝えます。聖ヨハネは島の洞窟に身を置き暮らしましたが、ある日神の啓示を受け、弟子とともに黙示録を書いたと言われます。黙示録は、新約聖書の4つの福音書の次にあり、聖書全体の最後に置かれています。そこには終末に関する神の啓示や最後の審判などが書かれています。そして11世紀、洞窟のある丘の上に聖ヨハネ修道院が築かれました。修道院はエーゲ海のエルサレムとも呼ばれ、今も世界中からキリスト教徒が集まる巡礼地となっています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-10 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「アマルフィ海岸」 ~イタリア~

国名: イタリア
分類: 文化遺産
登録年: 1997年
遺産名(英語): Costiera Amalfitana

イタリア南部、地中海に面したアマルフィ海岸は、切り立った断崖とエメラルドの海が複雑に入り組み、その美しさは世界一と言われます。海岸沿いの最大の町アマルフィは高級リゾートとしても有名で、ヨーロッパ各地から観光客が訪れます。「シリーズ世界遺産100」では、迷路のような階段が、生活と密接に結びついたアマルフィの人々の暮らしを通して、中世の都市国家の歴史に迫ります。地中海の中心という恵まれた立地と、この風光明美な景観を作り出している背後の断崖絶壁が自然の要害となって、アマルフィには10世紀に都市国家が建設されました。その歴史はヴェネチアやジェノバよりも古く、地中海を航行する際、羅針盤を使ったのもアマルフィが最初でした。市街にはヨーロッパ、ビザンツ、イスラムなどの様式が、複雑に混ざり合った独特の町並みが残されています。急勾配の斜面に貼り付くように広がった町には、迷路のように道幅の狭い通りが張り巡らされ、その多くが階段になっています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-13 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ポルト歴史地区」 ~ポルトガル~

国名: ポルトガル
分類: 文化遺産
登録年: 1996年
遺産名(英語): Historic Centre of Oporto

ポルトは現在リスボンに次ぐポルトガル第2の都市です。ポルトガルという国名はこの町に由来します。12世紀の建国当時、ポルトは既に国を担う商業の町として発展していました。「シリーズ世界遺産100」では、ポルトガルの歴史上節目節目において重要な役割を果たしたポルト市民の誇りを紹介します。世界遺産にもなっているポルトの玄関口サン・ベント駅には、ポルトガルの歴史を描いたアズレージョと呼ばれる青タイルの壁画が飾られています。その中でひときわ目立つのは、ポルトで生まれたエンリケ航海王子が1415年北アフリカのセウタを攻略した場面です。船隊はポルトの港から大西洋に乗り出し、ポルトガルの黄金期、大航海時代の幕開けとなりました。このセウタ攻略の際にポルトの市民は町中の牛肉を提供し、自分たちは残った内臓を食べたといわれます。それが今ではポルトの名物料理となっている、牛の臓物と豆を白ワインで煮込んだモツ煮「トリッパ・ア・モーダ」です。ポルトの人々が「トリペイロ」、臓物を食べる人、という愛称で言われる所以です。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-14 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「韓国の歴史村・良洞」 ~韓国~

国名: 韓国
分類: 文化遺産
登録年: 2010年
遺産名(英語): Historic Villages of Korea: Hahoe and Yangdong

韓国の南東部にある良洞(ヤンドン)村は人口350ほどの小さな村ですが、500年以上前の朝鮮王朝の文化をそのまま残していることから世界遺産となりました。かつて朝鮮王朝を支えた両班(ヤンバン)という官僚たちを多く輩出し、儒教の精神を堅く守ってきたのです。「シリーズ世界遺産100」では、この村に500年以上に渡って続く孫家の当主の案内で、継承されてきた祭祀の様子をご紹介します。孫家の初代孫昭(ソンソ)は朝鮮王朝前期に、両班として国家の危機を救った人物と言われます。以来孫家は王朝の栄華に力を尽くしてきました。一族は先祖の孫昭を神のようにあがめ、亡くなった日に祭祀を執り行ってきました。祭祀当日は韓国全土から一族の重鎮たちが、良洞村の家に集まります。家は元々孫昭が建てたものです。当主が孫昭夫妻の位牌を祭壇に運び、祭壇には果物、伝統的なお菓子などが高く積み上げられます。そして先祖の霊をこの世に招き食事を勧めます。先祖を敬う儒教の伝統がこの村ではいまだ息づいていました。
(original text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-17 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ペタヤべシの古い教会」 ~フィンランド~

国名: フィンランド
分類: 文化遺産
登録年: 1994年
遺産名(英語): Petajavesi Old Church

フィンランドに広がる湖水のほとりに美しい木造教会が建っています。北欧の人々の素朴な信仰心が生み出した教会です。「シリーズ世界遺産100」では、ペタヤベシの古い教会が持つ、独特の美しさと、不思議な魅力を御紹介していきます。北の果てに住む住民達は、篤い信仰心により、自ら資金を集めてこの教会を建てました。建設に携わったのは、地元の大工達です。北欧に伝わる確かな木材加工技術を持つ彼らは、中央ヨーロッパで建設されていた華麗な教会に負けない美しい教会を造る為に、持てる力を注ぎ込みました。鐘楼の外壁の美しい装飾や、聖堂中央の天井の優美な曲線を描くドームが、彼らの技術の高さとその志を物語っています。そして、教会の中で最も訪れる人々をひきつけているのが、説教壇に飾られた天使達の像です。羽を広げ、独特の、柔和でかわいらしい表情で微笑む天使達。そこには、見る人の心を惹きつけ、癒す、不思議な力があると言われています。北の国の素朴な信仰心が生み出した、不思議な魅力を持つ教会の姿をご堪能ください。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「サンマルラハデンマキの青銅器時代の石塚墳」 ~フィンランド~

国名: フィンランド
分類: 文化遺産
登録年: 1999年
遺産名(英語): Bronze Age Burial Site of Sammallahdenmaki

