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●100分de名著 「西郷隆盛 “南洲翁遺訓”」 講師: 先崎彰容(日本大学教授)

明治維新の立役者の一人であり、「江戸無血開城」等の政治的難事業を成し遂げた稀有な政治家・西郷隆盛。晩年こそ反逆者として追われ不遇の最期を遂げたが、今なお多くの人から慕われ続けています。しかし、特に晩年の行動は謎に包まれており、今でも議論が尽きません。西郷を生涯にわたって支えた思想とはどんなものだったのか? それを知る上で大きな手がかりがあります。生前の彼の言葉が記録されている「南洲翁遺訓」です。編纂したのは元庄内藩有志たち。西郷の仇敵にあたる庄内藩の人たちが彼の言葉を残そうとしたのは、西郷の計らいにより庄内藩に寛大な処置がとられたからでした。その高潔な人格に感動した人々による編纂であるため、これまでは「偉人・西郷隆盛」をイメージづける名言集という読まれ方がなされてきました。しかし、その言葉の端々に潜む意味を丁寧に読み解くと、西郷が世界史の動向を鋭く見据え、比類のない洞察力で国家のあり方・文明のあり方・人間のあり方を模索し、新たな時代の指針を打ちたてようとしていたことがわかってきます。研究者の先崎彰容さんは、この書が単なる名言集を超えた一級の思想書であり、これまで謎とされてきた西郷晩年の行動の意味を解き明かす鍵を握っているといいます。またその言葉の裏には、せっかく維新を成し遂げたにも関わらず志を失い私利私欲にふける官僚達、民のことを忘れ権力闘争にあけくれる政治家達、物質的な繁栄のみを追い求めようとする政策等々への、西郷の深い憂いがこめられています。この書は、明治新政府への厳しい諫言でもあり、現代社会の問題をも鋭く刺し貫く射程をもっているのです。大河ドラマ「西郷どん」の放送がスタートする2018年1月。幕末から明治維新への激動期、新しい国づくりのために51年の人生のすべてを捧げた西郷の言葉から、あるべきリーダーの条件、国家や経済への洞察、困難を乗り越えるための人生の指針など、現代の私たちが学ぶべきメッセージを読み解いていきます。

第1回 「揺らぐ時代」
西郷が生きた時代・1830~70年代は、世界で巨大な情報通信革命とエネルギー革命が急速に展開している時代だった。一大鉄道網の敷設、大陸間をつなぐ海底電信ケーブルの設置等々、現在でいえばインターネット革命に匹敵するような巨大な地殻変動。その余波が超大国ロシア帝国をも揺さぶる時代。「南洲翁遺訓」を読むと、西郷が世界史的視野からそうした変動を鋭く洞察し、国家がどうあるべきかについてのヴィジョンを模索していたことがわかる。こうした激動の時代だからこそ、国家の屋台骨を打ちたて、世界に伍する国柄を明確にせねばならないと考えた西郷は、巨視的な立場から、藩閥政治の利害争いや安易な西洋文明の模倣に対して鋭い批判を展開する。今回は、西郷の人となりなども交えながら、彼の思想の先見性に迫っていく。

第2回 「“敬天愛人”の思想」
ともすると、古きよき人生訓やビジネス指針として読まれがちな「敬天愛人」の思想。しかし「南洲翁遺訓」を読み解いていくと、そこには時代を経て培われてきた奥深い思想が秘められていることがわかる。そのエッセンスのひとつが、佐藤一斎らが展開してきた「陽明学」。維新が成った結果、人々の欲望が解放され、経済的利害のみが人々を動かす行動基準になろうとしていた時代、西郷は改めて日本人がよって立つべき原理を「天」という概念に求め、旧秩序の崩壊で価値基準が混沌する中、国家の命運をかけた大きな決断を下す際の基準点をぶれることなく持ち続けた。今回は、奄美流罪時代の西郷の苦闘の意味なども交えながら、これまであまり読み取られることのなかった「敬天愛人」の思想の淵源に迫っていく。

