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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「無添加の焼き立てパン屋が全国で急増中!異色の“5日で開業できる”手法の秘密」
おかやま工房社長・河上祐隆(つねたか)

パン消費量が増え続ける一方で、いわゆる「町のパン屋」の廃業が相次いでいる。長時間労働が当たり前とされる厳しいパン職人の世界を若者が敬遠し、後継者が育たないためだという。そうした中、注目を集めているパン屋が岡山にある。無添加パンを焼き立てで提供し、岡山では最も高い売り上げを誇る人気店だが、注目される理由はそこではない。なんとこの店、たった5日間でパン作りのノウハウを身につけられる研修講座を開き、その卒業生が全国各地で次々と開業、その多くが人気店に育っているというのだ。「町のパン屋」を全国に広げる、異色プロジェクトの全貌に迫る。

◎過疎の町にも人気パン屋が誕生!「5日で開業できる」手法とは
愛媛県伊予市の山間の町に、無添加の手作りパンを売りにしたパン屋が去年9月、開業した。この町は人口5000人ほどの過疎地域で、以前あったパン屋は廃業してなくなっていたため、地域住民たちは大喜び。さらに味もいいと評判になり、昼にはパンが売り切れてしまうほどの人気となっている。そんな人気店のオーナー・伊藤洋一さん(44)は、4人の子供と妻の6人家族。「自然の中で子育てしたい」と、2014年にカメラメーカーを辞め、東京から移住してきたという。実は伊藤さん、パン作りは全くの素人だったが、ある研修講座に参加してノウハウを身につけた。今この講座は大人気で、実は東京など都心部でも卒業生たちが次々と開業、その数は全国120店舗以上になるという。その研修講座を開いているのが、岡山の人気パン店「おかやま工房」だ。無添加・焼き立てを売りにした岡山市で人気ナンバー1のパン屋。それでもオーナーの河上祐隆は、「今はパン作りを人に教え、開業を手伝う方が面白い」と話す。無添加で抜群のおいしいパンを生み出すパン職人、河上の研修とはどんなものなのか―。その様子を覗いてみると、なんと研修期間はわずか5日間…。いったいどんな秘密があるのか、裏側を密着取材する。

◎町のパンをなくさせない!
たった5日間でパン職人になれる画期的な手法を開発した河上だが、河上自身には厳しい下積み時代があった。神様と崇めるパン職人と出会い、数年の修業を経て確かな技術を身につけたものの、長時間労働は当たり前。自らの店を開業後も、寝る時間以外はパン作りに追われ、一日20時間労働が続いた。そんな経験を持つ河上が、なぜ一見お手軽にも見える5日間の研修講座を始めたのか?

◎海外から引き合い殺到!ニッポンのカレーパンがインドへ…
河上の活動は、国内だけでなく海外にも広がっている。河上が関わった海外の店舗は11店舗、今年はロサンゼルスに研修センターも開いた。そして河上が次に開業を支援するのは、インド。インドでパン屋を開きたいと言うインド人青年のもとを訪ね、一緒にテストマーケティングをする。目玉は何とニッポンのカレーパン。カレーの本場インドに、ニッポンの味は通用するのか?

≪ゲストプロフィール≫
1962年 大阪市出身、高校卒業後ベーカリー企業に就職
1996年 岡山に「おかやま工房」を設立
2009年 リエゾンプロジェクトをスタート

≪会社プロフィール≫
本社: 岡山県岡山市北区田中112番地103
設立: 1996年
年商: 約6億円(2015年度)
社員: 約40人(正社員)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2016-12-15 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「和食の異端児が切り拓く!進化する日本料理の未来」
菊の井社長・村田吉弘

京都の老舗料亭「菊乃井」。料亭といえば一般的に縁遠いイメージのある世界だが、三代目主人である村田吉弘は「料亭の基本は飯屋。普通の人が普通に働いて、人生の節目の日に少しだけ贅沢な気分を味わえる。それが菊乃井」と言う。そんな村田はこれまで、料亭としての伝統を守りつつも、従来の常識を変え続けてきた。それは料理の手法から人材育成に至るまで多岐に渡る。料亭という世界の中で異彩を放つ菊乃井、その全貌に迫った。