フィンランド南西部にあるサンマルラハデンマキの遺跡は、紀元前1500年から500年ころまでの青銅器時代の埋葬地です。墓は石を積み上げた石塚で全部で30基以上あり、北欧の青銅器時代のものでは最大の規模。当時の埋葬習慣から宗教や社会構造をうかがい知ることができる貴重な遺跡です。「シリーズ世界遺産100」では、石塚の墓が持つ意味を考古学者と共に探ります。石塚墳がある場所は現在は森の中ですが、青銅器時代には海の近くでした。墓は海が見える見晴らしの良い場所に作られていました。その理由は太陽崇拝など当時の宗教観によるものですが、実は墓としての目的以外の大きな意味を持っていました。それは近くの集落にいた住民たちにとって重要なことだというのですが…。その集落での暮らしの様子が、地元に住む人々によって再現されています。番組では、青銅器時代の人々の素朴な生活も併せてお見せします。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-21 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ヴェルラの砕木・板紙工場」 ~フィンランド~

国名: フィンランド
分類: 文化遺産
登録年: 1996年
遺産名(英語): Verla Groundwood and Board Mill

森と湖の国フィンランドでは豊富な資源を利用して19世紀、製材・製紙業が飛躍的に伸び、国の基幹産業となりました。当時の工場の姿がそのまま残るヴェルラの砕木・板紙工場は、産業発展の現場でした。森に囲まれた湖のほとりにたたずむ古い工場は、フィンランドという国の特徴をよく表すユニークな産業遺産であり、現在は博物館となっています。「シリーズ世界遺産100」では、工場がまだ稼働していた時の作業の様子を写したフィルムを交えながら紹介します。ここで生産された板紙は、100%木と水でできており化学薬品は使用していません。豊かな木と水を上手に使いながら自然と共存してきた工場は、エコライフを大切にするフィンランドの象徴といえます。また、工場では女性が多く働いていました。賃金は安く長時間労働でしたが女性たちはよく働きました。工場の床には、51年間も勤務した女性の足の跡が残っています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-22 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「エンゲルスベリの製鉄所」 ~スウェーデン~

国名: スウェーデン
分類: 文化遺産
登録年: 1993年
遺産名(英語): Engelsberg Ironworks

スウェーデンのエンゲルスベリ一帯には良質の鉄鉱石が豊富にあり、12世紀から鉄が作られていました。17~18世紀には多くの製鉄所が建設され、製鉄業はスウェーデンの基幹産業となります。世界遺産の製鉄所は、当時のままの姿で唯一残された製鉄所で、20世紀初頭まで操業していました。「シリーズ世界遺産100」では、製鉄所のガイドをしていた96歳のラーションさんの案内で、製鉄産業が国家を強くしていった歴史を紹介します。16世紀のスウェーデン独立の際、国王グスタヴ・ヴァーサは国を支える産業として製鉄業を育てました。戦争で大砲が多く使われ、鉄の需要が急速に伸びていきます。質が良いスウェーデンの鉄は世界一と称えられ、18世紀には世界中の鉄の生産量の3分の1を占めるほどになりました。鉄はイギリスやロシアなどに輸出され列強各国の勢力拡大に使われました。そして鉄を輸出したスウェーデンも強い国になったのです。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-23 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「クロンボー城」 ~デンマーク~

国名: デンマーク
分類: 文化遺産
登録年: 2000年
遺産名(英語): Kronborg Castle

クロンボー城は、北海とバルト海を結ぶエーアソン海の監視を目的に、16世紀に建設されました。海峡を通る船からの通行税によって得た資金で、豪華な大広間や礼拝堂が造られます。1629年の火災によって焼失しましたが、直ちに再建され、幾度もの改修を経て現在の姿になりました。「シリーズ世界遺産100」では、クロンボー城の近くに住む一人の老人の物語を紹介します。第2次世界大戦中、デンマークは、内政に干渉しないことを条件に、侵攻してきたドイツ軍に無条件で降伏。クロンボー城もドイツ軍に占領されました。しかし、国民たちは、非合法の新聞の発行やドイツ軍の関連施設の破壊など、レジスタンスを繰り広げていました。ハリー・ヘンリクソンさんは、レジスタンスの一員として、デンマーク国内からユダヤ人をスウェーデンへ逃がす活動をしていました。対岸との距離が最も近いクロンボー城の付近で、6000人以上のユダヤ人をボートでスウェーデンへ運んだのです。現在もクロンボー城の地下に眠るホルガーダンスク像は、デンマークが危機になると眠りから覚めて祖国を救うと伝えられています。ハリーさんたちは、ホルガーダンスクを思い描いて命懸けの抵抗活動を実行しました。その救いの精神は、デンマーク人の誇りとして、今も語り継がれています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-24 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ハンザ同盟都市ヴィスヴィー」 ~スウェーデン~

国名: スウェーデン
分類: 文化遺産
登録年: 1995年
遺産名(英語): Hanseatic Town of Visby

スウェーデン最大の島ゴットランド島の町ヴィスヴィーには、中世の街の姿がそのまま残っています。12~13世紀にハンザ同盟都市として繁栄を極めたヴィスヴィーは「バラと廃墟の街」とも呼ばれます。オレンジ色の家々に真っ赤なバラが咲き誇る様は繁栄の象徴であり、町のあちこちにある古い聖堂の廃墟は街が破滅したことを物語ります。「シリーズ世界遺産100」では、街がたどったダイナミックな歴史のドラマを紹介します。バルト海の中央に位置するヴィスヴィーは交易の要衝としてハンザ同盟の中心的存在でした。街には商人の倉庫が建ち並び、大聖堂の2階まで倉庫にしてしまうほど活発に取引がされました。しかし14世紀、主力商品のニシンの漁場が遠くへ移ったことから衰退が始まります。そして15世紀、思わぬことから一気に破滅への道をたどるのです。現在は北欧有数のリゾート地となったヴィスヴィー。番組では華やかな中世祭りのパレードの模様も紹介します。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-26 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「アムステルダムの防衛線」 ~オランダ~

国名: オランダ
分類: 文化遺産
登録年: 1996年
遺産名(英語): Defence Line of Amsterdam

16世紀にスペインから独立したオランダは、首都アムステルダムを中心に発展してきました。アムステルダム中心部から15キロほど郊外に円形状に町を取り囲むように40あまりの要塞が立ち並んでいます。こうした要塞は総称して、アムステルダムの防衛線と呼ばれます。「シリーズ世界遺産100」では、この要塞のユニークな防衛機能をご紹介します。何がユニークかというと・・・実は要塞の周りを水浸しにする作戦なのです。オランダは国土の4分の1が海面下の土地柄、こうした地形を生かしたオランダならではの発想でした。敵軍が攻めてきた時には、運河の水門を開けて要塞の周りを水浸しにしたのです。その時の水の量の制御が重要でした。敵の歩兵が歩いて渡れない深さにしつつ、かつ敵の船が通れない浅さにしなければなりませんでした。しかし20世紀初頭に完成した要塞群は、新しく生まれた航空兵器によってその戦略的価値は失われていったのです。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-28 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ミディ運河」 ~フランス~

