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●ETV特集 「曜変」 ~陶工・魔性の輝きに挑む~

七色に輝き変化する神秘の茶碗、国宝・曜変天目。陶芸史上、最高傑作のひとつとされる。しかし、その製法は歴史の中で失われ、再現不可能と言われてきた。幾多の陶工たちが同じものを焼こうと挑んできたが、製法を解明した人はいない。そんな中、千載一遇のチャンスが巡ってきた。なんと中国で曜変が新たに発見されたのだ。新しい曜変を科学分析すれば、製法が分かるかもしれない。曜変の再現に挑む人たちを記録した。
(text from NHK site)

NHK教育 60min 2016-06-11 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「1万校分を入学式に一斉納品!驚きの学生服生産の世界」
トンボ社長・近藤知之

青春の思い出といえば、学生服だ。その学生服は、必ず4月の入学式に間に合うように納品しなければならない。しかも、どんな体型の生徒にも対応し、3年間着る耐久性も求められるという特殊な性格を持つ服なのだ。今年で創業140年を迎える学生服大手のトンボは、1万校分・年150万着の学生服を製造しているが、全て国内で生産し、学校別のボタンや生地の在庫も全部持っている。「あなたが知らない学生服の世界」に迫る。

◎“究極の多品種・少量生産”で利益を出す!
学生服作りは、究極の“多品種少量生産”。トンボが取り引きする学校数は、現在1万校にも上る。夏服なども含めれば、アイテム数は約2万5000種類で、学校ごとに「形」も「ボタン」も「糸の色」も違う。そして、納期は4月の入学式に集中するという“非効率な商売”だ。だが、“非効率でも採算がとれる仕組み”をトンボは確立している。例えば、縫製場にあるのは立ちミシン。生地をもった作業員が、縫製過程ごとにミシンを移動し制服を縫い上げていくのだ。また、工場には効率アップ専門の社員がいて、作業時間をストップウオッチで計測。どこにムダな動きがあるかをチェックし、1秒単位で効率を改善しようと取り組んでいる。

◎ツッパリ、スケ番が制服の転機に
日本で初めての詰襟学生服は、1879年の学習院。学生服の歴史で大きな転機になったのが、ツッパリやスケ番が流行り、刺繍入りやロングスカートなどの「変形学生服」が社会問題になった1980年前後だ。この時「変形学生服」の氾濫を防ぐため、学生服メーカーは「標準学生服」の規格を決める。しかしトンボは「学校ごとに個性ある学生服を作る」ことを提唱、学校ごとに違う制服を作り始める。どの学校も同じだった詰襟・セーラー服姿を変えたのは、トンボなのだ。一体どうやって新規の制服をデザインし作るのか、その舞台裏に密着する。

◎「制服空白県」を攻略せよ!
昨年トンボは「&be(アンビー)」というオリジナルブランドを立ち上げた。制服のように見えるが、制服のない学校の生徒向けに開発した服だ。実は制服がない学校は多く、制服を着たいという女生徒たちのニーズも根強いのだ。特に長野県は日本一「制服の無い学校」が多いところ。公立高校の半分が私服だ。その「学生服の空白地区」に、トンボは制服の代わりに「&be」を売り込む戦略だ。

≪ゲストプロフィール≫
1955年 岡山県生まれ
1980年 中央大学卒業後 テイコク(現トンボ)入社
2012年 社長就任

≪会社プロフィール≫
創業: 1876年
本社: 岡山県岡山市北区厚生町2-2-9
売上高: 256億(連結 2015年6月期)
社員数: 1400人(グループ全体)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2016-06-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●NNNドキュメント'16 「孤独に苦しめられる人たち SOSを出せないあなたへ」

いま「助けて」と言えない働き盛りが増えているといわれています。悩みは千差万別、でもSOSが出せない共通の理由は"孤立"にあります。"ひとり"だから解決策が見つからない"現実"。「この20~30年で、みんなひとりぼっちになった」そう話すのは、孤独を救おうと奔走する大阪・豊中市社会福祉協議会の勝部麗子氏です。勝部氏、そして誰でもなりうる"現代の病"孤独に苦しむ40代男性と、育児に悩む母親を取材しました。
(original text from NTV site)

読売テレビ 30min 2016-06-05 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●ドキュメント72時間 「ゆきゆきて 酷道439」

徳島から四国山地を横断し高知に至る国道439号。山間部では幅2メートルほどしかなく、国道ならぬ“酷道ヨサク”とも称される。平家の落人伝説が伝わる険しい山道を目指して、全国から酷道ファンも訪れる。全長340キロの“ヨサク”沿いには、山菜や川魚、さらにはマムシを食料に自給自足で暮らす人たちの姿も。豊かな自然を満喫し、何にも縛られることなく自由に生きる人々。3日間で酷道ヨサクを走破、日本の原風景に出会う
(text from NHK site)

NHK総合 25min 2016-06-03 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「詩人・ハンセン病元患者 塔和子」

「かかわらなければ この愛しさを知るすべはなかった この親しさは湧かなかった(略)人はかかわることからさまざまな思いを知る(略)ああ 何億の人がいようとも かかわらなければ路傍の人 私の胸の泉に 枯葉いちまいも 落としてはくれない ~「胸の泉に」から~」: ハンセン病と闘った詩人・塔和子さん。瀬戸内海の島の療養所で、亡くなるまで70年にも及ぶ隔離生活を余儀なくされた。絶望的な療養所生活の中から生み出された作品は、力強い言葉で、生きることを肯定的に描き、人間の尊厳を問い続けるものであった。大岡信をはじめ、多くの文学者から「懸命に生きようとする魂の叫び」と高く評価された(第29回高見順賞受賞)。塔さんは昭和4年、愛媛県の明浜町生まれ。国民学校の初等科の時にハンセン病を発病、昭和18年、13歳で国立療養所大島青松園に入所する。22歳の頃、特効薬で完治したが、社会の「らい病」への偏見は凄まじく、普通の生活に戻ることはできなかった。詩作を始めたのは昭和32年。その後も園内のキリスト教会で洗礼を受けるなどしながら、人間の尊厳を問い続ける詩集を出版していった。その言葉が世の中に届くようになったのは60歳を過ぎてから。2003年には詩をモチーフにハンセン病隔離の歴史と今を検証したドキュメンタリー映画「風の舞」が制作されるなど、塔さんの生き方と言葉は、被差別者の苦しみや人間の尊厳について思索を促す原動力となった。国の政策により、病気が治った後も隔離され続けた元患者80人のうちの1人だった塔さん。世間の目を恐れ、本名が明らかにされたのも亡くなってからだった。強い心で魂の叫びを書き続けた塔さんの思いと詩の数々を紹介する。
(original text from NHK site)

NHK総合 10min 2016-05-28 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●視点・論点 「フィンテックで決済は変わるのか」 帝京大学教授…宿輪純一

NHK総合 10min 2016-05-30(教育での同日再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Mono





●視点・論点 「スーパーマーズ・火星が地球に最接近」 国立天文台教授…竝木則行

NHK総合 10min 2016-05-31 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Mono





●視点・論点 「生活を変えた10のデザイン」 武蔵野美術大学教授…柏木博

NHK総合 10min 2016-06-01(教育での同日再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Mono





●視点・論点 「三菱自動車は再建できるのか」 自動車評論家…国沢光宏

NHK総合 10min 2016-06-02(教育での同日再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Mono



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