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●歴史秘話ヒストリア 「比叡山延暦寺 最澄1200年のメッセージ」

日本中が疫病や災害に見舞われた1200年前、人々の心を救うべく立ち上がったのが、比叡山延暦寺の開祖・最澄だ。そんな最澄の残した言葉が「一隅を照らす」。アフガニスタンで亡くなった医師・中村哲さんが座右の銘にしていた。そして最澄が行き着き、現代を生きる私たちも共感する「仏の道」とは? さらに近年の発掘調査でわかった、比叡山焼き打ちの際の、織田信長や明智光秀と比叡山の意外な関係にも迫る。
(original text from NHK site)

NHK総合 45min 2020-06-10 Air check by Panasonic DIGA DMR-BCT1060 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「絶対に諦めない 何でもありのサバイバル経営術」 銚子電気鉄道社長・竹本勝紀

新型コロナの影響で、特に観光関連は壊滅的なダメージを受けている。その中の1つが、千葉県にあるローカル鉄道「銚子電鉄」。創業以来、何度も廃線の危機に陥りながらも、そのたび土俵際で踏ん張り続けてきた。今回訪れた最大の危機をジリ貧鉄道会社はどう凌ぐのか・・・?

◎絶対にあきらめない!“ジリ貧鉄道”のサバイバル経営術
千葉県銚子市を走る片道20分、全長わずか6.4kmのローカル鉄道・銚子電鉄。例年なら観光客で賑わうゴールデンウィークも、新型コロナの影響でガラガラ。壊滅的なダメージを受けているのだが、この鉄道には危機を乗り切る最大の武器が… そう「絶対に諦めない」のだ!常に廃線の瀬戸際に立たされてきた銚電は、信じられないほどのジリ貧鉄道。券売機はなく、切符はいまだに手売り。列車は12万円で購入した中古で、副業で始めた「ぬれ煎餅」の製造が会社の屋台骨となっている。そんなジリ貧鉄道を率いるのが顧問税理士から社長になった竹本。「売れるものは何でも金に換える」をモットーに、駅の命名権などを販売。また会社の経営難さえ武器にし、「まずい棒」や「サバイバルカレー」など自虐的なネーミングの食品をヒットさせた。そしてコロナ危機の今、売れ残った鉄道グッズや記念切符を「廃線危機救済セット」として販売、地域住民と新たな名物グルメの開発にも乗り出している。さらに竹本、一発逆転を狙ったとんでもないプロジェクトも進めていた!「絶対にあきらめない」鉄道会社が繰り広げる、何でもありのサバイバル経営術に迫る!

◎七転八倒!逆境から這い上がる執念の再生劇
銚子電鉄の前身は銚子遊覧鉄道。通勤・観光以外に、ヤマサ醤油の輸送業務を行う貨物路線として活躍していた。しかし高度経済成長期、マイカーが普及すると乗客はみるみる減り、赤字経営に転落。1976年、「およげ!たいやきくん」ブームに便乗し、副業で「たい焼き」作りを始める。その後、銚子からの人口流出が進み、鉄道利用客はまたまた減少。さらにバブルの崩壊で、親会社となっていた建設会社が倒産、資金面での後ろ盾も失う。1995年、どうしたものかと思いついたのが銚子名物の「ぬれ煎餅」の製造。たちまち大ヒットとなり、ついに鉄道収入を上回るように。しかし、経営が安定し始めた銚電に最大の危機が…。今度は、倒産した親会社の社長が銚電名義で2億円を借金し、業務上横領で逮捕されたのだ。2億円の借金を背負わせられた上に補助金も凍結、銀行からの融資もストップ。そんな三重苦の時に竹本が顧問税理士に。この出会いが後に、「ぬれ煎餅の奇跡」を呼ぶことになる。竹本は、東日本大震災の影響で倒産が現実的となった2012年に社長に就任。わずか10万円の報酬で会社経営に身を捧げる。市や県に強く陳情を続けて補助金を復活させたかと思えば、食品事業では得意のダジャレセンスをいかんなく発揮してヒットを飛ばす。さらに列車内での様々なイベントを開催するエンタメ列車を考案し、徐々にファンをつかんでいく。涙あり、感動あり、そして笑いあり!銚子電鉄の再生劇に迫る!