国名: フランス
分類: 文化遺産
登録年: 1996年
遺産名(英語): Canal du Midi

フランスの南部、トゥールーズからセート湖までを結ぶ、全長240キロにも及ぶミディ運河。地中海と大西洋をつないだこの運河は、19世紀に鉄道が登場するまで物流の中心的な役割を担い、フランス経済の発展に大きく貢献しました。「シリーズ世界遺産100」では、この運河が一人の男の熱意によって作られたことを紹介、壮大な工事を振り返ります。17世紀、この運河を発案したのは、徴税使にして技術者でもあったピエール・ポール・リケ。輸送距離を大幅に短縮できるこの計画は国王ルイ14世により承認、国家プロジェクトとして工事は始まりました。丘陵地帯に築かれた巨大なダム、川の上を通る運河橋、手掘りのトンネル・・・起伏の大きな地形に水を通すため当時の土木技術の粋が集められました。中でも、水門の開け閉めによって高低差を乗り越える閘門(こうもん)は80以上あり、この運河の大きな見所です。運河の両脇には4万5000本ものプラタナスの木が植えられ、日ざしから旅人を守ると共に、景観も配慮されています。リケは私財を投げ打って運河の完成を目指しますが、完成を見る事なく病に倒れました。しかしこの運河によって、大量輸送が可能になり、中でもワイン産業がその恩恵を大きく受けました。現在は、クルージングを楽しむ人々の人気ルートとなっています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-29 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ビルカとホーヴゴーデン」 ~スウェーデン~

国名: スウェーデン
分類: 文化遺産
登録年: 1993年
遺産名(英語): Birka and Hovgarden

森と湖の国、スウェーデン。首都ストックホルムから船で2時間ほど進むと見えてくるのが、ビルカとホーヴゴーデンです。スウェーデンのバイキングはこのふたつの島を拠点に9世紀から10世紀にかけてロシアやイスラム圏など東方へと進出していきました。「シリーズ世界遺産100」では、ふたつの島で発見されたものからバイキングの知られざる一面をご紹介します。ビルカからは3000を超える墓やさまざまな副葬品が見つかりました。副葬品は農具や工具などで、バイキングの生活や文化を知る重要な手がかりです。さらにはイスラムの国々で作られたと思われる指輪やコインなどが数多く見つかっています。バイキングが有能な貿易商人であったこともうかがえます。一方、ホーヴゴーデンでは、バイキングの王族の墓や王宮の跡が見つかりました。王宮の近くには集会場がありました。バイキングたちはここに集まり、合議制で物事を決めていました。略奪者のイメージが常につきまとう海の民バイキングですが、ビルカとホーヴゴーデンは、豊かな文化を育んでいた様子をかいま見せてくれます。
(original text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-30 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「D・F・ウォーダの蒸気ポンプ場」 ~オランダ~

国名: オランダ
分類: 文化遺産
登録年: 1998年
遺産名(英語): Ir.D.F. Woudagemaal (D.F. Wouda Steam Pumping Station)

オランダ北部のフリースラント州は、湖水地域でヨットのセーリングで人気があります。この州のレマーという町に蒸気ポンプ場が出来たのは1920年でした。今も現役で稼動している蒸気ポンプ場は貴重な産業遺産となっています。「シリーズ世界遺産100」では、現在稼動している世界最大の蒸気ポンプ場の様子を伝えます。ポンプ場には、設計したオランダの建築家D・F・ウォーダの名が付けられています。レマーの町は長年水害に悩まされていました。雨が続いたりすると町の運河が増水したのです。そのため運河の水をくみ上げ町の外側の湖に排出しなければなりません。かつては風車によって対応していましたが十分ではありませんでした。ポンプ場の完成により町は完全に水害から開放されたのです。蒸気ボイラー室は当初石炭燃料でしたが、20世紀後半に重油に代わりました。4つの蒸気エンジンが稼動し、1日に下げられる町の運河の水位は4センチです。現在1年平均45日間稼動しています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-01-31 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ブハラ歴史地区」 ~ウズベキスタン~

国名: ウズベキスタン
分類: 文化遺産
登録年: 1993年
遺産名(英語): Historic Centre of Bukhara

現在の中国からローマを結んだシルクロード交易。そのちょうど中間に位置するウズベキスタンの街、ブハラ。ここは2000年以上前から商業の要の街として多くの人や物が往来し栄えました。その名残が今も残る旧市街が世界遺産として登録されています。「シリーズ世界遺産100」では、砂漠のオアシスに造られた市場の特徴やかつての伝統を取り戻すため活動する人物を紹介します。16世紀の姿をそのまま残す旧市街。その特徴はタキと呼ばれる市場を中心に街ができていること。タキは人通りの多い十字路に造られました。さらにタキはアーケードになっているため、砂漠の強い日差しの中でも商売ができました。タキは商品の種類ごとに40も造られ、最高の品物と冨が集まったため、ブハラは商人の聖地と呼ばれるようになりました。しかし、20世紀になるとソ連に支配され、商人たちは徹底的に弾圧されました。商人たちの環境は一変し、市場の伝統はほとんど失われてしまったのです。その後、ウズベキスタンは1991年から独立。ソ連時代に変えられてしまった通りの名前を元の名称に戻すなど、商人たちはかつての伝統を取り戻そうと新しい取り組みを始めています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-02-03 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「サマルカンド文化交差路」 ~ウズベキスタン~

