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●100分de名著 「カミュ “ペスト“(一挙再放送)」 講師: 中条省平(学習院大学教授)

第二次大戦の只中、「異邦人」「シーシュポスの神話」等の作品で「不条理」の哲学を打ち出し、戦後の思想界に巨大な影響を与え続けた作家アルベール・カミュ (1913~1960)。彼が自らのレジスタンス活動で培った思想を通して、戦争や全体主義・大災害といった極限状況に、人間はどう向き合いどう生きていくべきかを問うた代表作が「ペスト」である。舞台は、突如ペストの猛威に晒された北アフリカの港湾都市オラン市。猖獗を極めるペストの蔓延で、次々と罪なき人々が命を失っていく。その一方でオラン市は、感染拡大阻止のため外界から完全に遮断。医師リウーは、友人のタルーらとともにこの極限状況に立ち向かっていくが、あらゆる試みは挫折してペストの災禍は拡大の一途をたどる。後手に回り続ける行政の対応、厳しい状況から目をそらして現実逃避を続ける人々、増え続ける死者……。圧倒的な絶望状況の中、それでも人間の尊厳をかけて連帯し、それぞれの決意をもって闘い続ける人々。いったい彼らを支えたものとは何だったのか?「ペスト」はナチスドイツ占領下のヨーロッパで実際に起こった出来事の隠喩だといわれる。過酷な占領下で、横行した裏切りや密告・同胞同士の相互不信・刹那的な享楽への現実逃避・愛するものたちとの離別等々。カミュ自身がレジスタンス活動の中で目撃した赤裸々な人間模様が、この作品には反映している。それだけではない。「罪なき人々の死」「災害や病気などの避けがたい苦難」「この世にはびこる悪」… 私たちの人生は「不条理」としか言いようのない出来事に満ち溢れている。「ペスト」は、私たちの人生そのものの隠喩でもあるのだ。番組では、カミュが描き出そうした人間にとって不可避な「不条理」に光を当て、「ペスト」という作品を通して、人間は「不条理」とどう向き合って生きていけばよいのかを読み解いていく。【アニメーション】高橋昂也

第1回 「不条理の哲学」
「ペスト」は、カミュ自身が体験したナチスドイツ占領下のヨーロッパでの出来事の暗喩でもあった。ペスト蔓延という事態の中で繰り広げられる出来事は、当時の状況と瓜二つである。それは現代社会にも通じていると言って良い。後手に回り続ける行政の対応・人々の相互不信・愛する人との過酷な別離… 精神も肉体も牢獄に閉じ込められたような状況の中で、それに照らし出されるように浮かび上がってくる人間の尊厳。極限状況の中で、「誠実さ」「自分の職務を果たすこと」といった言葉を唯一の支えとして、敢然と災厄に立ち向かっていく人々が現れる。今回は、やがて多くの人々や行政をも突き動かしていく医師リウーやその友人タルーたちの姿を通して、極限状況下における人間の尊厳とは何かを考えいてく。

第2回 「神なき世界で生きる」
ペスト蔓延の中で、市民たちは未来への希望も過去への追憶も奪われ、「現在」という時間の中に閉じ込められていく。ペスト予防や患者治癒の試みがことごとく挫折する中、現実逃避を始める市民に対して神父パヌルーは「ペストは神の審判のしるし」と訴え、人々に回心を迫る。その一方で保健隊を結成し、あらん限りに力を振り絞ってペストとの絶望的な闘いを続ける医師リウーやその友人タルー、役人グラン、脱出を断念して彼らと連帯する新聞記者ランベール。彼らを支えたのは、決して大げさなものではなく、ささやかな仕事への愛であり、人と人とをつなぐ連帯の感情であり、自分の職務を果たすことへの義務感だった。今回は、人々を絶望な状況に立ち向かわせる「希望の源」は何なのかに迫っていく。

