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●映像’17 「教育と愛国」 ~いま教科書で何が起きているのか~

「善悪の判断」「礼儀」「国や郷土を愛する態度」… 20以上の徳目がずらりと並びます。それらを学ぶための読み物、それが「道徳」の教科書です。来年度から小学校で導入される「特別の教科 道徳」は、これからの時代の教育の要とされています。2020年度に全面実施される新教育課程には「道徳教育は学校の教育活動全体を通じて行われる」とあり、まさに戦後教育の大転換といえます。しかし、教育現場では賛否が渦巻いています。その背後では教科書をめぐって、文部科学省の教科書検定や採択制度が、政治的介入を招く余地があるとの懸念の声があがっています。これまで歴史の教科書では、過去に何度もその記述をめぐり激しい議論が起きてきました。「もう二度と教科書は書きたくない」と話す学者がいます。「慰安婦」の記述をきっかけに教科書会社が倒産することになった過去の記憶が、いまも生々しく甦ると学者は重い口を開きます。一方、いまの検定制度のもとでの教科書づくりは、何を書き何を書かないか、まさに「忖度の世界」と嘆く編集者もいます。さらに学校現場では、特定の教科書を攻撃するハガキが殺到するような異常事態も起きています。教育の根幹に存在する教科書。歴史や道徳の教科書を取り巻く出来事から、国家と教育の関係の変化が見えてくるのではないだろうか。教科書でいま何が起きているのか。これまで表面に出ることがなかった「教科書をめぐる攻防」を通して、この国の教育の未来を考えます。
(original text from MBS site)

毎日放送 60min 2017-07-30 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo

> 地方の時代賞優秀賞受賞





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「プロ料理人も食品メーカーも大絶賛!変化を恐れず挑戦する老舗・醤油メーカーのサバイバル術」 ヤマサ醤油会長・濱口道雄

うなぎの名店「野田岩」や日本料理界で一目を置かれる「分とく山」など... 多くの飲食店で使用され、料理人からの絶大な信頼を勝ち取ってきたヤマサ醤油。実は、醤油の消費量が右肩下がりを続ける業界にありながら、順調に売り上げを伸ばし続けている。その成長の秘密こそ、創業372年の歴史の中で培ってきた「変化を恐れず挑戦する」姿勢にあった。逆境の中でも果敢に挑戦するヤマサのサバイバル術の全貌に迫る!

◎新しいことに挑戦する!「日本初」を連発する老舗企業
370年以上の歴史を持つヤマサ醤油。その味は、料理人から「玄人好みの味」と絶賛され、東京の寿司店の7割弱、首都圏の和食店の半数以上が使い続けるほど信頼されているという。一流と呼ばれる料理店から愛される老舗のヤマサだが、実は、昔ながらの醤油づくりだけでなく、絶えず新しいことに挑戦してきた企業でもある。例えば、日本で初めてソースを作ったのが「ヤマサ」なら、麺つゆの容器を初めてペットボトル化にしたのも「ヤマサ」。これまで数多くの「日本初」をヤマサは生み出してきた。そんなヤマサの12代目当主を引き継いだ濱口道雄も、歴代当主が培ってきた改革者精神を引き継ぎ、「昆布つゆ」や「昆布ぽん酢」など、市場に無かった商品を生み出し、ロングセラーを育ててきた。中でも、特に業界を驚かせたものが「鮮度の一滴 特選しょうゆ」だ。濱口は、酸化するのが当たり前だった醤油の容器を一変させ、開封しても酸化しない、作り立ての醤油の味を消費者に届ける画期的な商品を生み出し、変化に乏しかった醤油業界に“鮮度”という新たな価値観を生み出したのだ。醤油の消費量が減り続ける中、売り上げを伸ばしてきた、ヤマサ醤油12代目の驚き経営術に迫る!

◎変化を恐れないチャレンジ精神
醤油の消費量が減少を続ける中でも、増収増益を実現させてきたヤマサ醤油。しかし、業界2位のヤマサでさえ、本業の醤油の売れ行きは厳しく、いまや醤油そのものの売上比率は、全体の3分の1程度にまで落ち込んでいるという。そんな厳しい状況の中でも成長を続けられたヤマサの根幹にあるのが「変化を恐れないチャレンジ精神」にある。実は、歴代のヤマサの経営者は、鉄鉱山の経営や漁具の販売、金融業に進出するなど、醤油醸造以外の事業にも果敢に挑み続けてきた。実際、どれも成功したとは言えない結果だったが、歴代の経営者は、失敗してもまた新たな商売に挑み続けてきたのだ。そのチャレンジ精神こそヤマサのDNA。12代目の濱口も「洋風ソース」や「アロエドリンク」などの醤油以外の新事業を立ち上げては、失敗を繰り返してきた。しかし諦めずに何度もチャレンジし、1997年に「昆布つゆ」を大ヒットさせたという。こうした濱口の挑戦により、本業の醤油以外の調味料の売り上げ比率を、いまや6割以上に拡大させたのだ!実は、こうした変化を恐れないヤマサの挑戦は今も続いている。新商品を生み出そうと奮闘するヤマサの若手社員に密着し、その舞台裏を取材した!