◎料理も値段も大満足! “7つ星”料亭、「菊乃井」の秘密
京都・東山に本店を構える料亭「菊乃井」。創業1912年、100年以上の歴史を誇る老舗だ。ミシュランガイドでは京都の本店が3つ星、京都・木屋町の店舗、東京・赤坂の店舗がそれぞれ2つ星と、合計7つ星を獲得している。料亭といえば、「企業の接待」「政治家の会合」と、一般的に見てどうしても縁遠いイメージがあるのも事実。そんな中、菊乃井は異彩を放つ。例えば赤坂の店舗では、コース料理が1万5000円(税・サ別)~と、辺りの相場の約半額。それは、食材の仕入れを独自に工夫したり、料亭では珍しい調理機器を積極的に取り入れたりといった企業努力が生み出す。和食という伝統を多くの人に食べてもらい守っていくべく、革新を続けているのだ。そんな老舗を率いる三代目主人・村田吉弘は言う。「料亭の基本は飯屋。普通の人が普通に働いて、人生の節目の日に少しだけ贅沢な気分を味わえる。それが菊乃井」。番組では、そんな菊乃井の舞台裏に密着し、その魅力を余すことなく伝える。

◎世界の食通が称賛!未来の日本料理とは
村田は、日本の食文化である「和食」を世界に広げようとする活動も精力的に行っている。2013年、「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録された際にも旗振り役を担った。そして2016年秋、村田の姿はロンドンにあった。「和牛」と「和食」を広めるイベントのトータルプロデューサーを務めるのだという。一料理人の枠を超え、日本の食文化と真剣に向き合う村田。そこで作り上げたのは、従来の常識を超えた、いわば“未来の日本料理”だった。

◎菊乃井流・人材育成 知られざる職人の世界
料理人の世界、特に和食ともなると、どうしても「仕事は見て盗め」という職人気質のイメージがつきまとう。しかし、菊乃井では、そういったイメージを排除した人材育成を行う。例えば、指導係という制度。菊乃井では1年目の新人には2年目の社員が指導する、2年目の社員には3年目の社員が指導する、という決まりがある。後輩側からすれば年齢が近いので何でも聞きやすく、先輩側は指導することで自身の学習にもなるというわけだ。しかも、先輩側は「感覚的」な指導をすることは禁じられており、「なぜ、そうなのか」ということを、具体的な調理温度や調味料の分量などの数値も含めて伝えなければならない。 村田は言う。「勘と経験は数値化しないと伝わらない。これは和食を守ることにもつながる」。伝統ある世界において、従来の当たり前を変えていく ——— 村田の精神は、人材育成にも表れていた。

≪ゲストプロフィール≫
1951年 京都の老舗料亭「菊乃井」の長男として生まれる。立命館大学在学中、フランス料理修行のため渡仏。大学卒業後、名古屋の料亭「加茂免」で修業を積む。
1976年 「菊乃井木屋町店」を開店。
1993年 株式会社菊の井代表取締役社長に就任。
2004年 「赤坂菊乃井」を開店。ライフワークとして「日本料理を正しく世界に発信する」ということを掲げている。料亭を経営する一方、NPO法人日本料理アカデミー理事長も務める。

≪会社プロフィール≫
創業:1912年
従業員数:200名(パート社員含む)
売上高:25億円
主な事業:料亭の運営、総菜・弁当の製造販売
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2016-12-22 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●ブラタモリ -4th series- 「#57 東京・目黒」 ~目黒は江戸のリゾート!?~