◎コロナに負けるな!地元住民が支える銚電
銚子電鉄の存続の陰には、地域住民との深い繋がりがある。脱線事故が起きた時には、銚子商業の生徒たちが修繕費用の500万円を集めてくれたことも。そして今、地域のボランティアが銚電を元気づけようと、駅に花を植えて大事に育てている。そんな住民のために銚電も、あるサプライズプレゼントを用意した…!?

≪ゲストプロフィール≫
1962年 千葉県木更津市出身
1986年 慶應義塾大学経済学部卒業、税理士事務所 入社
2005年 銚子電気鉄道の顧問税理士
2008年 銚子電気鉄道の社外取締役
2012年 代表取締役社長 就任

≪会社プロフィール≫
本社: 千葉県銚子市新生町2-297
創業: 1922年
資本金: 6千910万円
売上高: 4億9700万円(令和2年3月期)
従業員: 正社員24名、パート・アルバイト40名
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2020-06-11 Air check by Panasonic DIGA DMR-BCT1060 Stereo





●ETV特集 「引き裂かれた海」~長崎・国営諫早湾干拓事業の中で~

湾の3分の1が閉めきられ、2008年に完成した諫早湾干拓。異変が続く海で漁を続ける漁師は、海の環境改善を求めて開門を訴える。漁を諦め、干拓地で農業を始めた元漁師。干拓事業を受け入れ、漁業補償協定に調印したことを後悔し続けた漁協の元組合長。一方、干拓地では入植者が営農。多くは農業用水が使えなくなると、開門に反対。しかし開門を訴える人も現れた。巨大公共事業の中で人々はどう生きてきたのか。
(original text from NHK site)

NHK教育 60min 2020-06-13 Air check by Panasonic DIGA DMR-BCT1060 Stereo

> 「見えないダムが守ってくれた」九州豪雨で諫早、大きな被害なし 干拓の調整池、治水機能発揮 産経新聞 2020年7月25日配信
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九州の広い範囲を襲った豪雨は各地で河川の氾濫を引き起こし、甚大な被害をもたらした。ただ長年、暴れ川と恐れられてきた長崎県諫早市などを流れる本明川の流域一帯では大きな被害は生じなかった。地元住民からは、国営諫早湾干拓事業で完成した淡水調整池による治水機能に救われたと評価する声が上がる。(九州総局 中村雅和)「これまでなら水が出ているだろう。少なくとも床下(浸水)までは覚悟しないといけない。でも今はそんな必要はない。心配はしていない」10日午後、自宅で取材に応じた諫早市自治会連合会の古賀文朗会長は、冷静な表情でこう語った。九州の広い範囲で大雨をもたらした前線は、諫早市にも牙をむいた。1日あたりの降水量はピーク時で平年の10~20倍にのぼり、市内を流れる本明川は、一部で氾濫危険水位に達していた。10日も正午過ぎから雨脚が強まっていた。諫早市一帯は周囲を山に囲まれ、雨雲が発生しやすい。降った雨が一気に流れる本明川は、これまでも多くの人命や家財を奪っていた。昭和32年7月には死者、行方不明者が630人に上った「諫早大水害」が発生した。その後も57年7月(死者21人、床上浸水1379戸など)や平成11年7月(死者1人、床上浸水240戸など)など水害は相次いだ。市民にとって水の恐ろしさは骨身にしみたものだ。ところが近年、かつてほどの恐怖心は抱かずに済んでいるという。「見えないダムが諫早を守ってくれている」古賀氏はその理由をこう説明する。「見えないダム」とは、国営諫早湾干拓事業で完成した淡水調整池のことだ。 × × × 諫早湾干拓の歴史は江戸時代にさかのぼる。もともと有明海の海流の影響で、ガタ土と呼ばれる火山灰や細かい土砂がたまりやすい湾内は遠浅の干潟になっていた。これを利用して堤防を築き、農業に活用したことで一帯は佐賀藩(現・佐賀、長崎両県)有数の穀倉地帯となった。ただ、造成後もガタ土の流入は止まらず、河川や水路にまで堆積。遠浅の地形と相まって、水はけは極端に悪く、洪水と高潮被害は諫早の宿命といえた。現在の干拓事業の原点は諫早大水害に先立つこと5年、戦後復興の槌音が聞こえ始めた昭和27年、西岡竹次郎県知事=当時=が、水害対策や食糧増産を兼ねた「長崎大干拓構想」として発表したものだ。平成元年に着工し、9年に堤防閉め切り、670ヘクタールの農地と2600ヘクタールの淡水調整池の造成事業は20年に終了した。 × × × 調整池は通常、海抜マイナス1メートルの高さを保つように管理している。そうすることで、本明川からスムーズに水が流れ込むのだ。たまった水は、干満差を利用して海に排水する。この仕組みが整備されて以降、豪雨に伴う諫早市内の被害は激減した。23年8月の豪雨では死者は出ず、床上浸水も10戸にとどまった。今回の豪雨でも今月1~20日に市内には平年比の約3倍、842ミリの降水量を記録したが、大きな被害は出なかった。調整池の効果が顕著だったのは、諫早市内で計424ミリの降雨があった6~7日だ。本明川の水が流れ込んだ調整池の水位は、通常時よりも1メートル以上上昇し、最大で海抜0.25メートルに達していた。たまった水は、引き潮のタイミングで排水門を開放し、海に流して事なきを得た。九州農政局によると、7日は未明と午後の2回、計約8時間半かけて6594万立方メートルを排水。調整池の水位はこの日中に海抜マイナス1.11メートルまで低下。次なる大雨に備える余地を作った。利根川水系の群馬県・八ッ場ダムは、試験湛水中の平成31年10月の台風19号の豪雨では7500万立方メートルの水をためたことで知られる。今回の調整池の働きはそれと比べても遜色ない水準といえ、干満差を利用する調整池の高い排水能力を裏付けた。九州農政局の担当者は「調整池が持つ治水機能は今回の豪雨でも発揮された」と語った。干拓事業の潮受け堤防排水門開門の是非をめぐっては、地元関係者と佐賀県内などの漁業者の対立が続いている。そもそも事業そのものには、自然破壊や無駄な公共事業の象徴などと批判が絶えなかった。ただ、干拓事業とともにできた調整池が水害に悩まされてきた13万人超の諫早市民を救う砦(とりで)となっていることはデータが実証している。