◎地域と共に歩むヤマサ
ヤマサの歴代当主の中に、小学校の授業で使われる教科書に載っている経営者がいる。それが江戸末期にヤマサを率いていた7代目の当主・濱口梧陵だ。梧陵は、地元・和歌山を地震と津波が襲った際、正義感溢れる行動で多くの村人の命を救い、その後も私財を投じて地域の復興に尽力したという。そんなヤマサ当主の“地域を思う気持ち”は、現在のヤマサにも脈々と引き継がれている。地域のために尽力するヤマサの新たなプロジェクトを追った!

≪ゲストプロフィール≫
1943年 東京都生まれ
1966年 慶應義塾大学商学部 卒業
1968年 ヤマサ醤油 入社
1983年 代表取締役社長 就任
2007年 日本醤油協会会長 就任
2017年 代表取締役会長 就任

≪会社プロフィール≫
本 社: 千葉県銚子市新生町2-10-1
創 業: 1645年(正保2年)
売上高: 555億円(2016年12月期)
従業員: 792人
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2017-08-10 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●NHK SPECIAL 「原爆死」 ~ヒロシマ 72年目の真実~

世界にも類をみない“戦災ビッグデータ”がある。1945年8月6日から今に至るまで、広島市が蓄積してきた約56万人に及ぶ被爆者たちの記録『原爆被爆者動態調査』。被爆直後、警察が医師とともに作成した検視調書や、救護所などがまとめた死没者名簿の上に、戦後、市が集めた戦災調査や個人データも加えられ、今も更新が続けられている超一級データだ。NHKは今回、この元データを初めて市から入手、最新のビッグデータ解析技術を駆使し、時系列に並べて地図に落とし込んだところ、特定の被爆地や死没日・死因に極端な死者数の偏りがある“原爆死ホットスポット”が存在していたことがわかった。なぜ“ホットスポット”は生まれたのか。そして人々は、そこでどのようにして亡くなっていったのか――。原爆投下から72年、知られざる被爆の真実に迫る。
(original text from NHK site)

NHK総合 50min 2017-08-06 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●ドキュメント72時間 「四国 海だけの小さな駅で」

四国・松山から、小さな列車に揺られて1時間。瀬戸内海沿いの小さな無人駅・下灘駅が、静かな人気を呼んでいる。きっかけは観光客がネットに投稿した写真。どこまでも広がる海に、屋根とベンチだけが佇む絶景に身を置きたいと、老若男女が押し掛ける。夕日バックにたそがれる自身をセルフタイマーで撮影する学生。落ち込んだとき仕事帰りに寄るという男性。誰もがじっと海を見つめる駅で、人は何を思うのか?
(original text from NHK site)

NHK総合 25min 2017-06-10(2016-10-21の再放送) Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「力士・千代の富士貢」 (ちよのふじ みつぐ)

「楽をして強くなろうなんて思ったら大間違いですよ やはり苦労してどんどん勝ち進んできてもらいたいですよ」: 第53代横綱・千代の富士。通算1045勝、幕内優勝31回。気迫あふれる土俵「小さな大横綱」と称され、国民栄誉賞に輝いた。体重制限のない大相撲の醍醐味は「小よく大を制す」と言われる。千代の富士は血のにじむような努力で才能を磨き、100キロ以上も大きい相手を投げ飛ばし、その魅力を相撲ファンに見せつけた。千代の富士は昭和30年、北海道福島町の漁師の家に生まれた。父親の漁を手伝いながら自然に体が鍛えられたという。中学3年生の時、故郷の英雄・第41代横綱千代の山の誘いで九重部屋に入門。物事をはっきり主張する少年はやがて高校を中退し、相撲ひとすじの道を歩む決心をする。順調に出世を重ね、入門4年後に十両昇進。更に翌年には入幕を果たした。当時の体重は幕内最軽量の96キロ。相撲は強引な投げ技が得意だった。しかし体に似合わない大きな相撲は、左肩の脱臼を7回も繰り返す原因となり、暇さえあればバーベルに腕立て伏せで鍛えた。「災い転じて福となす」この怪我が千代の富士の一大転機となった。脇を固めれば肩に負担がかからない。左で前ミツを取って、一気に寄って出る速攻相撲への転換である。昭和56年新関脇で初優勝。さらに同年に横綱昇進を果たした。初土俵から11年目の26歳、「小さな大横綱」の誕生である。そしてあの53連勝、相手の技と力に合わせて自由自在に取る円熟相撲へと進化していった。逆境をチャンスに変えた千代の富士。小さい体ながら、何度も挫折を乗り越え頂点を極めた相撲人生だった。
(original text from NHK site)

NHK総合 10min 2016-10-01 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●視点・論点 「医療事故調査制度 開始1年の課題」 患者の視点で医療安全を考える連絡協議会代表…永井裕之

NHK総合 10min 2016-09-30 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Mono





●あの日 わたしは ~証言記録 東日本大震災~ 「千葉県香取市 平塚智子さん」 佐原

東日本大震災に遭遇した人々の証言。千葉県香取市で老舗の呉服店を営む平塚智子さんは、地震で明治時代に建てられた貴重な建物が壊れてしまい、修復するために苦悩した。
(text from NHK site)

NHK総合 5min 2016-09-26 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo

> NBDR-0340にもあり



> ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し







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