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●賢者のマネー 「環境問題をバイオで解決 エンバイオテック・ラボラトリーズ」


日本のエビの年間消費量は30万トンで世界一。そのほとんどが海外から輸入されている養殖エビです。
エビの養殖は東南アジアを中心に南米、オセアニアへと広がっています。特に発展途上国では、エビは有力な輸出品なのです。
このエビ養殖の大敵がエビの感染症。93年には、大量発生し、世界中の養殖業者は大打撃を受けました。
感染症のもととなるウィルスの検査の方法は、これまで時間も掛かっていました。しかも、大がかりな装置を要するもので、
養殖場で簡単に検査できるものではありませんでした。それを誰にでも簡単に使え、時間も費用も大幅に短縮する装置を
開発・販売しているのが、日本のベンチャー企業、エンバイオテック・ラボラトリーズです。
今年4月の発売と同時に契約が次々と成立し、3年後には10億円の売り上げが見込まれています。
この製品、実は多くの大学や民間企業が、それぞれの得意分野で智恵を出し合い、共同で開発したモノなのです。
事前のマーケッティングや販売を大手の総合商社がサポートする、という異例のプロジェクトでした。
この製品開発から販売までの複雑なプロセスを束ねたのが、バイオテクノロジーで環境問題を解決しようとする、
日本で初めての企業、エンバイオテック・ラボラトリーズなのです。

◎環境バイオをネットワークで解決。 ◎研究者の要望や疑問が貴重な情報
◎実証実験もネットワーク経由で   ◎産学協働こそ大学研究所の生きる道と筑波大名誉教授
◎次なる分野は土壌汚染の解決

(text from TV-tokyo site)

テレビ東京 28min 2003-06-14 Air ckeck by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●わたしはあきらめない 「平野寿将」 Hisama Hirano 1960年生まれ 料理人


18歳で調理師学校卒業後、京都の料亭に修業に出る。
生来の負けん気でがむしゃらに働き、先輩を追い越して昇進を果たす。
24歳の時松山で居酒屋を開店、さらに25歳で単身オーストラリアに渡り、日本食レストランの料理長となる。
1年で帰国した後、懐石料理店を松山にオープン。ビジネスとして大きくしたいとの思いから、
弁当屋チェーンを始め、コンビニ60店を買収し、100人を抱える企業の社長となった。
しかし、大手コンビニチェーンが松山にも進出し、負債5億円で89年末に倒産。30歳だった。
天職だった料理人をあきらめた。肉体労働者として大阪、東京で働いていた時・・・
以前から交流のあったプロボクサー鬼塚勝也から声をかけられた。
鬼塚から言われた言葉で平野は料理人として復活、高円寺のワンルームで毎日懐石弁当を作り、
新宿の路上で販売。鬼塚の専属料理人契約も結び、試合にも同行。93年には池袋の屋台村もプロデュースして大ヒット。
それから5年近く料理プロデューサーとして活躍をするが、しかし、再び料理人としての生き方に疑問を覚える。
そんな時思い出したのが、鬼塚の専属料理人を務めていた時のことだった…
(text from NHK site)

NHK総合 30min 2003-06-18 Air ckeck by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)










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