第3回 「“文明”とは何か」
「このままでは日本は商法支配所に成り下がる」。私利私欲に走り、そろばん勘定だけを政策決定の基準にしようとしているかに見える藩閥政治に対して、西郷は鋭い論陣を展開する。刑法のあり方・財政のあり方など具体的な指針も交えながら、西欧列強と対峙し得る国家のアイデンティティとは何かを追求し続ける西郷。だがその基本姿勢は、偏狭な国粋主義と一線を画す。彼の思想は、西欧に学ぶべきところは学ぶが、途上国に対する非道さや経済的な打算による威信の軽視を鋭く批判するという、文明史的視点に貫かれているのだ。今回は、西郷が思い描いた文明のあり方・国家のあり方の奥深さに迫っていく。

第4回 「時代を映す“古典”」
西郷を悲劇の死に追いやった「西南戦争」。不平士族たちの思いを背負った西郷が、負けとわかって挑んだ戦いと記されることも多いが、先崎彰容さんは「実はこの戦いは、西郷が大きな思想的な課題を成し遂げようとして戦った必然的な戦いだった」と考える。この戦いには、洋行帰りで西欧の最新知識を吸収した人やルソーに心酔した知識人も参加していた。こうした事実と「南洲翁遺訓」を合わせて西郷の行為を読み解くと、官僚独裁が進み排除の論理が横行する新政府に対して行った大きな「抵抗運動」だったと考えられるという。時代の転換期ごとに読み返され、福沢諭吉・内村鑑三・三島由紀夫らにも大きな影響を与え続けた西郷の思想。今回は、時代を超えて何度も掘り起こされてきた西郷の思想が、現代の私たちの置かれた状況にとってどんな意味をもっているかを明らかにしていく。
(original text from NHK site)

NHK教育 25min×4 2018-01-08・15・22・29 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo





●100分de名著 「法華経」 講師: 植木雅俊(仏教思想研究家)

古来、大乗仏典の中でも「諸経の王」と呼ばれ、広くアジア諸国で最も信奉されてきた経典のひとつ「法華経」。日本でも聖徳太子・最澄・道元・日蓮・宮沢賢治ら、多くの人々に巨大な影響を与えてきました。「今昔物語」「源氏物語」「枕草子」などの文学にも法華経にまつわるエピソードが記され、日本文化の底流には脈々とその精神が流れ続けています。しかし現代人には、意外にその内容は知られていません。「100分de名著」では、この法華経のサンスクリット版の原典を「思想書」ととらえて解読し、一宗教書には留まらない普遍的なテーマや、私たちにも通じるメッセージを引き出していきます。「法華経」は西暦紀元1世紀末から3世紀始めに成立したと推定されています。当時のインドは、厳しい修行や哲学的な思索を出家者が中心になって行う「部派仏教」と呼ばれる教団が栄え、仏教が庶民の暮らしから遠い存在になっていました。そこに、広く民衆を救済しようという新たな潮流「大乗仏教」が登場し、部派仏教との間で激しい対立が生じていました。この対立を乗り越え、これまでのさまざまな仏教をより大きな視点から統合しようとしたのが法華経だといいます。法華経の舞台は、霊鷲山というインドの山。釈迦の説法を聞こうと8万人にも及ぶ聴衆が集まっていました。深い瞑想の中にいた釈迦はおもむろに目覚め、今までに誰も聞いたことがない奥深い教えを語り始めます。全ての命の絶対的な平等性、これまで成仏できないとされてきた出家修行者や女人・悪人に至るまでの成仏の可能性、それぞれの人間の中に秘められた尊厳性、それを尊重する行為の素晴らしさなどが、卓抜な比喩などを駆使して語られます。そしてクライマックスでは、これまで秘されていた釈迦の成仏の本当の意味が明かされるのです。法華経には、忽然と虚空に出現する天文学的な大きさの宝塔、大地を割って湧き出してくる無数の菩薩たちなど神話的なシーンが数多く現れ、合理的な思考からすると一見荒唐無稽な物語とみなされがちです。しかし、当時の思想状況や社会状況に照らし合わせて読み解いていくと、当時の常識では到底受け容れられないような新しい考え方や価値観を、象徴的な出来事や巧みな喩えに託してなんとか表現しようとする作者たちの意図が明らかになっていきます。その一つひとつを解読すると、その中核には「釈迦が元々説こうとしていた仏教の原点に立ち返れ」という力強いメッセージが込められていることがわかります。それは、さまざまな因習に縛られ見失われそうになっていた「人間自体を尊重する人間主義の思想」だと、仏教思想研究家の植木雅俊さんは言います。排外主義が横行して分断される社会、拡大し続ける格差… 憎しみや対立の連鎖からなかなか抜け出せない現代、「法華経」を現代的な視点から読み解きながら、「差異を認め合い、共存・融和を目指していく知恵」「自己に眠る大きな可能性を開いていくには何が必要か」など、生きる指針を学んでいきます。

