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●映像’16 「よみがえる科学者」 ~水戸巌と3・11~

山間の仮設住宅で暮らすひとりの男性がつぶやいた。「あの人の言葉に耳を傾けていれば、こんなことにはならなかった…」男性は福島県浪江町の漁師。「あの人」とは物理学者の水戸巌である。水戸巌は東大原子核研究所の研究者。日本の原子力研究の最前線に立った。だが原子力の利用はあまりにもリスクが大きいと、原子力政策に警鐘を鳴らすようになる。1970年代以降、東海村を皮切りに各地の原発訴訟では科学者の立場から原告の住民を支援。福島第一原発の周辺地域にも通い、浪江町の漁師たちとも交流した。そしておきた「3・11」。番組では、科学者・水戸巌の足跡を辿ることで日本の原子力政策の歴史と課題を振り返り、科学者のありようについても考えてみる。1986年、厳冬の剣岳で2人の息子とともに遭難死した水戸巌。没後30年、そして3・11から5年を迎えるいま、「行動する科学者」水戸巌がよみがえってきた。
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(取材ディレクターより) 2015年の暮れ、私たち番組取材班はまだ暗いうちから北アルプスの剱岳を仰ぎ見ていた。科学者・水戸巌(1933-1986)が挑んだ厳冬の剱。「これが最後の挑戦だからね」と笑顔で水戸が妻に伝えた、その山の麓で夜明けを待った。視線の向こうに水戸と双子の息子たちが志半ばで遭難した北方稜線。しばらくして、その稜線から朝日が差し込んできた。静寂の中、この瞬間を逃すまいとするカメラマン。神々しい剱岳が姿を現した。私は思わず手を合わせ、携帯のカメラで写真を撮り、ご家族にメール送信した。「天国みたい。3人の魂が降りてきたのかもしれませんね」。返信を読んで涙がこぼれ、胸が熱くなった。この番組の主人公・水戸巌は、山と音楽をこよなく愛したという。1960年代後半から国と科学官僚らが推進する原子力政策に対し、「私たちは『原子力平和利用の技術』をまだ手にしていない」と批判し、反原発の立場で発言を続けた。原発建設に反対の声を上げる住民に頼まれれば、全国各地どこにでも出かけていった。東北での集会では講演料も受け取らず、混雑する列車で立ったまま東京に帰ったという。弱い立場の人たちにどこまでも優しかった、と水戸を知る人たちは言う。私が水戸巌を知ったのは、大飯・高浜原発の再稼動差し止めを求めた妻の喜世子さんとの出会いからだった。水戸巌の論文や講演録に触れるにつれ、水戸を今に蘇らせたいと思うようになった。その論考や肉声は、古びていないどころか新鮮に感じられる。30年以上も前のものなのに・・・。3・11から5年を迎える今、ひとりの科学者が社会的責任を自らに問い、どのように生きようとしていたのか、多くの視聴者に届けたいと思う。そして、この国の原発政策について、いま一度深く考えるきっかけになればと願っている。
(original text from MBS site)

毎日放送 60min 2016-03-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「健康志向・女性にアピール…“カップ麺”の常識を変えるチャレンジャー企業!」
エースコック社長・村岡寛

日清食品を筆頭に強豪がひしめき合う「即席麺業界」で4位のエースコック。他社や消費者から一目置かれ、今でも売り上げを伸ばし続ける理由は、“常識にとらわれない”商品開発にある。1963年発売の業界初「即席ワンタンメン」を始め、初めての餅の入った「力うどん」や「わかめラーメン」、大盛りカップ麺「スーパーカップ」も大ヒット。その一方で、カロリーを半減させた「スープはるさめ」は健康ブームに乗って、これまでカップ麺に縁遠かった若い女性層を掴むなど、カップ麺の常識を次々と変えてきた。この個性派軍団を率いるのは、2代目社長の村岡寛。社員へいつも投げかけている言葉は「やりすぎぐらいがちょうどいい」。時代の変化を先読みし「とにかくやってみよう!精神」でチャレンジしてきたエースコック。そのユニーク戦略に迫る。

