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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「産廃業からリサイクル企業へ大変身! ~絶体絶命から会社を変えた2代目女社長の格闘記~」 石坂産業社長・石坂典子

「この地域から出て行け!」… かつて産廃業者として、住民から反対運動が巻き起こった埼玉県の石坂産業。そんな存続の危機にあった会社を父親から受け継ぎ、改革に乗り出したのは、当時30歳の女性だった。社長に就任した石坂は、半年で社員の4割が辞めていく劇的な改革を断行し、地域の迷惑施設と言われた会社を日本屈指のリサイクル企業に生まれ変わらせたのだ。そして、本社の隣に里山を保全する公園まで作り上げ、地元に愛される会社に育ててきた。父親の思いを胸に、企業を劇的に変えた女性社長の格闘の裏側に迫る!

◎地域住民もトラック運転手も感激の“リサイクル企業”
埼玉県・三芳町で、近隣から人を集める自然豊かな公園。散策するだけで色んな生物に出会える里山にミニSL、さらに水中生物の観察イベントも開かれ、家族連れの人気を集めている。そんな公園を作ったのが、隣にある廃棄物を様々なものにリサイクルしている石坂産業だ。毎日、各地から産廃を山積みにしたトラックが行列を作る石坂産業。分別すれば再資源化できるが、その手間を惜しめばゴミとして埋め立てられるしかない産業廃棄物を、石坂産業では95%減量化・リサイクルし、資源に変えている。木材の廃材はフカフカの牧場用の敷き藁となり、屋根瓦は床材に生まれ変わる。石阪が業界で人気の理由のひとつは、社長の石坂が力を入れる“おもてなし”にある。暑い日には飲み物やキュウリの漬け物が配られ、時には景品大会まで開かれる。トラック運転手からも地元からも評判のリサイクル会社・石坂産業の秘密に迫る。

◎風評被害で存続の危機に…産廃屋からリサイクル企業への大改革!
石坂産業が地元に愛される会社を目指したきっかけは、1999年に起きた「所沢ダイオキシン問題」。所沢の農家が、言われなき報道で大打撃を受けたこの問題… 農家の怒りの矛先が向かったのが、汚染源と言われた周辺の産廃業者。当時、業界で最先端の焼却炉を導入するなどリーダー的存在だった石坂の父は、この問題に立ち直れないほどのショックを受ける。その父を助けようと社長就任を申し出たのが、当時30歳の典子だった。これを機に、石阪産業は焼却処理から撤退。40億円かけて、完全に屋根で密閉され、ほとんど埃を出さないプラントを建設。廃棄物をリサイクルすることにこだわったビジネスへと転換した。さらに社員の意識改革も断行。地元から嫌われていた会社を、清潔で環境にやさしいリサイクル企業へと変えたのだ。

◎最高のリサイクル技術で世界をキレイに!
世界的に人気のリゾート地・インドネシアのバリ島。実は、この街も廃棄物の処理に悩まされているという。産廃処理工場は悪臭にまみれたゴミの山ができ、街には分別も行われない廃棄物が散乱していた。石坂は、日本で培ったリサイクル技術を世界で役立てるため様々な国を飛び回り、産廃処理後進国での市場開拓に動こうとしている。その思いに迫った。

≪ゲストプロフィール≫
1972年 東京都生まれ
      高校卒業後、アメリカに短期留学
1992年 父親が創業した石坂産業に入社
1999年 所沢市周辺の農作物がダイオキシン風評被害
2002年 父親に直談判し社長就任、改革に着手

≪会社プロフィール≫
本社: 埼玉県三芳町上富緑1589-2
創業: 1967年
年商: 47億円(2015年度)
従業員: 150人(グループ企業含む)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2016-07-28 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「家族3世代が熱狂する“超・非効率ファミレス”の全貌!」
三宝会長・金子行宏/社長・金子博信

消費低迷に悩まされる外食産業。1980年代に急増したファミリーレストランも苦戦を強いられている。そんなファミレス業界で、地元客から絶大な信頼を集め、売り上げを伸ばし続けている店が新潟にあった。それが、新潟に本社を置く「レストラン三宝」。業界内で大手チェーンでも苦戦すると言われる「新潟」にあるにも関わらず、「三宝」には長蛇の列が... しかも客の多くが家族連れのリピーターだという。なぜ「三宝」に客が集まるのか? 効率主義を捨て、地域に愛されてきた異色のファミリーレストランの人気の秘密に迫る!