第3回 「それぞれの闘い」
予審判事オトン氏の幼子に対して試される「血清」。しかしそれは、病状を改善させるどころか苦悶の中での死をもたらした。罪なき子どもの死に直面した神父パヌルーの心は大きく動揺。神を信じないという医師リウーは、彼に対し「罪なき子どもが死ぬような世界を自分は愛せない。私はそれと闘い続ける」と宣言。それを受け、パヌルーは異端すれすれの思想を人々の前で表明、リウーたちと信条を超えて助け合うことを確認する。一方リウーの友人タルーは、若き日の挫折から抱き続けた罪悪感を告白し、「神によらずして聖者たりうるか」を自らに課すという信条を吐露する。今回はそれぞれの闘いを通して、人は「神」という存在なしに倫理を貫き人間の尊厳を守り続けることができるのか… というカミュの根源的な問いについて考える。

第4回 「われ反抗す、ゆえにわれら在り」
発生から9ヶ月、あれほど猛威をふるったペストは沈静化し始め、不安と楽観の間を揺れ動く市民たち。そんな中、医師リウーを支えてきたタルーがついに発病した。彼は「今こそすべては良いのだ」という言葉を遺し、静かに死を受け容れる。追い討ちをかけるように、遠隔地で結核の治療を続けていた妻が死んだという知らせがリウーのもとに届く。最後までリウーを打ちのめし続ける「不条理」。それでもなおリウーは後世のために、これら全ての記録を自ら記し、残していこうと決意する。今回は思想家の内田樹さんを交えて、彼の思想の根幹にあるキーワード「反抗」の深い意味を明らかにし、人間は私たちを打ちのめし続ける「不条理」とどう向き合えばよいのかを探っていく。
(original text from NHK site)

NHK教育 25min×4 2020-04-11(2018年6月初回放送) Air check by Panasonic DIGA DMR-BCT1060 Stereo





●100分de名著 「コッローディ “ピノッキオの冒険”」 講師: 和田忠彦(東京外国語大学名誉教授)

今なお世界中の子供たちに人気が高い「ピノッキオの冒険」。イタリアの作家、カルロ・コッローディ(1826~1890)が1881年に執筆した児童文学の傑作ですが、ディズニー映画の影響で「嘘をつく悪い子がよい子に生まれ変わる物語」というマイルドなイメージが定着しています。ところが「ピノッキオは愛らしいキャラクターどころか筋金入りの悪童だった」「鼻が伸びるという逸話は嘘をつくことをそれほど戒めていない」など意外な事実が数多く描かれており、大人が読んでも楽しめる豊かなメタファーの数々が仕込まれています。そこで「100分de名著」では、瑞々しい人間描写・辛辣な社会風刺を通して、「人間の心のあり方」「社会の矛盾」を見事に描き出したこの作品から、大人をも唸らせる奥深いテーマを読み解いていきます。一本の棒きれが、ジェペットさんによってあやつり人形に。ところが製作の途中から暴れ出すこの人形は、人間のコントロールを全く受け付けません。ジェッペットさんにピノッキオと名付けられ可愛がられるも、束縛は嫌だとばかりに逃げ出してしまいます。自由を得たものの数々の試練に突き当たるピノッキオは、やがて自分の導き手たる青い髪の仙女に出会います。しかし彼女の助言も虚しく何度も自らの欲望に負けてしまい、とうとう一匹のロバになってしまうのです。果たしてピノッキオの運命は? 近年「ピノッキオの冒険」の新訳に取り組んできたイタリア文学者の和田忠彦さんは、この作品が巷間言われているような単なる「児童文学」ではなく、深い思想的な背景をもった人生への洞察を読み取ることができる、大人にも読んでほしい作品だと言います。人は自分の欲望とどう向き合えばよいのか、不条理に直面した時どうすればよいかといった問題を、改めて深く考えさせてくれるのがこの作品なのです。和田忠彦さんにイタリア文学の傑作「ピノッキオの冒険」に新たな視点から光を当ててもらい、「子どものあるべき姿」「不条理との向き合い方」といった現代に通じるメッセージを読み解いていきます。【朗読】伊藤沙莉