◎“健康志向”から“がっつり系”まで… 常識破りのカップ麺を生み出せ
世は健康ブーム。カップ麺は体に悪そう…、というのが一般的なイメージだ。それを覆したのが、エースコックが2001年に発売した「スープはるさめ」。麺の代わりに「はるさめ」を使い、これまでのカップ麺よりカロリーを半減。今ではドラッグストアにも多く並び、ダイエットに敏感な女性に受けて大ヒット。今でも「カップスープ」部門で売り上げ11年連続No.1を誇っている。また、最近では従来のカップ麺と比べ塩分を40%抑えた「かるしお」シリーズを販売。「国立循環器病研究センター」が認定する“減塩”商品に、加工食品として初めて選ばれた。こうした、これまでの常識を破る商品で勝負するエースコック。年間に投入するアイテムはリニュアルを含めて150以上。しかし早ければ1ヵ月で商品は入れ替わるという。もちろんメーン顧客である男性若者層に訴えかける“がっつり系”商品など、幅広いラインナップを充実させることも重要。本社では日夜、開発担当者が商品作りのための「食べ合わせ試食」が行われていた。麺に焼肉のたれ・納豆・梅干し等を入れ、“世の中にない味”を探っているのだ。また、商品のネーミングもとても重要な要素だという。消費者が売り場で見かけて、一瞬で手に取りたいと思わせるためだ。会議の合言葉は「真剣にふざける!」。どんなに変な提案でも、決して否定してはならないというルールがある。そんなユニーク戦略が、独自商品を生み出す原動力になっている。

◎時代の変化に合わせて麺も変える… 変革の歴史
エースコックの歴史は、現社長の父・村岡慶二が「パン」の製造販売を開始したことに始まる。その後、日清が即席麺を誕生させると遅れる事1年、即席麺業界に参入した。飛躍する転機となったのが、1963年に発売した「ワンタンメン」。麺にワンタンの皮を入れるというアイデアで、現代にまで続く大ヒット商品になった。その他にも、業界初の「カレー味のカップ麺」や、餅を入れた「力うどん」など、他社にはない斬新な商品を開発し業績を伸ばしていく。しかし、1980年代に入ると売上げが低迷。そんな時期に、商品開発部のトップになったのが現社長の村岡だ。危機感を募らせた村岡がまず注目したのは、カップ麺の“量”。「昔と比べて若者の体格も大きくなった。もはや普通の量では客は満足しない」。構想から2年、日本初の大盛りカップ麺「スーパーカップ」が誕生すると、発売から半年で1億食・160億円を売り上げるという、業界では前代未聞の数字を叩きだした。2000年に入ると「健康ブーム」が到来。そこにいち早く目をつけ01年に発売したのが、あの「スープはるさめ」だった。時代はさらなる健康志向へ。塩分控えめの「かるしお」に続き、今では食べるだけで乳酸菌も同時に摂取できるような商品の開発にも乗り出している。村岡は「カップ麺=体に悪いというイメージが今でもあるが、きちんと理解してもらうためにも“健康”を意識した商品にこれからも挑戦していきたい。」と話す。

◎麺の国から麺の国へ… 仰天“逆輸入戦略”!
エースコックの全体売上げの内、約半分が海外の売上げだ。その屋台骨が、1993年にライバル企業に先駆けて進出したベトナムだ。現地で開発した袋麺「ハオハオ」は、エビをベースにしたスープで、現地人が好む酸っぱく辛い味が特徴で圧倒的シェアNo.1、年間29億食を販売している。徹底して“現地に合わせた味を追求”するのがエースコック流だ。この海外戦略を積極的に仕掛けたのも村岡。そこには、もう一つの思いがあった。「海外で培った経験と知識を活用すれば、日本でもまた新たな市場を開拓できる。」その第一弾として、昨年9月に日本で発売されたのが「ふぉっこりきぶん」。これは、現地で製造した本場の「フォー」を即席麺として商品化し、日本で販売したもの。原料である米もベトナム産に、こだわりスープも日本人に合う現地の味を再現。エースコックの2本柱、“日本”と“ベトナム”の合作。そのキャッチコピーは「油で揚げない米麺なので低カロリー」。通常のカップラーメンが、平均350kcalに対して190kcal。このヘルシーさを武器に発売開始から半年、コンビニなど多くの小売店から追加注文が続いている。こうした“逆輸入戦略”で、再び日本市場に新たな新風を巻き起こす。

≪ゲストプロフィール≫
1950年 大阪出身
1973年 関西学院大学卒業
1975年 エースコック入社
1990年 専務取締役マーケティング本部長就任
1994年 代表取締役社長に就任

≪会社プロフィール≫
創業:948年
本社: 大阪府吹田市
売上高: グループ売上934億円(2015年12月期)
従業員数: 5937人(2015年12月時点)
事業内容: 即席麺、スープなどの製造・販売
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2016-03-03 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「納得するまで商品化せず!ロングセラーを生む桃屋の“良品質主義”」
桃屋社長・小出雄二

