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●日経スペシャル ガイアの夜明け 「"鮮度"が命!驚きの技術」

食文化は技術革新と共に発展してきた。冷蔵・冷凍技術の進歩で食品の長期保存や長距離輸送が可能となり、電子レンジの登場で冷凍・レトルト食品が手軽に楽しめるようになった。現在もIH・スチーム・圧力調理など様々な技術が研究され、家電や業務用調理器に活用されている。そんな中、これまでとは違うアプローチや独自の技術で食の発展に挑もうとする企業があった。

◎「揚げ物を美味しく!」画期的技術が、築地の魚の鮮度を守る?
揚げ物の理想「外はカラッと、中はジューシー」。それが、熟練の技がなくても簡単に実現できるという機械が注目されている。その名も「Dr.Fry」。既存の業務用フライヤーに後付けすることが可能で、外食チェーンやスーパー、有名シェフのレストランなどが次々と採用を決めている。この「Dr.Fry」を開発したのは、東京・港区にある「エバートロン」。電波で食品中の水分をコントロールする技術を研究、それを応用することで食品の水分を逃さずに表面をカラッと揚げる装置を開発した。現在は、電波による水分コントロールの技術を使った鮮度維持装置の開発を進めている。そんな中、築地市場の卸問屋「堺周商店」からある依頼が舞い込んできた。「堺周商店」ではアメリカの日本料理店などに向けて鮮魚の輸出を行っているが、ある悩みを抱えていた。築地で魚を厳選して送っても、店に届くまでの48時間で3割ほどが痛み、返品対象になってしまうというのだ。そこで、品質を維持したままアメリカまで鮮魚を輸出できる方法を考えて欲しいという。この依頼を受けて「エバートロン」は、輸送の箱に装着できる小型の鮮度維持装置の開発に着手したが、思わぬ問題に直面することに…。 築地ブランドの鮮魚をアメリカに届ける、その挑戦を追う。

◎「誰でも手軽に鮮度維持」、驚きの技術が途上国を救う?
「飲み残したお酒や使用中の調味料の味が変わってしまう…」「保存していたお米に虫やカビがわいてしまった…」。こうした問題を解決する“家庭用の真空保存容器”を開発したのが、千葉・茂原市にある「ハジー技研」。開発した容器は手動で簡単に真空にできる上、使用中もずっと真空状態をキープ、中身を補充した後も再び真空に戻すことができる。この容器を考案した社長の萩原忠さん(86歳)は、もともとNASAのアポロ計画や石油プラントの開発に携わってきた技術者。70歳の時に「より人々の生活に役立つ分野で技術を生かしたい」と、今の会社を立ち上げた。その萩原社長のもとに、カンボジアで胡椒農園を営む男性が訪ねてきた。農園に電気が通じておらず胡椒の保存ができないため、卸業者に買い叩かれて困っているという。そこで、コストをかけず長期保存できる大型の容器を探していると言うのだ。発展途上国は、電気を必要としない真空保存容器が最も活きる場所のひとつ。業務用の大型容器はまだ製品化できていないが、これが成功すればカンボジアのみならず、他の途上国や国内の食品保存にも一石を投じることが可能になる。果たして…。
(original text from TV-tokyo site)

テレビ大阪 53min 2017-10-24 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●100分de名著 「歎異抄」 講師: 釈徹宗(相愛大学人文学部教授・比較宗教学者)