国名: ウズベキスタン
分類: 文化遺産
登録年: 2001年
遺産名(英語): Samarkand - Crossroads of Cultures

古来より、シルクロードのオアシス都市として栄えたサマルカンド。14世紀後半そこに、モンゴルの血を引く武将ティムールが空前の大帝国を出現させます。「シリーズ世界遺産100」では、ティムールが造り上げた青く輝く美しいイスラム都市サマルカンドの魅力を紹介します。サマルカンドを訪れた誰をも魅了するのが、壮麗な建物群の装飾に使われている青く美しいタイルです。これは、西はイランから東はインドにいたる大帝国を一代で築き上げたティムールが、戦争の際に捕虜にしたペルシャのタイル職人の技術を基に、発展させた物です。戦争に明け暮れたティムールは、戦いの度に東西各地の優秀な技術者、学者、芸術家を自国に連れ帰り、サマルカンドでその文化を融合させました。サマルカンドが「文化交差路」と呼ばれるゆえんです。青を貴重にした様々な色と、複雑な模様が組み合わされたタイルで覆われた、廟やモスク、神学校は、今、サマルカンドを有するウズベキスタン国民の誇りとなっています。番組は、今、国を挙げて行われている修復作業の総指揮を執っている、タイル職人アサードフさん一家の活動を紹介していきます。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-02-04 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「バーミヤン2」 ~アフガニスタン~

国名: アフガニスタン
分類: 文化遺産
登録年: 2003年
遺産名(英語): Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley

およそ千四百年前に仏典を求めて中国(唐)からインドへと旅した玄奘三蔵(三蔵法師)は、途中バーミヤンに立ち寄り、次のような記録を残しました。「伽藍が立ち並び、僧侶の数は数千人にのぼり、大仏は黄金に輝いていた」。当時、バーミヤンは一大仏教王国だったのです。王国の栄華を伝える大仏は、2001年にタリバンによって爆破されてしまいました。2003年の世界遺産(危機遺産)登録後、バーミヤンでは遺跡の修復と保存に向けた活動が始まっています。「シリーズ世界遺産100」の第2回では、日本隊による遺跡調査を通じて、遺跡の保護と住民の生活の再建をどう両立すべきなのかを考えます。日本隊の発掘調査で、大仏がある崖から1.5kmも離れた丘の近くから、仏塔(ストゥーパ)の土台と見られる、石が整然と積み重ねられた遺構が発見されました。このことは、バーミヤンの仏教王国が、予想以上の広がりを持っていたことを示しています。石窟からも新しい壁画が次々に発見されています。しかし、そうした石窟にも住民が住んでいる場合があります。新しく遺跡が見つかった場所から移動を求められる住民は多数にのぼっています。遺跡の保護と住民の生活の再建をどう両立するのか。バーミヤンでは今、模索が続いています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-02-05 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「クラクフ歴史地区」 ~ポーランド~

国名: ポーランド
分類: 文化遺産
登録年: 1978年
遺産名(英語): Cracow's Historic Centre

11世紀から600年近くポーランド王国の都として栄えたクラクフは、近隣諸国からの侵略を受け続けたポーランドにあって奇跡的に破壊を免れました。街の中央広場にそびえるマリア聖堂では、1241年のタタール人襲撃の逸話を象徴して、今も当時と同じようにラッパの音が鳴り響きます。20世紀、ドイツが侵略したクラクフでしたが、連合軍は歴史的建造物の多いこの街へは空襲を避けました。幾多の侵略を受けながら中世の姿を守り続ける古都です。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-02-07 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ベドゥの文化的空間」 ~ヨルダン~

国名: ヨルダン
分類: 無形遺産
登録年: 2005年
遺産名(英語): The Cultural Space of the Bedu in Petra and Wadi Rum

ヨルダン南部の世界遺産ペトラは、紀元前2世紀頃、この一帯を支配していたナバタイ王国の都でした。砂漠の中の岩山に築かれたペトラは、外部からの侵入を許さない天然の要塞でしたが、ローマ帝国に滅ぼされた後には、ナバタイ人の子孫だけが知る「幻の都」となっていました。その子孫とは、ベドゥ(通称ベドウィン)。彼らは、ペトラやその周辺のワディラム砂漠で、今日まで遊牧生活を続けています。ベドゥが先祖代々受け継いできた伝統的な暮らしは、世界的に守るべきものとして、世界無形遺産になっています。「シリーズ世界遺産100」では、ベドゥの民に伝わる数々の風習をご紹介します。その一つは、コーヒーによるもてなし。客の前で、丁寧に豆を炒り、独特の道具で粉にし、時間をかけて抽出します。ベドゥの民は、かつて砂漠を行き交うキャラバン隊を、こうしてもてなしてきたのです。番組では、キリムと呼ばれる織物作りや、民族料理、親から子へと受け継がれるラクダを扱う術や、民族の誇りを歌った歌などもご紹介します。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-02-25 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「レフカラレース」 ~キプロス~

国名: キプロス
分類: 無形文化遺産
登録年: 2009年
遺産名(英語): Lefkara laces or Lefkaritika

キプロス中南部のレフカラ。800人ほどの人々が暮らす小さな村では、至る所で編みものをする女性たちの姿を目にします。女性たちが編んでいるのは15世紀から続く伝統工芸「レフカラレース」です。「シリーズ世界遺産100」では、レフカレースの魅力をたっぷりと紹介します。レフカラレースは代々、村の女性たちの手によって受け継がれてきました。その細かな刺しゅうとデザイン性の高さが評価され、2009年に無形文化遺産に登録されました。村には40軒ものレースを売る店があり女性たちは自分たちの作った手製のレフカラレースを売って生活を支えています。かつてこのレフカラレースに魅了された人物がいました。ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチです。彼が購入したと言われる美しいデザインのレースはダ・ヴィンチ模様と名づけられ、今でも人気の模様です。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-02-26 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ジャマ・エル・フナ広場の文化的空間」 ~モロッコ~