「ごはんですよ!」や「味付榨菜」など多くの家庭で食べられる桃屋の商品。37の商品のうち半数が昭和生まれのロングセラーだ。「花らっきょう」は発売後95年が経つ。これほど支持される裏にあるのが「嫌になるくらい製法にこだわる」という桃屋の“良品質主義”。榨菜は1年間発酵させてから瓶詰めし、佃煮用に良い青のりを提供しようと異物を取り除く“青のり洗浄専用工場”まで建ててしまう。小瓶に隠されたこだわりに迫る。

◎日本人の心をつかんだ“のり平アニメ”
桃屋の創業は、1920年(大正9年)。「鯛みそ」や「あまだきでんぶ」は、創業当時の商品だ。戦前はフルーツ缶詰も作っていたが、戦後出した海苔の佃煮「江戸むらさき」がヒット。なんと発売以来、味は変えていないという。時代の風潮や競合商品に合わせて味を変えると、古くからのお客の信頼を失うという考えからだ。そんな桃屋を誰しもが知る会社にしたのが、三木のり平を起用したテレビコマーシャル。これまでに300本以上が作られ、ギネス級の長寿コマーシャルとなっている。“良品質主義”と“のり平アニメ”で桃屋は日本の食卓に欠かせないものとなる。

◎新商品発売が2年間なしでもOK
次々と新商品を出す食品メーカーが多い中で、桃屋が今年2月に発売した新商品は、なんと2年ぶり。納得がいかなければ新商品を出さないのが、桃屋なのだ。そのカギを握るのが、前社長で相談役の小出孝之だ。90歳の今も現役バリバリ。実は「ごはんですよ!」「味付榨菜」「キムチの素」など桃屋のヒット商品を生み出したのは、孝之なのだ。今も孝之がOKしなければ、新商品は発売しない。商品決定の基準は「自分が食べたいもの」そして「他ではやっていないもの」。しかも孝之が出した商品は、日本の食文化に大きな影響を与えたものも多い。食べるラー油は、食べる調味料という新しい市場を開拓した。また、ユニークな商品名を決めるのも孝之の役割。「ごはんですよ!」というユニークな名前は、人気テレビドラマ「時間ですよ」がヒントになったという。

◎創業家の秘伝レシピを公開
創業家の小出家では、昔から桃屋の商品を調味料にして様々な家庭料理を作ってきた。例えば「ごはんですよ!」を使えば、簡単に和風チャーハンを作ることができる。そこで現社長の雄二は、「自分の家だけで食べるのはもったいない」と、料理のレシピを積極的に公開することを決断。色々な形で桃屋の商品を使ってもらうためだ。現在、会社のホームページには、小出家の料理レシピが100以上掲載されている。

≪ゲストプロフィール≫
1961年生まれ
1985年 慶應義塾大学商学部卒
2011年 社長就任

≪会社プロフィール≫
本社: 東京都中央区日本橋蛎殻町2-16-2
社員: 283人
年商: 114億円(2015年12月期)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2016-06-30 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●ハートネットTV 「届かなかった支援」 ~利根川心中事件をめぐって~

去年11月、埼玉県深谷市で親子三人を乗せた車が利根川に突っ込み無理心中を図りました。70代の母親は長年認知症。心中を企てた三女は介護のため仕事を辞め、生活に困窮していました。近所の人たちは、三女がそれほど思い詰めているとは気づきませんでした。なぜ、困窮した人たちは、助けを求める声を上げられないのでしょうか? そして、なぜ行政や社会は、人々の困窮に気づけないのでしょうか? 番組では、作家で貧困問題を独自に取材してきた雨宮処凛さんが現場を訪ね、考えます。スタジオでは、困窮した人々に手を差しのべるために行政や社会はなのができるのか、川崎市の生活支援などを事例にして議論します。
(text from NHK site)

NHK教育 30min 2016-02-24 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●クローズアップ現代+ 「ついに来た!? “マネー”新潮流」 ~ソーシャル・インパクトの衝撃~

イギリスがEU離脱を決める前日、ウォール街が熱気にあふれていた!乱高下する株や為替とは全く違う新たな投資「ソーシャル・インパクト(社会的貢献投資)」を始めた投資家や巨大投資銀行を取材。フェイスブック創業者のザッカーバーグ氏も投資する新分野として注目を集めている。担うのは、リーマンショックを引き起こした「反省」から新手法を生み出そうとしてきた金融工学者たちだ。運用に悩む日本の年金基金も注目!マネーの新たな可能性と課題に迫る。
(text from NHK site)

NHK総合 25min 2016-07-11 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo



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