◎大手には真似できない!三宝流“非効率”経営
新潟駅から車で15分の幹線道路沿の「レストラン三宝」。周辺に大手ファミレスやハンバーガーチェーン店が軒を連ねる激戦区にあって、いつも地元客であふれかえる大人気店だ。業態はいわゆる地方のファミリーレストランなのだが、大手のファミレスとは全く別物のような店だという。大人数で食事を楽しんでいる客席を覗いてみると… そこに並ぶのは天ぷらや握り鮨などの和食はもちろん、ステーキやオムライスなどの洋食、さらにはエビチリや麻婆豆腐などの中華まで…様々なジャンルの料理が並んでいる。その料理は手間暇を惜しまず1つ1つ注文を受けてから手作り。しかも、なんと常時80種類以上のメニューを提供しているのだ。そして、料理だけではなく客席も大手とは違い、座敷や小上がりが用意されているという。徹底して効率を追求する大手ファミレスとは一線を画する、異色のファミリーレストラン、その人気の秘密を探る。

◎親子二人三脚で作り上げた“お客が得をする”ファミリーレストラン
1967年に「街の中華屋さん」として創業し、その後、和食・洋食を問わず“おいしいものが何でも食べられるファミレス”に成長した「レストラン三宝」。いまでこそ大手に負けないファミレスチェーンとして地元客から熱狂的な支持を受けているが、過去には厳しい経験もあった。それは、大手資本のファミレスに負けない店を目指していた創業者の行宏が3号店の出店を計画していた時のこと… これまで独学で経営を学んできた行宏は、東京のコンサルティング会社に出店のアドバイスを求めることを決断する。そして、そのコンサルティング会社に言われるがまま、東京で流行っている店を模した店を新潟市にオープンさせたのだ。店名から「三宝」の文字を消し「サンフランシスカン ナンバースリー」に。洋風な建物と瀟洒な内装のカフェのような店を作ったのだ。しかし実際にオープンさせたものの、売り上げはこれまでの「三宝」には遠く及ばない店になり、長年「三宝」を支えてきてくれた料理長まで、その変化に対応できず店を辞めてしまったという。そんな危機的状況の中で創業者の行宏は、息子の博信を東京から呼び戻し、店の再建を託す。そんな博信が決断したことこそ、原点回帰。コンサルタントのアドバイスで作ったオシャレで効率的な店を、「レストラン三宝」のような非効率ながら家族連れがくつろげる店に改装。そして、店の儲けより客が得する店へと変えていったという。親子二人三脚で生み出した異色のファミレス誕生秘話を徹底取材した。

◎永続企業になるために!従業員を幸せにする仕組みづくり
不振が続くファミレス業界で快進撃を続ける「三宝」が去年、驚きの決断をした。黒字だった2店舗の閉店。なぜ利益を上げている店を2店舗も閉鎖したのか? この決断の背景にあるものこそ、実はいま「三宝」が目指している会社のあり方だという。「三宝」という会社をより良い会社にするために下した「閉鎖」という決断の本当の狙いに追った!

≪ゲストプロフィール≫
金子行宏
1938年 栃木県生まれ
1956年 東京日比谷日活国際ホテルに就職
1967年 レストラン三宝の前身となる中華料理屋を創業
2002年 会長就任

金子博信
1968年 新潟県生まれ
1987年 東京レストラン経営専門学院を中退し三宝に入社
2002年 社長就任

≪会社プロフィール≫
本社: 新潟県新潟市西区鳥原1830-1
創業: 1967年
売上高: 42億6千万円(2016年4月期)
従業員数: 1014名(アルバイト・パート含む)
店舗数: レストラン三宝6店・三宝亭34店など 計45店舗
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2017-03-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●日曜美術館 「“暮し”にかけた情熱 花森安治30年間の表紙画」

戦後、日本人の暮らしを変えたと言われる“国民的”生活雑誌がある。その表紙画を30年間自ら手がけたのは、天才編集長・花森安治。原画に秘めたメッセージとは? 連続テレビ小説「とと姉ちゃん」花山伊佐次のモデルとなった編集長・花森安治。“とと姉ちゃん”こと大橋鎭子とともに、終戦まもない昭和23年に雑誌を創刊。30年間、現場の指揮をとりながら、雑誌の顔である表紙画を自ら描き続けた。美しい表紙画の数々は、戦後の痛手の中、新しい暮らしへと歩み出す人々を魅了し、力づける。その絵に、花森が込めた思いとは? 女優の菊池亜希子さんや工業デザイナーの深澤直人さんと読み解く。
(text from NHK site)

NHK教育 45min 2016-07-17 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo

> BDR-0769にもあり





●歴史秘話ヒストリア 「1970 熱いぜ!祭りだ!万博だ!」

1970年、アジア初の万博が大阪で行われた。会場には未来を感じさせる奇抜な建物が登場!世界77か国の多様な文化に日本中は熱狂する。世界を驚かせた成功の秘密とは? 今から46年前、空前の入場者数を記録し、大成功を収めたイベントがあった。それが日本万国博覧会。会場には、未来からやって来たかのような、不思議な建物が登場。万博史上最多の70を越える国々が、多様な文化を披露し、会場を盛り上げる。敗戦からわずか25年後の日本で、なぜこんな偉業が成し遂げられたのか? そこには「日本でしかできない万博を!」という心意気を持った人々の熱い闘いがあった。日本の青春時代の物語。
(text from NHK site)

NHK総合 43min 2016-07-22 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo/解説副音声/字幕

> DR-2264にDVD版あり





●視点・論点 「地球外生命探査時代の幕開け」 東京薬科大学教授…山岸明彦

NHK総合 10min 2016-06-30(教育での同日再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Mono





●視点・論点 「弁護士激増と司法の課題」 愛知大学法科大学院教授…森山文昭

NHK総合 10min 2016-08-02(教育での同日再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Mono



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