国名: モロッコ
分類: 無形遺産
登録年: 2001年
遺産名(英語): The Cultural Space of Jemaa el-Fna Square

モロッコ中部にあるマラケシュは、11世紀後半、イスラム王朝の都として築かれた町で、サハラ砂漠へのキャラバン隊の基点として栄えました。世界遺産に登録されている旧市街の中心に、空間そのものが、世界無形遺産になっているジャマ・エル・フナ広場があります。広場は、モロッコを代表する大道芸を、毎日見ることができる、珍しい場所なのです。「シリーズ世界遺産100」では、あらゆる地域から人が集い、さまざまな文化の交差点となってきたジャマ・エル・フナ広場の活気あふれる様子をお伝えします。広場では、軽業師や、楽師、蛇使いたちが得意の芸を披露し、見物人が途切れることはありません。ここで披露されている大道芸は、どれも親から子へと、代々受け継がれてきたものばかり。番組では「神から蛇を扱う特別の力を授かった」と信じて、蛇使いを続ける兄弟をご紹介します。夜になると、広場には数え切れないほどの屋台が登場。食事に来る人々目当てに、大道芸人はさらに張り切り、広場はまるでお祭りのよう。ここでは、そんな賑わいが毎日、繰り広げられています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-02-28 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「イェリングの墳墓と石碑と聖堂」 ~デンマーク~

国名: デンマーク
分類: 文化遺産
登録年: 1994年
遺産名(英語): Jelling Mounds, Runic Stones and Church

デンマークのユトランド半島にある小さな町イェリングは、国家発祥の地です。町に残る墳墓や石碑には、1つの王国が誕生し、さらにキリスト教国家へと変貌を遂げた足跡が残されています。「シリーズ世界遺産100」では、バイキングの国だったデンマークが大きく変わっていく歴史を紹介します。デンマークは元々、自然の神々を崇拝するバイキングの拠点でした。優れた航海術と戦闘能力を持ち、大西洋を南下して略奪を繰り返したバイキングは、ヨーロッパ中で恐れられました。そのバイキングたちを統合し、デンマーク国を造ったのが初代国王ゴームです。2つの墳墓の片方は彼のもので、小さな石碑には建国の記録が残されています。もう1つある墳墓と石碑は2代目のハーラル王のものです。石碑には、キリスト像が刻まれ、ハーラルが国民をキリスト教徒にしたことが記されています。時代が変わって略奪経済が成り立たなくなり、他国と貿易をするため、異教徒の王はキリスト教へと改宗したのです。石碑の横に建つ聖堂は、北欧で最初の聖堂といわれています。バイキングの時代は終わり、デンマークはキリスト教国家として現在に至っています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-03 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ケルクアンの古代カルタゴの町と墓地遺跡」 ~チュニジア~

国名: チュニジア
分類: 文化遺産
登録年: 1985,1986年
遺産名(英語): Punic Town of Kerkuane and its Necropolis

紀元前9世紀~3世紀に、フェニキア人はカルタゴという貿易大国を築きました。カルタゴはローマに滅ぼされて、現在はあまりカルタゴ時代の遺跡は残っていません。しかし50年ほど前、チュニジアのボン岬半島のケルクアンでカルタゴ時代の遺跡が見つかったのです。「シリーズ世界遺産100」では、ケルクアンで見つかったフェニキア人の居住地域と、共同墓地遺跡を紹介します。ケルクアンは紀元前6世紀に建設され、人口2千人ほどの石工やガラス職人が多く住む町でした。フェニキア人は水のあるところを求めて町を作りました。当時は水脈が浅く、数メートルの井戸を掘れば水が沸いたといいます。各家にはお風呂もついていて、排水設備もちゃんと整っています。お風呂の存在は、フェニキア人の豊かさを示すものであり、座って入る入浴方法は当時を彷彿とさせます。居住地の発見から10年後、1キロ離れた岩山で、フェニキア人の共同墓地も発見されました。墓は200基以上もあり、棺は階段から続く地下室の中に収められていました。棺のふたは、イトスギで出来ていました。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「フレーザー島2」 ~オーストラリア~

国名: オーストラリア
分類: 自然遺産
登録年: 1992年
遺産名(英語): Fraser Island

オーストラリア東海岸の沖合に浮かぶフレーザー島は、面積が沖縄本島の1.5倍という世界最大の砂の島です。島では砂丘の砂が森を飲み込むという特異な風景が見られます。高さ10mの木々が、風によって動いてきた大量の砂の中に埋もれてしまったのです。「シリーズ世界遺産100」では、砂の島がどのように形成されたのかを紹介します。フレーザー島から南へ1000kmのシドニー。その奥に広がる渓谷、世界遺産グレーター・ブルー・マウンテンズが砂の起源です。渓谷の砂岩が雨で削られ海に運ばれていくうちに砂となります。海には貿易風の影響で北へと向かう沿岸流があり、砂はその流れに乗って海底を徐々に移動していきます。そして1000km先で堆積し、約100万年をかけて島となったのです。番組では、海底を移動する砂の撮影に挑みました。カメラが捕らえたのは、強い潮の流れでまるで生き物のように動く砂。自然が起こす驚きの映像です。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-12 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「西オーストラリアのシャーク湾」 ~オーストラリア~

国名: オーストラリア
分類: 自然遺産
登録年: 1991年
遺産名(英語): Shark Bay, Western Australia

ザトウクジラやジンベイサメ、ハンドウイルカなどが多く見られるシャーク湾は、世界最大のジュゴンの生息地としても知られます。また陸上では有袋類などの希少動物が暮らし、湾の最奥部の海岸には、35億年前の地球最古の生物ストロマトライトが今も生きています。シャーク湾周辺は乾燥しきった土地で人間の手が及ぶことのなかったため、こうした貴重な生物類の宝庫として残されたのです。「シリーズ世界遺産100」では、人魚伝説の元になったといわれるジュゴンの生態を紹介します。かつては世界中の海にいたジュゴンは乱獲に遭い絶滅の危機に瀕していますが、シャーク湾には世界中の8分の1に当たる1万頭が生息しています。湾内は水温が高く、餌の海草も豊富だからです。ジュゴンは海草しか食べない珍しい海の哺乳類ですが、その生態はまだよく分かっていません。番組では、ジュゴンが子育てをする非常に貴重な映像も紹介します。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-14 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ウルル、カタ・ジュタ国立公園」 ~オーストラリア~