「歎異抄」ほど一宗派の壁を超えて、多くの人たちに読み継がれている宗教書はありません。西田幾多郎、司馬遼太郎、吉本隆明、遠藤周作等々… 数多くの知識人や文学者たちが深い影響を受け、自らの思想の糧としてきました。また、信徒であるないに関わらず、膨大な数の市井の人々の人生の指針となってきました。なぜ「歎異抄」はここまで強く人々の心を惹きつけてきたのでしょうか?「100分de名著」では、「歎異抄」から一宗教書にはとどまらない普遍的なテーマを読み解き、現代人にも通じるメッセージを引き出していきたいと思います。日本がかつてないほど大きな社会変動に直面した鎌倉初期。宗教界にも大きな革命が進行していました。それまで貴族階級や知識階級の独占物だった仏教を庶民のもとへ引き戻し、苦悩に沈む全ての人に救済をもたらそうと、法然によって開かれた「浄土宗」。その思想を深く体得し、継承・展開させたのが「浄土真宗」の開祖・親鸞です。善人よりも悪人こそが救われるという「悪人正機」、自力による修行を否定し、阿弥陀如来の本願力にひたすら身を委ねることを説く「他力本願」の思想… これまでの常識を覆す革新的な親鸞の教えは、その新しさゆえに死後大きな誤解に晒されました。同じ信徒の中からも多くの「異義」が出され、混迷を深めていた状況を嘆いた門弟の一人・唯円が、師・親鸞から直接聞いた言葉と、信徒たちによる異義への唯円自身の反論を記したのが「歎異抄」です。生前ほとんど自身のことを記さなかった親鸞ですが、唯円との赤裸々で真剣きわまる問答が記録された「歎異抄」からは、等身大の親鸞の姿が鮮烈に浮かびあがってきます。宗教者としての覚悟、罪深き我が身への冷徹なまなざし、絶望にあえぐ人々への限りなき慈愛、信仰への確信と懐疑の間でゆらぐ苦悩…。「歎異抄」を深く読み解いていくと、「人間にとって宗教とは何か」「本当に何もできない無力感を自覚したとき人は何をなすべきなのか」等々、私達現代人の心を揺さぶる問いをつきつけられます。比較宗教学者の釈徹宗さんは、「歎異抄」の最大の魅力は「常識的な日本人の宗教観や倫理観とは相容れない表現が続出し、読む者をなかなか着地させてくれない」ところだといいます。ままならぬ東日本大震災からの復興、世界各地で頻発するテロ、拡大し続ける格差社会… なすすべもない苦悩や悲嘆に直面せざるを得ない現代、「歎異抄」を現代的な視点から読み直しながら、「自分自身の闇に向き合うというのはどういうことか」「思い通りにならない現実とどう向き合えばよいのか」といった実存的な問いを掘り下げ、「人間はどう生きていけばよいのか」という根源的なテーマを考えていきます。

第1回 「人間の影を見つめて」
阿弥陀仏の本願により、念仏するだけで浄土へ往生できるという「浄土仏教」。誰もが簡単に実践できる解り易さから、多くの人たちの心をとらえた。しかしその革新性ゆえに、大きな誤解に晒されていた。「念仏さえしていればどんな悪事をはたらいても往生できる」「もっと他に極楽往生できる秘法があるのではないか」等々。人々から寄せられる異義に対して親鸞は、「念仏が浄土に生まれる種なのか地獄へ落ちる所業なのか、私は知らない」「念仏を信じるも捨てるも、それぞれが決めなさい」と冷徹にいい放つ。そこには自分の都合で教えの意味を歪め、自身の中にある「影」の部分を見つめようとしない人々への嘆きがあった。親鸞は、死後に救われるかどうかといった利己的な目的ではなく、己の罪深さを徹底して見つめ抜き「そんな自分が救われるのは、もはやこの道しかない」というぎりぎりの決断の中でこそ、真の信仰が開かれると考えたのだ。今回は、親鸞の人となりや弟子・唯円が「歎異抄」を執筆した背景を紹介しながら、人間の「影」を見つめ続けた親鸞の教えに迫っていく。

