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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「日本人に"安心&便利"な食を!昆布と豆を極めて大躍進!知られざるフジッコ」
フジッコ社長・福井正一(まさかず)

「フジッコーのおまーめさん」のCMで知られるフジッコは、昆布と豆の商品にこだわって成長を続け、年商587億円。日本の昆布製品のおよそ半分と豆製品の4割という圧倒的シェアで業界に君臨している。今でこそ当たり前の「安心・安全」にいち早く取り組み、徹底的に「健康」にテーマを絞った商品開発を続け、他にない地位を築いたフジッコの経営に迫る。

◎国民的「昆布&豆」メーカー!日本人を健康にする”親心”
「塩こんぶ」「おまめさん」「純とろ」など、日本人が親しんできた数々のロングセラー商品を持つ、フジッコ。この10年、毎年10億円のペースで売上高を増やし続け、現在年商580億円… 驚くほど成長を続ける企業だ。そんなフジッコ最大の商品戦略が「健康」。創業以来、日本人の伝統食・昆布や豆が健康にいい食品であることに着眼。その効果を学術的にも研究し続け、徹底的に健康に良い商品作りにこだわってきた。現在、昆布と豆を使った商品だけで120種類以上もある。そんなフジッコを創業したのは、現社長の父である山岸八郎。元々学校の教師だった山岸は、子供たちの健康によい食品・昆布の加工メーカーとして起業した。山岸は、幼少期に肥満だった息子(現社長)を気遣い、昆布や豆食品を食べさせることで肥満を解消したという。そんな徹底的に「健康に良い食品」にこだわるフジッコ、その視点は海外の食品にも及ぶ。例えば、フィリピンで伝統的に食べられていた低カロリー食品「ナタデココ」をいち早く商品化したのがフジッコなら、グルジア(現ジョージア)の長寿村で食べられていたヨーグルトを「カスピ海ヨーグルト」としてヒットさせたのもフジッコなのだ。そのユニークな経営に迫る!

◎時代のニーズをいち早く掴み進化を続けるフジッコ商品
フジッコ・創業者の山岸は、時代のニーズをいち早く掴む天才だった。昆布製品が「量り売り」だった時代にパック詰めで発売。全国に広がり始めていたスーパーマーケットチェーンの広域流通のニーズに応え、最初の成功を掴んだ。さらに、メインターゲットである女性たちの生活の変化をとらえ、家庭で作らなくなっていた伝統的な昆布や豆の煮物を、簡単に食べられるパック商品として商品化、大ヒットを生んだ。そして、今では当たり前の「安心・安全」についても、フジッコはいち早く取り込んでいる。1973年には、広く使われていた人工甘味料・サッカリンの不使用を決断、サッカリン不使用の「とろろ昆布」を開発するなど、先進的な商品づくりを行い、現在では「ふじっ子あんしんシステム」として、様々な厳しい安全検査を商品作りで行っている。時代のニーズをいち早く掴んで注力することで、他にない強みをもつ企業として成長してきたフジッコの最新戦略を追った。

≪ゲストプロフィール≫
1962年 兵庫県生まれ
1991年 東北大大学院卒業後、花王入社
1995年 フジッコ入社
2004年 社長就任

≪会社プロフィール≫
本社: 神戸市中央区港島中町6-13-4
設立: 1960年
年商: 587億円(連結・平成28年3月期)
従業員: 2191人(グループ)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2016-10-27 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●プロフェッショナル 仕事の流儀(307) 「僕のパンは、まだおいしくなる」 パン職人・竹内久典

西宮市のはずれに“伝説のパン屋”が復活した。もっちりとした食べ応えと深い甘みが人気の食パンや、表面はサクサクで中は驚くほど軽い食感のメロンパンなど、“どこにもないパン”を目当てに日本全国から客が集まっている。ただし販売は、電話による完全予約制。せっかく買い求めに来た客を「売り切れ」で帰してしまわないための苦肉の策だ。オーナーは、パン職人の竹内久典(44)。3年前まで、大阪市の中心部で1日に1000人もの客が訪れる店を営んでいた。新聞の人気ランキングで全国一に選ばれるほどの人気店にもかかわらず、竹内は「本当に作りたいパンだけを作りたい」と突如閉店を決意。3年をかけて準備し、今年1月、山小屋風のパン屋を開き、再スタートを果たした。竹内いわく、“邪道”だというそのパン作りは、従来のパンの製法を無視した型破りなものだ。たとえば人気の食パンは、通常の倍の水分を加えた常識外れの“びちゃびちゃな”生地で仕込む。「おいしければ、どんな作り方でもかまわない」という竹内。成形には手間もかかるが、もっちりとした食感と同時にのどごしの良さを実現した。酷暑に見舞われたこの夏。竹内の店で異常事態が起きた。予約が減り、売り上げを直撃。食の細る夏、暑さの中でも人々を魅了するパンとは何か。感動を呼ぶほどおいしいパンを生み出そうと悪戦苦闘する、パン職人・竹内に密着した。
(original text from NHK site)