国名: オーストラリア
分類: 複合遺産
登録年: 1987,1994年
遺産名(英語): Uluru-Kata Tjuta National Park

「エアーズロック」の名で知られるウルルは、オーストラリア中央の砂漠地帯に位置します。最初自然遺産として登録されましたが、この地に住むオーストラリアの先住民アボリジニの文化的価値が再考され、文化遺産としての価値も合わせ持つ複合遺産となりました。「シリーズ世界遺産100」では、何故このような奇岩が出来上がったのか、またアボリジニがこの奇岩にどのような思いをこめていたのかを伝えます。砂漠の真ん中に忽然と現れる、巨大な一枚岩「ウルル」と大きな一枚岩が分かれた「カタ・ジュタ」。鉄分が酸化して赤い色をしています。この地はおよそ6億年前は大山脈であったと考えられ、その後山脈は侵食され扇状地の上に積もり、固められて岩となりました。更に地殻変動が起こって岩の層が折り曲げられて、巨大な一枚岩が姿を現したのです。アボリジニの神話によれば、天地創造の時代、偉大な先祖たちが全土を歩き回って、山や川、木や谷を作りました。先祖たちの通った道は聖なる道とされ、その全てはウルルで交わります。先祖の精霊たちは、創造の仕事が終わると、この岩の中に引きこもりました。ウルルは、アボリジニの心の中心「赤い心臓」なのです
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-16 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「サルバドール・デ・バイア歴史地区」 ~ブラジル~

国名: ブラジル
分類: 文化遺産
登録年: 1985年
遺産名(英語): Historic Centre of Salvador de Bahia

ブラジル北東部、大西洋に面した町、サルバドール・デ・バイアは、16世紀後半から200年間、ブラジルの首都でした。当時ブラジルは、ポルトガルの植民地。サルバドールの町には、砂糖や金の交易で栄えた頃に建てられた邸宅や、教会などが数多く残っています。しかし、繁栄の裏には、遠くアフリカから連れてこられ、苛酷な労働に従事させられた黒人奴隷のおびただしい犠牲がありました。「シリーズ世界遺産100」では、サルバドールの黒人奴隷たちが、ふるさとから遠く離れた地で、民族のアイデンティティを保つために編み出した独自の信仰「カンドンブレー」をご紹介します。神々が地上に降り立つことを祈る儀式では、人々は、独特のリズムで太鼓を打ち鳴らしながら、踊ります。この音楽と踊りが、後にブラジルを代表するサンバになりました。奴隷制が廃止されて、およそ100年。今では毎年2月、アフリカ系の人々が中心になって、カーニバルが開かれ、町にはサンバの情熱的なリズムが鳴り響きます。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-17 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ベナン湾沿いの城塞群」 ~ガーナ~

国名: ガーナ
分類: 文化遺産
登録年: 1979年
遺産名(英語): Forts and Castles, Volta, Greater Accra, Central and Western Regions

アフリカ西部、ガーナの海岸線にあるエルミナは、内陸部で採れる金が集められた事から「黄金海岸」とも呼ばれています。西洋の国々が貿易のために海岸線に建てた城塞は、富をめぐる争いの舞台であり、アフリカの人々に深い傷跡を残した場所でもありました。「シリーズ世界遺産100」では、海岸線に建つ数々の城塞と、この場所で行われた貿易の歴史を紹介します。始まりは、ポルトガル人が初めてこの地を訪れた1471年でした。ガーナの金の存在を知り、海岸に貿易所を築いて取引をしていましたが、やがてオランダ、イギリス、スウェーデン、デンマークなどが金を奪うために押し寄せ、貿易独占のために城塞を築きます。各国は、他の国の城を奪い合い、現地人さえスパイとして利用しました。打算と裏切りが海岸線を支配する中、時代の流れによって金の価格が下落すると、主力商品は金から「黒人奴隷」へと変わっていきました。奴隷貿易の拠点として使われるようになった城塞は、黒人の人々がどのような扱いを受けたかを物語っています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-18 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ザンジバル島のストーンタウン」 ~タンザニア~

国名: タンザニア
分類: 文化遺産
登録年: 2000年
遺産名(英語): Stone Town of Zanzibar

アフリカ東海岸沖に浮かぶザンジバル島は19世紀、東アフリカからアラブ諸国へ送られる商品の集積地として繁栄しました。島の中心都市、ストーンタウンにはその名残をとどめる建物や町並みが残っています。商人たちは富の象徴として、家の扉に細かな飾りを施し、美しさを競い合っていました。商人とは北から季節風に乗ってやってきたアラブ人でした。18世紀から島を占領し3つの商品によって富を築いたのです。その一つはコショウ。ザンジバル島ではクローブをはじめ、様々なスパイスが栽培され、高値で売られました。二つ目の商品は象牙。島は東アフリカ全域から巨大な象牙が集められました。そして、もう一つ、莫大な利益をもたらしたのは奴隷の売買でした。19世紀には東アフリカ最大の奴隷市場が置かれていました。その跡地に教会が建てられましたが、奴隷を品定めするためにつないであった木のあった場所が教会の床に記されています。奴隷たちが閉じ込められた倉庫やモニュメントなどが今にその現実を伝えます。奴隷制度は1897年に廃止されますが、島がアラブ人の支配から解放されるのは70年あまり後になってからでした。ストーンタウンはインド洋の季節風が多くの富と涙をもたらした世界遺産です。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「カッパドキア」 ~トルコ~

国名: トルコ
分類: 複合遺産
登録年: 1985年
遺産名(英語): Goreme National Park and the Rock Sites of Cappadocia

カッパドキアは、標高1000メートルを超えるアナトリア高原中央部に、100km平米近くにわたって岩石地帯が広がる台地です。キノコや煙突のような形の奇岩が林立し、巨岩がそびえる景観はまさに自然の驚異です。この不思議な風景は、柔らかい地層と硬い地層が重なり合い侵食されて生み出されました。「シリーズ世界遺産100」では、この奇岩の大地に秘められた、キリスト教徒たちの営みを伝えます。3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアに移り住みました。彼らは柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作ります。12世紀に作られた洞窟教会には、光がささないため当時のフレスコ画がそのまま残っています。キリスト教徒たちはこの地でペルシャやイスラム勢力に包囲され、絶えず脅威にさらされていました。そのため彼らは、敵から一時的に身を隠す場所を地下に求めました。1965年に発見された地下都市は、地下8階、深さ65メートルに及ぶ巨大なものです。地下1階のワイン製造所、地下2階の食堂、居間、寝室、収容人数に合わせて自由に掘り進められました。地下5階をつなぐ通路には、外敵が襲ってきた時通路をふさぐため、1トンもの大きな石を転がして通路を閉じる仕掛けもありました。そして、最下層の空間は十字架の形に掘られた教会になっています。カッパドキアのキリスト教徒たちは、地下都市の一番底に、神への祈りの場を設けたのです。
(original text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「メテオラ」 ~ギリシャ~