第2回 「悪人こそが救われる!」
「歎異抄」の中で最も有名な一節、「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」。普通に考えれば「悪人でさえ往生するのだから、まして善人はいうまでもない」というのが筋のはずだが、親鸞は「善人よりも悪人こそが救われる」と論理を逆転させる。有名な「悪人正機説」だ。ここでいう「善人」が、「自力で修めた善によって往生しようとする人」を意味することに注目する必要がある。そこには「仏の目からみれば全てが悪人であるのに、自分自身は善人であると思っている傲慢さはどうなのか」という、親鸞の問いがあると釈徹宗さんは言う。また、一般的な社会通念では決して救われないような人々に対して全く異なるものさしを提示することで、弱者や愚者といった社会の底辺に置かれている人々が救われる原理を追求したのが、親鸞の「他力本願の思想」なのである。今回は、親鸞の思想の核心である「悪人正機」と「他力」という言葉に込められた深い意味を読み解き、自らの悪を深く自覚した人、社会の底辺で生きる弱者や愚者こそが救われるという、親鸞の教えの核心に迫っていく。

第3回 「迷いと救いの間で」
唯円は「歎異抄」で、常識的な倫理や道徳の見方で親鸞の教えを歪め、自分に都合の良いように解釈する人々の異義に一つ一つ反論していく。人が浄土へ往生するためには「学問で学ぶ必要があるのではないか」「犯した罪を消す必要があるのではないか」「お布施をたくさんする必要があるのではないか」等々。こうした自己流の解釈を唯円は「自見の覚悟」と呼び、厳しく批判する。そこにあるのは、何をするにも自分を軸としてしか行動できない、全てに対して自分というフィルターを通してしか考えられない、哀しい人間の性。「歎異抄」はそうした「自己の偽物性」から脱け出し、迷いと救いの間で宙吊りになりながらも、それをあるがままに受け止めていく生き方が示されている。今回は、唯円の反論を丁寧に読み解き、迷いと救いの間の緊張関係をたじろがずに受け止めていく親鸞の生き方を学んでいく。

第4回 「人間にとって宗教とは何か」
親鸞ほど、人間の「光」と「闇」の間で揺れ動いた信仰者は稀だ。浄土仏教への信仰を貫きながらも、我が身の罪深さ、自分の信仰が偽物ではないかとの懐疑に懊悩し続けた。そんな親鸞を支えていたのが「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに、親鸞一人がためなり」との確信だった。あまりにも有名な親鸞の言葉だが、常識的に考えれば、傲慢ともとれる言葉だ。しかし深く読み解いていくと、そこには「我が身一身でこの教えを引き受け、その切実さを生き切ろう」という親鸞の実存的な決断がある。今回は、「歎異抄」後序に記された親鸞の信仰人としての生き様を通して、「人間にとって宗教とは何か」を考えていく。
(original text from NHK site)

NHK教育 25min×4 2017-10-02・09・16・23(2016-04-04~のアンコール放送)
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●ドキュメント72時間 「真夏の秋田 ババのアイスが恋しくて」

夏真っ盛りの秋田。スーパーの駐車場や国道沿い、観光スポットから誰も来ないような岩場まで。県内のあちこちで派手なパラソルの露店が突如出現する。売っているのは、「ババ」と呼ばれる女性たちがヘラを使って盛りつけるアイス、通称“ババヘラ”。50年以上の歴史があるというババヘラは、秋田の夏の風物詩だ。お盆に帰省した人々は、懐かしいふるさとの味に何を思うのか? 神出鬼没のババに密着する3日間。
(text from NHK site)

NHK総合 25min 2017-09-15 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●ドキュメント72時間 「京都 静かすぎる図書館」

秋の連休を迎えた京都。観光エリアの一角にある、私語厳禁の図書館が舞台。ただひたすら静寂を守り、ブースに向かう人々。その事情はさまざまだ。変化が激しい業界で生き抜こうとする人。再就職を夢見る人。明確に将来の目標を掲げる小学生も…。10年以上通う常連は、見知らぬ者同士なのに不思議な連帯感があると語る。独りになりたいけど、孤独はイヤだ。番組史上最も静かな場所から見えてくる、“現代人の孤独との距離感”とは
(text from NHK site)

NHK総合 25min 2017-10-27 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo



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