第1回 「全ての命は平等である」
法華経が編纂された当時は、出家修行者が自らの悟りを目指す一部の「部派仏教」と、広く民衆を救済しようという「大乗仏教」が厳しく対立していた時代だった。法華経には、そうした対立を止揚し乗り越えようという新しい思想が込められていると言う。一部の部派仏教が決して成仏できないとした在家信者や女性も、初期大乗仏教が決して覚りを得ることができないと断じた出家修行者も、全て平等に仏になれるという平等思想を打ち出したのである。法華経ではそのことを過去の因縁話や有名な「三車火宅のたとえ」など、卓抜な表現を用いて見事に説いた。今回は、法華経に込められた、人類初ともいえる「普遍的な平等思想」に迫る。

第2回 「真の自己に目覚めよ」
法華経が最も優れた経典とされる理由は「全ての人間が平等に成仏できる」と説いたこと。では「成仏する」とはどういうことか? それは現代の言葉でいえば「真の自己に目覚めること」「人格を完成させること」だと植木さんは言う。当時は釈迦が神格化され、釈迦の骨を収めた塔「ストゥーパ」を拝む信仰が隆盛を極めていた。しかし法華経では、釈迦はあくまで覚りを得たひとりの人間なのだから偶像を信仰するのではなく、釈迦が説いた「法」や「経典」の方をこそ重視せよと説く。それこそが人格を完成していく方途なのだ。今回は、様々な喩えをもって語られる「真の自己に目覚めること」の大事さを解き明かす。

第3回 「“永遠のブッダ“が示すもの」
その場でたちどころに覚りを得る女性や悪人、大地の底から湧き出してくる菩薩たち… 劇的なドラマが繰り広げられる法華経の中盤。神話的とも言えるこれらの表現は、これまでの常識的な価値観を揺さぶり、全く新しい価値観を受け容れる地ならしをしようとした表現だという。その上で明かされるのは、釈迦が40数年前にブッダガヤで成仏したのではなく、気の遠くなるような遥かな過去に既に成仏していたという驚愕すべき事実。そこに込められているのは、様々な形で説かれてきた無数の仏たちを一つに統合し、釈迦という存在の中に位置づけることで、これまでの仏典全てを包摂しようという意図だという。今回は、法華経に説かれた「永遠のブッダ」が示す奥深い意味を明らかにしていく。

第4回 「“人間の尊厳“への讃歌」
法華経後半で最も大事な章と考えられている「常不軽菩薩品」。どんな暴力や迫害に遭おうとも、ひたすら他者に内在する仏性を尊重して礼拝し続ける常不軽菩薩が、経文などを全く読めずともやがて覚りを得ていくという姿を描いている。ここには、法華経の修行の根幹が凝縮しているという。すべての人間に秘められた可能性を信じて尊ぶ行為こそが、自らの可能性を開いていく鍵を握っているというのが法華経の思想なのだ。今回は、歴史小説「等伯」を書いた直木賞作家の安部龍太郎さんとともに法華経を読み解き、理想の人間の生き方に迫っていく。
(original text from NHK site)

NHK教育 25min×4 2018-04-02・09・16・23 Air check by Sony Giga Pocket Digital 4.2 Stereo



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