国名: ギリシャ
分類: 複合遺産
登録年: 1988年
遺産名(英語): Meteora

ギリシャ中央部に岩山が垂直に林立する不思議な平原があります。標高は高いものでおよそ600メートル。頂上にたどり着くことすら困難と思われる岩山の上に、人の手によって築かれた建築物があります。現存する建物は8つ。世界遺産・メテオラの修道院群です。メテオラという地名は、ギリシャ語で「宙に浮く」という意味の「メテオロス」に由来します。その名のとおり、天空に浮かび上がったかのような修道院に現在もギリシャ正教を信仰する50人あまりの修道士・修道女が暮らしています。「シリーズ世界遺産100」では、アギオスステファノス修道院を中心に、メテオラを信仰の世界を紹介します。断崖の上に修道院ができたのは14世紀でした。イスラム教を信仰するオスマントルコがギリシャに侵攻、その支配を逃れた修道士たちがギリシャ正教の教えを守り抜こうと、この天然の要塞メテオラに修道院を築いたのです。縄梯子の他にアクセスの方法がなかった急峻な岩山、そこは雑念に惑わされず祈りに専念できるため、修道生活にふさわしい場所でもありました。ふもとから人や荷物などを引きあげた巻き上げ機や、雨水を貯めた樽が今も残され、修道士たちの厳しかった生活をうかがい知ることができます。修道院のひとつ、アギオスステファノス修道院にはギリシャ内戦で傷つけられたイコンがそのまま残されています。「人々が争った不幸な歴史を忘れないために残している」と語る修道女、「これを見るたび世界の平和を祈らずにいられない」といいます。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-23 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「古代都市ネセバル」 ~ブルガリア~

国名: ブルガリア
分類: 文化遺産
登録年: 1983年
遺産名(英語): Ancient City of Nessebar

ブルガリアの黒海沿岸に突き出した小さな島、ネセバル。島は、入れ替わりここを支配したさまざまな民族の建物が折り重なっています。「シリーズ世界遺産100」では、3000年間の歴史を目の当たりに出来る、島ごと博物館のようなネセバルを紹介します。ネセバルは、黒海沿岸の真ん中に位置するという地の利を生かし、古くからギリシャ、イタリア、クロアチアなどを結ぶ海洋交易の港町として発展してきました。また、四方を海で囲まれ、内陸部とは一本の細い道で結ばれているだけという独特の地形が天然の要塞を形成。古代ギリシャ、ローマ、ビザンツと、いつの時代の支配者たちにとってもネセバルは垂涎の的であったのです。19世紀末には鉄道の発達や船の大型化で港町の価値が下がり、一時は寂れた漁村となっていました。しかし、歴史的建築物が醸し出す雰囲気が再評価されるようになり、現在ではブルガリア有数の観光スポットとなっています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-24 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「チャンパネール‐パーヴァガドゥ遺跡公園」 ~インド~

国名: インド
分類: 文化遺産
登録年: 2004年
遺産名(英語): Champaner-Pavagadh Archaeological Park

インド西部のチャンパネールは、4世紀頃からヒンドゥー教の王国として栄えた町です。近くのパーヴァガドゥの山には古い寺院があり、現在も聖地として多くの信者が訪れます。しかし、町中に残っている遺跡はイスラム教のモスクです。15世紀末、イスラムの王国が緑と水が豊かなチャンパネールを攻め落とし首都としたからです。「シリーズ世界遺産100」では、ヒンドゥーの地に建つイスラム教のモスクを紹介します。このモスクはイスラム様式ではなく、インドの伝統的な工法が用いられた独自の建築様式によって建てられています。建設にあたったのは、イスラムの王の命を受けた地元の職人たちです。しかし、彼らはヒンドゥー教寺院しか造ったことがなく、イスラム建築の工法を知りませんでした。そこで、職人たちはインド伝統の技術を駆使してモスクを造ったのです。例えば、モスクのドームは柱で支えられる構造になっています。イスラム様式では柱を用いず石を積み上げて造るので、ここのモスクは異色といえます。また、礼拝所を飾る装飾には、幾何学模様のイスラム装飾ではなく、インド文化の象徴ともいえる蓮の花やヒンドゥー教の儀式で使われる卍の模様や朝日の印が使われています。2つの文化が融合し、「インド-イスラム様式」という新しい芸術が誕生したのです。それは、新しい支配者の下でも伝統を守った、名もなき職人たちの仕事でした。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-25 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「コロニア・デル・サクラメント歴史地区」 ~ウルグアイ~

国名: ウルグアイ
分類: 文化遺産
登録年: 1995年
遺産名(英語): Historic Quarter of the City of Colonia del Sacramento

南米ラ・プラタ河の河口に、ウルグアイ第二の都市コロニア・デル・サクラメントはあります。川の河口にあるコロニアは、古くから交通の要衝でした。そのため、幾度も植民地争いの舞台となりました。17世紀最初に街を築いたのは南米奥地に植民地を広げていたポルトガルでした。やがてウルグアイ一帯を支配していたスペインがこの街に侵出します。1680年、スペインは300人の先住民の奴隷を連れてポルトガルを攻撃、コロニアを奪います。両国の間で100年に9度も奪い合いがあったため、ポルトガルとスペイン建築様式の混在した町が生まれたのです。コロニアの争奪戦は18世紀、スペイン領となりいったん幕を閉じました。19世紀にはウルグアイ東方共和国が独立。戦争の象徴だった城壁は取り壊されました。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-28 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「カセレス旧市街」 ~スペイン~