●こころの時代 -宗教・人生- 「敵対と共生のはざまで」 ウイルス学者・東大名誉教授…山内一也

「脅威ではあるが、敵対するものではない」。半世紀以上にわたりウイルス研究と感染症対策に携わってきた山内一也(88)は、ウイルスと人類の関係を独自のまなざしで見つめてきた。山内は、WHOがその威信をかけて取り組んだ天然痘根絶の国際プロジェクトに参加したことでも知られる、日本を代表するウイルス学の権威。コロナ禍の今、未知なる生命体とどう向き合えばよいのか、山内の言葉と文章を手がかりに探ってゆく。
(original text from NHK site)

NHK教育 60min 2020-06-14 Air check by Panasonic DIGA DMR-BCT1060





●テレメンタリー2020 「良心の実弾」 ~医師・中村哲が遺したもの~

去年12月、人道支援を行っていたアフガニスタンで凶弾に倒れた医師・中村哲。彼が作った27キロの用水路は砂漠に緑を蘇らせ、65万人の生活を支えている。彼は何故、これほどまでに人の心を動かすのか。彼自身はアフガンの地に何を求めていたのか。家族・支援者・部下・旧友... 数多くの証言と過去の取材映像から、中村医師の生涯を紐解く。アフガンの大地に、人々の心に彼が遺したものとは。
(original text from TV-asahi site)

朝日放送 30min 2020-06-21 Air check by Panasonic DIGA DMR-BCT1060 Stereo





●時論公論 「新型コロナウイルス 今から避難所の感染対策を」 NHK解説委員…松本浩司

新型コロナウイルス対策で悩ましいのが、災害時の避難所の感染対策。大勢が体育館に押し寄せ、典型的な「3密」となるためだ。豪雨・水害の時期を前に、対策を考える。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2020-04-16 Air check by Panasonic DIGA DMR-BCT1060



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