NHK総合 50min 2016-10-24 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo/解説副音声/字幕





●モーガン・フリーマン 時空を超えて 「宇宙人はどのように思考するのか?」

宇宙人がいるとしたら、どんな思考をするのだろうか? 違う惑星で進化を遂げた以上、感覚や思考の形式は人間と全く違うのでは? 地球の生物を手がかりにヒントを探る。 進化生物学者や化学環境学者は、脳を持たない植物が動物と同じ行動をすることを、実験や観察で証明している。では、植物も高度な思考能力を持っているのか? アリを研究する動物行動学者は、アリのコロニーに着目。単体ではなく、集団としての知的能力の高さは、宇宙人にも当てはまるのか? また、宇宙人はどんな言語を使っているのか? そもそも言葉を使うのか? 言語科学者や神経科学者が、さまざまなアプローチで、その謎に挑む。
(original text from NHK site)

NHK教育 45min 2016-10-14 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●モーガン・フリーマン 時空を超えて・選 「運命か? 自由意志か?」

人間の選択は、自由意志に基づくというのは真実だろうか? 我々の行動は、全て運命によって定められているのではないのか? 脳をスキャンすると、意識的な決断の前に無意識に物事を決めていることがわかり、自由意志による決断は幻想だとする説もある。また物理学では、量子力学の「あいまいさ」こそが自由意志をもたらすという説もある。自由意志がないと人間の倫理感が危機にさらされるのではないか?(2016年9月初回放送)
(original text from NHK site)

NHK教育 45min 2016-11-04 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「歌舞伎俳優・市川團十郎」

「どこの世界でもそうだけど たとえ市川団十郎と言う名前でも 大きくするか小さくするかはその人 誰も助けてくれない」: 歌舞伎俳優、十二代目市川團十郎。市川宗家の家の芸・荒事。その大らかで勇壮な芸を受け継いできた。「勧進帳」や「助六」などを大舞台で演じ、国内ばかりでなく数多くの海外公演を通じ、日本文化を世界に発信。パリ公演ではフランス芸術文化勲章コマンドゥールを受章した。市川團十郎は昭和21年、江戸歌舞伎の名門・成田屋、十一代目團十郎の長男として生まれた。7歳で初舞台を踏み、11歳で市川新之助を襲名。尾上菊之助・尾上辰之助と共に若手期待の星「三之助時代」を築いた。しかし、その役者人生は決して平坦なものではなかった。19歳の時、父・團十郎が56歳の若さで他界。家の芸を伝授される前のことだった。途方に暮れる新之助の頼りとなったのは叔父の松本白鸚と尾上松緑、そして相手役指名してくれた中村歌右衛門だった。23歳で海老蔵を襲名し、研鑽を重ねた。しかし、江戸歌舞伎の総本山市川家を継承する重みと闘う日々が続く。30代になると團十郎襲名が期待されるようになる。「自分にはそれだけの力がない」という想いを振り切り、昭和60年 38歳の時、遂に十二代目團十郎襲名を決意する。40代になるとお家芸「荒事」は、力強さ・大らかさに色気が加わり、團十郎独特の風情が生まれてくる。また時代物・世話物でも当たり役が多く生まれ、文字通り歌舞伎界を支える大看板になっていった。しかし50歳代後半からの人生は、白血病との闘いだった。平成16年に発病、18年再発から執念の復帰。翌19年には世界最高峰の舞台の一つ、パリ・オペラ座での歌舞伎公演を実現させた。海老蔵と競演した弁慶はパリっ子の喝采を浴びた。多くの困難を乗り越え、江戸文化の粋を伝え残したその生涯だった。
(original text from NHK site)

NHK総合 10min 2016-11-05 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo



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