国名: スペイン
分類: 文化遺産
登録年: 1986年
遺産名(英語): Old Town of Caceres

カセレスがあるスペイン西部のエクストレマドゥーラ州は、荒涼とした大地でかつてはスペインで最も貧しい地方でした。そのせいか、「コンキスタドール(征服者)」と呼ばれる新大陸へ渡った者たちのほとんどが、この地方の出身でした。「シリーズ世界遺産100」では、新大陸からもたらされた富によって発展したカセレス旧市街の様子を伝えます。カセレスは中世以来、イベリア半島を南北に貫く「銀の道」の中継点として栄えてきました。1492年の新大陸発見によりその繁栄を極めるのです。スペインの南セビーリャが新大陸交易の拠点となると、カセレスには銀の道を通って、新大陸からの金銀が大量に持ち込まれました。征服者たちの何人かは、カセレスに戻ると故郷に錦を飾るため町に豪邸を築きました。持ち込まれた金銀はこうした邸宅を作るための財源となったのです。アステカ王国を攻め滅ばしたフェルナン・コルテスもカセレス近郊の出身です。カセレス新市街には、馬にまたがったコルテス像が立っています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-03-31 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモ」 ~ポルトガル~

国名: ポルトガル
分類: 文化遺産
登録年: 1983年
遺産名(英語): Central Zone of the Town of Angra do Heroismo in the Azores

アゾレス諸島は、ポルトガルの西1500キロの大西洋に浮かぶ諸島です。その中心にテルセイラ島があり、島の港町アングラ・ド・エロイズモが世界遺産に登録されています。「シリーズ世界遺産100」では、アングラの大航海時代における役割と、震災後の復興の様子を伝えます。ポルトガル人がアゾレス諸島を発見したのは、1427年と言われます。その中でもテルセイラ島は、波静かな入り江と豊富な真水に恵まれ、航海の中継基地としての条件を兼ね備えていました。15世紀後半からポルトガルの大航海時代が始まり、テルセイラ島のアングラはアジアや新大陸への航海の中継基地として栄えます。大西洋を横断するには、途中で食料や水を補給したり、船を修理する必要があったからです。16世紀には波止場の入り口に要塞も築かれました。陸揚げされる商品を海賊から守るためだけではなく、列強諸国も戦略上の要衝としてアングラの町を狙っていたからです。19世紀の末になり帆船の時代も終わると、アングラの役割も終えました。そして1980年の元旦、突然の大地震が島を襲います。死者が50人以上も出、町の歴史的建造物もほとんど瓦礫と化しました。ユネスコは1983年に世界遺産に登録、この歴史的遺産を復興させるための努力が今も続いています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-04-01 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ要塞」 ~キューバ~

国名: キューバ
分類: 文化遺産
登録年: 1997年
遺産名(英語): San Pedro de la Roca Castle, Santiago de Cuba

キューバ島南東部、サンティアゴ・デ・クーバ湾の突端に、1590年要塞が築かれました。スペインがイギリスの脅威に備えて作ったものです。以後要塞は増築と修復を繰り返し、現在の姿となっています。「シリーズ世界遺産100」では、スペインとイギリスのカリブ海での覇権争いの面影を伝えます。1588年、無敵を誇ったスペインの無敵艦隊は、ドーバー海峡でイギリスに敗れました。危機意識を強めたスペインはその2年後、カリブ海の要衝であるサンティアゴ・デ・クーバの町を守るために、湾の突端に要塞を築いたのです。新大陸やカリブ海での富を一手に握っていたスペインに対して、イギリスが攻撃してきたからです。要塞は何度かイギリス艦隊の攻撃を受けながらも、修復を重ね防御の役割を見事果たしました。17世紀にはイタリアの建築家も協力し、堅牢なルネサンス様式の優美さを今に残しています。毎日日暮れに要塞で行われる国旗降納の儀式。かつてスペイン兵が轟音を鳴り響かせた大砲を、今はキューバ軍兵士が守っています。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-04-02 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「アルジャジーダのポルトガル都市」 ~モロッコ~

国名: モロッコ
分類: 文化遺産
登録年: 2004年
遺産名(英語): Portuguese City of Mazagan (El Jadida)

北アフリカモロッコの大西洋岸、カサブランカから90キロ南にアルジャジーダという小さな町があります。かつては「マサガン」というポルトガル名で呼ばれていました。「アルジャジーダ」というのは「新しきもの」という意味のアラビア語です。「シリーズ世界遺産100」では、ポルトガル人がインド航路開拓のために築いた城砦の町を紹介します。マサガンの町が築かれたのは1502年、ポルトガル人は自然の地形を利用し、海の上におよそ300メートル四方の要塞を築きました。インドに向かうポルトガル人の、アフリカにおける居住地域とするためでした。16世紀にはマサガンの都市開発も進み教会も作られましたが、1769年には蜂起したモロッコ軍に破れ、ポルトガル人は追い出されます。その後モロッコの王によって再建され、アルジャジーダという名前が与えられました。今世紀になりこの要塞からポルトガル人が作った貴重な遺跡が発見されました。司令官の館と思われる邸宅の地下で、巨大な貯水槽が見つかったのです。円柱の美しいゴシック建築で作られた、50メートル四方の地下室です。城壁の外から水が絶たれたときの非常用の貯水槽でした。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-04-04 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●シリーズ世界遺産100 「ウィーン歴史地区」 ~オーストリア~

国名: オーストリア
分類: 文化遺産
登録年: 2001年
遺産名(英語): Historic Centre of Vienna

オーストリアの首都ウィーンの歴史は13世紀、名門王家ハプスブルク家が最初の都と定めたことに始まります。現在のウィーン旧市街を取り囲む「リングシュトラーセ」と呼ばれる環状道路が出来たのは、19世紀末のことでした。この通り沿いには様々な歴史的建造物が立ち並び、建築様式のショーウィンドーと言われています。「シリーズ世界遺産100」では、環状道路がなぜ作られたのかをご紹介します。環状道路を作ったのは、フランツ・ヨーゼフ1世、ハプスブルク家最後の皇帝です。16世紀に絶頂期を迎えたハプスブルク家は、19世紀中ごろには衰退し帝国各地で独立を要求する暴動が起きていました。自らも暗殺未遂事件に巻き込まれ、帝国分裂という最大の危機を迎えたヨーゼフはウィーン大改造を決断します。旧市街を囲んでいた城壁を取り壊し、幅58メートルの環状道路を作りました。通り沿いには市民の心をつかむためオペラ座や、ギリシャ風の国会議事堂を建設しました。しかし歴史の波は容赦なくヨーゼフを襲いました。1914年、第1次世界大戦勃発。戦争のさなかフランツ・ヨーゼフは86歳で死去、ハプスブルク帝国はここに滅亡しました。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2014-04-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo



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