第1回 「統一国家とあやつり人形」
一本の丸太が、ジェッペットさんによってあやつり人形に。ところが製作の途中から暴れ出すこの人形は、人間の制御を全く受け付けない。ピノッキオと名付けられ可愛がられるも、束縛は嫌だとばかりに逃げ出してしまう。制御不可能な人形が象徴するのは、産声をあげたばかりの統一イタリアに置かれた子ども達。当時のイタリアは、理想を実現するどころか、横暴な国家権力や流入してくる産業文明に翻弄されていた。破天荒なピノッキオの姿には、賢らに秩序への服従を強要してくる新国家に対する作者の反発も込められていた。今回は作者の人となりや思想性なども交え、子ども達の生命力を象徴するようなピノッキオの破天荒さ、服従を強要する者への根深い反発などを通して、人間社会にある光と闇を見つめる。

第2回 「嘘からの成長」
冒険を続けるピノッキオだが、強盗に化けた猫と狐に追われ、とうとう吊るし首に。児童文学の結末とも思えない結末に、子ども達から「物語を続けてほしい」との嘆願書が。そこで作者は強引なやり方で物語を続行。青い髪の仙女に命を助けられたピノッキオは、嘘をつくと鼻が伸びてしまうという事実に直面。だがそれは、決して戒めなどではなかった。その一方で、無実の罪で禁固刑に処せられるなど数々の不条理がピノッキオを襲う。助けを求めて仙女を訪ねるが、そこにあったのは墓石だった。ピノッキオを成長させるのは「嘘」と「死」。そこには、権威化するキリスト教会に対する作者の批判も込められていた。今回はピノッキオが直面した試練を読み解き、人間の成長にとって「嘘」や「死」が何をもたらすのかを考える。

第3回 「子どもをめぐる労働と不条理」
旅を続けるピノッキオは「はたらきバチの村」に辿り着く。飢えるピノッキオは、お金や食べ物を恵んでほしいと頼み込むが、人々は「対価が欲しければ働け」と冷たく突き放す。さらに強欲な大人たちに翻弄されながらも、ピノッキオは少しずつ自分をコントロールする方法を身に付けていく。こうした物語からは、牧歌的だったイタリアが産業文明の急速な流入で翻弄されている様子や、子どもを労働の道具としか見ない当時の大人たちの価値観がうかがえるという。今回は、混沌の只中に置かれた子ども達の窮状への作者の告発を通して、本当の教育のあり方や子ども達の窮状にどう手を差し延べるかといった、現代に通じる作者のメッセージを読み解く。

第4回 「“帰郷”という冒険」
ピノッキオは性懲りもなく、悪友「ランプの芯」に誘われて一年中が休みだという「おもちゃの国」へ旅立つ。だが彼らはその罰を受けるかのように、ロバの姿に変わり果てる。サーカスに売り飛ばされるも、危ういところで海に逃げ出すピノッキオだが、彼を待っていたのは産業文明を象徴するかのような巨大ザメ。あえなく飲み込まれてしまうが、胃袋の中で愛するジェッペットさんと再会する。ピノッキオは脱出に成功後、自らを犠牲にしてジェッペットさんや仙女を助けようと奮闘。その結果、ピノッキオは? 一見、教訓話に見える結末だが、いたずらや悪行の限りを尽くしたピノッキオの人生を温かく肯定的に見つめる視点も示される。いたずら好きでだらしないところも含めて、子どもをまるごと肯定しているのだ。今回は、光も闇も含めて人間を肯定する作者の深い人間観に迫っていく。
(original text from NHK site)

NHK教育 25min×4 2020-04-06・13・20・27 Air check by Panasonic DIGA DMR-BCT1060 Stereo





●小さな旅 選 「旅立ちの響灘」 ~北九州市 藍島~

福岡県北九州市の沖合、響灘に浮かぶ小さな島・藍島(あいのしま)。人々は、古くから海の恵みと共に暮らしてきました。港はサワラにサヨリ・ワカメなど、様々な海の幸の豊漁に沸きます。春は、出会いと別れの季節。子供たちは小学校を卒業すると島を出て、北九州の中学校で寮生活を送ります。漁師の父と最後の親子漁に臨む子供も。故郷の島と家族の思い出を胸に、巣立っていく子供たちの姿を見つめます。
(original text from NHK site)

NHK総合 25min 2020-04-26(2019-04-21の再放送) Air check by Panasonic DIGA DMR-BCT1060 Stereo



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