ブラタモリ、久しぶりの東京!舞台は、タモリさんの地元・目黒!目黒と言えば、落語「目黒のさんま」でもお馴染み。今では高層マンションやお洒落な店が立ち並ぶ、人気急上昇中の町です。そんな目黒が「江戸のリゾート」だったって・・・いったいどういうことでしょう?「目黒区に住んで、かれこれ30年」というタモリさんも驚きの、目黒の知られざる姿をブラブラ歩きながら明らかにしていきます。そもそも江戸時代、目黒は江戸の市中ではありませんでした。そんな場所に大勢の庶民が押し寄せたのは、「目黒不動」というお寺があったから。江戸の町から日帰りで参拝できるという絶妙の距離感もあって、門前町は大賑わいだったといいます。目黒不動でタモリ流「目黒のさんま」を披露!? 一方で、セレブにも愛された目黒には大名の別荘が立ち並んでいました。大名屋敷を支えるために造られた用水の痕跡を訪ねて、普段は立ち入り厳禁の防衛省の研究施設へ!40年前に廃止になったはずの用水の水が、今も残っていた? 衝撃的な事実に、タモリさん大興奮!さらに日本初の総合結婚式場として有名な目黒雅叙園へ!文化財になっている豪華な“百段階段”が物語る、目黒が愛され続けてきた理由とは?
(original text from NHK site)

NHK総合 45min 2016-12-17 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●目撃!日本列島 「その先に愛を描く」 ~映画監督・佐々部清 介護を撮る~

10月末、山口県で映画「八重子のハミング」が公開された。アルツハイマーの妻とがんになった夫の4000日に及ぶ介護の実話を題材にした物語だ。メガホンをとったのは、山口県出身の映画監督・佐々部清さん。これまで「半落ち」や「ツレがうつになりまして」などのヒット作を手がけてきた。構想7年。地域住民の支援を受けながら映画制作に臨む佐々部監督の挑戦に密着。「今、老老介護の映画を作る」と決意した監督の思いとは。
(text from NHK site)

NHK総合 25min 2016-12-10 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●「音楽と旅して」 ~名曲アルバム40周年~

世界各地の名曲を5分にまとめて紹介する「名曲アルバム」が放送40周年を迎えた。番組開始当時の映像や歴代の豪華な出演者など、秘蔵映像を公開。新作の制作舞台裏も披露。
(original text from NHK site)

NHK総合 10min 2016-12-25 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「作家・野坂昭如」

「記憶として飢餓の体験を人に伝えるというのは とっても難しいんです 涙が出て来るみたいな感じで 不安感が出てくるし」: 「火垂るの墓」や「アメリカひじき」などの小説、「四畳半襖の下張」裁判やヒット曲「黒の舟唄」などで知られる作家、野坂昭如。小説家・批評家、そして歌手・政治家など、様々な顔を持つが、その人生を貫く軸となったのは、少年時代に体験した戦争だった。「焼け跡闇市派」を名乗り、常に戦争反対の立場から活動を続けた。野坂昭如は昭和5年生まれ。14歳の時に神戸の空襲で父を亡くし、幼い妹を連れて子供だけで福井県に避難した。しかし、妹は栄養失調のために間もなく亡くなってしまう。この時の体験をもとに生まれたのが、アニメ映画にもなった直木賞受賞作「火垂るの墓」である。自分が食べる分をもっと減らし、妹に分けることが出来なかったのか。消すことのできない罪の意識を背負った野坂は、戦争体験から目を背けることなく正面から向き合い作品を生み続けた。「戦争童話集」「一九四五・夏・神戸」「『終戦日記』を読む」など。「自分は戦争体験を伝える最後の世代」と位置づけ、平和に向けた情念は衰えることはなかった。激動の戦後史を、反戦平和を原点として生き抜いた人生だった。
(original text from NHK site)

NHK総合 10min 2016-12-10 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●視点・論点 「子どもの貧困対策 給食の充実を」 首都大学東京教授…阿部彩

NHK総合 10min 2016-11-21 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Mono





●視点・論点 「江戸の経済官僚」 東京工業大学教授…山室恭子

NHK総合 10min 2016-12-12 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Mono

> 気受け、金銀不融通、貨幣改鋳





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