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●オトナの試験 「映画字幕翻訳家」

松浦美奈さん。15年のキャリアを積み重ねてきた字幕翻訳家です。年間40本以上の映画を手がけています。
字幕翻訳家は、単に外国語を日本語に置き換えるだけではありません。
作品のねらいを理解する力に加えて、日本語の表現として成り立たせる、構成力が問われます。

映画を見ながら、台本のセリフを区切ることを「ハコ割り」と呼びます。瞬時の判断で行う、この「ハコ割り」が、
その後の作業の枠組みを作ります。「ハコ割り」したセリフは、それぞれ何秒なのか、担当者が時間を計ります。
セリフの秒数によって、字幕使える文字数が決まります。

基本のルールは、1秒4文字。映画を楽しむには、これ以上文字数は増やせません。
その中で、セリフを的確に伝える日本語を探します。字幕は見た目も大事です。
全体のボリュームや漢字とひらがなの混ざり具合にも気を遣います。

松浦さんが取り組んでいるのは、映画業界の裏側を描いたコメディー映画。登場人物の軽妙なやりとりが
見せ場の一つです。こうした作品では、字幕を出すテンポが、作品の面白さを大きく左右します。

10日かけて訳し終えた1800枚ものセリフは、ベテランの職人によって、フィルムに焼き付けられます。
様々な制約の中で松浦さんがひねりだした言葉です。しかし、松浦さんの仕事は、まだ終わった訳ではありません。
できあがった作品を見る「試写」が待ちかまえています。

試写会当日です。この日、はじめて翻訳に客観的な目が注がれます。これまで500本以上の実績がある松浦さんですが、
今でも試写会の日には、逃げ出したくなる程の緊張を感じるといいます。
言葉の選択は間違っていなかったか、テンポは適切だったか。一枚一枚の字幕を見つめます。

試写会終了後、1800枚のうち6カ所について修正意見が出ました。松浦さんみずから修正意見を出すこともあります。
1枚だった字幕をさらにテンポが出るように、2枚に分けました。見る人の身になった細やかな演出です。

「セリフの1番から映画の最後のセリフまで試されています。自分の字幕が失敗していると面白さが半減してしまう
という不安もある。やはり自分の字幕で喜んでいただければそれが最高にしあわせだから。」
字幕翻訳の世界には正解はありません。1本1本新たな気持ちで松浦さんは、みつめます。

◎取材余話
年間5本以上の劇場公開映画の字幕翻訳を行う人は、20人程だと言われています。
今回取材させて頂いた松浦美奈さんは、映画配給会社の宣伝部を経て字幕翻訳家の道に進みました。
字幕翻訳家になる一般的な方法は、テレビやビデオなどの簡単な字幕から始まり、
徐々に翻訳を依頼する担当者の信頼を築き、ステップアップしていくようです。
なるための明確なルートや方法がない世界ですが、現役の字幕翻訳家に共通しているのは「大の映画が好き」。
その熱い思いがないと続けられない仕事だと取材を通じて感じました。(担当ディレクター)
(text from NHK site)

NHK教育 10min 2003-03-03 (2001-09-23の再放送) Air ckeck by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo



●技〜極める 「キルトに夢を描く」 〜ミシン・キルター〜

布地の間に綿などを詰めて縫い合わせた、キルト。秦泉寺由子 (じんぜんじ よしこ) さんは、キルトの日本における草分け的存在である。
その代表が、手織りの布を天然染料で染め、そこに複雑なミシンワークを施す独特のキルト。
昭和初期の足踏みミシンから最先端のミシンまで、あらゆるミシンを使いこなし、独自のミシンワークを追求する秦泉寺さんは、
布に合わせてミシンを選ぶのではなく、ミシンに合わせて布を作る。そこに秦泉寺さんならではの計算と感性の技が光る。
特筆すべきは、縦1m、横5m程の巨大なキルト専用のミシンである。このミシンを使うことにより、細かく部分的に分けることなく、
一気に大作の完成図を描き出すことができる。しかし、卓越したデザイン力と経験がなければ、使いこなすことはできない。
「現代文明のほころびを繕うよう」と評される秦泉寺さんのミシンワークの技を紹介する。

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京都市西京区。閑静な住宅街の一角に、キルト作家・秦泉寺由子さんのアトリエがあります。
秦泉寺さんは、日本だけでなく、世界で認められる数少ないキルト作家です。

京都で育った秦泉寺さんは9歳から23歳まで14年間、お茶とお華を習いました。
24歳の時、フラワーデザインを勉強するため、カナダへ留学。そこで、キルトに出会ったのです。
そのキルトは、キリスト教の教会に集まる女性たちが世界中の貧しい人々を救うために作ったものだったのです。
心を打たれた秦泉寺さんは、キルトにのめりこんでいきました。

11年前、秦泉寺さんは、インドネシアのバリ島にもアトリエを作りました。布や糸を染めるところからキルトを作っているのです。
竹で白色の染料を作り、白い布を白く染める、という今まで誰も行わなかった染めに挑戦します。

竹を、大きな釜で煮出し、できた染料を布でこします。初めてこの染料の色を見た時、秦泉寺さんは、ガッカリしたと言います。
それでも、「とにかく、やってみよう」と布を竹の染料に浸しました。染めと水洗いを丹念に繰り返し、庭に干したのです。
秦泉寺さんの前に、元の白とは違う白い布が現れました。

染めた布に、昭和の初め頃に日本で使われていたような古いミシンで模様を入れていきます。
バリに来た時、この古いミシンしか手に入らず悩みました。「まっすぐ縫えない」「ミシンの目もすぐに飛んでしまう」
やがて、その不規則な魅力に秦泉寺さんは惹かれていきます。

秦泉寺さんは、竹染めをさらに発展させたキルトを作り始めました。まず、3色の天然染料を作り、予め竹染めしておいた糸を染めます。
そして、これらの糸で、一枚の布を織るのです。織りあがった4mの布。淡いピンクの縞模様がついています。

秦泉寺さんはこの布を持って、京都へ帰ります。バリで染めた布を、京都のアトリエにある巨大ミシンにかけます。
普通のミシンは、布を動かして縫いますが、このミシンは針の方を自由自在に動かすことができます。
絵筆で一筆描きの絵を描くように自由で微妙な曲線を描けるのです。

貧しい人々のために針を持つ女性たち。その姿に感動し、キルトを作り始めた秦泉寺さん。
布の持つ可能性を広げ、多くの人たちにキルトのぬくもりを伝えたいと、今日もミシンに向かいます。

◎取材余話
バリ島に私達スタッフが入ったのは、あのテロ事件のなんと翌日。心配して秦泉寺さんのアトリエに早速電話をしました。
その時の秦泉寺さんの一言。「それどころじゃないねん!」竹染めの準備でおおわらわの真っ最中だったのです。
キルト作りにかかり始めると、周囲のことが何も気にならなくなってしまうのだと、後で秦泉寺さんは話してくれました。
厳戒体制のインドネシア・バリ島。街のあちらこちら、店のガラスが爆風で木っ端微塵に割れていました。
「アジアの白」はそんな中で生まれたのです。 (担当ディレクター)
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2003-01-19 Air ckeck by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo

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